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第四話 三草山合戦

 私は重衡と共に、生田森へと向かう道を行く。



「重衡はどう思う」

「此度の合戦の戦法、に御座いますか」



 重衡の問いに、私は「そうだ」と首肯する。当然、源氏が京を出たとあらば、何時でも戦準備を怠ることはない。



「やはり軍を二手に分けて歩を進めているとなると、相手は東西から攻め寄せるものかと」

「北側の丹波道を行く軍が大手軍である可能性は?」



 私が問うと、重衡は、うーん……と少し考え込んだ後に、口を開く。



「北の道は三草山を越える、細く、整備されていない道をも通ります。故に、大軍を引き連れ攻め寄せるのであれば、やはり山陽道から来る此方……生田森で(まみ)える方が大手軍ではないでしょうか」

「そうか……まぁやはり、そうであろうな。丹波道を行くのが搦手軍の少数であらば、三草山へ来着くのは今宵か、明日か。……重衡の意見、いつも頼もしく思う」

「滅相もないことに御座います。私の方こそ、いつも頼りにしておりますぞ、兄上」



 重衡はそう言うと、精悍でありながらも、花が舞うように優美な笑顔をこちらに向けて寄越した。全くもって、生まれながらの人たらしとはこのことである。

 私は一応、念を押すように重衡に言う。



「矢合わせは七日。だが、不覚は取られぬよう、戦支度だけは怠るでないぞ」

「心得ております」




 こうして時々会話を交えながら生田森に到着した私と重衡は、早速森の様子を確認する。いつもと変わらぬ森。だが、数日後には戦場と化すであろう、森である。私はその場にいた郎党を呼び止めて尋ねる。



「源氏勢は現れぬか」

「はっ。源氏と思われる軍勢は、未だ山陽道をこちらに向かって行軍中にございます」



 まだ日の高い今現在、索敵によると源氏勢は未だ生田森には現れていないとのことであった。

 行軍も、とりたてて急ぐ様子も見られなかったというが、見かけた場所はここからも程遠くない昆陽野(こやの)を過ぎた先であり、恐らく本日中には生田森に来着くことが予想された。私は共にここ生田森を守る家臣、監物(けんもつ)太郎(たろう)頼方(よりかた)に状況を尋ねる。



「頼方。変わりはないか」

「はっ。皆、戦支度は万端にございまする」

「この逆茂木(さかもぎ)も……良さそうだ」

「そう簡単に超えられますまい」



 頼方が白い歯を見せながら言うのを、私は逆茂木の強度をこの手で触って確かめる。棘のある木々を並べて作った逆茂木の鹿砦(ろくさい)も、周りに張り巡らせた堀も、敵の侵入を防ぐためのものであり、ここも堅固な要塞と化していた。山陽道から来る東の軍勢を迎え討つ準備は万全といえる。



 さぁ……いつでも返り討ちにしてくれよう。この生田森は、断固として通すまい。







― 同日五日・戌の刻(午後八時頃)



 生田森で源氏を構えるも、本日……五日の日も何事もなく過ぎようとしていた。

 ここで家臣や郎党たちとした話といえば、源氏の軍勢の話、この戦で源氏を破れば京入りも現実味が増すこと、京へ帰ったら何をしたいか……など、たわいのない話も多かった。



「特にこれといってやりたいことなんかないが……生まれ故郷なんて、やりたいことがなくとも恋しくなるってのが、本当の故郷というものよ」



 誰かが言ったそんな言葉に、確かにそうであるなぁと心の裡で首肯する。


 黄昏時に西の空を見上げた時、二月の宵の明星はひときわ明るく光を放ち、京にいた時分もあの星を見てはその瞬きに心奪われ……あの星の名は『夕星(ゆうづつ)』(現在の金星)というのだと、幼き頃父上に教え賜ったことを思い出していた。

 ……京へ、帰ろう。この戦に勝利し、一門を引き連れて。




 そうして日はとうに落ち、暗闇に遠火を焚く、今。森に広がる静寂に聞こえてくるのは、浜の方からの波の音と、時々風に葉の擦れる音。濃紺の空に白く光る月は、いつもと同じように静かに森を照らしていた。

 今のところ源氏勢に大きな動きはないが、森の奥には、源氏の焚く遠火がぽつぽつと見え始めていた。だが既に小夜は更け、見回りをする者以外の多くの者は兜やえびらを枕にし、明日以降の戦に備えて体を休めている。


