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第18話 「シスターゴッデス」<前編>

<1>


「んーっ、……ふわぁ……あく」

 うっすらと右目を開き、それを左手の人差し指の背でガシガシとこすり、大きな大きなあくびをし、焼刃煌侍やいば こうじはとりあえず目を覚ました。割り合いにして、約30パーセントぐらい。身体機能の各所は機能回復しつつあるのだが、脳には未だ深くモヤがかかったままだ。

 再び閉じそうになる両のまぶたに力を込め、ギリギリでシャッターが閉じるのを食い止める。目線の先にある、高い高い白い天井付近の柱を親の仇でも見るように睨み付けてみる。それにしても眠い。

 かなりの時間を眠った事は、己の体調を鑑みる事で分かる。が、まだまだ身体は睡眠をご所望らしい。もう98パーセントぐらいは諦めているが、我が体質ながら恨めしい。今ここがどこであるのかすらすぐには思い当たらない、というのはさすがにアウトだろう。こんな事で、いざと言う時に大切なものが守れるのか。

 様々な思考が去来し、少しずつ意識が眠りの淵から浮上しつつあるのを実感する。顔面の筋肉がその時の感情につられて忙しく変化し、百面相のスライドショーを上映する。

「ふふっ」

 耳元で小さく笑い声がした。ドキリとして素早く首をその方向へと振ると、ドングリを横倒しにしたような、碧色をした大きな二つの瞳と視線がぶつかった。思わずその神秘的な揺らめきに吸い込まれてしまいそうになる。

「おはようございます、主様あるじさま。お目覚めの具合はいかがですか?」

 小さな口から紡がれる、平坦ながらも温かさが確かに感じられる声。知っている、この声も顔も。煌侍はひとまずの安心を得た。

「ああ、おはよう。……で、おまえ、さっき笑わなかった?」

「いえ、主様の気のせいかと存じます。まだ完全に目覚めていらっしゃらないからかと」

「そうか?」

「はい」

 声の主、時姫じき渉想しょうそうは、煌侍の瞳をまっすぐに、まばたきもせずにじっと見つめ返す。……そのまま二十秒が経過。

「わかったわかった、オレの負け。オレの勘違いでした」

「はい」

 ……ふぅ。そうそう簡単に女神様は勝たせてくれない。まあいいけどな、こんな事ぐらい。

「あらん、主様起きちゃったの?残念、もう少し寝顔見ていたかったのにん」

 今度は反対側から声がし、そちらを向く。と、わずか約5センチの距離に、ひときわ色白の顔があった。危ない危ない、気を抜いてたらキスをしてしまうところだった。

「……ちけぇよ」

「ちぇっ、またもやざーんねんっ」

 声の主、闇姫あんき妓唇ぎしんが彼の額に小さなキスを残して身を引く。大きな青い瞳をしばたかせ、舌を出す。純白のシーツの海に広がるブロンドのウェーブヘアが、まさしく金色の波のようだ。


 段々意識がハッキリしてきた。目線を正面に戻す。と、自分と目が合った。

(またここに来て寝ちまってたのか)

「やれやれ」と独り言の後、軽く溜め息を吐く。現状をその目でしかと確認し、諦め半分、自己嫌悪半分。とても妹達には、いや、誰にも見せられたものではない。

 天井は鏡張りになっている。そこに映し出されているのは、十三人の姿。その内の一人は自分で、その内の二名は渉想と妓唇、他十名。鏡の中の煌侍と目が合うと、ある者は微笑み、ある者は恥ずかしげに目を伏せたり逸らせたり、またある者は意味ありげな表情を浮かべたりする。

 体格も髪形もその長さも、まるでバラバラの十二名の女性達。彼女達の共通点は女神である事。そして十三名の共通点は、現在身に付けているのがシーツ一枚だと言う事。

(そんで、いつの間にか脱がされてるし。……つーか、それだけならまだしも、悪い事に昨夜、『女神酒めがみしゅ』とやらをしこたま飲まされてからの記憶がないときてやがる。なーんかおぼろげながら何かされたような……。いかん、そっから先が不鮮明だ)

 右手で顔面を覆い、全身の違和感を探ってみる。――限りなく黒に近いグレー。これはまず何かされている。主にさっき目が合った時に含み笑いを返してくれた、赤い長髪あたりに。

「しゃーねえ」と本当に仕方がないので、忘れる事にする。彼女達が妹達にわざわざ言うとは思えないので、ややこしい問題は先送りにしておくに限る。では、改めて状況を確認する。


<2>


 ここは彼女達十二柱の女神達が治める世界。天界とも神界とも仙界とも異なる、人知の及ばぬ桃源郷。便宜上、「十二国界じゅうにこっかい」とでも呼んでおく事にする。

 現在位置。十二の国のちょうど真ん中、ただシンプルに「中央」とだけ呼ばれている機関の建物の中の、十二国姫じゅうにこっきのプライベート空間の寝所、いわゆるベッドルームだ。響きだけならばごく普通だが、普通ではないのは置かれているベッドである。

