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その音が止まるまで  作者: 神永瞬子
三章 捨身飼虎
11/17

11.虎穴に入らずんば

 ピンク色に染まった水が、浴槽の中を満たしていた。

 力なく垂れる細腕から、ひとつ、またひとつと雫が滴り落ちる。

 浴室の床に広がり、自分の足を濡らすその水は、自分を釘付けにして離さない。

 今、自分が動けば助かるだろう命が、溢れて零れるさまを、ただ、ただ見ている。自分には、今目前に起こっている出来事を、悲劇と断じて中断する権利すら、持ち合わせてなかったから。

 水面に、自分の顔が映った。流れっぱなしの音楽が、遠く、遠くへ離れていった。



 ヴゥゥウン……。と、唸り声のような低音が響いた。

 その迫力、まさしく空気の振動に、おぉ……、とリン、龍樹、そして八鶴の三人の感嘆の声がそろった。

 龍樹の家。パキっとした日差しを避けるようにして日陰に集まって、生まれ変わった、あるいは生き返ったベースの産声を聞いたのだ。


「……ま、こんな具合だけど、どうなんだ?」


 腕を組んで立ったまま、ベースを抱えて座っている貴虎を見下ろす形で介がそう問いかける。


「悔しいことにカンペキ。……本当に直せるヤツが居るかよ」


 言葉とは裏腹に、ニッとして貴虎はそう笑って見せた。


「これが最初の一本か……。介、頼んでおいてなんだが、本当に良かったのか? 北見さんの仕事の兼ね合いもあるだろう?」


「いや……、別に親父の仕事とかは全然問題ないですよ。金も思ったよりはかかりませんでしたし。まぁ、暇つぶしみたいなもんです。気にしないでください」


 そうか……、と、後輩の心変わりを不思議に思う八鶴とは対照的に、リンは目を輝かせて修理されたベースとアンプを見ていた。


「新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいですね……」


 ため息交じりに龍樹がそうつぶやくのに、貴虎がリンにベースを渡しながら同意する。


「ま、気持ちは分らんでもない」


 そう言って立ち上がり、貴虎はベースを早速弾き始めたリンを見下ろして、誰にも聞こえないように押し殺してため息をついた。

 さて、と。まず、楽器調達の問題が解決した。……色々とまだ買う物あるけど、それは良しとして。次は、


(経験者と、リンの作曲関係だな……)


 ひとまず、作曲関係は他の楽器の実物を触ることが、いい刺激になればいいんだが……。そう、願わずにはいられない。

 一応、リンに作曲を続けさせてはいるが、分かっている。自分の先回しした問題を解決しない限り、あの曲はずっとリンのモノにはならない。


(経験者がホイホイみつかりゃー、一石二鳥。それの糸口くらいにはなってくれるだろーけどさぁ……。分かってたさ。そんな簡単に上手く行ってたまるかってなぁ)


 ないものねだりをしているのを分かってはいるが、そう願わずにはいられない。心理的なハンデだけじゃない。リンには、技術的な問題もある。

 ギター以外の楽器に対する理解が足りないのだ。パソコンやら作曲ソフトやらがなく、楽譜に実際に書き起こすという極端にアナログな環境の中、素人が音を想像して楽譜を起こすなど、例え自分が監修してトライ・アンド・エラーを繰り返したとしても、ふさわしい曲が出来上がるかどうか。チンパンジーがシェイクスピアの詩を書くのと同じくらいの確立だろう。


「なんだかまた貴虎さんが難しい顔してますね」


「なんだかんだ言って面倒見が良いな、貴虎は。リンの指導から企画の進行まで、いつの間にか彼が仕切っている。まねかれさまとして、どうにか父さんの研究に協力して欲しいのは山々だが……」


