翠川家からのお願い
「んな訳で、頼むよクロちゃん!」
『俺一人でやる』。他の猟師たちの前でそう宣言したはずの颯が、タキシード風の制服に身を包む美少年に、ぱん、と手を合わせます。
隣で娘の凪紗が、はあとため息をつきました。
「すいませんクロさん。でもどうか父を助けていただけないでしょうか」
調子のいい父に変わって、凪紗が頭を下げます。
颯は人間ですが、その娘の凪紗は鎌鼬という妖怪です。しかも並の鎌鼬ではありません。とある事情から現代の妖怪にはあり得ないほどの妖力を持っています。
走っている車を真っ二つにしてしまうほどですから、熊を相手に後れを取るようなことはありません。
でも残念ながら凪紗に狩りの手伝いはできないのです。
鬼熊の討伐は原縁市からの依頼です。
獲物の首が謎の刃物で綺麗に切断されていては、少々都合が悪いのです。
「なんでも市でやろうとしてる新しいプロジェクトに使うみたいでな。鬼熊の毛皮が必要なんだとよ」
そんな事情もあって仕留めるのはあくまで銃でなくてはなりません。妖気の大太刀とか論外です。
とはいえ鬼熊は危険な相手です。立ち上がれば軽トラの屋根に届くほど、というのですから大きさだけでも相当な物。経験豊かな颯だって万が一と言うこともあります。
加えて銃が使えない街中で人を恐れない鬼熊を追い払うのは至難であり、また下手に刺激すれば鬼熊が暴れ出すかもしれません。
そうなれば大変な被害になりますし、止める手段もありません。
山の中の隠れ家に潜んでいるところを探すしかないわけですが、これには時間が掛かる。その間にも被害は増えるでしょうし付近の人たちも心配でしょう。
早く見つけるには人手も必要ですが、経験のない若手ハンター達を連れてくるのはやはり心配。
そんなこんなの厄介を全部まるっと解決できるのがクロです。
クロの見た目は小学生みたいな可愛らしい少年ですが、その正体は狗狼。大神の血をひく由緒正しい一族の末裔です。
山中に潜む熊の発見と誘導、それになにより颯の護衛。
その全てをこなすのに、クロ以上の適任者はおりません。
颯と凪紗に頭を下げられたクロは頼られたことに内心喜びながらも、お伺いを立てるべくちらりと後ろを振り返りました。
クロはこくり家の主とその奥様達に仕えるモノですから、自分の判断で勝手に承諾することはできません。
主たちの答えが決まっているとしても。
クロは名前持ちの狗狼ですから、しかもとある事情から、その若さからは考えられない程の妖力を持っています。
今やそんじょそこらの神様よりも遥かに格上。
でもクロの主の奥様達はさらにとんでもない方々です。
「ふむ。颯殿と凪紗の頼みとあっては是非もないのじゃ。それに近場で熊が出たとあってはこくり家にとっても一大事じゃからの」
時代がかったロリ言葉で頷いたのは、鮮やかな紅色の和服風にアレンジされた制服姿の美少女です。
見た目はクロよりは年上ですがまだあどけなさの残る顔立ち。口の端に見える八重歯がチャームポイント。
なんとも可愛らしい少女ですが、その正体は千年を超えて生きる大妖怪。
しかもとある事情から神秘の濃かった全盛期の頃の力を取り戻して、以下略。
縫霰山の神にしてこくり家の女将の一人、大妖狐 紅珠です。
「夏休みも終わり当店の人手にも余裕があるところです。しっかりと勤めを果たすのですよ、クロ」
たおやかに続けるのは藤色の制服に身を包んだ美女です。
誰もが目を奪われる抜群のプロポーション。妖しいまでの美しさと、人を安心させる愛嬌の同居。
真の魔性とはきっと、こういうことを言うのでしょう。
彼女の正体は稀代の退魔師にして千変万化の大妖怪。
しかもとある事情から、以下略。
こくり家のもう一人の女将、大妖狸 藤葛です。
「畏まりましてございます。颯さん、凪紗さん、どうぞよろしくお願いします」
主の奥様たちから許可を得てにこりと笑う美少年の笑顔は、それはそれは頼もしいものでした。
しかし少々惜しいことには、頭にぴょこんと耳が生えて、お尻ではしっぽがぶんぶん揺れてしまっています。
今や大妖怪の一角とも言うべきクロですが、嬉しいと変身が解けてしまう癖は相変わらずのようです。
「はあい、お待たせ〜」
そこに間の抜けた声が響きました。
厨房の奥から、えへらえへらと締まりのない笑顔を浮かべて出て参りましたのは、縫霰山の奥の奥、広い敷地にどでんとたたずむ不思議な喫茶店「こくり家」の店主。
名を花咲 兵太郎と申します。
さて大狗狼クロの主にして、大妖狐紅珠と大妖狸藤葛の亭主。
満を持して登場しましたこの男の正体は!?
