籠に閉じ込めてはいけない鳥がいる
わずか二、三日のうちに、地下監獄の死寂は徹底的に引き裂かれた。
湿り、斑に汚れ、苔むした壁や昏暗な通路を、隠微な暗流が蔦のように這い回り、発酵し、あらゆる隅々にまで蔓延っていく。
かつて囚人たちは、麻痺した機械のように労働をこなすか、あるいは囚室の隅で沈黙したまま死を待つだけだった。その眼底には空虚と絶望しか残っていなかった。
だが今はどうだ。どこへ行っても、極限まで押し殺された私語が聞こえてくる。それは暗がりで人の心を喰い荒らす無数の蟻のようだ。一言一言が衝撃と、信じがたい事実、そして抑えきれない隠微な躁動を孕み、陰湿な空間を彷徨っている。
「聞いたか? ソク・カガンが……実の弟を殺したんだとよ!」
陰惨で湿った壁角。二人の囚人が身を寄せ合い、唇を相手の耳に押し付けるようにして、蚊の鳴くような声で囁き合う。だがその一文字一文字は明晰で、眼底には隠しようのない惶恐が渦巻いている。「サルマン様はあんなに仁義に厚いお方だった。俺たちのような底辺の囚人にさえ慈悲をかけてくださったお方が、なぜあんな最期を……」
「しっ! 声がデカい、死にたいのか!」
もう一人が慌てて袖を引っ張る。緊張で指先を微かに震わせ、看守の足音が近づいていないことを確認すると、さらに声を潜めた。その語気には悲しみと憤懃が満ちている。「サルマン・カガンは連盟の手にかかって死んだんじゃない。味方の刀に背中から刺されたんだ! ソクだ。あいつが仕組んだ陰謀だ。サルマン様の家族も、誰一人として生かしちゃおかなかったんだとよ!」
「酷すぎる……仁義無双と謳われたサルマン様が。道端の老人や子供すら傷つけられなかったあの方が、実の兄に根絶やしにされた。ただの南下政策の口実のために……」
湿り、腐臭の漂う空気の中に、重苦しい溜息が混じる。それは尽きることのない唏嘘と不満を孕んでいた。ますます多くの囚人が足を止め、密かに議論の輪に加わる。往日の麻痺した瞳は、徐々に衝撃と怒りに取って代わられていく。私語の網は日増しに密になり、地下監獄全体を窒息させるように覆い尽くし、空気さえも一層苛立たしく変質させていった。
俺は囚室の氷のように冷たい壁に背を預け、壁面の斑なカビを無意識に指先でなぞりながら、遠くから聞こえてくる細かな議論に耳を傾けていた。口角には冷酷で嘲弄的な弧が浮かぶ。
すべては計画通りだ。
NO.7から、この密閉された地下監獄が完全に世間から隔離されているわけではないと聞いた時からだ。囚人は手紙を書く申請ができる。監獄の上層部、あるいはオーク部族の高層へ状況を報告できるのだ。その多くが石を湖に投じるように無視されるとしても、俺には分かっていた、チャンスが来たと。
ここで賭けるべきは唯一つ。サルマン・カガンが噂通りに仁義に厚く、道徳的で、衆生を想う男であったかどうか。オークの部族、そして底辺の囚人たちの間で、揺るぎない威信と愛着を持たれていたかどうか。
賭けに勝てば、ソクの偽善の仮面は徹底的に引き裂かれる。
その夜、俺は図書室の薄暗い灯光の下、当番の看守に申請を出した。「罪を懺悔し、奸邪を告発したい」という名目は意外にも通り、紙と筆を手に入れた。
俺は粗末な木机に座り、ざらついた筆を指で握りしめ、一筆一筆、埋もれていたオークの秘事を書き殴った。
華麗な修辞も、意図的な演出もない。ただ、最も直截的で、骨に突き刺さるような真実だけを記した。
ソクがいかにして弟サルマンを和平交渉へ向かわせると見せかけ、いかにして裏で死士を放ち、帰路の途中で待ち伏せをさせたか。いかにして残酷に根絶やしにし、家族を皆殺しにし、揺り籠の中の赤子さえも見逃さなかったか。現場をいかにして連盟の襲撃に見せかけ、オーク部族の前でいかにして偽りの涙を流し、弟の鮮血と族人の怒りを用いて南下の戦火を燃え上がらせたか。無辜の生霊を戦争の深淵へと引きずり込み、その鮮血で己の野心を潤した全貌を。
一筆書くごとに、指先が微かに冷えていく。全身の血液が沸騰するのを感じる。それは恐怖ではなく、骨の髄まで染み込んだ怒りだ。ソクの偽善と残忍に対する怒り。何も知らずに彼の野心に命を売るオークたちに対する怒り。そして何より、仁義と優しさを持ちながら、最終的には一族皆殺しの憂き目に遭い、冤罪を抱えて死んでいったサルマンに対する怒りだ。
