瞳に映るもの
「えっ、ワンマン、またやらせてもらえるんですか?」
「うん、前回のが好評だったからね! 夏にホール借りられたよ!」
「ホ、ホール……?」
穏やかな昼下がりは、エビちゃんの一言によって妙な緊張感に包まれ始めた。
ホールとは、如何程の規模の?
ライブハウスではなくホール。ヤバい、新たな単語が浮上してきた。
「待ってエビちゃん、ホールとは?」
「え? 前回のライブ、一般発売できないくらいの応募だったし、集計取って1000人規模のホールでもいいよねって」
「せんにん……?」
何を言われているか理解できないままオウム返しすると、エビちゃんは急に真剣な表情で姿勢を正した。
「涼くん」
「は、い」
「最近、お休みないよね?」
「ない、ですね?」
何の確認が始まったんだ?
つられてピンと背筋を伸ばす。
「舞台が終わって、バラエティ出演して、ゲスト出演でドラマもあったよね?」
「はぁ、うん」
「他にも雑誌の取材、来月からレギュラーの深夜バラエティあるよね?」
「え、はい。待って、なに?」
「これだけお仕事の依頼がひっきりなしに来て忙しくしてるのに、ファンが1000人集まらないと思ってるの?」
ガシッと勢いよく肩を掴まれた。エビちゃん、顔が近いです。
凄まれて後ろに引くと、彼は再び元の位置に座り直した。
「ファンクラブの会員数把握してる?」
「え、この間聞いたのは覚えてるよ?」
「更に増えてます」
「あ、りがとうございます」
「1000人規模でも秒で完売する勢いだからね!」
そうか……そんなに売れたのか俺。
実感が湧かな過ぎて、未だに信じられないけど。
だってちょっと前まで音楽で食べていけないとか言ってたんだよ?
バイトしてたんだよ?
舞台のオーディションだって落ちまくってたのに。
確かに最近は休みがないくらいには忙しい。
舞台をこなしながら楽曲制作して、テレビにも出させてもらえる機会が増えた。
これまでにないほど充実しているとは思う。
「いやでもホール……ホールかあ」
「自信持って涼くん! 目標は武道館でしょ!」
「それはそうなんだけど!」
「座席数約1300を2daysだからね!」
「が……頑張ります」
嬉しさよりも恐ろしさが増すのはなんでだ。
沢山のファンが応援してくれているんだなと思うのに、その期待に応えられるのかが不安。
「よーし次はZeppだ!」
意気揚々と拳を振り上げるエビちゃんに、引き攣った笑いを返すことしかできなかった。
「1000人規模で舞台出てんじゃん」
数日後、打ち合わせのため事務所に顔を出したユキさんへ不安を伝えると、バッサリ切り捨てられた。身も蓋もない。
「そうですよね。ファンが増えるのはいいことだし、喜ばしいのに!」
「や、嬉しいよ! 嬉しいけどさ!」
小心者だから震えるくらい許してよ。
そして舞台の出演者は俺1人ではないので、比較にはならないです。
「何が不安?」
「何と、言われると……こう、得体の知れない不安というか……客席ガラガラだったらどうしようとかあるじゃないですか!」
「キャパ300で満員御礼だったろ」
「そーだそーだ!」
エビちゃんはユキさんに乗っかって楽しそうだな。
「300でチケ争奪戦になってたんなら、ガラガラにはならんだろ」
「ユキさんもうちょっと言い方!」
「これ以上どう励ませと……」
「知ってる! そういう人だって知ってるけど!」
そりゃ、にっこり微笑んで大丈夫だよとか言って欲しいわけじゃないけど、現実的な数値で理論的に話されると寂しいものは寂しい。さすが理系。
面倒くさい事言ってる自覚はあるんです、ごめんね。
「ユキさんは現実的ですねえ」
「はぁ……」
俺がぐだぐだになっている横で、エビちゃんとユキさんは今後の仕事の話をし始めた。
そっちが本題なので、とっとと進めたいであろう彼らの心情はよくわかる。
突っ伏していた体をのそのそ起き上がらせると、隣に座っていたユキさんが軽く俺の背を撫でた。
「どういうテイストにしたいとかある?」
「うーん。ワンマン自体が2回目なんですよね。前回はずっと応援してくれたファンのために、今までリリースした曲をできるだけやろう、みたい感じだったから……」
「他人に書いてもらった曲を単独ライブで、ていうのも初めてですしねえ」
「……じゃあ、涼を知ってもらえば?」
ユキさんの柔らかな声が凛と響いて、思わず顔を上げた。
「え?」
「初めてライブに来るファンも結構いるだろうし、今これからの涼を知ってもらえば?」
きっとこの人の目には、俺とは全然違うものが映っているのだろうなと、時々思う。
ユキさんには、今の俺がどう見えているのだろう。
期待と、少しの恐ろしさが入り混じる。
「……それは、俺をイメージして作ってくれるってことですか?」
「え……あー……」
あ、この人何も考えてなかったな。
「そーゆーとこありますよねー!」
「いや、うん……まぁ……」
「ユキさんが持ってる涼くんへの印象がそのまま曲になるって事ですね。よし、パンフ、パンフのネタにしないと!」
エビちゃんの商魂が逞しい。
凄い勢いでペンがノートの上を駆け抜けていく。
ユキさんは多少気まずそうな顔をしながら、チラリと俺の方を覗き見た。
「楽しみにしてますね?」
「……図太くなったな」
「わー、デジャブ」
「はぁ……わかった、わかりました」
案外すぐ受け入れてくれたことに驚いたけれど、もしかしたらユキさんの中にある俺の印象は、既に音になって溢れていたりするのかもしれない。
想像したらさっきまでの不安が、楽しみに色を変えた。