じゃじゃん!(ラップ音)
そうです。ただの人間です。
おっと失礼。
確かに人間ですが、ただの、ではありません。
何せこの兵太郎、馬鹿を付けないといけない正直者で、底が知れないお人よし。
騙されても馬鹿にされてもいつもえへらえへらと笑っております。
東に泣いている子供があれば、行ってどうしたのと訪ねて不審者とし通報され。
西に疲れた母あれば、行って必要ないものをいっぱい買わされ。
南に死にそうだと騒ぐ人あれば、行って大変ですねと大金を貸して逃げられ。
北に喧嘩や訴訟があれば、どういうわけか巻き込まれ、しかもなんでか責任を押し付けられ。
街で列に並べば横入りされ、同僚に嘘の住所を教えられてはオロオロ歩き。
その後ろ姿を指をさされて嗤われる。
そういうレベルの大馬鹿正直者です。
しかも競争と名のつくものは一切合切大の苦手。生活力皆無で絵に描いたような甲斐性無し。
いっそ生きていられるのが不思議なくらい。
しかしまあ、世に嗤う人あれば又笑う神あり、等と申します。
「よっ、店長さん、待ってましたっ!」
今日のお勧めメニューの試作品大皿に乗せての兵太郎の登場に、みんなぱっと笑顔になりました。
さて、こくり家本日のお勧め、気になりますその内容は〜?
『こくり家椎茸のバターソテー』でございます!
「うおっ、重っ。何だこれ?」
一切れ箸で摘んでみた颯はびっくり仰天。
4分の1にカットされている椎茸が、ずっしりと重いのです。
それもそのはず、大きくて肉厚な椎茸を傘が開ききる前に採取いたしました。しかも採れたて新鮮。だって今さっき採ったばっかり。
「ね、凄いでしょ。椎茸さん達がみんなで原木ごと来てくれたんです」
「……原木ごと?」
「うむ。天然の椎茸は倒木に椎茸の菌が付着してできる。この木を原木というのじゃ」
したり顔で颯に解説する紅珠ですが、問題はそこではありません。
「原木はまあ分かるけどよ。来てくれたってのは何だ」
「何だも何もそのまんまなのじゃ。椎茸どもが自分たちで原木を転がしてきたのじゃ」
「ふ、ふーん、自分たちで転がしてね」
「うむ。儂の加護があるとはいえ相当苦労したじゃろうな。見上げた根性じゃ」
「そ、そうだな、根性ってすげえな」
住処を自分で移動できるのはヤドカリかカタツムリか藤葛くらいだと思っておりましたが、この縫霰山では少々勝手が違うようです。
「おかげで天然の椎茸が畑の野菜どものように安定してお出しすることができそうなのじゃ」
「天然の椎茸って、そんなんあんのか?」
「む? そりゃああるじゃろ?」
絵妄魈が紅珠の頭の上で大きな❓を作りました。
それはまあ、ないわけはないのですが。
そんなポンポンあるもんでもありません。
椎茸は一般的にはおがくずなどを固めて作った培地で栽培します。これを菌床栽培といいます。
室内でも育成可能ですから管理も楽。短期間で安定して安心キノコをお届けできます。スーパーなどで見かける安くておいしい椎茸がコレです。
一方で原木椎茸と呼ばれるものがあります。
こちらは木に穴をあけてそこに菌糸を植えるという栽培方法。菌床栽培に比べて手間も時間もスペースも格段に大きくなりますが、非常に高品質なものが採れます。干し椎茸のどんこなどがコレです。
天然の椎茸はこれらとは違い、山の中で朽ちた木に自然に菌糸が入ることで発生します。そんなわけでものすごくレアです。
この超レア天然椎茸が安定して手に入っちゃうのがこくり家クオリティー。
縫霰山の豊かな自然と生ける神紅珠の加護によるチートな合わせ技です。
「ねえ、凄いよね。天然の椎茸なんか初めて見たよ」
兵太郎も嬉しそうにえへらえへらと笑っていますから、これは期待が高まります。
では早速頂いてみましょう。
4分の1でもずっしり重い肉厚椎茸、大きなお口に放り込んで噛み締めると、じゅわっ!