指先の力で紙はしわだらけになり、墨の跡は乱れているが、その一文字一文字には千金の重みがあった。すべての文字がソクの許されざる罪行であり、すべての一筆に俺の復讐の決絶が宿っている。
俺はゆっくりと手を上げ、紙の上の粗末な筆跡を指先でなぞった。低く呟くその声に怯えはなく、ただ徹骨の嘲弄と決絶だけがあった。遠く離れたソクへの呼びかけか、あるいは真実を黙殺し、悪に加担する者たちへの告発か。
「知っているか、上の連中よ。お前たちは口を開けば正義を語り、戦乱を鎮め、蒼生を安んじると宣う。だが、なぜ俺がウラ・マラカの駐軍を屠ったのか、その理由を知っているか? 俺がこの目でどんな真実を見てきたか、鮮血に埋もれ、誰にも知られることのなかった証拠が何なのか……もうすぐだ。すべてはもうすぐ、白日の下に晒される」
日時は圧迫的な待機と暗流の発酵の中で静かに流れ、転じて四日目の深夜となった。地下監獄にはもはや往日の沈黙はなく、時折聞こえる看守の足音と、囚人たちの押し殺した議論が昏暗な通路に反響している。
俺が壁に寄りかかって目を閉じ、いかにしてこの手紙を外へ出すかを思索していたその時、整然とした、しかし重苦しい足音が遠くから近づいてきた。衣擦れの音を伴い、最終的には俺の囚室の前で止まった。
ゆっくりと目を開ける。
そこには、黒いローブを纏い、深緑色の顎を覗かせた男が立っていた。
彼は囹圄の外、俺は領域の内。鉄格子のこちら側とあちら側。
彼は堂々とした佇まいで、鎧を纏った守衛たちに傅かれ、この監獄とは不釣り合いな威厳を放っている。対する俺は囚室の中で、冷たい鉄格子に閉じ込められ、埃と疲労にまみれている。たった一本の欄干が、二つの隔絶された世界を分けていた。
俺は先んじてその不気味な静寂を破った。低く落ち着いた声で、微かな試探を込めて問う。
「……ケドか?」
欄干の外は長い沈黙に包まれた。自分が人違いをしたかと思うほどに長い時間だった。
やがて、彼はゆっくりと手を上げ、頭のフードを外した。現れたのは、見覚えがあるようでいて、どこか見知らぬ緑の顔だ。目元にはまだ抜けきらない幼さが残っているが、そこには沈着さと威厳が加わっていた。
彼は背後の守衛たちに、俺には聞き取れないオーク語で幾つかの言葉を投げた。平淡だが拒絶を許さぬ命令。守衛たちは即座に一礼して退き、広大な通路には俺と彼、二人だけが残された。互いの呼吸音が聞こえるほどの静寂。
「ミン……さん?」
彼は口を開いた。語気には戸惑いがあり、すぐにまた自嘲気味に笑った。その瞳の奥に、隠しきれない居心地の悪さが過る。
「……やっぱり、兄さんって呼んだ方がいいかな。まさか、こんなに若いなんて思わなかったよ」
「どっちでもいい」
俺は壁に寄りかかったまま、淡々と答える。視線を彼の顔に固定した。「どうやってここを嗅ぎつけた。その様子だと、両親は見つかったのか?」
彼はその問いに、一度は反射的に頷いたが、次の瞬間、激しく首を左右に振った。瞳の輝きは瞬時に消え、暗く沈んだ影が落ちる。「……死んでいたよ」
その五文字は極めて軽く放たれたが、そこには抗いようのない重みが宿っていた。石が水面を叩き割るように、眼前の平穏を粉砕する。
再び空気は死灰と化し、息が詰まるような沈鬱さが漂う。まるで決まりきった儀式のようだ。やはり、俺が先にその沈黙を切り裂く。微かな、しかし自分でも気づかぬほどの謝意を込めて。
「……すまなかったな」
「え? ああ……いいんだ」
彼は弾かれたように我に返り、手を振って無理に笑みを作った。だがその瞳には欠片ほどの笑いも宿っていない。「死んだ時、僕は何も覚えていなかった。何の感慨もないよ。他人の昔話を聞いているような気分だ」
彼は深く息を吸い込み、感情を押し殺すようにして、語気を厳粛なものへと変えた。「それより、あんたのことだ、兄さん。手紙に書いてあったことは、全部……本当なのか?」
「千真万確だ」
俺は彼を見据え、断固とした口調で答える。そして、嘲弄を含んだ笑みを浮かべた。「なんだ、俺の言葉が信じられないのか?」
