第三話
しばらく経ったある日、ジョニーが家に忘れ物をしていた。気付いた時にはちょうどシリンは買い物に出ていて、仕方なくレイラが王城に届けに行くことにした。
騎士訓練場は城の西側にあり、専用の門がある。門番に用向きを告げて中に入ると、訓練場の方がなにやら騒がしく、騎士達が慌しく行き来していた。
「あの、何があったのですか?」
レイラはちょうどこちらにやって来た、見たことのある顔の騎士に聞いてみた。すると彼はレイラを覚えていたらしく、急いでいた足を止めて答えてくれた。
「確か、ジョニーの姉君でしたよね?!実は先ほど倉庫で古い剣や槍を整理していて、積み上がっていた物が崩れ落ちたんです。たまたまそこに来ていたグレイス氏が庇って大怪我をされて、ジョニーも少し怪我をしてしまっていて、」
レイラは最後まで聞かなかった。
「どこですか?」
「は?」
「ガストンは今どこに?」
「救急室にいらっしゃいます。この廊下を真っ直ぐ行って右の方に――」
「ありがとう!」
レイラは廊下を駆けだした。
部屋に着くと、腕に包帯を巻いたジョニーが椅子に座っていた。
「ね、姉さん?!どうしてここに…」
「貴方の忘れ物を持って来たら、ガストンが大怪我をしたって聞いたの」
「あぁ、今向こうで治療中で、」
ジョニーが続きを言う前に、レイラは有無を言わさず衝立の向こうへ入って行った。ちょうど手当てが終わったところらしく、上半身の服を脱がされて包帯でぐるぐる巻きになったガストンがベッドに寝かされていた。
「っ、ガストン!」
レイラが叫んでベッドに近寄ると、意識はあるらしいガストンがうっすらと目を開いた。
「レイラ、か?」
少し意識が朦朧としているようだ。側にいた医師によれば、崩れた武器の山を背中で受け止めたために、打撲が酷いらしい。また、右肩は軽く脱臼していて、左足には錆びた剣で深い切り傷ができていたということだ。
ガストンが左手をかすかに上げたので、レイラは両手でぎゅっと握った。
「大丈夫?」
「…レイラ」
「なぁに?」
「どうして、ここに?」
「用があったの。辛いならしゃべらないで」
しかし、ガストンはレイラに軽く微笑んで見せた。
「これくらい、平気だ。…かっこ悪いとこ、見せちまった、な」
そう言って、ふっと目を閉じたとたん、握っていた手から力が抜けた。一瞬冷水を浴びせかけられたように感じ、レイラは息を詰めた。そして急いで医師を呼んだ。
どうやら麻酔が効いているらしく、よく見ればゆっくりと呼吸していた。医師によれば、傷の治療のせいで、この後熱をだすだろうということだった。
ガストンの屋敷から迎えが来て、レイラは無理やりついて行った。執事はレイラの名を知っていて、快く迎え入れてくれた。
次の日、医師の予想通り、ガストンは高熱を出した。メイドもいたのだが、レイラは自分の手で看病させてもらった。
うわ言で名を呼ばれる度に、その左手をぎゅっと握り締めた。
3日後、ようやく熱が引いてきた。
さすがに泊り込むのは迷惑だろう、と夜は家に帰っていて、4日目の朝、ガストンの屋敷へ行くと、苦しそうだったガストンの呼吸は随分楽そうになっていた。
額に手を当てれば少し熱いくらいになっていて、レイラはほっと息をついた。
「もう、大丈夫ね」
安心して、枕もとの椅子に座り込んだ。
しばらくすると、ガストンがゆっくりと目を開いた。
「あ。ガストン、起きた?大丈夫?」
レイラが声を掛けると、ガストンが起き上がろうと身を捻ったので、手伝って起き上がらせた。そこでようやくレイラに気づいたらしい。
「…レイラ?どうして、ここに…?」
少しぼんやりしたしゃべり方のガストン。どうやら少し寝ぼけているようだ。4日も寝込んでいたのだから仕方ないだろう。
「あ、あのね――」
心配だったから、どうしても起きるまでそばにいたかったのだ。
