花火
打ち上がる花火のように、人を幸せにしていく人間なんだと思った。
「えっ、挿入歌?」
「そうだよ。出演ドラマの挿入歌。ユキさん作曲で、涼くんに歌ってもらいたいって」
「ええ!? 喜んで!」
「あはは、もうユキさんに依頼してあります」
「仕事が早い!」
「作曲依頼は少し早めに来てたからね」
最近忙しそうだなあと、こんな時に思う。
ユキさんの名前が音楽業界でよく聞かれるようになって、作曲依頼が後を立たなくなった。
ドラマのサントラなんかが多いだろうか。
プロメテウスの曲を作ってからは、俺の作曲をしていることもあって、挿入歌や主題歌の依頼も舞い込むようになったと聞く。
ユキさんは他人が歌う曲を書くのは、あまり乗り気ではなさそうだけれど。
「……それ、俺が歌うって決まってた?」
「あー、鋭いねえ」
エビちゃんはよく分かったねと笑って、資料を手渡した。
知らないところで色々動いてるな。
こればっかりは仕方がないのだけど。
来年の夏ドラマだから、夏らしい歌になるのかな。
ユキさんの作る夏歌が楽しみすぎて、足元がちょっとだけ踊った。
「デモ、できてる」
「早い!」
帰ってきた涼にその場でデータを送ったら、どんなスピードで曲作ってんのと驚かれた。
完全に出来上がったわけではないので、まだ変わる予定ではある。
編曲もあるし、歌詞は一つも書いていない。
「まだイジると思うけど、一応の形だけ」
「この間ライブ終わったばっかなのに……ユキさんの頭ん中どーなってるんですか」
呆然としながら、立ったまま耳にイヤホンをつけるところが、涼らしい。
一旦座って落ち着けばいいのに。
「とりあえず座れば?」
「あ、はい」
素直に隣へ落ち着いて、データを再生し始める。
曲に乗りながら、体を揺らして指を動かす涼を見たら、なんとなく安心した。
多分、このまま進めて大丈夫だろう。
クライアントの意向に沿うのは大前提だけれど、歌う本人が気に入らないものを書く気はない。
「……めちゃくちゃ良いです」
「よかった」
「いやでも一ついいですか」
「どうぞ」
「キーが、高いかな!」
「頑張れ」
「あ、下げる気ない!」
無理なキーで作ったとは思わないので、そのまま投げた。
自分が涼の高音を聴きたい気持ちも半分。涼の声の良さを生かしたい気持ちも半分。
それをこなしてくれるであろう信頼もある。
「マジかぁー……」
「出せる音域だと思うけど?」
「出ますけどぉ……歌いこなせるかなぁって」
「大丈夫大丈夫」
「適当に宥めようとしてません?」
「やればできる」
「くっ……今だけ朝緋さんになりたい」
朝緋だったら、また別の曲になっていたと思うけれど、そこは口を噤んだ。
呻きながら何度も曲を再生する涼に笑って、ソファから立ち上がる。
「夕飯、なにがいい?」
「えっ、俺作りますよ!」
「いいよ、まだ聞いときたいだろ」
「うぅ……じゃあー……レタスチャーハンがいいです」
「了解」
キッチンに立って調理を開始しながら、渡した曲の事を考える。
さて歌詞はどうしたものか。
頭の中でメロディを流して、取り出した玉ねぎに包丁を入れた。
結局、曲をイジり続けて編曲は終えたけれど、歌詞はできていないまま。
イメージは固まっているのに、言葉に変換できない。この作業はいつも苦手だ。
「ねえユキさん、今日花火大会なんですって」
「あぁ、そういえばそんな時期か」
前に住んでた部屋からは、どこの花火大会も見ることはできなかった。
そもそも一人で人混みに行くこともない。
去年は、涼が誘ってくれたっけ。
「ここ、バルコニーから見えるみたいなんですよ。お酒用意して外で飲みません?」
