泉の開拓村
――……早いものだな、私たちがここにきて旅立つ時がこようとは。皆を見送ったら、私もお前と一緒に戻るとしようか、この新しい故郷に。
そう言って笑う妙齢の女性――とある王国の王女の傍らに立つのはまだ幼さも残る少年だった。彼らの周りには鎧を脱ぎ、旅装に身を包んだ王女の元部下たち。
彼らはこれから、故郷の王国を目指し短い帰還の旅に出る。
見送る村人たちの中にはこの村で生きることを決めた兵士たちもいた。
戦に敗れた王女騎士とその部下である騎士兵士たち数十名がこの村にたどり着いたのはもう半年も前のことになる――。
もともとここは山奥の深い森の中にある捨てられた者たちの開拓村であった。深い泉のほとりを切り開き、わずかな畑を耕して暮らす人々は百にも満たない。
そこに戦傷を負いながら、敵軍の執拗な追撃を逃れ故郷を目指す敗残軍の生き残りが訪れたのはもう半年前にもなるだろうか。
警戒する村人たちに武器を突き付け、食料を寄こせと叫んだのは薄汚れた鎧を身にまとうまだ二十歳にもならぬ凛々しき女性であった。
――どうか、武器を収められよ。幸い、我らにも幾ばくかの蓄えがあり申す。また、傷をいやすための薬草を育ててもいる。あなた方が必要とするものを提供できるでしょう。どうか、この村に留まり傷をいやしていかれてはいかが。
――……この村は、我らの敵に仕えているのではないのか?
冷静な村長の言葉になお警戒心を深める王女、されどここがはるか昔の戦に敗れた者たちの隠れ里だと教えられては、剣を突き付ける気力も失せたようだった。
ここで下手に騒ぎを起こし、深く傷ついた部下たちを危険にさらすわけにはいかない。
それによく見れば、村長の孫という十代半ばの少年を筆頭に村の若者十数名がこちらを半ば囲むようにして立っている。
槍のように長い木の棒を持つ彼らだが、その肉体はまるで俊敏な獣のようにも見えた。
――わかった、今宵の宿と食い物を部下たちに与えてほしい。傷ついたものに手当てが必要なのだ……。
がっくりとうなだれるように頭を下げる王女、それを見た部下たちもまた武器を収めた。
それから彼らは和やかに自分たちを迎える村人たちに連れられ、各々家に案内され、静かに一夜を過ごすのであった。
翌日、村の女たちに連れられて泉で身を洗い清めた王女がささやかな朝食の時。村長に礼の金を渡そうとした時のことであった。
――そのようなものをいただいても、この村は外との付き合いがまるでない。それより、動ける方に村の開拓を手伝っていただきたいのだが……。
――そうか? なら動けるもので野良仕事なりなんなりを手伝うが……。
――そうしていただけるとありがたい、正直この村に足りないものは外からの来訪者でしてな。あなた方を無事に迎え入れたのは何もただの善意だけではないのです。
村長の家族は息子夫婦とその娘数人と息子の十人家族。村で一番多い家庭なのだという。だが、長年村の中で婚姻を繰り返してきた彼らが求めるものは時折村に迷い込む、人々のもたらす新しい血や技術そのものなのだという。
若い男も多いが、若い女も多くいる。そのほとんどが血縁がある親族であり、己が伴侶を求める年頃も多い。それゆえ、客人である兵士たちの元には娘たちをはじめ、寡婦となった女ももてなしにきていた。
――……そういうことか、ならばしばらくの間は村人の求めに応じていればいいだろう。部下たちの中で、この村に留まるものが出るかもしれない。この金はその時のために残しておくか。
王女が持つ財貨は何も金ばかりではない、王家の物だけが持つ特別の宝玉もあれば文字通り黄金の装飾品もある。わからないように鎧の隠し金具の中に収納されたそれを使う機会が来るかどうか。
自分に声をかけてきた村長の下の孫に応えながら、王女はそんなことを考えていたのだった。
それからしばらくの間、動ける兵士たちは畑を広げるための開墾に従事していた。幸い、王女の部下には多才なものが多く、行軍中にも多くの部隊から雑用仕事を任されたり、壊れた橋の修繕や臨時の建物を組んだり、街道の敷設など工兵の役割を果たすものがいたのである。
感心する村人たちの中、それまであまり進んでいなかった開墾作業にある程度の目算をつけるために計画を練り、王女の指揮の元団結する兵士たち。そこに村人たちも加わり、村は徐々に発展していく。
忙しく働く王女が不自由しないようにと村長が世話役につけたのは孫娘の一人と件の孫だった。
裏表なくよく笑う孫娘は王女より二つほど年上、その弟は村で一番の強者と聞いて驚いたが、力では負け知らずでありながら頭も切れる彼に幼い自分の弟の姿を重ねた王女は、深い森の上を流れる雲を見上げたのだった。
――あんたはすごいな、いろいろ知っていてみんなが従っているのもよくわかるよ。
――そういう、お前も大したものだ。まだ十代半ばと聞いたが、大人顔負けの力持ちでなおかつ教えたことはすぐに覚えてしまう。私にも弟たちがいたが、お前ほどの器量があれば、私がこんな苦労をすることもなかったのだが……。
病気に倒れた王に代わる成年の王族はほかにおらず、貴族たちに担がれる形で戦の場に駆り出された。おそらく戦自体には勝ったものの、味方の軍からはぐれ思わぬ伏兵の反撃にあい、王女の軍は敗走したのだ。
生き残れた部下は十分の一にも満たない。それでも彼らを見捨てて逃げる選択肢はなかった。深い森の中に逃げ込んで、二日余り。深い霧を抜けてようやくたどり着いた小さな川沿いの泉のほとりにこの村を見つけたときは魔物に化かされたと思ったものだが。
――……なあ、けが人が治ったらあんたらは村を出るのか?
