ポポロ亭の終わらない宴。スーツケースから脱走してきた女神様と、世界で一番温かい食卓
ポポロ亭の終わらない宴。スーツケースから脱走してきた女神様と、世界で一番温かい食卓
神界の黒服天使たちによって、借金まみれの駄女神ルチアナ様がスーツケースに詰められて強制送還されてから数日後。
ポポロ村には、かつてないほどの穏やかで平和な空気が戻ってきていた。
「いやーっ、それにしてもホンマに静かになったなぁ! あのジャージの神様がおらんだけで、村の空気が澄み渡っとる気がするわ!」
「うんうん! ゴッドチューブの配信騒動で村の知名度も上がったし、結果的にポポロ村の特産品は爆売れ! 完全に私たちの一人勝ちだね!」
夜の『ポポロ亭』。
本日は村役場メンバーによる、ささやかな打ち上げ(という名のただの飲み会)が開かれていた。
カウンターには私とキャルル村長、ニャングルさん、そして人魚姫アイドルのリーザちゃんが並んで座り、木製のジョッキを片手に上機嫌で歓談している。
「皆様、本当にお疲れ様でしたわ。カレンお姉様のプロデュースのおかげで、私もパンの耳生活から卒業して、こうして本物のパン(中身入り)を食べられるようになりましたの!」
リーザちゃんが、涙ぐみながらふかふかの『白パン』を両手でちぎって頬張っている。パンの耳以外を食べている彼女を見るのは初めてかもしれない。
「さあ、お前ら。メインディッシュが焼き上がったぞ。冷めないうちに食え」
厨房から、ジークさんがとびきり大きな鉄板を両手で運んできた。
ドンッ、とテーブルの中央に置かれたのは、『シープピッグの骨付き特大ロースト・陽薬草とガーリックの香り』だ。
こんがりと焦げ目のついた分厚いお肉からは、ジュージューと暴力的な音と共に、肉汁が滝のように溢れ出している。ガーリックとハーブの香りが食欲を強烈に刺激し、お腹の底から湧き上がるような飢餓感に襲われる。
さらにジークさんは、私の目の前にだけ、特別に美しく盛り付けられた小皿をそっと置いてくれた。
「ほら、カレン。お前は骨付き肉だと食べにくいだろ。一番美味い部位を切り分けて、特製のオニオンソースをかけといた。たくさん食えよ」
「わぁっ……! ありがとうございます、ジークさん!」
相変わらずの、私に対する絶対的な過保護(エコ贔屓)待遇である。
ニャングルさんとキャルル村長が「はいはい、ごちそうさまやで」「愛されてるねぇ」とニヤニヤ笑っているが、私は照れ隠しにお肉をパクリと頬張った。
「――んんっ!!」
噛んだ瞬間、シープピッグの濃厚な旨味と甘い脂が、口の中いっぱいに弾け飛んだ。
そこに特製オニオンソースの爽やかな酸味と醤油のコクが絡み合い、永遠に食べ続けられそうなほどの美味しさが脳髄を突き抜ける。
「美味しいっ! 本当に美味しいです、ジークさん! 前世の高級フレンチなんかより、ずっとずっと美味しい……!」
「……そうか。なら、明日も明後日も作ってやるよ」
ジークさんが、私にだけ見せる、あのひどく甘くて優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくれる。
美味しいご飯。定時退社できるホワイトな職場。
信頼できる仲間たちと、私を何があっても守ってくれる、最強で不器用な料理人。
ブラック企業で死んだ魚のような目をしていたあの頃の私が聞いたら、絶対に信じないだろう。今の私は、世界で一番幸せな異世界スローライフを満喫しているのだと。
「……平和ですね」
私が温かい陽薬草茶をすすりながら、しみじみと呟いた。
その言葉に、誰もが深く頷き、ジョッキを掲げて永遠の平和を祝おうとした――まさにその瞬間だった。
ズズンッ……!!