 なにしろこの巨大な部屋に、たった一つだけ置かれている代物だ。それでどうやって十三名もの人数が横になれるのかと言うと、単純にサイズが巨大だからである。全員が手足を存分に伸ばせるだけではなく、寝返りも打ち放題。直径二十五メートルはあろうかという、円形の純白の寝台。もちろん寝心地は極上で、まさに夢心地。人間界に存在しない素材で出来ているのかもしれない。

 ここでならいくらでも快眠を続けられそうだ。常春に設定された気温と湿度の快適さも手伝い、シーツ一枚でも充分。どんなに性質の悪い不眠症持ちでも、一発で解決間違いなし。

 そんなこんなで、眠りの精の寵愛を日夜休む事なく受け続けている焼刃煌侍やいば こうじにとっては、ある意味理想郷と言える。「いつまでもここにいたいなぁ」とかうっかり思ってしまっても罪はないだろう。決して口には出せないが。出したら最後、本当に帰してもらえそうにない。

「いつまでもここにいてくださってもかまいませんよ」

 地姫ちき茅希ちきがそう言って柔らかく微笑む。十二国姫第七姫だいななき、「慈愛の女神」と呼ばれる彼女の視線と情愛を今自分ひとりが独占しているのかと思うと、なんとも分不相応の贅沢をしている気分になる。

「ご遠慮なさらなくともよろしいのに」

「……さっきからオレの心を読むんじゃねえよ」

「あら、人聞きの悪い。主様あるじさまは分かり易いですから、そんな事をせずとも手に取るように」

 うつ伏せで少し身を起こし、こちらの瞳をのぞき込んでくる。無造作にかけられたシーツが肩甲骨のあたりまで滑り降り、胸元がなんとも危うい。トレードマークである大きなリボンを外している彼女、陽光に透ける黒髪が極上の絹糸のようだ。

「そうですか。……はぁ」

 大げさにまた溜め息を吐き、煌侍は曲げた両腕を後頭部の下に敷いて目を閉じた。まったく、我が人生ながら数奇なものだ。間違いなく、人類史上最も激動で、果報者であろう。

 再び心身を蝕んでくる睡魔に抗いながら、回顧する。彼の人生の一大転機となった、あの日のあの時を。


<3>


 鳳鳴鈴フォン・ミンリン一味からの襲撃を返り討ち(と言ってもいいものだろうか……)にしてから数日後、焼刃煌侍やいば こうじは自宅の庭で、いつものように鍛錬に打ち励んでいた。その熱心さたるや、彼が最も修行に打ち込んでいた時よりもさらに苛烈で、自分に厳しいものだ。

 彼は己を恥じ、強い怒りを覚えていた。自分の力を過信し、他人任せのセキュリティの上にあぐらをかいていた自身に。もっと警戒していれば、もっと研ぎ澄ませていれば、みすみす侵入を許す事はなかったはずだ。

 もし相手が銃器などで武装していたら、一体今頃どうなっていた事か。その想像を振り払って逃げ出したくなってしまうが、それは決して許されない。彼はこの家の長なのだ。最悪の事態を脳裏に思い描き、真正面から受け止める。強く噛み締めすぎた歯茎からは血がしたたり落ち、強く握り締めすぎた拳からは、食い込んだ爪が皮膚を破り、また血を流させた。

 あれから煌侍は、それまで以上に貪欲に力と知識を求めた。ありとあらゆる手段を使い、世界中の武術・格闘技・秘伝の情報を集め、即実践し、吸収し、我が物としていった。そのスピードたるや異常。

「まだだ。まだまだこんなもんじゃ全然足りねえ……!」

 焼刃煌侍を突き動かす想い、それは、どんなにわずかな少ない確率でも、愛する妹達に危険があるのなら、瞬時に排除する事。誰でもない、自分自身の手によって。他人任せになどしてはおけない。

 ―――だが。

 極めてしまった。頂に至ってしまった。


「あーあ……」

 煌侍は嗚咽を漏らす事なく、静かに泣いた。頬に煮えたぎった涙が伝い落ちる。心が空洞になってしまったようだ。

 武における全知全能、最高最強の座。欲してやまなかったその位置に達しても、心はまるで満たされなかった。理屈ではない。人の身の究極に立ったという確かな実感は得られた。が、同時に人の身の限界を嫌と言うほど痛感させられる。

「チクショウ……!」

 相手が人間、引いては生物であるならば、千の数を相手にしても負ける気はしない。武装していようとなかろうと。―――が、そこまでだ。

 巨大な自然災害に巻き込まれたらどうする?核ミサイルが降ってきたらどうする?……どうしようもない。それが所詮、人の身の限界だ。武術や格闘技をいかに極めたところで、大津波に歯向かうアリ一匹。

「チクショウ……!」

 なるほど、「悪魔に魂を売り渡してもいい」とは、こういう心理状態を指して言うのか。「そんな事をしても妹達は喜ばない」などと言う綺麗事は知った事ではない。彼らの愛は、その程度のスケールに収まりきる代物ではない。核ミサイルを打ち返して場外ホームランにできるなら、相手が悪魔だろうが何だろうが、契約でもなんでもしてやる。


<4>


「――ほう、面白い考えをする人間がいたものだ」

 突然の声。それは煌侍こうじの脳内に直接響いたようでもあり、辺り一面に轟いたようでもあった。とても人間の仕業だとは思えない。

(誰だ?いや、“何”だ?どこにいやがる?)