「別にいいんじゃないですか。どうせアイツも暇なんだし、沢山暇つぶししてもらっても別にバチは当たりませんよ」


「聞こえてっから! 次ギターな! 死ぬ気で掘り返したヤツ!」


 はいはい。と、介はさらりと受け流す。次に、貴虎は八鶴に向き直る。ふらふらと近づいて、八鶴の腕を掴み、そして懇願するように尋ねた。


「やっぱり経験者見つかんないっすかね……? オレとリンはさっぱり人脈がないし、龍樹の奴は手伝う気ないしで結構アンタ頼みなんすけど……!」


「心外ですね。現在進行形で場所の提供という役割を果たしているのに」


「あ、あぁ。そのことなんだが……」


 と、そう言いかけて八鶴は自分の鞄からある紙を取り出した。

 枠が数個ある以外に特になんの特徴もない紙。なんだそれ、と訝し気にそれを睨む貴虎に、八鶴は付け足して言った。


「企画申請書は貰って来た」


「……色々と書類にしてはガバガバすぎね?」


 呆れた声でそう尋ねる貴虎に、介がため息をついて答える。


「全員ほとんど知り合いみたいなこんなクソ田舎のクソちっさな祭りに名前と企画以外何を聞く必要があるよ」


「新しい企画とかもほとんどありませんし、設備に関しちゃほとんど暗黙の了解で通っちゃいますよねー」


「文化祭と同時とは言え、ここじゃ学校と自治体なんて当然緊密に連携が取れているわけで、な……」


「良いのかそれでクソ田舎……」


 あまりのカルチャーショックに思わず表情筋が引きつるが、まぁ、いいかと自分を丸めこもうとしたところで、ふと、疑問が浮かぶ。


「それ、オレとリンは大丈夫なワケ?」


「珍しがられるだけですね」


「ん」


「だな」


「ホントに大丈夫かよ……」


 ため息を漏らして、寛容なんだかそうでないのか未だにこの土地の人間たちとの距離感が掴めない感覚にやきもきしていると、四人とは違う声が部屋に響いた。


「で、俺たち以外に音楽やってる人はいたのか?」


 一通りベースに触って落ち着いたのか、別室にベースを置いてリンが会話に混ざる。

 リンの問いかけに、八鶴は首を横に振る。


「いいや。それとなく聞いてみたが、自治体側での申請は全く無く、学校側で吹奏楽部の発表があるだけだそうだ」


「そら経験者見つからねぇワケだよ……」


 貴虎はうなだれて、そうしながら頭の後ろでカレンダーを思い浮かべる。

 今からこの妙ちくりんな企画に参加してくれる素人を集めて、その人たちに技術を教える……。しかも、自分自身がやったことがない楽器を。そんなことが可能なのか?

 音楽の知識も、楽器の技術も、パートの関係性も、一朝一夕では絶対にクリアできない。経験者を探したのは、知識と技術をモノにしている人と、かつ機材の問題を解決するのに一番近いと判断したからだ。それが、機材じゃなくて、一番時間のかかる知識と技術、そして人の問題で詰まるとは……。


(新しく参加するヤツはもちろん、リンにだって知識はいる。まず、知識の問題は優先度が高いはずだ……)


「……また、貴虎が詰まっているな」


 沈黙して頭を回し始めた貴虎を見て、八鶴が場を引き継ぐように口を開いた。


「とりあえず、今日は解散にするか?」


「介とリンはそのまま機材の修理と作曲を頼む……。龍樹は、まぁいい。オレと八鶴は……、おいおい考えよう」



 介からしてみれば、リンは「人を巻き込んでなんかしてる子ども」に過ぎなかった。初めて会ったあの日も、先輩と、自分の事を不躾に観察してくる貴虎は印象に残ったが、そのせいか、控えめなリンはさほど記憶にも残らなかった。