どうやらその感情の出所は普段と違うような気がして、言いづらくてレイラは口を閉ざした。おたおたしていると、ぼんやりしたガストンと目が合った。
「あぁ、まだ夢か…」
レイラが違う、と言う前に、腕を掴まれてベッドに引きずり込まれた。
抵抗しようにも、あまりにも体格が違うし、レイラも看病し続けていて体力がない。あっという間に組み敷かれてしまった。
「レイラ…」
ゆっくりと顔が降りてきた。
「ち、ちょっと待ってっ!!!」
「イヤか?」
「嫌とかそういう問題じゃ…っん!?」
唇を塞がれて、言葉が続かなかった。
「ちょっと、ガス…っ!!!」
角度を変えて、何度も口を啄ばまれる。彼の熱がうつったのか、きゅうと音を立てるように胸の辺りが熱くなった。
が、次の瞬間。
「待って、やだやだっ!!」
ごそごそ、とガストンの手がレイラの身体をなぞり、首もとを唇で弄られだした。
「やだってばぁっ!!ガストン、夢じゃない、起きてるのよ!現実よっ!!!」
腕の中で暴れていると、やっとガストンが覚醒したようで、手も唇も動きを止めた。
「起きた?」
「…ああ」
「どこか痛むところは?」
「ん、左足が少し。あとは…背中が全体的に痛い」
ごく近いまま、上下で見つめ合って会話が進んでいく。
「4日前に怪我したときのこと覚えてる?」
「…4日?」
「そうよ、ずっと熱をだして寝込んでいたのよ」
「そうか…」
ガストンはそう言って、ようやくレイラの上から身体をのけた。レイラはそのまま起き上がり、目の前に座るガストンの頬にゆっくりと手を当てた。
「生きてるわね」
「ああ」
「良かったぁ…」
そのとたん、レイラの瞳から涙がぽろりと零れ落ちた。
ほろほろと泣き続けるレイラを、ガストンはそっと抱きしめた。
「大丈夫だ、これくらいすぐに治るから」
「ん」
ぎゅうっと抱きしめられ、ガストンの心臓の音を確認して、レイラは目を閉じた。
執事が部屋に入ろうとしたが、ガストンは視線で出て行くように指示した。
ようやく泣き止んだレイラが身体を離そうとしたが、ガストンは腕の力を抜こうとしなかった。
「ガストン?もう、平気だから」
「俺が、平気じゃない」
「え?」
ガストンはすっとレイラの耳元に口を寄せ、ぱくりと耳たぶを甘噛みした。
「ひゃうっ」
「レイラ」
低い声で呼ばれて、レイラはガストンにしがみ付いたまま言葉を待った。
「愛してる」
「ガストン…?」
ベッドの上で抱きしめられ、レイラはガストンからの愛の言葉をいくつも受け続けた。そして、訳が分からないままにまた組み敷かれようとしていた。
「だ、だめだめっ!!」
「レイラ、受け入れてくれないのか?」
ガストンが切ない瞳で言ったが、レイラは首を横に振った。
「それどころじゃないでしょ?!怪我は治りきってないし、熱だってまだあるんだから!」
「でも」
「でもも何もないわよ!だめったらだめ!!大人しく寝ててちょうだいっ!」
レイラは叫び、するりと腕の下から抜け出し、そのまま部屋の隅のベルを鳴らした。
「レイラ…」
情けない表情のガストンを厳しい顔でじろりと睨みつけてから、レイラは苦笑した。
「今日は、まだ、だめ」
「え?」
「熱も傷も、ちゃんと治してからね」
「…っ!!」
ガストンは破顔した。
レイラはつかつかとベッドに近寄り、起き上がったままのガストンを再び寝かせた。そして、耳元で囁いた。
「私も愛してるわ、ガストン」
そう言ったとたん、またベッドに引きずり込まれそうになったので、思いっきりひっぺがしてなんとか耐えた。ガストンは少し拗ねてしまったが、レイラが優しく頭を撫でたので、すぐに機嫌が良くなった。
どうやら、これからなんとか彼の手綱をうまく操っていけそうな気がして、レイラはにっこりと笑顔を向けたのだった。