「な、なんや!?」
ポポロ亭の扉が、外から何者かによって激しく叩かれた。
いや、叩かれたというより、重い何かが『激突』したような音だ。
ギィィ……と、蝶番が軋む音を立てて扉がゆっくりと開く。
そこに立っていた(這いつくばっていた)のは、ボロボロの紫色の芋ジャージを着て、全身に海藻と謎の宇宙ゴミを絡ませた、泥だらけの金髪の少女だった。
その背中には、黒服の天使に詰め込まれたはずの『神界指定・超強化スーツケース』が、見事に真っ二つに破壊された状態で甲羅のようにくっついている。
「……に、にく……っ」
「……え?」
這いつくばった少女――駄女神ルチアナ様は、血走った目でテーブルの上のロースト肉を凝視しながら、ゾンビのように手を伸ばした。
「い、一切れでいいから……お肉……食べさせてぇぇ……ッ!」
ドサッ、と。
ルチアナ様はそのまま力尽き、ポポロ亭の入り口で完全に沈黙した。
「「「…………」」」
店内に、気まずすぎる沈黙が落ちる。
ジークさんが手にしていたトングをギリィッと握りつぶし、ニャングルさんが咥えていた煙管をポトリと落とした。
「……あの、ルチアナ様?」
「はっ!? か、カレン!? 違うのよ、聞いて! 私、マグローザ漁船(宇宙船)に乗せられる直前に、月人君のライブグッズの『神推しペンライト(チタン製)』を使って、スーツケースの鍵を内側からピッキングして破壊したのよ!」
「ペンライトで超強化スーツケースを破壊……? アイドルオタクの執念、恐ろしすぎませんか」
ルチアナ様は涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、私の足元にすがりついてきた。
「宇宙空間を泳いで、隕石にぶつかりながら、三日三晩かけてここまで戻ってきたのよぉぉ! もうガチャは引かない! 課金もしない! 泥仕事でもなんでもするから、お願いだからご飯食べさせてぇぇっ!」
もはや神の威厳などマイナスを振り切っている。
私は、絶対零度の営業スマイルで彼女を追い返そうとした。
私の平和なスローライフに、再びこの騒音トラブルメーカーを招き入れるわけにはいかない。
しかし。
私の隣に座っていたリーザちゃんが、そっとルチアナ様の背中に手を置いたのだ。
「……ルチアナ後輩。あなた、本当に限界の顔をしていますわね」
「リ、リーザ先輩……っ」
「カレンお姉様。彼女の今の目は、私が王都の路地裏で三日間パンの耳すら見つけられなかった時の目と同じですわ。……これ以上は、哀れで見ていられませんの」
貧困層の先輩としての、慈愛に満ちた言葉。
さらに、キャルル村長やニャングルさんも、毒気を抜かれたように苦笑いをしている。
「まぁ、また畑でこき使えば、村の利益にはなるしなぁ」
「そやな。あの馬鹿力だけは本物やからな」
皆の温かい(?)視線を受け、私は小さく、長くため息を吐いた。
……仕方ない。これもまた、私の選んだ異世界での『日常』の一部なのだ。
私は立ち上がり、自分の隣の席をポンポンと叩いて空けてあげた。
「……分かりました。ただし、明日からまた源蔵さんの畑で、日の出から日没までフルタイム労働ですからね。時給は最低賃金からです」
「か、カレぇぇぇンッ! ありがとぉぉっ! 一生ついていくわぁぁっ!」
ルチアナ様が号泣しながら席に座ろうとした瞬間。
「おい、居候」
頭上から、絶対零度の冷気が降ってきた。
ジークさんが、片手で分厚い氷の刃(のような冷気を纏った包丁)を握りしめ、ルチアナ様を見下ろしていた。
「ひぃっ! ジ、ジーク様……っ」
「俺の相棒の隣に、その薄汚い泥だらけのジャージで座るつもりか? カレンの服が汚れたら、てめぇを今すぐミンチにしてシープピッグの餌にしてやる」
本気の殺気に、ルチアナ様がヒィヒィと悲鳴を上げる。
しかし、ジークさんは舌打ちを一つすると、コンロの奥で温めていた小さな鉄鍋を乱暴にカウンターに置いた。
「……ほら、食え」
そこに入っていたのは、野菜の端材とシープピッグのスジ肉を、トロトロになるまで煮込んだ『特製スジ肉シチュー』だった。
高級な部位ではないが、冷え切った体と空腹を最高に満たしてくれる、優しくて温かい男飯の匂い。
「ジ、ジーク様ぁぁ……っ!」
「勘違いするな。俺の飯を食うってことは、明日から店の皿洗いも百倍厳しくするってことだからな。覚悟しとけ」
「はいぃぃっ! 喜んで洗わせていただきますぅぅっ!」
ルチアナ様はスプーンを握りしめ、ボロボロと涙を流しながらシチューを口に運んだ。
「美味しい……っ、美味しいわぁ……っ!」と、神様とは思えない下品な音を立ててがっつく姿に、店内にいた全員からドッと笑い声が上がった。
「あーあ、また騒がしい日々が戻ってきちゃいましたね」
私が苦笑しながらハーブティーを傾けると、ジークさんが私の隣に腰を下ろし、呆れたように肩をすくめた。
「お前が甘いからだ。……まぁ、お前が笑ってるなら、たまにはこういう騒がしいのも悪くねぇか」
「ふふっ。ありがとうございます、ジークさん」
私は、シチューを頬張るポンコツ女神と、それを生温かい目で見守る人魚姫、そして大笑いしている村の仲間たちを見渡した。
前世のブラック企業では、どんなに頑張っても、誰も私を認めてくれなかった。帰る場所なんて、冷たくて暗いワンルームの部屋しかなかった。
でも今は違う。
少し騒がしくて、時々トラブルも起きるけれど。
ここには、私の仕事を頼りにしてくれる仲間と、私を心から守り、温かいご飯を作って待っていてくれる人がいる。
「……さあ、明日も定時退社のために、お仕事頑張りますか!」
私は気合を入れ直し、ジークさんの作ってくれた極上のロースト肉を、最高の笑顔でもう一口、頬張った。
限界社畜OLの異世界ホワイト転職ライフは、まだまだ騒がしく、そして果てしなく幸せに続いていく。
読んでいただきありがとうございます。
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