お願い、置いて行かないで
やがて、訓練の時間が終わった。
雨宮玲奈は飛ぶように走って出てきた。彼がまだいるのを見て、心の中の石がようやく下りた。
藤樹明は彼女が出てくるのを見て、後ろの凌美に尋ねた。「この子の出来はどうだった?」
凌美は言った。「動作は鈍いし、少し上の空だけど、練習を重ねればまだいけるわ。」
藤樹明は頷き、それから彼女を連れて出て行った。凌美は二人の後ろ姿を見て、何かおかしいと感じたが、言葉にできなかった。
まあいいか、どうせ私には関係ない。
彼女は首を振り、それからトイレに行った。
そして後ろにいた一人の練習生が、何かを考え込むようにその話を聞いていた。
社長に挨拶をして雨宮玲奈を連れて会社を出ると、藤樹明は尋ねた。
「君の家は、前にいた長椅子の近くか?」
雨宮玲奈はそっと頷いた。その後、藤樹明は彼女を連れて一緒に市場へ食材を買いに行った。
藤樹明の原付に乗り、彼のヘルメットをかぶると、雨宮玲奈は小さな顔を真っ赤にしながらも、口角をそっと上げた。
「しっかり掴まってろよ。」
藤樹明が注意すると、アクセルをひねった。雨宮玲奈は驚いて急いで彼にしがみついた。
腰に伝わる不自然な感覚に、彼は眉をひそめたが、何も言わなかった。
彼女は藤樹明の腰をしっかりと抱きしめ、頭を彼の背中に預け、彼の体に漂う薄い煙草の匂いを嗅いだ。この瞬間、彼女はとても安心できた。
本当に、この瞬間の時間が止まればいいのに。
市場に着くと、彼は野菜を選ぶ動作がとても手慣れていた。選びながら彼女に言った。
「訓練の強度が高いから、コンビニのおにぎりばかり食べるなよ、栄養失調になるから。」
雨宮玲奈は彼の後ろについていった。彼女は野菜を買えるのだが、この一時の安らぎをとても楽しんでいた。
彼は大きな袋を二つ買い、それから彼女の家の下に来た。
「三日分はある。食べ終わったらまた言え。」そう言って彼は原付にまたがり、帰ろうとした。
「藤樹さん。」
「ん?」
雨宮玲奈は口を結んだ。「社長が言いました、藤樹さんに私の生活起居を世話してもらえって……」
「君は料理ができないのか?」
彼女は目をそらして言った。「できません。」
藤樹明は少し考え、原付に鍵をかけて言った。「じゃあ、俺が手伝ってやるよ。」
彼女はたちまち眉を開いて笑い、急いで彼を上に招いた。
「お邪魔します。」
藤樹明は空気に向かってそう言い、電気をつけると、ワンルームは狭いが設備は整っていることが分かった。
台所に入ると、彼は雨宮玲奈に横で見ているように言い、自分は野菜の切り方や炒め方を教えた。
その手慣れた動作を見て、彼女の心は何かに刺されたようだった。
「白馬の王子様。」
そんな言葉を聞いて、藤樹明は不思議そうに尋ねた。「何だ、白馬の王子様って?」
雨宮玲奈は顔を真っ赤にし、心の声を思わず口に出してしまったと心の中で罵り、急いで何でもないと伝えた。
藤樹明が続けようとしたとき、突然指に鋭い痛みが走った。彼は包丁を置き、手を切って血が出ているのを見つけた。
雨宮玲奈は驚いて急いで謝った。藤樹明は大丈夫だと言ったが、彼女は素早く絆創膏を取りに行った。
すぐに雨宮玲奈が戻り、彼の手を掴んで洗い、拭き、それから貼った。
貼りながら、おそるおそる彼の傷口に息を吹きかけた。
藤樹明は手を引っ込めようとした。「もういいもういい、そんな大げさにするな、残りは自分でやる。」
しかし彼女の力は少し怖いくらい強く、藤樹明はしばらく引っ張れなかった。ただ彼女もまずいと思ったのか、急いで放した。
藤樹明は彼女を見た。雨宮玲奈は下を向き、指で自分の服を揉んでいた。
「ありがとうな、雨宮さん。」
沈黙を破って、藤樹明が自ら言った。