「旨えっ!」
「おいしい!」
干し椎茸の戻し汁が出汁として使われることからも分かる通り、椎茸のジュースは旨味そのもの。バターと醤油で適度な塩分が加われば、もうそれは極上のスープです。
肉厚な椎茸を噛み締めれば、菌糸でできた非常にきめ細かいスポンジのような構造の中が閉じ込められた旨うまスープがじゅわっとあふれ出す。
生の椎茸には毒がありますからしっかりと火を通さねばなりませんが、だからと言って過熱しすぎてしまってももったいない。
そのあたりをしっかりかっちりこなせるのが兵太郎です。
「おいしい。それにほんのりと良い香り。これはスダチでしょうか?」
藤葛が見抜いたとおり、微かに薫る爽やかさは数日前に畑にやってきたスダチです。小さい木ですが新鮮な実を毎日ちょうどいい量提供してくれるできる子です。
お陰でバターを使っているのに全然重さを感じません。っていうかいくらでも食べれちゃいそう。
大皿にこんもりとあった椎茸はあっという間になくなってしまいますが、そこに出てくるのがもう一品。
「こっちも食べてみてね。椎茸の猪肉包みだよ」
「ちょっと待ってくれ、その前に白飯お代わり貰えねえか」
「すぐにご用意します!」
形よく揃った大きな椎茸を丸ごと一個。それを薄く切った猪肉で、キノコの形がわかるくらいしっかりと包みます。
フライパンで焼き上げて、お醤油、みりん、こくり家蜂蜜で作った照り焼き風ソースを絡めて。
「これはまた。椎茸と肉のうまみがたまらんのじゃ!」
「おいしいです! 椎茸ジュースが噴き出てきます!」
椎茸の旨味がお肉の味を引き立てることは良く知られていますが、この料理の主役は椎茸です。照り焼きお肉のうまみが肉厚椎茸のおいしさをさらに引き立てているのです。
椎茸は一口では食べきれないほどの大きさですから、ご要望があればフォークとナイフもご用意いたします。
断面には薄い肉で巻かれた椎茸の形がしっかり見えますから、映え狙いの方にもお勧めですよ。
ジビエが苦手な方には豚肉を使った物も用意しています。お値段はこちらの方が少々お得。
さてお客様。
『こくり家しいたけのバターソテー』と『こくり家しいたけの猪肉巻き』
本日のご注文はどちらにいたしましょうか?
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「わかりました。颯さん、凪紗さん、クロちゃんの事よろしくお願いしますね」
試食会というには、ご飯とお味噌汁、サラダを含めてずいぶんとしっかりとした食事をとった後、颯からの改めてのお願いに兵太郎は快く頷きました。
「おう、ってまあ、宜しくされるのはこっちの方だがな」
颯の強面に浮かぶのは苦笑です。クロの凄さを一番実感しているのはことによると、自身が猟師である颯かも知れません。
クロはこれまでにも鹿や猪を仕留めています。翠川家はそれを颯が仕留めたという形で体裁を整えて、こくり家に卸しているのです。
こくり家、そちも悪よのう。
なにをおっしゃいますか翠川さんこそ、ぐっふっふ、の間柄なのです。
先の副将軍様には内緒ですよ?
そんなわけで、両者の間ではさらなる闇取引きが交わされます。
「ところで颯さん。その鬼熊のお肉なのですが……」
藤葛に言われた颯はにやりと唇を歪めました。なんて悪そうな顔でしょう。
「おう任せろ」
鬼熊の討伐は特別な褒章金もでる原縁市からの公的な依頼です。それに名前持ちの熊ともなれば、仕留めた本人だとしても本来は颯の取り分は限られてくるのですが。
「毛皮は市役所のお偉いさんが観光資源にってことで持ってくみたいだが、肉の方優先的に回せるように話は付けてある。期待してるぜ、店長さん」