 私は……源氏勢が京を出たと聞いてから、こちらにいつ攻め入るのかとずっと気が昂っている。夜間と言えど、それは例外ではない。私は浅い眠りと覚醒を繰り返し、月明かりが淡く照らす薄暗闇をぼんやりと眺めては、明日の戦に備えて今は休むべきだと自分自身に言い聞かせる。


 だが、胸がざわつくようなこの感覚は、戦前だからであろうか。

 気を落ち着かせようと月を見上げるも、その淡い光は私の心を癒すでもなく、こちらの様子を静かに、じっと眺めているだけように見える。私は小さくため息をつき、再びゆっくりと目を閉じた。……と、その時。



「新中納言(知盛)殿っ!」



 私はその声にはっと振り返ると、こちらに向かって走ってくる人影があった。それは火急の用を伝えに参った使いの者であり、その様子は酷く焦りが滲んでいる。



「どうした」

「みっ、()()()が夜討ちに遭いました! 草木や民家に火が放たれた様子で……敵の数、約、一万騎っ……!」

「夜討ち……だと」



 一万騎。想定の範囲内ではあるが、対する平家軍は資盛を大将とし、有盛、師盛ら約三千余騎が待機していたはず。だが夜討ちとなると、咄嗟の対応は如何ほどか……先の富士川の戦いが過ぎる。



「平家軍は。三草山に控えていたであろう……!」

「我が軍は、多くの者が()()の合戦に備えて仮眠を取っておりました故に、即座に応戦することも叶わず……あっという間に五百騎もの軍勢がやられました」

「なんと……いうことを……」

「一ノ谷の兵を三草山へ向かわせますか」



 現状、想像以上の被害を受けていることに愕然とする。

 助かった者は一ノ谷へ逃げたらしいとのことではあるが……



「いや、一ノ谷が手薄になっては向こうの思うつぼだ」

「では……」

「こうしている間も、向こうは一ノ谷へと歩を進めるに違いない。一度体制を整える。兄上は」

「ほ、本陣でお休みになられているかと……別の者が知らせに参ったはずですが」



 夜討ち故致し方ないが……源氏勢が京を出たと知りながら、平家陣の甘さに少々情けなく感じつつ、同様である己を呪った。



「おのれ源氏軍め……夜討ちなど……っ!」



 胸の(うち)に怒りがふつふつと湧いてくる。握りしめた拳の爪が掌に食い込むが、痛みなどはどうでも良い。それよりも……夜討ちなど、なんと卑怯な……っ!



「兄上!」



 そこにへやって来た重衡の声に、私は振り返る。緊迫感を滲ませたその顔は、やや不安をも孕んでいるように見える。



「……重衡」

「三草山が、源氏軍により火の海と……! 生田森(こちら)は依然音沙汰がないようですが、このまま先に一ノ谷に攻め入られる危険性は……」

「一ノ谷には敦盛や忠度ただのりらが控えておる。それに三草山から一ノ谷はまだ距離があろう。こちらはこちらで、何時動き出すやもしれぬ源氏軍を迎え撃たねばなるまい。……だが、今回の夜討ちでいつ攻めてくるやもしれぬことがよぉく、分かった。何時でも万全を期しておくよう、心しておけ」

「はっ!」



 握りしめた拳がわなわなと震える。重衡の後ろ姿を見ながら、夜討ちか、などと……つくづく相手が悪いと感じていた。先の倶利伽羅峠の戦が脳裏に過る。夜討ちにより、我が平家の大軍が、少数の源氏勢に敗北を喫した戦いである。

 私は森の奥に見え隠れする源氏の焚く遠火を見ながら瞋恚しんいを顕わにするとともに、安らぐ心地がしなかった。

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― 新着の感想 ―
小説企画への参加、ありがとうございます!一ノ谷の戦いを舞台にした重厚な歴史小説で、知盛の葛藤や親子愛が心に響きます。緊迫感ある戦前の雰囲気と美しい情景描写が素晴らしい!キャラクターの人間味も魅力的で、…
読んでいて伝わる緊迫感!! 怖くなる様な、でもなかなか味わえない緊迫感のなか気づいたら読み進めてるいる僕。 文章でこんなに伝えれるハルさん! 流石です!
4話まで2回再読しました。 まるで自分が夜の戦場にいるような感覚に……。 これからなにが起こるのか、 5話に進むのが楽しみです!
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