なぜ雨に降られても濡れないのか?(9)
「では、これから行きましょうか」
「え、いまから行くのですか?」
びっくりして目を見開いた雪彦に、羽束は真剣な面持ちでうなずく。
「はい。神の祟りは少しでも早く鎮めた方がよいのです。あまり長く続くと、その分よくないモノが寄ってきやすい体質になってしまいますから」
「なるほど……」
説明された彼は納得する。
不穏な空気に包まれて犯罪者を見るような目で追い立てられるのは、もうまっぴらだった。
「今は三時ごろです。八時くらいにあちらを出れば、日付が変わる前に戻って来られるのではないでしょうか」
大ざっぱな計算ではあるが、無理とも思えなかったため雪彦は賛成する。
思い立ったが吉日という言葉もあるし、ここは彼女の判断に従った方がいいように思えた。
彼らはすぐに駅を向かって切符を買い、あまり人がいないホームで特急を待つ。
日差しを避けられる位置に立っていると生暖かい風が吹き抜けていく。
「祖母が言っていた神様のこと、どう思います?」
「祟り神の一種でしょう」
雪彦の問いに羽束は即答する。
「あなたに降りかかる災いがそこまでじゃなかったのは、今までおばあさまが毎月お詣りなさっていらしたからです。そのおかげで神様は怒るよりも、あなた方のどなたかに自分のことを思い出してもらいたいという気持ちが強かったのでしょうね。放置する時間が長いほど神の怒りは大きくなり、降りかかる災いは恐ろしいものになっていくのです」
彼女は言葉を区切って彼に微笑むかけた。
「取り返しがつかなくなる前にご相談いただけてよかったです」
時間が経過するほど恐ろしいことが起こっていたということは、何となく雪彦にも分かる。
だが、ひとつだけ分からないことがあった。
「どうして僕が対象になったのでしょう? 他に肉親はいるのですが、何かあったとは聞きません」
別に自分が狙われたことに関する恨みを言うつもりはない。
人間であればともかく人外にぶつけても徒労に終わりそうだ。
ただ、理由に関しては純粋に気になる。
「それは藤無さんが“視”えるからでしょう」
今度の回答も早かった。
羽束は切れ長の目を彼に向ける。
「霊は自分が分かる人のところに寄って来る、という話はご存知ですか?」
「ええ、聞いた覚えはあります」
オカルトや心霊現象について語られる時、お約束のようについてくる情報だというのが彼の認識だ。
「祟り神も同じだと考えていただければ、お分かりになるのではないでしょうか。特に今回は本気で祟っていたわけではなく、自分を祀っていた家の人に思い出してもらいたい、という動機だったようですから一番気づいてくれそうな人を選んだのでしょう」
「なるほど……」
ようやく雪彦は理解する。
何とも迷惑な話ではあるが、忘れた方も悪いし、もっと早く祖母の見舞いに行って話を聞いていれば、そもそも祟りは起きなかったかもしれない。
神を責めるのは筋違いと言えそうだ。
特急から降りて駅員に教わった道を進んで十五分もすると、羽束は少しつらそうになる。
華奢でおとなしそうな外見通り、体力はあまりないのかもしれない。
それでも弱音ひとつはかずについてきているのは、プロ意識によるものだろう。
彼らはやがて大きな神社へ続く石の登りに足をつける。
一番うえまで登るのではなく、途中左手側にある小道を進む。
その先にはきくえが言ったような小さな赤い屋根の祠があった。
いつしか忘れ去られ、最近手を拝みに来ていたのはきくえとその夫、雪彦の祖父くらいだという。
きくえに言われたように花とサカキを替えてから、その場にかがみ込んで手を合わせて拝む。
長らく家人が放置していたことを詫び、今後訪れることを約束し、加護があることを祈る。
雪彦が立ち上がると一緒になって拝んでた羽束も立ち上がり、ほっとした顔になった。
「お許しいただけたようです。藤無さんにまとわりついていた気配が、正反対ものに変わりました」
「そうなんですか?」
彼は彼女の言葉を聞いたが、その視線は祠のうえに固定されている。
彼の目の前では犬の面をかぶった三十センチくらいの小人がいて、うれしそうに彼に手を振っていた。
「あ、あれは……何かすごい気配がしますが」
雪彦の声は少し震える。
彼には何となくだがわかった。
小人がただものではないと。
「……藤無さん、霊どころか神様も“視”えるのですね」
ごくりと唾を飲み込む彼を見て、当然“視”えていた羽束が、真剣な顔で言う。
「え、神様の方が見えにくいものなのですか?」
雪彦は目を丸くして問いかける。
彼にしてみれば霊と神様の違いが分からない
「ええ。霊格が高い存在ほど、“視”るために要求される素養が高くなります」
「そうだったのですか」
何やらすごいことらしいと雪彦には伝わったが、だからどうだとは思わなかった。
彼が目下のところ心配しているのは、羽束に支払う報酬の額である。
あっという間に解決したまではよかったが、相手は祟り神だというのだから高くついても不思議ではない。
そのような彼の心理を読んだように彼女は報酬を提示する。
「それなら、何とか払えますね」
一日で解決までいったせいでもあるのか六桁台ですみ、雪彦は安心した。
しかし、彼女の話はそれだけで終わらない。
「藤無さん、就職先について相談に乗ると申し上げたと思いますが」
羽束の真剣な口調に彼は何となく緊張しながら応じる。
「は、はい。本当にいいのですか?」
「その件ですが、うちの店で働いてみませんか?」
「えっ」
彼女の提案はあまりにも予想外だった。
大きく目を見開く雪彦に、彼女は事情を話す。
「神様まで“視”える方は非常に稀有ですし、よからぬモノがやって来ないともかぎりません。お店の方ならば無償で対応できますし、この世界のことをいろいろと学ぶチャンスだと思います」
そこまで言った羽束の顔は申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうなものに変わる。
「お給料については正直依頼しだいなので、高額の仕事が来ないかぎりあまり出せないでしょうから、無理は言えません。よからぬモノが来るかもというのもあくまでも可能性の話ですし……」
雪彦をスカウトしたいのであれば黙っていた方がいいであろうことも、正直に話してしまう彼女の人柄に彼は好意を持つ。
「すぐにとは申しませんが、考えてみていただけませんか?」
「いえ、できればこれからお世話になりたいです」
ゆえに時間を与えようとした彼女に対して、彼はすぐさま返事をする。
「えっ? よろしいのですか?」
彼女の顔も声もかなり意外そうだった。
迷うそぶりも見せずいい回答が来るとは思っていなかったのかもしれない。
「はい。正直、そろそろ転職先を探すのも厳しくなってきているでしょうし、ありがたいです」
雪彦の説明に彼女は分かったような分かっていないような、あいまいな表情を見せる。
コンビニエンスストアのアルバイトも半年未満で辞めてしまったため、転職市場ではさらに苦戦を強いられるのは目に見えているのだが、羽束にはピンと来なかったようだ。
「藤無さんさえよろしければ……」
彼女は一瞬だけ顔を輝かせたが、すぐにそれを消す。
人の不幸や苦労につけ込んだように感じたのかもしれない。
雪彦が「捨てる神あれば拾う神ありってこのことかな?」と考えているとは、夢にも思っていないようだ。
――後日、若狭がやってきて、ミカの財布は無事に見つかったと告げる。
中身は何も紛失していなかったという。