 そのあと、貴虎から自慢なんだか愚痴なんだかよく分からない話を聞いて、そして、ベースを持って来た今日、改めて出会って、思う。

 ()()八鶴先輩と、コイツはどんな関係なんだ。

 居場所が云々と悩む少年と、地元の憧れの先輩とが、何がどうしたら、一緒に行動するようになるのか。謎だった。

 楽譜に向かって、書いては消して、書いては消してを繰り返す背中に、介は声をかけた。


「なぁ。リン、だっけ」


「うわっ」


 突然声をかけられたことに驚きながらも、リンは手を止めて素直に振り返る。


「えっと……、介さん、だっけ……」


「八鶴先輩を呼び捨てにしてんなら俺も呼び捨てで良い。タメ口もな」


 立ち上がり落ち着く場所を探すリンを手で止める。自分は立ったままの方が都合がいいし、別にそこまで長話をするつもりもなかった。


「そ、それで……なん、だよ」


 警戒心を隠そうともしないその姿勢に、やはり、と疑問が深まる。そしてそれをそのまま口にした。


「八鶴先輩とはどんな関係なんだ」


「えっ……、八鶴と?」


「先輩の引退、お前が関係してるだろ」


 どうやら、自分の質問は彼にとってあまりに想定外なものらしい。あの、えっと……、と言葉に詰まるのを見苦しく思って、思わず説明をするように話を続けた。


「お前が直接引退の原因を作ったワケじゃないのは分かってる。先輩の親父さんが病気してるってのは、少なくとも俺たちの間じゃ有名な話だった。先輩が色々バイトとかして忙しそうってのもな」


 でも、と一息継いで、言い切る。


「あの八鶴先輩はなんなんだ? なにか吹っ切れたみたいにしてやがるアレはなんあんだ? 答えろ。……お前が、雀鷹谷八鶴のバスケを終わらせたんだろ?」


 そう言った後、ふと、自分の語気が変に荒くなっていることを自覚する。やべ、とも一瞬思ったが、別にいいか、と、ため息交じりに首を振る。

 目の前の少年、リンの言葉を待った。彼は最初、おずおずと尋ねてきた。


「そんなに……、八鶴は凄い人間だったのか?」


 介はその質問に即答する。


「あぁ。あの人は本物だって、運動をやってる人間なら誰でも分かる。……それこそ、別のスポーツをやってた俺でさえもな。生徒も、教師も、誰もが先輩の将来を信じて疑わなかった。

 だからこそ、あの人の突然の引退宣言は青天の霹靂だったし、しばらくしての憑き物が落ちたみたいなあの振る舞いを受け入れきれてないヤツは山ほどいる」


 俺も含めてな。と言い切って、そこで介は自分の滑稽さを自覚して、またうんざりした。

 頭の中の理屈じゃ分かっている。ここまでして個人の選択に執着するなんてバカのすることだ。そしてその追及を、余所者の、しかも年下に当たるようにして行ってる。大人げないとか、そんな騒ぎじゃない。分かっている。

 でも、問わずにはいられなかった。目の前の人間が、あの雀鷹谷八鶴の進退の決断に関わっているのだとしたら、この人間の、何がそうさせたのか。気になって仕方がなかった。目の前の、ただの気弱で細っこい、ギター以外大した取り柄のなさそうなコイツが、何をしたのか。


「……俺は」


 と、しばらくしてリンが口を開いた。


「俺はただ、巻き込まれただけだよ。八鶴と出会ったのも、その家の事情を知ったのも、全部、ただの成り行きだ」


 それだけじゃねぇだろ、と言わんばかりにこちらを睨んでくる介の視線を知ってか知らずか、リンはでも、と言葉を続けた。


「知っちまって、それで、はいおしまいって、俺にはできなかった」


「話が抽象的だ。もっと具体的に話せ」


 介の要求にリンは反射的に首を横に振った。


「具体的って言われたって、わかんねぇよ……。ただ、今考えてみると……、力になりたい。って、そう、思ったのかもしれない」


 だって、と、そう言いかけたあと、照れ臭くなってギターを握って、続けた。


「ギターのこと、褒めて……、もらったから……」


 自分で言って恥ずかしくなって、リンは早口で誤魔化すようにまくしたてた。


「おっ、お前だってそーゆーことあるだろ!? スポーツやってたみたいだし!!」


「…………」


「なっ、なんだよ……」


 松葉杖で立ったまま、黙りこくって自分の言った事を咀嚼している介の様子が何だか不気味で、勢いに窮したリンは、それ以上大声をだして誤魔化すことも出来ずに、ただただ介の言葉を待っていた。

