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夜明けの君 2  作者: 蓮織
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刺青


 帰宅してリビングのドアを開けたら、ユキさんはギターを抱えたままソファで寝ていた。

気持ち良さそうにしているのは可愛いのだけど、さすがにこのままにしておくこともできないので、そっと近づいてギターを拝借しスタンドに置く。

背中と膝に手を回して抱き上げようとしたところで、それは視界に入ってきてしまった。


 左足首に刻まれた、刺青タトゥー


 一匹の龍が、ぐるりと足首を巡っているウロボロス。

あの人に、愛された証。

消していないことは知っていた。俺も、消さなくてもいいと言った。

それが強がりだったことを、今になって思い知る。


(くそ…相変わらず情けねえ)


 近い距離にあの男がいることが、こんなにも自分を揺さぶるなんて。

急激に体が重く感じて、そのままズルズルと座り込む。


「……りょう?」

「っ……ごめんなさい、起こしちゃいました?」


 寝起きの少し掠れた声が聞こえて顔を上げると、ユキさんの指が左頬に触れた。


「おかえり」

「……ただいま」


 その手を取って、指と掌にキスを落とす。

ユキさんは静かにそれを見つめると、ゆっくり起き上がって俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「どうした?」

「え、なに、が?」

「なんかあった?」

「いえ。特には、なにも」

「……そうか」


 誤魔化せてないと分かっているのに、追求されないことに安堵してしまう。


「食事は?」

「あ、まだです」

「じゃあ一緒に食べよ」

「えっ、もしかして待っててくれました?」


 ソファから立ち上がってキッチンへと向かうユキさんに聞くと、彼は視線だけをこちらに向けて首を緩く横に振った。


「遅くなるなら先に食べようと思ってた。うっかり寝てただけ」

「それならいいですけど、疲れてるんじゃないですか?」


 今日だって朝から会社に行って、昼休みの間にエビちゃんとスケジュール確認とかして、帰ってきてから依頼されてる曲作りしてたはずで。

現在23時。ユキさんが何時に帰ってきたのかはわからないけど。

この後だって作曲の続きをするんだろうし、最近寝る時間も遅くなってきてる。


「大丈夫」


 まぁ、そう返ってくるよね。

ユキさんはカウンターキッチンで鍋を火にかけながら、あくびを噛み殺していた。


「ユキさん、俺やるから座ってて」

「いいよ、お前は着替えてこい」

「いーから。あともう風呂入って寝るだけですから」


 肩を掴んで半回転させると、ユキさんは渋々キッチンから出ていく。とはいえそのままカウンターに座ってこちらの作業を見ているので、意味があったのかどうか。


「あ、ビーフシチューめっちゃ美味しそう」


 今晩のメニューはビーフシチューだったらしい。極寒の外から帰ってきて、ユキさんの手作りご飯が食べられる日が来るなんて。

我ながら現金だなと思うけど、さっきまでのモヤモヤした気持ちがそれだけで軽くなった。


「冷蔵庫に買ってきたサラダデリある。あとご飯とパンは好きな方選んで」

「至れり尽くせり!」

「いつもやってもらってるから」

「あはは、好きでやってるんで」


 沸騰してきた鍋から芳しい香りがして、すっかり空っぽになっていた胃がくるくると鳴く。

空腹の時は、ろくなことを考えないものだ。

冷蔵庫からサラダを取り出して盛り付け、深皿に温め直したシチューをよそう。

カウンターの上に2人分を乗せると、ユキさんはそれを受け取って綺麗に並べてくれた。


「ユキさんはご飯とパンどうします?」

「んー……パンかな」

「じゃあ2人分切っちゃいますね」


 買ってあったフランスパンを切り分けてトースターへ。


「よし」


 ユキさんの隣に座って、手を合わせた。


「いただきます」

「いただきます」


 温かいシチューは、疲れた精神と空腹に沁みる。


「おいひい」

「ん、よかった」

「大きめ野菜がくたくたに煮込まれてるの、最高ですよね」

「圧力鍋の功績だな」


 じゃがいもを冷ましながら言うユキさんの近くで、トースターが焼き上がりを知らせた。

面倒くさがってカウンターから手を伸ばすあたり、ユキさんはちょっとものぐさなんだと思う。


「ユキさーん、火傷するから」

「……うん」

「もー、うんじゃない。手を大事にっていつも言ってるでしょ。俺が取りますから」

「………過保護」


 不服そうに上がる声を無視して、再び向かい側へ回る。面倒なのはわかるんだけどね。もういっそカウンターの上にトースター置こうかな。


「過保護にさせてんのは誰ですか」


 プレートに乗せたパンを置いてじとりと見つめたら、気まずそうに目を逸らされた。

自覚があって何より。


「……今日」


 フランスパンをシチューに浸しながら、ユキさんは様子を伺うように言った。


「撮影、どうだった?」

「え、あー……」


 そういう方向で攻めてきたか。

やはり、さっきの俺の態度は気になったんだろう。きっと最初は放っておいてくれるつもりだったんだろうに。


「楽しかったですよ」

「そうか」

「一緒に撮ったのも仲間内ばっかりだから、そんなに緊張もなくて」

「……」


 ヒタヒタになったパンを齧りながら、ユキさんはじっと耳を傾けてくれている。


「……龍臣さんと、朝緋さんに会ったんです」

「……」

「同じスタジオだったみたいで」

「うん」

「マネージャーさんが、ユキさんによろしくって言ってました」

「うん……そうか」


 それでも、誤魔化してしまった。

だって、ただの醜い嫉妬だ。偶然龍臣さんに会って、あの時のことを思い出して。帰ってきたら、ユキさんの左足首には、まだあの人の証が遺されていて。

どうしようもないほどの嫉妬心と不安が、奥底でのたうち回っている。

その醜さを、この人に知られたくなかった。




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