外伝その3 アグアの想い
「ふぅ、できた」
青い鯛の魚人が右手で額の汗をぬぐう。彼は目の前にあるロウソクを見て満足していた。
これらは蜜蝋といい、ミツバチの巣で構成する蝋のことだ。
ここはヒコ王国といい、海上国家であるが、養蜂も力を入れている。
ロウソクは庶民の貴重な照明だ。王族でも使っている。隣国のレスレクシオン共和国ではフエゴ教団が電球なるものを使っているが、庶民には届かない品である。
そもそも発電機は太陽光発電に、水力発電や風力発電しかない。
ヒコ王国では緊急を要する軍隊や、貴重な薬品を保存する医者が優先されていた。
彼の名前はアグア。3年前に亡くなった両親に変わり、ロウソクづくりに精を出していた。
「よぉ、アグア。元気にしておったかね?」
突如訪問してきたのはシャチの亜人だ。シャチは哺乳類なので亜人として扱われている。
体格は二メートルほどあり、筋肉隆々であった。頭に金の冠を被り、赤いマントを羽織っていた。
彼はヴェンセドル三世で、この国の王様である。
「これは陛下。わざわざこのような場所においでになるとは」
「ははは、堅苦しい挨拶はナシだ。余とそなたの仲ではないか」
ヴェンセドルは気さくな態度を取るが、アグアは態度を崩さない。ちなみにヒコ王国では王様と庶民の距離が近い。
今も近所の三歳児が「王様こんにちは!」と挨拶しており、近所の老人も「王様は尻が軽くていかんのう」と苦言を呈しているくらいだ。
これはアグアが真面目なだけである。
「まったく陛下はふらふらして困ります。后を持ち、王太子もいるとはいえ、これでは国民が不安を覚えるのは当然です」
背後に声をかけたのはアオザメの人魚だ。青色の長髪で、すらりとした長身である。
銀色の鎧を身に着けており、下半身はドレスを履いている。脚は見えないがひょこひょこ歩く様は彼女が人魚だと示していた。
年齢は三十代を超えているが若く見える。凛々しい顔つきだがどこか陰りのある顔であった。
彼女はイングリッドといい、王家の護衛騎士団長を務めている。ヴェンセドルとは同じ乳で育った仲だ。
「そんなことはありませんわ。ヴェンセドル陛下は国を、国民を想っているからこそ、こうして自ら見て回っているのですわ」
さらにヴェンセドルの背後から一人の女性が現れた。
バンドウイルカの亜人でヴェンセドルより頭ひとつ小さいが、それでも女性としては大きい部類だ。
彼女の名前はスカアハ。ホッドミミル王国の国王バルドルの第一王女である。
今はヴェンセドルの正室であった。
「これはイングリッド様にスカアハ様まで。次は執事のミスティルティン様もご一緒ですか?」
アグアが皮肉交じりに訊ねると、背後からコホンと咳払いの声がした。
慌てて振り向くとそこには髭もじゃで丸い身体をした男が立っている。
黒い丸メガネをかけており、黒い執事の服を着ていた。もっともはち切れんばかりの筋肉が服をみちみちと音を立てている。
「当然でございます。陛下と王妃様が下々の者に会いに行くのですから、わたくしが護衛として付くのは当然でございます」
彼の名前はミスティルティン。バルドル王の弟だ。年齢は50歳の人間である。
かつては亡き兄ラグのために暗躍しており、バルドルが嫌いだった。
14年前はラグの遺児であり、アグアの姉であるオウロを利用しようとしたが、突然の事故で遭った。
死亡したと思われていたが、実は生きていたのである。若い頃は細身であったが、今は身体と共に性格も丸くなっていた。
昔はスカアハとも仲が悪かったが、今では信頼できる執事として活躍している。
「ははは、イングリッドもミスティルティンも心配性だな。今日はプラタが帰国する日なのだぞ。手紙のやり取りは年に一度だが、6年ぶりに本人が帰ってくるのだからな」