 そして、しばらくして投げかけられた言葉は、リンへの返答だった。


「褒められたこと……。まぁ、あったかもしれねぇが、もう誰がそんなこと自分にしてくれたなんて覚えてねぇよ。ましてやその人に恩返しとか考えた事すらねぇ」


「え」


 リンの動揺とは裏腹に、介は納得したような、でも未だ不服そうにため息をついた。


「……この田舎で、ただ、お前だけが先輩を憧れで、期待で塗りつぶさなかった。それは、外から来た《《まねかれさま》》のお前にしか出来ないことだったんだろうな」


 介はそう言って、しばらく黙っていた。リンも、なにがなんだかで、つられて黙る。しばらく、二人の間に沈黙が満ちた後、介は短いため息と共に顔を上げた。


「まぁいい。帰る。時間とらせて悪かったな」


「えっ、えっ」


 あれだけ自分へ詰問をした人間が、あっさり謝罪を口にして退散していく変化にあたふたしていると、あと、と介は振りかえって問うた。


「ギター、好きか?」


「えっ……、まぁ、好き、だけど……」


「なら、居場所だのなんだの、くだらねぇこと考えんな。精一杯、好きでいろ。楽しむために努力しろ。ちゃんと、守ってやれ。……どうやら、それでいいらしいからな」


 そう言い捨てられた後も、リンはしばらくの間、訳が分からずボーっとしていた。

 ただ、好きでいろ、という言葉は、なんだか異様に耳に残った。



「いやぁ。相変わらずクソ変だな。海岸だの、河川敷だの言ってたら、次は駅のホームかよ」


「まねかれさまがあるから、ある程度慣れていた気にはなっていたが、本当になんなんだここは……」


「地元民からしても意味不明な感じ? ならホントに分かんねぇなこの因習村は」


 貴虎と八鶴、二人してそうしてため息をついた。

 家に残ったのはリンと龍樹と、介。そして帰路についているのが八鶴と、本来は外出する必要のなかった貴虎だった。


「で、なんなんだ、オレ呼んで。やっぱり、二人で遊び駒になった記念?」


「呼び出して悪かった。色々とサシで話したい事とか、個人的に聞きたいこととかあって」


 そういって、八鶴はおあつらえ向きにあった駅のホームのベンチに腰掛けた。貴虎もそれに倣って、一個開けて座った。日が当たっていたのか、少し熱い。

 夕方の駅のホーム。これだけなら、まだ貴虎からしたら見慣れた光景ではあるが、そこはあまりにもさびれ過ぎてて、無いはずの旅情すら夕陽に照らされて掻き立てられるようだった。錆びだらけの柱、日が入り放題の穴の開いた雨よけ、そして、一本しかない線路。


「まずは、色々役立たずですまなかった。あたれる人脈や関係は全部あたってみたんだが、まぁ、この通りだ」


 突然、八鶴に頭を下げられる。まさか、そこまで真剣に謝られるとは思わず、貴虎は面食らった反応をする。


「い、いやぁ! べべ、別にそんなん、ね! 少なくともアンタが気にする必要ねぇって!」


「いや。まともに動けるのがおれだっただけに、情けない。すまなかった」


「良いって……、別にリンがどうなろうと……って言うと語弊があるけど、アンタには直接関係ある話でもないだろ? 経験者探しだって、アンタ頼りになったけど、アンタ以外大概無能だったからで……。いいから頭上げてくれって。なんか気持ちわりぃよ」


 そこまで言って、ようやく八鶴が頭を上げてくれた。


(この人オレより年上だよな……? 人間出来過ぎてむしろ気持ちわりーわ……。運動部ってなんでこんな変な奴ばっかなの?)