「いいよ」
「よっしゃ、つまみも作ろー」
早い時間に仕事を終えた涼が、家にいるのは久しぶりだ。
二人でつまみやすいものを作って、ビールと一緒にバルコニーに持ち込む。
「ヤバ、そろそろ始まる?」
「19時からだっけ?」
「そう! あ、始まった!」
涼が声を上げるのと同時、ヒューっと打ち上がる音が響いた。
金色の火花がキラキラと煌めいて、火薬の弾ける音が聞こえる。
「すごー!」
「……綺麗だな」
「よし、かんぱーい! お疲れ様です!」
「ふは、乾杯」
目を輝かせてはしゃぐ涼は、あどけない少年のようで可愛い。
夜色の髪と瞳に映る色鮮やかな花火が、彼の横顔を美しく照らしていた。
「たまやーって言いたくなりません?」
「ならない」
「えぇー、あ、惑星の形すごい」
「ふは、」
「え、なんで笑うの?!」
「いや、可愛いなと思って」
「えぇ!? 急にそんな」
照れた顔を誤魔化すように、ビールに口をつける。
その仕草にまたちょっと笑った。
作ったカナッペを口に運びながら、上がる花火を見つめる。
大玉のしだれ柳が、水面に映る様が綺麗だ。
こんな夏の風物詩を楽しめるようになったのだなと、感慨深い気持ちになる。
涼と再会していなかったら、今どうしていただろう。
数年前には、別の人間が隣にいて。
その刹那を、どこか空しい気持ちで過ごしていた。
でも、今はーー。
そっと、左隣に視線を移した。
夜空に散る万華鏡を、夢中で映す瞳。
光に揺れて、煌めくその瞬間を刻みつけるように一つ、瞬きをした。
自分にとって、光のような人。
「ユキさん?」
「……あ、今の」
「うん?」
「万華鏡っていう形の花火」
「え、今の?」
「うん、一番好きなやつ」
「そうなんですか? 待って花火の種類とか知らない! え、これは?!」
「ふは、これは冠」
「なんでそんなに知ってるの!?」
「あはは」
正確には今、一番好きになったのかもしれない。
カラフルに咲く火花が、涼の黒髪に反射して綺麗だったから。
このままずっと隣で、見つめていたい。
(あーぁ、出来てしまったな)
悩んでいた歌詞は、打ち上がる花びらのように咲いて落ちた。
「お、ぁ……まっっって」
「待ってる」
「いや待って」
「待ってるって」
いや違う待ってほしい。
耳に装着したワイヤレスイヤホンを一旦外して息を整える。
なんだこのデモは。
夏に曲だけ聞かされてから数ヶ月。
急ぎのものでもなかったその完成デモが、俺のところへ上がってきたのが12月。
歌詞が出来たことを知らされて、早く聴きたいと思っていたのに。
今渡された歌詞を見ながら曲を聴き始めたら、とんでもないものが耳に飛び込んできた。
無理。本当に無理。
「だってこれ、仮歌、ユキさんじゃん!」
「うん」
「いやいやいやいや! えっ、ちょ、まっ……て」
「だから待ってる」
そういことじゃない。
まさか仮歌をユキさんが歌うなんて、誰も思わないじゃん。
「ユキさんの声が死ぬほど好きだと知っての狼藉か……」
「はぁ」
「もうユキさんに歌ってほしい」
「無理」
両手で顔を覆いながらソファに寝転がる。
体を丸めながらゴロゴロ左右にのたうち回って、ようやくもう一度再生ボタンを押した。
話す時の声とはちょっとだけ違う、高めの、甘く張りのある響き。
ボイストレーニングもしてないのに、なんでこの音域が出せるんだと嫉妬もするけれど、それ以上に歌声があまりにも良くて聞き惚れる。
足の先までが衝撃で震えて、ぎゅっと体を丸めた。
「おぁぁ……」
「だ、大丈夫か」
「反則ですよぉ……」
両耳を押さえて、若干引き気味のユキさんを見上げる。