「そういう意味じゃない!」
彼は必死に弁解する。語気は急き立てられ、瞳には矛盾と葛藤が渦巻いている。「分かってるだろ、僕は……ずっと葛藤してるんだ。本当に、どうしようもないくらいに。ここに戻って数日、叔父であるソク・カガンは僕を世子の地位に戻しただけじゃなく、養子として迎えてくれた。彼は……僕にとても優しくしてくれる。何でも言うことを聞いてくれるし、一度だって怒ったことはないんだ」
「それで、どうするつもりだ?」
俺は彼の言葉を遮り、声を一段と冷たくした。「既往不咎か? 何も知らなかったことにして、彼の傍で聞き分けの良い世子を演じ、奴の背負った血債を隠蔽する手助けでもするのか?」
「違う! そんなんじゃない!」
彼は激しく反論する。その眼差しは苦痛に満ちている。「でも、彼が優しくしてくれればくれるほど、僕はラクドンさんのことを思い出すんだ。あんたが言っていた言葉を。……兄さん、ラクドンさんは……あの方は無事なのか?」
「ふん、あの古狸がどうにかなると思うか?」
俺は鼻で笑う。呆れを込めたが、そこには一抹の安心も混じっていた。「元気に生きてるよ。今もドワーフの軍営に居座ってる。だがな、お前さんはドワーフたちに命一つ分の借りができたぞ。あいつらはお前を救うために、大軍を動かしてウラ・マラカまで遠征してきたんだからな」
「道理で……」
彼は独り言のように呟き、納得したように目を伏せた。「あんたが捕まったあの日、叔父上は自らあんたを追うつもりだったんだ。でも出発の間際、ウラ・マラカに正体不明の軍隊が現れたって報告が入って、すぐに軍の配備に向かった。だから、ここへは来られなかったんだ」
「それで、結局お前はどうしたいんだ?」
俺は再び問い詰める。逃がさないように彼の瞳を射抜く。「優しい偽善を信じるか、それとも埋もれた真実を信じるか。どっちだ」
「僕は……分からないんだ」
彼はうなだれ、迷いと苦痛に声を震わせた。「理屈では、復讐すべきだって分かっている。両親のために、奴に殺された無実の人たちのために。でも、僕に見せる顔と、あんたから聞いた話や手紙に書いてある顔が、あまりにも違いすぎるんだ。……あの僕を慈しんでくれる叔父上が、両手を血で汚した悪魔だなんて、どうしても信じられないんだよ」
「つまり、俺の話も手紙も、全部デタラメだと思っているわけだ」
俺の声はさらに冷え込み、指先に力がこもる。
「兄さん、違うんだ!」
彼は弾かれたように顔を上げ、必死に、そして真摯に訴える。「接した時間は短かったけど、あんたが僕を敵視したことなんて一度もなかった。僕がドワーフじゃなく、汚らわしいオークだと分かってもだ! あんたの言葉が、あの手紙がなければ、僕はここへ来ることさえなかった。叔父上を疑い、真実を探そうなんて思いもしなかったんだ!」
「……落ち着け、ケド」
俺は彼の瞳に宿る葛藤と苦痛を見つめ、語気を僅かに和らげた。「理解はできる。本当にな。お前はまだ幼すぎる。幼い頃の家族の記憶がない。お前の出生は不幸だったが、幸運なことにその悲惨さを経験せずに済んだ。経験していたとしても、当時の子供にその残酷さは理解できなかっただろう。……例え話をしよう。ある将軍がいた。彼は赫々たる戦功を立て、威信は絶頂に達した。朝廷には彼を支持する声が溢れ、その声は君主の地位さえ脅かし始めた。さて、君主はどうすべきだと思う?」
ケドは顔を上げ、俺を見つめ、次いで背後の空虚な通路に視線を走らせた。眉を深く寄せ、しばし思索に沈んだ後、ゆっくりと首を振った。
「……兵権を返上させて引退させ、余生を安らかに過ごさせるか。あるいは首都に留め置き、名目上の高官の地位を与えて監視下に置く。軍権を剥奪し、その腹心たちを階級ごとに元の部署から引き離し、勢力を分散させて徐々に吸収していく。それしかないはずだ」
俺はケドのまだ幼さの残る緑の顔を見つめ、ゆっくりと身体を起こした。氷のような鉄格子の隙間から、地牢の湿気よりも冷たい声を、一文字ずつ彼の耳へと叩き込む。
「そうだ。権力を削ぎ、職を移し、編入する。それは『文明人』のやり方だ。まだ一欠片の底線を持ち合わせている奴らの手段だ」
