Ep71: 【魔王軍四天王】
ルーラの背後に現れた三つ目の魔物が、拳を振り抜く。筋肉がしなるたび、ギチギチと音を立てた。
「っ!」
反射的に体を反らす。だが完全には避けきれず、拳が肩を掠め、闘技場の床を滑るように吹き飛ばされた。
視界が回転する。
砂煙が舞う。口の中に血の味が広がった。胸の奥で紫色の光が脈打つような感覚がした。
――立て。
紫色の何かが身体の奥で燃えている。
ルーラは歯を食いしばった。
「翠閃――!」
だが魔物は笑う。
「(肉ィ)」
拳が受け止められた。
魔物の腕は黒い金属が筋肉と混ざり合い、光沢を放っていた。
「(主の仇ィ)」
別の一体がルーラの腹を蹴り飛ばす。身体が折れ曲がり、闘技場の床を転がった。
観客席の上段で、男子生徒ヤヌスは静かに目を細めていた。
……やっぱり、あの女は魔物と会話していた。あの咆哮はただの威嚇とは思えないな。意味を持った言語だとすると、理解している。言語適正なんて生ぬるい。そんなものじゃない。あの体から放たれる異質な魔力を俺が見逃すはずがない。
視線をルーラへ向ける。
少女の全身からかすかに漂う、不気味な魔力。どす黒くて苦しい殺しの魔力。あんたが……あの魔王の力を継いでいるのか。
「すごい話だ」
闘技場の中央。
ルーラは膝をついていた。
呼吸が乱れる。
絶望。
悲嘆。
狂気。
人間になってからいっぱい感じてる……波のように流れ込んで、心を蝕んでいく。
「(主は死んだァ)」
「(アダマン様……)」
ルーラの瞳が揺れる。
主
アダマン。
その名を聞くたび、胸の奥が締め付けられた。
――主を失う。
それがどれほどの絶望なのか。
ルーラは知らないはずだった。
けれど、ゼルの背中を思い出してしまう。
孤独な背中だった。戦いのあと、どこか遠くを見ていたあの横顔。
「……」
拳が震える。
攻撃すべきか。
救うべきか。
人間になってからいっぱい色んなことを考えてる。でもルーラには――
その一瞬の迷い。それを魔物たちは見逃さなかった。
「(殺ス)」
五体の魔物が飛びかかった。拳が振り下ろされる。
ルーラは歯を食いしばった。
「翠閃――列強!」
翠色の拳撃が舞う。拳が空中を走り、空気が爆裂した。
だが。
止まらない。
魔物の拳が迫る。
死んだ。
ダメだったんだ。ルーラには……人間なんて出来っこなかった。強くなんてなれなかった。ルーラがゼル様の隣なんて……望んじゃいけなかったんだ。
その瞬間。
闘技場の空気が重く重く――
ドン――。
沈んだ。
空気が沈み、砂粒が床に押し付けられる。魔物たちさえ動きが止まった。
ルーラが顔を上げる。
そこに一人の男が立っていた。銀色の長い髪が揺れている。
褐色肌に長身。
黒衣。
その男の周囲だけ、空間が歪んでいるようだった。
「(……!)」
魔物たちの目が見開かれる。
恐怖。
それは明確だった。
男はゆっくりと肩をすくめた。
「やれやれ、その度胸。主の仲間に手を出すとは」
視線がルーラを向いた。
「あなたが、主の仲間ですよね」
ルーラは唖然とした。
「……な、え?」
男は魔物へ視線を戻す。
そして呟いた。
「『――絶対重力圏』」
空間が崩れた。
ドンッ!!!!
五体の魔物が床に叩きつけられる。
骨が軋み、筋肉が潰れる。
「(グゥ……)」
「(アア……ァァ)」
観客も次々に失神していく。生徒も審判も、バタバタと倒れていく。遂にはリンとコレット、サレー、そして教師たちだけが意識を保っていた。
男はため息をつく。
「弱々しい」
ゆっくりと魔物へ歩きだす。
一歩ごとに重力が増していく。
「ア、ガァ」
魔物の身体が床にめり込んだ。
男はしゃがみ込む。
三つ目の魔物を見下した。
「……あのガーディアンの眷属か」
その言葉に魔物の目が震えた。
「(主……知る、者……?)」
男は一瞬だけ黙った。
そして静かに言う。
「知っている。遠い昔、戦ったことがある」
ルーラが息を呑む。
魔物が歓喜し震えて、空へ手を伸ばした。
「(アダマン様……)」
男は目を閉じた。内心男はこう思っていた。
アダマンはもう存在していませんよ。主が殺してくれましたから。
男の脳裏に、あの光景が蘇る。
重力をさらに叩き込む。
地面が沈んだ。
魔物たちの身体が完全に押し潰される。
男は立ち上がり振り返った。
終始を見ていたヤヌスの瞳が細くなる。
……この魔力。
まさか、あり得ない。
迷いの森で最も危険視された燼の魔物。
重力魔法の頂点。
その名は――
男が口を開いた。
「自己紹介がまだでしたね」
銀髪が風に揺れる。
「バラルガ・アルヴァルト」
会場の空気が凍りついた。
「魔王ゼル・アルヴァルトに仕える者だ」
「――お前!」
険しい形相で教師たちが魔力を腕や指に溜め込んでいく。
「四天王の一柱。バラルガ・アルヴァルトだ」