 貴虎が心の中でそう青ざめていると、あれだけ言ったのに未だに情けなさそうに肩を竦めて八鶴が零した。


「いや……、色々とリンには思うところと言うか、まぁ、簡単に言えば世話になったからな。それに、信頼にはやはり成果で返すべきだと考えているから、やはりこの結果は、な?」


「仕方ねぇって、ここの田舎度合いを見誤ってたオレ側にもまぁ……、責任……、ないけど、あるからさ。無理難題だったと思って流してくれ」


 なんだか大人みたいな気まずい会話をしてるな。と、脳裏で考え始めていたら、ふっと、突然八鶴が噴き出した。今度は何だと身構えていると、朗らかに笑った八鶴に質問をされた。


「やっぱり、貴虎。お前、兄貴だろう?」


 兄貴。その言葉に、思わず一瞬寒々しさを覚えたが、貴虎は誤魔化すように会話に身を任せた。


「ん……。まぁ、な」


「弟か?」


「いや、妹。アンタは?」


「両方だ。歳は、結構離れているがな」


「へー。こっちは二個下。今……中三、か?」


「お前が高二ならそうだな」


 わかんねー。とは大っぴらに言えないので、肩を竦めて舌を出して誤魔化す。それだけだと誤魔化し切れるかも分からなかったので、貴虎は話を変えた。


「そーいや、アンタとリンってどんな関係なんだ? オレが来る前に知り合ったってことであってるか?」


「ん。そう言えば、あまり詳しくは話していなかったな」


「別に、めんどくせーなら話さなくていいけど」


 一応、フェアではないのでそうやって脱出口を設けてはみたが、八鶴は首を振って答えた。


「いや、大丈夫。……簡単に言えば、リンの事を巻き込んでしまったと言った方が良いかもしれないな。そして、色々と相談に乗ってもらったりして、今はその恩返し、ともいえるかも」


「へー。最初は帰れないかってジタバタしてたみたいだし、リン側がそっちを当たったのかと」


「いや。本当に偶然だ。……だとしたら、おれも、リンも恵まれてるな」


「恵まれてる?」


 思いもよらない単語が飛び出してきて、貴虎はオウム返しにそう尋ねる。八鶴は優し気に笑って頷いた。


「おれにとってのリンが、リンにとっての貴虎なんだろう。介の面倒も見てくれているみたいだし。……なんだか巡り合わせみたいな、そんなものを感じないか?」


「いや? 全然?」


「そうか……」


 貴虎に問いかけを撃沈されて、小さくそう言ってうなだれる。自分より年上の人間が、分かりやすくへこんでいるのがなんだか少しいたたまれなくて、貴虎は付け加えるようにして言った。


「別に、介の奴がオレたちに協力してくれるのは暇つぶしだし、龍樹も多分似たようなもんだろ。そんで、オレがリンの奴を手伝うのは……、ま、おんなじ感じだよ。暇だからな」


 と、言い切って八鶴側の様子を伺うと、なんだかさっきの優しさを何倍も甘く、そしてぬるくしたような変な笑みでこちらを見ていた。


「なっ、なんだよ……」


 思わず臆したかのように、詰まりながら尋ねると、八鶴はさらに笑みを深めながら言った。


「そうか? 本当に、ただの暇つぶし?」


 うぐ。と、言葉に詰まる。まぁ、暇つぶしと言い張るには、あまりにも入れ込み過ぎているというか、客観的にかなり協力的だとは、自分でもわかっていた。しかし、それを龍樹ではなく、言ってしまえば外野の八鶴に指摘されるとは思わなかった。

 なぜ、オレはリンに協力してる? 介は暇つぶし。龍樹は不干渉。八鶴は恩返し。なら、オレは?

 答えたくなかった。それを認めることは、貴虎にとって割と屈辱的なことでもあったからだ。……だが、もう八鶴の追求から逃れられないことも分かっていた。

 しばらくして、絞り出すように貴虎は白状した。


「少し……、本当に、少しだけ。妹と……、重ね、てる……」


「ふふっ……! あははっ!」


「笑うな! 殺すぞ!!」


 自分で言ってておかしすぎることは分かっている。意味不明だ。神隠しにあった先のおんなじ境遇の年下に自分の妹を重ねるなんて、よほど頭のおかしい兄性を持て余しているやつしかしない所業だ。

 だから認めたくなかった。だから言いたくなかったのに……!