雨宮玲奈の口調はとても沈んでいた。「私が悪いんです、藤樹さんに怪我をさせてしまって、私は本当に死んだほうがいい!」
その言葉に彼はひどく驚き、急いで言った。「そんなことない、雨宮さん、変なこと考えるな、料理で怪我をするのは普通のことだ。」
彼女がまだこだわっているのを見て、藤樹明は仕方なさそうに言った。「雨宮さんがそうするなら、俺はもう帰るよ?」
「嫌!」
一声の悲鳴に彼は少し呆然とした。雨宮玲奈は目尻に涙を流して言った。「嫌……行かないで……」
彼女は彼の袖をしっかりと掴み、涙目で彼を見つめた。
藤樹明は驚いた。「行かない行かない、冗談だよ、泣かないでくれないか?」
行かないと言うのを聞いて、雨宮玲奈はそっと頷いた。すると突然、何かが彼女の口の中に入れられたのを感じた。
舌で舐めると、飴だった。
藤樹明は手に持ったフルーツキャンディを揺らし、子供をなだめるような口調で言った。「もう泣くな、これ以上泣いたら飴はなしだぞ。」
雨宮玲奈は泣き笑いの顔になり、彼女は咎めるように言った。「もう、藤樹さん、私は子供じゃないんですよ。」
「はいはい、君は子供じゃない、じゃあまだ泣くか?」
彼女は鼻をすすって言った。「あなたが行かないなら、私は泣かない。」
「よし、行かない。」
「本当に?」
「本当に本当に。」
雨宮玲奈は図に乗って言った。「じゃあ、いつになったら行きたくなるの?」
藤樹明は少し考え、笑って言った。「君が売れたときだな。そのときには、俺たちも別れるだろうし。」
雨宮玲奈の目の輝きが少し減った。「どうして?」
彼は気にしていないふうに言った。「だって君はそのときにはトップアイドルだ。俺みたいな三流マネージャーが、君のそばにいられるわけがないだろ。」
「そんなことない!」
雨宮玲奈は彼の言葉を遮って言った。「私はそんなことしない!藤樹さんのおかげで、私はこの舞台に立てたんです。」
「私は絶対に藤樹さんを見捨てたりしません!」
藤樹明の目に一瞬の安堵が走り、彼は笑った。「時間はまだ長い、ゆっくりやろう。」
「うん!」
その後、雨宮玲奈を外で待たせ、彼女が出て行った後、藤樹明はついに笑い声を抑えきれなかった。
よし、ついに彼女をがっちり捕まえた。さっきの優しい口調は、自分でも信じそうになった。
将来の飛躍を思うと、藤樹明は思わず歌を口ずさみたくなった。
やがて、彼は料理を運んで出てきた。雨宮玲奈はその香りを嗅ぎ、唾を飲み込んだ。
「藤樹さん、あなたの料理、本当にいい匂いですね。」
藤樹明は彼女にご飯をよそった。「香りがいいならたくさん食べろ、そうすれば訓練の力になる。」
雨宮玲奈は何度も頷き、それから大口で食べ始めた。彼にも食べるように言ったが、藤樹明は断った。
藤樹明は向かいに座り、雨宮玲奈がうつむいて食べるのを見ていた。
彼は心の中で計算した。今の訓練の進み具合なら、三ヶ月後にデビューを段取りできれば、彼女の容姿も声もトップレベルだ。ファーストシングルは週間ランキングのトップ10に入れるはずだ。
そのときの取り分がどれくらいになるか、彼はすでにトップアイドルのマネージャーたちに聞いていた。
城東にまともなマンションを借りるには十分だ。隣のいびきが聞こえるほど防音の悪いボロ家に住まなくて済む。
雨宮玲奈は顔を上げ、彼がぼんやりしているのを見て言った。「藤樹さん、何を考えてるんですか?」
藤樹明は我に返り、笑って言った。「君がデビューした後のことを考えてた。」
雨宮玲奈の顔がたちまち赤くなり、恥ずかしそうに下を向いてご飯を食べ続けた。
一生懸命食べる彼女の姿を見ながら、彼は心の中で呟いた。
「食べろ食べろ、たくさん食べろ、そうすればお前は俺の夢を叶えてくれるんだ。」