ヴェンセドルは頬をほころばせている。彼とプラタは幼馴染なのだ。ヒコ王国を離れられない彼にとって、七つの海を駆け巡るプラタの土産話は何よりの娯楽である。
「そうでございますわね。最初あの方はピークォドお姉さまの初めてを奪った憎きお方でした。ですが後日バラバラだったホッドミミル王国をあっという間に統一してしまったときは驚きと同時に尊敬いたしましたわ」
「その上、バルドル陛下のご子息とピークォド殿と婚姻させ、海賊団を国の軍隊に組みこんだのですから驚きですな」
スカアハとミスティルティンは遠い目をした。プラタはホッドミミル王国の亡きラグ王の息子であった。
だが本人にとって父親はネプチューンヘッドであり、ラグ王など知らないのである。
彼がホッドミミル王国の統一をしたのは友人であるピークォドのためだった。ホッドミミルは女を軽視し、軽蔑する傾向があったのである。
ならば彼女が相応の地位に着けばいいと、プラタが行きがけの駄賃に逆らう村を潰して回ったのだ。
その勢いはラグ王すら上回ると噂されていた。
「ですがご両親が亡くなったことにプラタさんはどう思うでしょうか。それを考えると胸が苦しいですわ」
イングリッドが陰鬱そうに言った。アグアの両親は病気で死んだのだ。父親のジェンチュはある日血を吐いて倒れた。その後意識不明になりそのまま息を引き取ったのである。
母親のアマーベルはそれにショックを受け、見る見るうちにやせ細っていき、半年後に亡くなった。
プラタと会えずに亡くなったが、息子に無様な姿をさらさずに済んだと、笑顔を浮かべていた。
その後三つ子の兄であるフォーゴと弟のルスは家を出た。ふたりはアグアに店を譲り、自身は賞金稼ぎになったのである。
時折金と共に珍しい油を送ってくるので、仕事は順調のようである。
「むふぅ、別に何とも思わないさ。父上と母上が死んだところで眉ひとつ動かさないだろうさ」
「その通り、兄者の言う通りでござる! プラタの兄者はすでに親の死に目に会えぬ覚悟を決めているでござる!!」
さらに新しい客が来た。それはアグアの兄弟であるフォーゴとルスだ。
フォーゴは筋肉を鍛えまくり、大男となっている。赤い鱗に似た体毛が光っていた。
彼は槍を手にしている。女とやりたいから、槍使いになったのだ。
ルスはフォーゴほどではないが、引き締まった肉付きをしている。彼はムエタイという格闘術を学んでおり、素手で並み居る海賊たちを狩っていた。
彼の掛け声は「ムエタイ! 燃えたい! 騒ぎたーい!」である。
「フォーゴにルス。ずいぶんひさしぶりだな、元気にしているようで何よりだ」
「むふぅ、プラタの兄貴が帰ってくると知って駆け付けたぞ。その前にデブレダドルを狩ろうとしたが、兄貴に先を越されちまった!!」
「その通り! 長年追っていた腐れ外道のデブレダドルをプラタの兄者は一掃していたのでござる! さすがはキャプテンプラタでござるよ!!」
フォーゴとルスは興奮していたが、アグアは冷静だ。14年前に三人はプラタに関わることで誘拐されたことがあった。
アグアにとってつらい思い出しかないが、他のふたりは冒険心に目覚めてしまったのである。
彼は漁師の娘であるタラの人魚と結婚し、平凡な生活を送ることに満足していた。
かといってプラタの冒険話は楽しみにしている。
「デブレダドルか。やつらは強い奴らと戦うのを避け、弱い者しか狙わないクズの集まりだからな。それを発見して潰すとはさすがはプラタだ」
「今ではペルギュン島で王国を作り、女王となったアニトラさんもデブレダドルを見つけられずに、荒した後に来ることを悔しがっていましたからね。もっともプラタさんがことを成し遂げたと知れば、納得するでしょう」