ダメだ、集中できない。
一旦停止して、ソファから息も絶え絶えに起き上がった。
「ちょっと落ち着きますね」
「あ、うん」
大きく深呼吸して、隣に座ったユキさんを抱きしめた。
「これ、落ち着くのか?」
「んーーーー、いい匂い」
「おい」
「だぁーって、まさか歌ってくれると思ってなかったんだもん」
「そんなに?」
「一撃必殺ですよ」
息の根が止まるかと思った。
ぎゅうぎゅうと抱きしめ直しながら、頸にキスをする。
くすぐったそうに身を捩らせて、ユキさんの指が俺の頬を撫でた。
「落ち着いた?」
「うーん、少し」
「じゃあとりあえず聴いてもらって」
「情緒がないー」
打ち合わせる気満々なユキさんに不満を漏らしながら、もう一度最初から再生する。
イヤホンから流れる夏らしいバラード曲に、抱きしめた体勢のまま目を閉じた。
あの花火大会の日に、きっと歌詞が浮かんだんだろうなぁとわかる。
花火が一つのテーマになったラブソング。
ドラマの雰囲気にとてもよく合っている。
(……女性目線の歌詞だ)
ユキさんの声で歌われる、誰かを想う曲。
機械や他人に歌ってもらってイメージが崩れるより、自分が持ってるものをそのまま歌った方が手っ取り早いという考えだったんだろう。
でもそれが、最高のものを生み出している。
切なげな声と、透き通るファルセット。
夏の終わりを思わせる、物悲しい美しさ。
自然と、目頭が熱くなる。
「涼?」
鼻を啜る音で、ユキさんがそっと体を離した。
「あー、これ、ヤバい」
「泣いてる?」
「や、ちょっと感動して」
流れる涙を袖で拭って、大きく息を吐く。
人の歌に感動して泣くなんて、いつぶりだろう。自分が歌うのが、勿体無いような気がしてくる。
「これ俺が歌うのかぁ」
「その為に作ってる」
「サラッと口説きますね」
「これで口説かれてくれるのか」
「簡単な男なので!」
ユキさん限定だけど。
ふんぞり返ってそう付け加えたら、ユキさんはいつものように、手の甲で口元を隠しながら笑った。
珍しく、歌い方に注文をつけた。
ここはこういうイメージで、とか、ここは少し抜いてほしい、とか。
涼の歌唱力で出来るであろうことを、最大限引き出したくて。
レコーディングでほぼ口を出すことのない自分が、何度かブースに指示を出すものだから、スタッフが目を見開いて驚いていた。
「了解です」
涼はと言えば、オレから飛ばされる面倒な要望を、渋ることもなく全力で応えた。
その胆力に、こちらが圧倒される。
事前にある程度のイメージを伝えていたとは言え、ここまでこなせるのは、流石としか言いようがない。
「どうですか?」
ブースを開けて確認する涼の顔が、緊張している。
それに笑って、親指と人差し指で円を作ってみせた。
「最高」
「!」
「お疲れ」
「っしゃあ! お疲れ様です!」
満面の笑みを浮かべて拳を握りしめる彼は、いつも以上にキラキラと輝いている。
スタッフに囲まれてハイタッチして、手と手を打ち鳴らしていく。
最後にオレのところへ来ると、一際嬉しそうに両手を上げた。
「お疲れ様」
「へへ、お疲れ様でした!」
パンッと弾ける花火のように、手のひらが鳴る。
衝撃と、彼の熱と、ジンジンとする余韻。
光のような、目の前の男。
鮮やかに周囲を照らしていく涼の、全てを映し続ける水面でいたいと思った。
ユキはジルで活動している時、稀にギターボーカルをやっていました。(嫌々)
莉子ちゃんとしてはユキに歌わせたかったのですが、死んでも首を縦には振らなかったのであえなく断念。
涼はその時を知っているので、できればまた歌ってほしいと思っています。