第二話 初陣
― 四日・酉の刻
本日四日……父上の法要は、僧侶を招いて読経を行い、冥福をお祈りするなど質素なものではあったが、始終恙無く執り行われた。戦前であっても、故人を偲ぶ法要は大切な行事である。源氏もそれを尊重してなのか、はたまた全く関係ないのか、この日に攻めてくることは無かった。
「父上はお亡くなりになられる直前、『墓前に頼朝の首を添えよ』と仰ったが、未だそれも叶わぬままだ」
そう、兄上が誰に言うでもなく、ぼんやりとつぶやいていたのが印象的であった。死の直前の父上は、四六時中高熱にうなされ、大変苦しそうなご様子であったのを今でも時々思い出す。父上がご存命であれば、平家は今も尚、栄華の絶頂であり続けたであろうか。
…………いや、盛者必衰などとは誰にも言わせない。必ずやこの一ノ谷で勝利を収め、一門を引き連れ再び京へと舞い戻るのだ。
◇
改めてそんな意を固めた、本日と言う日が終わりを告げ始める宵の口。空には白い月が浮かび、ちりばめられた星が顔を出す。そこへ、夜風にあたりにきただけのような、だけど此方に来ようとしているようにも見える……どこか迷いがあるかのようにうろうろする人影を見つけた。……それは。
「……知章か。どうした、そこで何をしている」
「お、お父上……っ、お休みのところ申し訳ありません……っ!……戦のことを考えると、気が昂ってしまって……その、夜風をと……」
何やらしどろもどろしているが、要は心細くて私を訪ねようか訪ねまいか迷っていた、というところであろうか。
重要な戦での初陣故、その気持ちも分からなくもない。私は「少し歩くか」と、知章を外へと連れ出す。
月明かりが薄く照らす浜を並んで歩く息子の背は、私と殆ど変わらなくなっていた。何時の間にこんなに大きくなったのだ、などと思っていると、知章は声変わりの終わったばかりような、安定して柔らかくも落ち着きのある声で、控えめに切り出す。
「父上の初陣は……どのようなものであらせられたのですか」
「私の初陣か。初陣は、宇治平等院の戦いであった。今でもその時の事もよーく、覚えておる」
「……! その時のお話、是非聞きとうございます……!」
「そうだな。……もう四年も前のことになる。父上がご存命で、平家が栄華の只中にあった時。お前がまだ十二の頃の話だ」
知章はやや緊張していた顔を緩める。
私は静かに寄せては返す波間を見ながら、その時のことを振り返っていた。
「あの時は……高倉宮が謀反を起こそうと、園城寺から南都の興福寺や東大寺を頼って都落ちしたのを追討せよとのお達しだった。相手はあの源三位入道(源頼政)殿も一緒。ついに初陣かとは思うたが、その時私は既に二十九。重衡や行盛らと共に、総大将を任されたのだ」
私は一つ一つの事柄を、鮮明に思い出しながら続ける。
「私も必死だった。あの戦いは、流れの速い宇治川を挟んで向こう側の平等院へ攻め入らねばならぬ。だが橋は外され、そう簡単に渡れぬ上に、渡った先でも烈火の如く激しい合戦が繰り広げられていた。……だがその時、足利忠綱殿が先立って馬で川を渡らせたのだ。忠綱は以前『利根川』という、宇治川にも勝っても劣らぬ川を馬で渡ったことがある、と言う。私はそれに従い、夥しい人と馬を一度に渡らせることで川の流れを堰き止めながら、平家軍を一気に向こう側の岸へ渡らせた」
「……物凄いお話にございますね」
「今思えば、確かに、物凄い話だ」
言われてみればそうだ……と改めて思う。二万八千余騎が一斉に川を渡って流れを堰き止めるなど、相当物理な人海戦術である。
その、結末は。
「結果、平等院にて源三位入道らを、そこからやや南に落ち延びた先で宮殿を、それぞれ討ち取った。後詰めで来た重衡や維盛らの働きも大きく、そこまで時間はかからず、鎮圧した」
「ですが、初陣にして総大将をお務めになられるとは、さすが、父上ですね」
……二十九にして初陣。十代で初陣を飾ることの多いこの時代、随分と遅い初陣だったと、我ながら思う。
「私はなかなか戦場へ出してもらえなかったのだよ」
「『入道相国最愛の息子』と呼ばれたというではありませぬか。それ程大切にされ、期待されたのだと、私は思うております」
真っ直ぐな眼差しと言葉に、私は面食らう。
「……あ、あー……そのようなことをお前に面と向かって言われると、少々小っ恥ずかしいのだが」
「そんな父上を、私は心より尊敬しているので御座いますよ」
ややはにかむように微笑む、息子の煌めくような眼差しに私はどうも弱いらしい。無邪気に駆けておった時分と、今隣に居る精悍な顔つきに携えるその瞳の煌めきは、いつの時分も変わらぬものだと、こんな折だと言うのに感慨に耽ける。
だが、今なら我が父上のお気持ちもよく、分かるような気がした。……戦場に送り出すのを先延ばしにしたいと思う気持ちが。無論、武士として、家の為に手柄を立てることは大変誉高いことである。だが誰しも親というものは、子にはいつまでも健やかに、幸せであってほしいと願うものなのであろう。知章の言うように、父上も私を大事にしてくれたのかもしれないと、息子の言葉で気付かされる。
だがそのようなことも言っていられない。息子も一人の人間であり、私と同じ、一人の武士なのだ。
やや照れくさいのを咳払いで誤魔化し、私は知章に向き直る。
「初陣を明日に控えたお前に、今一度武士の矜恃を教えよう」
「はっ!」
「武士であるならば……誰しも、己の武士としての名誉だけは大切にしなければならぬ。それは時に、命よりも大事となることもあろう」
知章は私の言葉を、静かに、真摯な顔をして聞いている。
「武士とはそういうものだ」
「……心に深く留めて参りまする」
そう言う知章は迷い等吹っ切れたような勇壮な顔つきをしており、月明かりに照らされたその顔色も、先程とは打って変わって随分と晴れたように見えた。