俺は欄干に顔を寄せ、彼の瞳を至近距離から射抜いた。その声には徹骨の寒気と決絶が宿っている。
「だがな、ソクのような死山血河を這いずり回り、両手を血に浸し、実の弟の喉笛を平然と掻き切るような畜生にとって、最も確実で、最も徹底したやり方は……一つしかない」
ケドの呼吸が瞬時に止まった。身体が反射的に半歩後退し、眼底に恐怖が走る。唇を震わせるが、言葉が出てこない。
「――脅威となる『源』を、その根系ごと、物理的にこの世から抹消することだ」
俺は一語一語を噛み締めるように続けた。「奴が今お前に見せている優しさが深ければ深いほど、当時お前の一家を殺した時の残忍さもまた深い。その優しさは、本心などではない。ただお前を試しているだけだ。飼い慣らし、己の権力を脅かす可能性のあるその『剣』が、徹底的に磨り減り、鈍重で無力なものに成り果てたかどうかを確認しているに過ぎない」
俺は言葉を切り、蒼白になった彼の顔を見つめた。
「お前自身も、何かを嗅ぎつけているはずだ。ただ信じたくないだけだろう。……考えたことはないか? 俺がいるこんな掃き溜めに、なぜ人間やエルフ、ドワーフ、オーク、果ては名もなき異族までが押し込められているのかを。俺たちはただの囚人じゃない。奴が各勢力を牽制し、交渉するための『駒』だ。最悪でも実験体にはなる。この世界では、死体でさえ利用価値があるんだ。ましてや、まだ生きている俺たちのような『異種』なら尚更だ」
俺たちが話し込み、空気の張力が限界まで高まったその時。
突如として大地が激しく鳴動した。壁の礫が音を立てて崩れ落ち、頭上の灯火が狂ったように揺れ、「ギィギィ」と耳障りな悲鳴を上げる。
「ちっ、地震か?」
俺は反射的に壁を掴み、体勢を立て直しながら心の中で毒づいた。よりによってこのタイミングか。
「早く、牢を開けろ! 時間がない!」
ケドも体勢を立て直し、顔を真っ青にして通路の奥に向かって叫んだ。その語気には、差し迫った危機への焦燥が満ちている。
「いや、いや、いや!」
朗らかだが、どこか急き立てるような笑い声が、遠くの通路の奥から響いてきた。大地の咆哮を突き抜け、俺たちの耳に明晰に届く。
二度目の、さらに激しい地鳴りと共に、地面に細かな亀裂が走り、壁面は重圧に耐えかねて悲鳴を上げた。今にも崩壊しそうなその光景の中を、一人の老いた、しかし背筋の伸びた影が、沈着でリズムのある歩調で近づいてきた。
NO.7だ。
彼はケドに向かって微かに会釈し、急ぎながらも従容とした口調で告げた。「ご挨拶申し上げます、世子様。ですが、今は挨拶に費やす時間は残されていないようです」
そう言うと、彼は懐から淡い青色の光を放つ二本の薬瓶を取り出し、鉄格子の隙間から差し出した。
「『魚肺の薬水』です。これを飲めば、水中でしばらく呼吸ができる。この監獄の地盤は地震によって破壊された。間もなく、ここは完全に崩落する。……急ぎ、ここを脱出しなければなりません」
俺はNO.7の手にある薬瓶を見つめ、次いで崩れ落ち続ける壁と降り注ぐ礫を仰ぎ見た。顔には信じがたいという表情が張り付く。まさか、無数の人間を閉じ込めてきたこの地下監獄が、これほど呆気なく破滅へ向かうとは思いもしなかった。
俺が呆然としたその瞬間、建築物全体がさらに凄惨な悲鳴を上げ、礫の落ちる音は激しさを増した。薄暗かった灯火は完全に吹き消え、無辺の暗黒と絶望が、一瞬にして俺たちを飲み込んだ。
「海は広き世界にて渦巻き、巌の奥底に憤りの咆哮を轟かせり。
されどこの咆哮は自然の調べにはあらず、囚われた質量が因果の理にて死に悶うる唸りなり。
星辰はもはや灯火ではなく、万物を噛み合う歯車となりにき。
常世の星辰は速めり、聖なる軌道を奔る。
星位重なるとき、潮汐の鋭鋒紅く焼け、海床の最深なる脈を断ち切らん。
意志はもはや卑しき妄念にあらず、質量を持ち、勢いを持ち、鉄錆色の現実を引き裂く絶対の暴力となるべし。
されば自由を意志とする鳥どもは、決して籠に繋がれぬ定めなり。
その翼羽の一枚一枚、二百七十余年の毒せる執念に浸り、超越の光を放てり。
羽搏つごとに、
現実を歪める質量きらめく。」