 しかし、笑ったあとの八鶴から飛び出て来たのは、意外な言葉だった。


「分かる。分かるよ、本当に」


「はぁ? リンのヤツの事が?」


 うん。と大きく頷かれて、暴言を吐く気もなんだか失せてしまう。そして、その次に続いた言葉は、先ほどの内容とは打って変わって、ひどくまともな内容だった。


「……多分、リンには家族が居ない。もしくは、それに準ずるような環境にいたんだろう。このまますっかり消えてしまいそうな、それこそ、本当に神隠しのような、希薄で、消えてしまいそうな、そんな気配があるんだ」


「…………」


 思い出したのは、リンに楽譜の続きを書くように言った後の、尋ねてきた酷く不安げな質問だった。


「確かに、そうかもな。……ついでに、あの楽譜も」


「楽譜?」


 今度は八鶴が貴虎に尋ねる番だった。貴虎は頷いて答えた。


「あの楽譜を初めて読んだとき、なんつーか、ただならなさを感じたんだ。思い出したくない気配だよ。日常に紛れているのに、明らかに何かが起きているような……。外見はバンドにして軽そうに誤魔化してるが、アイツにギターを教えてた先生ってやつも、なかなかに曲者、つーか、似た者同士なのかもな」


 他人の背景にずけずけと踏み込んだ後ろめたさか、二人して、なんだか黙ってしまった。陽はもうすっかり傾き始めていて、東の空が紫色に染まっていた。


「楽譜、完成させられるだろうか。協力してくれる経験者も居ない状態で」


 その、八鶴の心配そうな独り言に、貴虎は少し黙ってしまった。

 どうしたって演奏の畑の出、作曲なんてしようとも考えなかった。今の自分の知識が、リンの問いにあまりに無力なのは、身に染みて分かっている。

 経験者はいない。都合よく知識を分けてくれる存在は……、と、そこで、貴虎は一つの可能性を思い当たった。


「ん、どうした?」


 すぐに、貴虎の動揺に気付いて、八鶴がそう尋ねてくる。

 しかし、今思いついたソレは、今この状況に甘んじているともいえる貴虎にとっては、あまり居心地の良い答えとも言えなかった。


(やっぱり情けねぇな。嫌だ、だなんていつぶりだよ。楽譜が完成することじゃない。そのために……)


 発現に窮して黙っていると、八鶴はふっと貴虎から視線を逸らして、ホームを眺めながら独り言のようにつぶやいた。


「……おれが思うに、まねかれさまとはきっと、帰れない人ってだけじゃなくて、帰らない、帰りたくない人も含んでいるのだと思う。これは、綺麗には割れない属性かもな。実体験としても、な」


「ん?」


「これは親父の受け売りなんだが……、神隠しの本質は、大雑把に分けて四つに分けられる。迷子、自殺、誘拐、そして逃亡。まねかれさまが帰れないのは、神様に誘拐されたから、とも捉えられるし、あるいは自ら帰らないという選択をしているのかもしれない」


 帰らない。逃亡。それは奇しくも、以前龍樹に言われたことを連想させた。

 逃亡。そうだ。確かに、オレは逃げている。だが、逃げているというのに、音楽だけは追いついてきた。そして、今はむしろその音楽を手繰り寄せて、自分は何をしようとしている?

 リン。アイツが持って来た楽譜読んで、その面を見て、何を思った? そして、あのババアの真似事なんかして、何を成そうとした?


「……オレ、逃げてんのかな」


 絞り出したその声は、自分でも驚くほど弱弱しいものだった。しかし、そんな風な言葉に出会っても、八鶴は優しく笑って、取り乱したりなどしなかった。


「それは、おれにはわからないな。おれは貴虎を非難する立場にないから。実際リンは助かっているみたいだし、リンの演奏が完成するかもしれない、というのはおれの望むところでもあるんだ。貴虎には感謝してる」


 ただ、とそれはいつもの声色とさして変わらず、しかし若干の固い響きも含んで、続いた。


「リンを助けたからと言って、そのままお前の問題が解決するわけじゃない。それは、全くの別問題だ。選ぶのなら……、後悔のないように」


〈続く〉

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