5:寂寥……物寂しい様子、孤独な様
無数のテレポートの門を極限まで薄く引き伸ばし、皮膚の上に定着させた概念の鎧。『肆虐態・ラドウィドル』
バラルガは瞬時に警戒態勢に入り、猛然と跳躍した。
「無駄だ」
だが跳躍したバラルガの引力パンチが、ゼルを引き寄せる――はずだった。その拳が紫の皮膚に触れた瞬間、抵抗もなく吸い込まれ、バラルガ自身の後頭部からその拳が飛び出した。
「……!?」
自分の拳で自分を殴り飛ばす形となったバラルガ。その体勢が崩れた瞬間、ゼルの反撃が始まる。
「往復してろ」
ゼルが正面に拳を突き出す。
「っ--!!」
バラルガはすぐに腕を十字に防御する。しかし拳はバラルガに届く前にテレポートする門へと消え、バラルガの右脇腹から出現した。
ドォッ! ドカッ!
空間を無視した打撃。バラルガにとっては、目の前にいるゼルが動いた瞬間に、死角から拳が飛んでくるという絶望的な状況。
「『開門』」
逃げようと、地面を蹴って跳躍するバラルガの足元に門を開き、頭上に繋げる。永遠に空中から地面へと落ち続ける無限落下のループに陥ったバラルガを、ゼルは無造作に連撃を叩き込む。
ダッ、ドンッ! ドドンッ!
バラルガの硬質な肉体が、衝撃に耐えきれず次々と砕けていく。回避不能、防御不能。
「……」
バラルガは地に伏した。人型の形態は維持できず、岩の破片が土にまみれている。ゼルのテレポートの鎧は剥がれ落ちる。ゼルはバラルガを、感情の失せた冷徹な目で見下ろした。
「……お前は知らないかも知れないが、仕返しだ。空の味を教えてやろう」
ゼルが右手をゆっくりと振り上げる。それはもはや斬撃ですらなく、空間そのものを押し潰し、バラルガという存在をこの世界から消去するための、嘲弄の仕返し。
「いや……いい。あの時もそうだった。お前はあえて俺を殺さずにした。弱者には、興味がないもんな」
ゼルは冷徹な目で睨みつけ、バラルガを背に立ち去ろうとする。その時だった。ピクリとも動かなかったバラルガの顎が、微かに動いた。
「……なぜ、そんなに強いのだ」
地を這うような掠れた声。
「答えてやらんこともない。……俺は、元魔王だ」
「--!」
ゼルはバラルガを背にして立ち去ろうとする。その足取りに迷いはない。だが--。
これで本当にいいのか?
足を止めた。
同じ魔として生まれ、人間から排除すべき害として定義された存在。その末路がこの冷たい孤独な死、なのか?
「……最後に何か言い残すことはあるか。燼の位階を持つお前だ、冥土の土産くらいは聞いてやる」
バラルガは、砕け散る寸前の白い核を震わせ、弱々しく口を開いた。
「……あなたの、血を…………一滴、この核に……」
「……あ?」
ゼルは眉を潜めた。
怨みなど通り越して今はただ呆れが勝る。
「死に際に、魔王の血を啜ってみたいとでも言うのか? 悪趣味な」
だが、なぜこれほどまでに執着するのか。ゼルは微かな興味を覚えた。
「……よかろう。1500年前と今の貸し借り、これで帳消しだ」
ゼルは指先を自らの歯でわずかに噛み、剥き出しになったバラルガの白い核へと、数滴の血を垂らした。
ポタリ、ポタリ。
その瞬間。
「――ッ!? あ、が、あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
バラルガが絶叫した。瀕死だったはずの体が、ありえない角度で跳ね上がる。 ドクン、ドクン。 森の静寂を打ち消すほどの巨大な鼓動が響き渡る。ゼルの血――魔王の因子を含む濃厚な魔力が、バラルガの枯渇した核に強烈な再定義を強制していた。
「……なんだ、この反応は。魔王の血は魔物を回復させる……。いや、これは--」
バラルガを覆っていた岩の破片が、内側から弾け飛ぶ。土にまみれた巨体は急速に収縮し、過剰なまでの光を放ち始めた。やがて光が収まった時、そこには巨大な魔獣の姿はなかった。
代わりに立っていたのは、銀灰色の髪に褐色の肌を持つ――一人の青年だった。
「……驚きました。これほどの魔力は、はじめてだ」
完全に人間の姿となったバラルガは、自分の新しい手足を確かめるように握り、そして突然、ゼルの前に膝をついた。
「バラルガ……。その姿は」
「我が核は、魔王様の血によって上書きされました。もはや我は、ただの野良の魔獣ではない。あなたの血族……そういっても過言ではありません」
「血族? どこがだ」
バラルガの瞳には、先ほどまでの殺意など微塵もなく、むしろ心酔しきったような輝きが宿っていた。
「いや待て。俺はお前を部下にしたつもりも、したいつもりもない。貸し借りは帳消しだと言ったはずだ」
「否。命を救われ、その上これほどの力を授かったです。この恩、返さずして燼の誇りは保てません。……さあ、主。次はどこへ向かわれますか?」
「……勝手についてくるな。俺はこれから、人間の文化を盗むんだ。目立つお前はついてくるな」
「承知した。では気配を殺して背後に控えよう。影として、常に」
「……。チッ、勝手にしろ」
どうせすぐ飽きるはずだ。元魔王といっても、軍隊や城など今の俺に大層なものはない。それに……これからはバラルガの力を持ってしても通用しない相手が多くなる。俺についてきても時期に死ぬだけだ。
ゼルは溜息をつき、再び歩き出した。独りで行くはずだった運命の旅路。森に二つの影が長く伸びていく。