――ああ、そういうことになるな。短い付き合いだが、この村で過ごす時間は穏やかで心地よい。いつまでもいたくなる……。
深い木々に囲まれた泉の村を見渡しながら、風になびく髪を抑える王女。王女の視線を遮るように、しゃがみ込む村長の孫はいつになく真剣であった。
――なあ、あんたの部下も何人かはこの村に残ってもいいといっていた。なら、あんたもこの村に留まらないか?
――……私に残れというのか? お前は私を嫁にでも望むつもりか?
――ああ、そうだ。あんたたちの中で女はあんた一人だけだし、俺は村長の孫だからな。権利はある――それに俺もあんたが好みだ。
――私は自分より弱いものに嫁ぎはしないぞ。これでも何度か戦場に出て、人を殺した。お前は戦場に出たことはあるまい?
――戦場に出たことがなくて人を殺してなくても、俺はあんたより強い。この森の深いところには魔物が出るし、怖い獣もたくさんいる。俺はガキの頃から、村長や大人たちに仕込まれて戦ってきた。俺より腕の立つ狩人なんて、この村にはいないよ。
――……ならば試してみるか?
自慢げに語る村長の孫に腹を立てた王女は傍らにある棒切れを拾い上げ、身構える。こんな物でも打ちどころを間違えなければ、人を殺す程度の腕はある。
構える王女を見た村長の孫は逆に自分が持っていた長い棒を投げ捨てて、立ち上がった。
――俺は素手でいい、そんなものに頼ったってあんたは俺に勝てない。
――……ほざけ、小僧! 私を愚弄したこと、後悔するがいい!!
自分より背は高いが、どこかまだ幼さの残る村長の孫に切りかかった王女。だが、次の瞬間、彼の腕の中に抱きかかえられていたのは自分だった。
――な? 俺の言ったとおりだろ。
――わざと怒らせて、隙を誘ったか。抜け目ない奴め。
腕の中から降りようともがく王女、不覚にも村長の孫に唇を奪われる。
他愛のない、若者たちのじゃれあい。穏やかな風が二人を包んでくれた。
――きょうはここまでだ、まだまだあんたやみんなに働いてもらわないといけないからな。
――お前は私たちの倍は働け! このことは村長にも言っておくからな。
――ああ、うちの嫁が決まったって自慢しとくぜ。
笑う村長の孫はそれまで働いていた兵士たちに代わり、作業に加わる。皆が先程のやり取りを見ていたらしく、笑いものにされた王女はどこか釈然としない様子だったという。
それから瞬く間に時が流れ、王女たちが村を出ていくときが来た。先に森の外への道を切り開く役目を買って出たのは村長の孫だった。王女たちと過ごす中、村人たちも外との交流の必要性を改めて認識した。
それ故にこの村への安全な道を切り開くことは何よりも重要なことであり、村の若者たちがその役目を担うことに決まった。
あの日のやり取り以降、村長の孫は時間があれば王女のそばにいるようになった。また王女も世話の焼ける弟を見るような目で村長の孫をそばに置いていた。
ほどなくして、村長や皆の前で二人の婚礼の儀が開かれたのだった。
――外への帰還は私の部下たちに託すことにする。私はこの愚か者の妻としてこの地にとどまり、村の発展に尽くすことにしよう。
――姫様がそれを望まれるなら、我らは何も言いません。ですが、せめて王国の民に別れを告げていただきたい。
――もとよりそのつもりだ、それに私の腹にはあの愚か者の子が宿っているそうな。そう無理はできないがな。
出発の前夜、兵士たちと夕餉を囲んだ王女は自分のまだ目立たないおなかをいとおしそうになでながらそう告げるのであった。
王女たち一行は短い旅路の末、王国へと帰還を果たしそれぞれの生きる場所へと帰っていった。
一方、王国で森の開拓村へと移住するものを募っていた村の若者たちは数十人の希望者をつれて、村へと戻った。それから森の中にいくつか開拓村が新たに開かれ、村長の孫と王女の一族が、代表者を兼ねるようになった。
王国の領土となることは無くとも、自分たちの土地は自分たちで守る。そうした気概が開拓民には根強く息づいていたのだった。
その地は長く栄え、多くの旅人が訪れる交易地となったそうである――。




