真夜中に泣く人形(2)
「人形は太古より呪術の要として用いられてきたと言います。人間に近い形の代物ほど、人を呪うのに適していると考えられたのです」
と羽束は話す。
呪術と言うと現実世界から乖離していそうだが、不思議と彼女の口で語られるとすぐ身近な存在にも聞こえてくる。
「実際のところ物の外見はさほど影響しません。人の想いの強さこそが呪いの原点です。ところが、人形を使えば呪いは上手くいくと多くの人が信じ、恐ろしい念を込め続けました。結果として、強大な念を浴び続け、恐ろしい力を宿した人形が生まれるようになったのです」
「そうなのか……鶏が先か卵が先かというたぐいの話に似ているが、今回は人の信仰、思念こそが人形に力を与えたのだね」
那智老人はその瞳にはっきりとした理解の光を宿していた。
「そうです」
羽束はうなずくと彼をじっと見る。
「那智さんにお譲りしたのはそのような子のひとつで、前の持ち主は家族思いで人形も大切にする方でした。その方の優しい思念を宿した、家族思いの子です。だからこまめに手入れをして大切にしてあげれば、心強い家の守護者となってくれるでしょう。女の子のお孫さんに手入れの仕方を覚えてもらい、大切にするように教えるとより効果的です」
「なるほど……孫たちにはよく言って聞かせねばならんな」
老人は黒革のメモ帳を取り出して、鉛筆でメモを取っていく。
それが終わるのを待って羽束は再度口を開いた。
「さすがに最近に作られたもので力を宿している例は少ないでしょうけど、古くに作られた人形は一応疑ってかかった方が安全です。古いものほど、人の念を浴びる機会があったことになりますから」
「その口ぶりだと、人は知らず知らずのうちに念を浴びせているということにならないかね?」
老人の指摘に雪彦はハッとし、彼女はよく気づいたと微笑む。
「そうですね。俗に言う付喪神とは、人の念が長い年月をかけて蓄積された結果、誕生するのですよ」
「そうだったのか……」
思わぬ展開に飛躍した気がするが、那智のみならず雪彦もまたひとつ知識が増えた。
羽束はお茶を口につけてひと休みすると、話を再開する。
「話を戻すとして、那智さんにおうかがいしたいのですけど、泣き声というのはあの子を差し上げる以前には聞こえなかったのですね?」
「ああ、そうだよ。何かあれば今回のように孫たちが気づいただろうし、そうなればあの子たちが黙っていたとは考えられない」
那智老人の回答を聞いた彼女は何やら考え込む。
短くも長く感じられる沈黙のあと、彼女は紅唇を動かす。
「そうだとすると、あるいはあの子が呼び水になってしまったのかもしれませんね。思念を宿した新しい存在が、眠っていた存在を呼び起こす。珍しいものの、前例がないわけではないと祖父が言っていた覚えがあります」
「ならばどうすればいい?」
ようやく相談の本題に入れた老人の問いは短い。
羽束の回答も同様だった。
「直接“視”させてください。アフターサービスの範疇として、お代はけっこうです」
「そうか。すまんね。ではなるべく早く来てもらってかまわないかな? 下の孫はいいが、上の方はすっかりおびえてしまっていてね。日ごろの勇ましさはどこへいったのやら……」
那智はあきれたような口ぶりだったが、老いた横顔には孫を思う心情にあふれている。
「分かりました。夜でかまわないのでしたら、本日にでもおうかがいします。九時ごろではいかがでしょう?」
彼女が微笑みながらそう言うと、彼は安心したようにうなずく。
「すまないね、羽束ちゃん。その時間帯でよろしく頼むよ」
と言って立ち上がると、足を動かす前にひと言告げる。
「泊める準備をしておくように言うから、遠慮しなくていい」
「どうもありがとうございます」
老人の申し出に羽束が頭を下げると、今度こそ彼は去っていく。
小さくなっていく後ろ姿をふたりで見送ってから、雪彦は彼女に気になっていた部分を問う。
「口ぶりを聞いたかぎりですと、あの人に譲った人形に思念が宿っていると千ヶ峰さんはご存じだったのですか?」
「ええ」
彼女は即答したあとで、合点がいったという顔になる。
「まだお教えしていませんでしたね。お守り人形、守り神というものには思念、自我が宿っているものを指します。持ち主が大切にするかぎり、持ち主とその一家を守ろうとしてくれるのですよ。あまりいらっしゃらないのですが、中には那智さんのようにそういったものをお求めの方もいらっしゃいます」
ふむふむとうなずいていた雪彦は、不意にひらめいた。
「……もしかしてこの店に陳列されている品って?」
彼女は正解に気づいた子どもを見守る教師のような顔になる。
「すべてがそうではありませんが、そういうものも多いですね」
彼女の表情を見て回答を聞いた彼は、彼女が自分が気づくのを待っていたのではないかという疑念を抱く。
ただ、声に出すのは何となくためらわれた。
いままでの己はどちらかと言えばできのよくない生徒だと思うからである。
「すこしずつでいいのですよ。一度にたくさんとなると、覚えたつもりになってしまうことが多いのですから」
羽束は彼の心情を見すかしたかのように、優しく言う。
彼としては照れ笑いを浮かべつつ、首を縦に振るしかない気分だった。
ありがたいと思うと同時に甘やかされている気がして、若干の気恥ずかしさがある。
「藤無さんは今夜、お時間はありますか?」
「え、はい」
那智老人の家を訪問する件だろうと思い返事をした。
「では、那智さんのお宅にいっしょに参りましょうか。八時前にお店の前で待ち合わせでいかがですか?」
「それで問題ないと思います。那智さんの家まで、どれくらいかかるのでしょうか?」
彼女ならば知っているのだろうという雪彦の予想は的中する。
「バスで五十分近くですね。帰りバスはないでしょうから、一泊させていただくことになります」
案の定、すぐに答えが返ってきた。
「ああ、それで泊まっていくようにとおっしゃったのですね」
彼は納得してからふと尋ねる。
「羽束さんと言うか、千ヶ峰堂には車はないのですか?」
あればすでに使っているだろうと、言ってから気づく。
「ええ。祖父は自動車があまり好きではなく、わたしは免許は取ったものの運転が苦手でして」
ほろ苦い表情で彼女は説明してくれる。
免許をとれたのであれば大丈夫ではないのかと彼は思ったものの、口に出さない程度の分別はあった。
彼自身、車を持てるほどの収入は望めなくなって手放したのだから、とやかく言う資格はあるまい。
彼女もまた彼にその点を聞こうとはしなかった。
「今日、お店はすこし早めに閉めることにしますね。大丈夫だとは思いますが、一応準備をしていきますから」
羽束は気を取り直したように言う。
雪彦もそれに乗っかる。
「僕が持っていくものは何かありますか?」
「いいえ。わたしの方で用意しておきますから、着替えだけ持ってきていただければ大丈夫ですよ」
彼女はそう言ってくれたが、彼としては「はいそうですか」と応える気にはなれなかった。
「では荷物持ちをやるつもりできますね」
彼がにこりと笑うと、彼女の方もつられたように口元をほころばせる。
「それじゃお願いするかもしれません」
こういう点に関して羽束はすこしずつ遠慮しなくなってきて、雪彦はそれがうれしい。




