ローランド子爵の失態
◇
アルカがローランド領を離れ、一夜が経ったその頃――。
「この愚か者が!!」
ローランド子爵邸にて一人の男の怒号が飛んでいた。
その矛先はローランド子爵の息子、ベイトである。
今は無きローランド陛下の従兄弟にあたる父親、ローランド・ヴァンクーヘンは自身の息子が仕出かした取り返しの付かないことに怒りを露わにしていた。
「そんなにキレんなよ父上。中年のオッサン一人に今更何が出来るってんだ。言うことも聞かねぇ奴を飼うだけ金の無駄じゃねぇか」
しかし、対するそのベイトは何を怒っているんだとばかりに手をヒラヒラと振りながら抗弁を垂れていた。
「この馬鹿者が、アレを野に放つことの意味すらも分からんと申すか!!」
そんなあっけらかんとした様子をみせるベイトに子爵の怒りは沸点を遥かに通り越していた。
いくら力は落ちているといえど、その影響力は計り知れないものがある。
その意味が分からないわけではないだろうと子爵は言った。
「じゃあ父上、言うけどさ。俺がアイツを父上から預かってからまだ数か月だ。それまでの2年近く、ずっと他の奴に使役されてたわけだろ。何も今に始まったわけじゃねぇ」
しかしベイトにも言い分があるのか再び口を開いた。
元々はアルカが奴隷落ちして生きながらえていたことすら2年もの歳月の間、知る由もなかったのだ。
ベイトはその間に外に出ていた可能性だってあったじゃないかと言う。
「そんな屁理屈が天帝様に通じるわけがないだろう!! あぁ……、終わりだ……。貴様に任せた私が馬鹿だった」
敗戦時にアルカが死んだという情報は国家間の共通認識であり決して間違った内容では無く、ガマニア帝国の傘下になることを恐れていた元ローランドの民を絶望の淵に落とし、士気を低下し服従させるには充分なものだった。
事実、この3年近くはその姿を目撃したものなどいなかったのだ。
事の運びは万が一にも統一後にローランドの民が反乱を起こさない様上手くいっていた。
しかし、戦の後に姿をくらましたアルカが生きているとなれば別の話である。
彼らが再び希望の光を見出し、自ずと奮起し出す者が現れるのも時間の問題なのだ。
ローランド陛下が死亡してからというものの、ローランド領の管轄は全て従兄弟である子爵に委ねられた。
天帝の言いなりにはなれど金の巡りは悪くは無く、余生はのうのうとした日々を歩めるはずだった。
ところが数か月前、"アルカが生きている"という情報が秘密裏に帝国の高位の元へと流れて来た時の天帝の形相は子爵にとって忘れられるものではない。
その天帝になんと報告すれば良いのか、子爵は額から止まらぬ汗を拭う事すらせずに呆然と立ちつくしていた。
「なぁ、父上」
頭を抱え込んでいる子爵にベイトが声をかける。
「……なんだ、まだ戯言を申すか」
もはや息子に構っている場合ではない子爵は声を引き攣らせながら悪態をついた。
「いや、普通に考えてみろよ。確かに俺が手放したって失態が父上にはあるかもしれねぇけどよ、翌々考えりゃあなんで今頃になって湧いて出てきたんだ?」
「そんなこと私が知る訳ないがだろう、大方誰かに引き取られでもしていたか――……」
そこまで言ったところで子爵も疑問に思った。
何故2年という歳月の間、闘技奴隷と使役されていたにも関わらずそのことすらも出回ることがなかったのか。
「俺だって何年も闘技場に奴隷を送り込んでるし決して歴も浅くはねぇ。だが、名前を偽ってたのか知らないが実際に舞い込んでくるまでは俺すらもアイツが生きていたことを知らなかったんだ」
な、おかしいだろうとベイトは言う。
闘技場に足繁く通い、闘技奴隷の情報を情報を網羅している自分が知らないこと自体がおかしいのだと。
だが、ベイトにも疑わぬ理由があった。それはアルカの身体に付いた傷である。
闘技奴隷は真っ新でない限りは鞭打ちの後が酷く残っている。
アルカの身体には2年を物語らせるには充分な物が刻まれていた。
「確かに……」
「言い訳にしかならねぇだろうけどさ、使役した奴隷が利益を生むのに要する期間は大体2か月だ。それまでに見込みが立たなければ売りに出す。丁度俺が手放すまでにかかった時間と同じだ。まるで俺が愛想を尽かすのを見計らったかの様に騎士団長殿が買い付けの交渉を持ち掛けてきたのもその頃なんだが――、なんかきな臭くないか。 父上が買い付けた買い主とここ2年近くの騎士団長殿の動き調べた方がいいんじゃないか」
意外にも悪事の事に関しては頭の回るベイトだった。
元の買い主とカイネの関係性が割れれば計画的犯行ともいえよう。
「まさかカイネ様が……?」
すぐに子爵はこれを持って天帝の元へ報告することとなった。




