エピローグ
――――集会前夜。
ナナミはマグカップに淹れたコーヒーを片手に教会の中にいた。女神像の裏にある、この教会のシスターしか入れない部屋の中に一人。
外側がターコイズ色で内側が白い、卵のように丸みを帯びたこのマグカップは一番のお気に入りのやつだ。
古びた木製の椅子に腰掛けながらコーヒーを飲む。
酸味の強い香り高い豆を少し深煎りしたもの。砂糖も牛乳も使わずに味わう。鼻に抜ける香りが、リラックス効果を高めてくれる。
立て付けの悪い窓は、開けようとすると甲高い音を出す。
そろそろ窓の枠ごと直さなきゃいけないな、と思いながらもいつも思うだけで終わってしまう。今度こそはちゃんと木材を用意して直さなきゃな、と思っても毎回直さずじまいだ。
明日こそ直そう。そう決意してコーヒーを飲む。
「絶対にやらないやつですわ」
自分でも理解している。
毎朝掃除しているだけあって部屋に埃は無いが、夜にもなると窓枠には土埃が溜まる。埃臭い匂いが微温い風に乗ってに部屋の中に入る。
虫の鳴き声が響いている。虫は苦手なので、入ってこないようにとお祈りしながら風に当たる。網戸でも付ければいいのだが、あいにくそのようなものをこの村で調達するのは難しいのだ。欲しいモノがあるわけではない。
世間から隔離された、並行世界のこの村では無理もないことだ。網戸屋さんごとこの村に来てくれればいいのに、と願わないこともない。
古びた机の引き出しから、一冊の手帳を開く。今この村に来ている青年――ショウのことを書き記す。
この手帳は日記のようなものではあるが、日記というほど毎日は書いていない。
いつも集会の前夜に全てを書く。
これは、ナナミがただ筆不精なだけで、そういうルールがあるわけではない。だから、これを書くときはコーヒーが欠かせない。
ケーキの一つや二つあればそれに越したことはないのだが、昨日ハヅキの姉――カノンが全て食べていってしまった。
せっかく一番好きなモンブランと、二番目に好きなショートケーキの二本柱を冷蔵庫に隠しておいたのに。目ざといカノンには直ぐに見つかってしまう。
あの人は少し自由すぎるのが玉に瑕だ。少しハヅキを見習って欲しいと思わなくもない。
書こうと万年筆を手に取り、書こうとペン先を紙に付けたが、インクが乾いてしまっていてインクが出てこない。
「あちゃー、ですわ」
こんなことになるならちゃんとメンテナンスしとけばよかった、と思いながら羽ペンを手に取る。
羽ペンならインクさえあれば書ける。引き出しの中からインクボトルを取り出し、キャップを開ける。
少し酸っぱいインクの匂いが鼻先を刺激する。
人によってこの匂いが好きな人もいるらしい。アキナは前にインクの匂いがクセになると言っていた気がするので、たぶん好きなんだと思う。
だが、ナナミは好きというほど好きではない。まあ嫌いと言うほど嫌いでもないのだが。
羽ペンの先をインクボトルに入れインクを付けて、手帳に記す。
いつ来たか、どうしているか、誰と仲良くしているか。
そういえば、この前ハヅキと一緒にお風呂に入っているところを覗いてしまった。あれも一応書いておこう。
書いている途中で、強い風が入ってきた。おさげに結んだ髪が揺れ、手元の羽が揺れ、そして手帳のページがパタパタとはためく。
「わぁっ」
ガタガタと壁にかかっている額縁が揺れる。
「危ないですわ。少し閉めた方が良さそうですわね」
甲高い音を出しながら、窓を少し閉める。
すると、強い風は入ってこなくなったが、今度は笛を吹いたような高い音が窓の隙間から鳴り始めた。うるさいなとも思ったが、締め切った部屋よりかは幾分かマシなので我慢することにした。
「額縁、落ちてこなくて良かったですわ」
壁にかかっている額縁の中には一枚の写真が入っていた。
A1サイズ程度の、ポスターくらいの大きさの大きな写真。
古ぼけていた写真は角が茶色に黄ばみ、端っこが少し虫にかじられたようにボロボロになっている。白黒の写真ではあったが日焼けもしていて、ところどころ薄いところもある。
六人の集合写真が写されている写真は、部屋の壁の殆どを占領している。幼女が五人と青年が一人。
壁にかかった写真には横一列に並んだハヅキ、リン、アキナ、サオリ、ナナミの姿がある。
そして列の真ん中、ちょうどリンとアキナの間にはショウの姿が写っていた。
「うふふ、今回のショウ兄様は一体誰を選ぶのでしょうか。ハヅキちゃんなんかは選ばれそうですわね」
予想に妄想を重ねながら想像を膨らましている間に、段々と夜が更けていく。
繊月と呼ばれる新月の次の日の月。細長い月が空を照らしている。
最も、月よりも星明かりの方が眩しいくらいだ。
たまに窓の隙間から流れ星でも見えないかな、と覗いてみたりするがそう簡単に見れるモノでもない。
チカチカと光る豆電球の明かりが、風に揺れながら部屋を照らす。
明日は誰が選ばれるのか。
楽しみで眠れない気持ちとコーヒーのカフェインの作用で、朝焼けを眺めることになるだろうとナナミは確信していた。