ヴェンセドルとイングリッドは納得していた。デブレダドルには煮え湯を飲まされ続けたのであろう。それをプラタが始末したことに満足しているようだ。
「それよりも陛下。後ろの兵士たちはどういうことでしょうか?」
アグアが通りを見る。そこにはヒコ王国の兵士たちがずらりと並んでいた。
手にはハルバードという武器を持ち、兜に鎧を着こんで、完全に戦闘態勢である。
まるで他国に船倉を挑みそうな雰囲気であった。物々しく通行人も不安そうにしている。
「……オウロのためだ。プラタの奴がここ6年で新しい仲間を増やしたのは知っているか?」
「ええ知っています。ただリャーマ君がこっそり教えてくれましたけどね」
アグアが答えると、フォーゴとルスはさすがプラタだと褒めたたえた。
プラタとフビの息子であるリャーマとは特別仲がいいのは、似た者同士だからだろう。
一方でヴェンセドルたちの表情は暗い。まるで死刑宣告を喰らったようである。
「オウロがこれを知ったらどうなるかわかるだろう? あたり一面血の雨が降るぞ」
「あー、それはわかります。14年前もそうでしたからね」
ヴェンセドルとアグアはぶるぶると震えていた。あの日の事は今も忘れられない。
ヒコ王国では神の雷が落ちた日と呼ばれている。いたずらしたらオウロが来るぞと子供におどすのが流行っていた。
「英雄プラタ様を血の海に沈めるお方ですか。オウロ様とは面識がありますが普段は女神のような方ですけどね」
「そうですな。私の無礼を笑って許してくださったし、子供たちの躾も厳しさの中に優しさがございます。悪鬼羅刹の姿など想像できません」
スカアハとミスティルティンが首を傾げる。あれは実際に見た本人しかその脅威がわからない。
もっともフォーゴとルスはまったく気にしないのである。
その時港から銅鑼が鳴り響いた。船が入港したのだろう。ルスがぴょんと跳び上がると、屋根を伝い、高台まで登っていく。
「おお、プラタの兄者だ。兄者の船が帰ってきたでござる!!」
それを聞いてヴェンセドルは港へ向かっていった。その表情は非常に重く、胃に鉛を飲み込んだような感じである。
イングリッドが優しく背中をさする姿がなんとも物悲しく見えた。
ちなみに王太子はまだ十歳で、ホッドミミル王国から来たヘズという人間の乳母が面倒を見ている。
これから起きる惨劇を見せないためであろう。あとイングリッドも側室として子供を産んでいる。王太子とは乳飲み兄弟として仲良く育っていた。
「むふぅ、ひさしぶりに兄貴と姉貴の戦いが見られるのか。今から楽しみだなぁ」
「その通り! 今までは串刺しマニアのクルエルや、殺人請負人のアストゥトと比べても色あせていたでござるからな!!」
串刺しマニアのクルエルは人を生きたまま串刺しにして、それを眺めるのが大好きな海賊だ。
アストゥトは人から頼まれて人を殺し、村も焼く残忍な海賊である。
何十人もの王国の兵士や賞金稼ぎたちを返り討ちにした凶悪な海賊だが、フォーゴたちには物足りない相手だったようである。
大物の名前を口にし、大したことがないと言い切る彼らはどこか危機管理能力に欠けているとアグアは思った。
「……陛下がかわいそうに思えてきたな」
アグアはそんなヴェンセドルの背中を見て、哀愁を感じたのであった。
そしてその後港で起きた出来事は、ヒコ王国にとって悪夢の日となったのは言うまでもない。
逆にフォーゴとルスは素晴らしいものが見れたと喜んでいた。スカアハとミスティルティンはホッドミミル王国が統一された様を再現されたと感心していたという。
今回で本当に最終回です。