 煌侍は思考を口に出す事も、オロオロと周囲を見回す事もしない。相手の気配を探る事だけに全神経を集中する。しかし、いっこうに位置が特定できない。

 “それ”は大気中にたゆたっているように不鮮明だが、確かに存在している。なのに焼刃やいば煌侍にすら気取らせないとは、一体何者だ。

(落ち着いておるな。それに研ぎ澄まされておる。これは望外の拾い物であるかもしれぬな)

 気配が、徐々に輪郭を浮かび上がらせてくる。

 いきなり、不意の一閃が走った。煌侍は何とか紙一重で避ける事ができたが、何かがかすめた首筋から肩口にかけて、焼かれたような灼熱感が残っている。

 全身の毛穴から汗が噴出し、呼吸が荒くなる。「死」に直面し、それをやり過ごした事による疲労と虚脱感が一気に襲いかかってきた。

(避けたか。これはいい。よかろう、そなたを人類最強と認めよう)

 煌侍はようやく相手の存在の尻尾を捕らえ、全速力でその方向を向く。と、次の瞬間、

 ―――世界が赤一色に包まれた。


(こんな全身の皮膚が泡立つ感覚、味わった事がねえ)

 毛髪が、皮膚がチリチリと焦げる。例えるなら、高熱のサウナに放り込まれたような息苦しさだ。むせ返る。肺の中が、火の粉を吸い込んだみたいに焼けつく。

 世界が……止まっている?いや、違う。これはむしろ、隔離されたと表現した方が正解に近そうだ。しばしばファンタジー作品などで耳にする「結界」と似た現象だろうか。

 煌侍はどんなに小さな物事も見落とすまいと目を凝らす。すると正面、大きく揺らめく陽炎の中から人影が現れ、やがてその姿を完全に彼の前に見せた。

「人間にまみえるのはいつ以来か。あまりにも久しくて憶えておらぬな」

 事態が浮世離れしきたと思ったら、登場人物も俗世離れしていた。煌侍は呆気に取られていた。


 その女性の姿はプリンセス。「皇女」でも「姫」でもいい、中世ヨーロッパの歴史物か、異世界を題材とした創作物の中でしかお目にかかれない身なりをしていた。

 大粒の紅玉が輝く金色のティアラに、意匠を凝らした豪奢なフリルドレス。赤を基調とした典雅な出で立ちだが、そこからは高貴な身分の者が持つ、特有の弱さや脆さは微塵も見て取れなかった。匂い立つように発せられるのは覇気。絶えずたたえられた不敵な表情は、どんな装飾よりも彼女の魅力を引き立たせていた。アップにまとめた長い髪が、まるでかがり火のようだ。

 右手に携えているのは突撃槍ランス。本来ならば似つかわしくないはずのいかつい武器も、最初から彼女と一揃いの物であったかのように、一つの絵としてしっくりと収まっている。彼女の気質がそうさせるのか、「これは身体の一部」と言わんばかりの威風堂々。

(さっきかすめたのはアレか……)

 煌侍は改めて戦慄を覚えた。真正直過ぎた一直線の突き。しかし神速。並の人間に避けられるものではなかった。だが彼は知っている。あれすらも、まるで本気ではなかった事を。地力の差があり過ぎて、腹を立てるどころか、笑いがこみ上げてきてしまう。


<5>


「何を笑う、人間?気でも触れたか?」

「いや、わりぃ。笑うしかねえ状況っつーのは存在するもんだな、って思ってよ」

 彼は表情を改め、そして問う。

「で、あんたはアレか?仙女とか天女って奴か?いや、『女神』ってニュアンスの方が近いか」

何故なにゆえにそう思う?悪魔や邪鬼の類とは考えなかったか?」

 真剣な表情の煌侍に、意地悪そうに目を細めた女神(?)が、問いに問いで返す。視線が交錯し、数秒の沈黙の後、

「悪鬼羅刹にしちゃあ、気品がありすぎる」

 と煌侍が言った。

 またも沈黙が訪れた。だが今度のそれは種類が違う。柔らかく、くすぐったい。やがて「フッ」と女の方が噴出したのを皮切りに、二人の笑い声が弾けた。

「気に入った!ここ数百年、これほどまでに痛快な気分、興味を惹かれた人間は記憶にない。案外おぬしのような者が、我らの世界に風穴を空けるのやもしれぬな」

「そいつは光栄だな。オレもあんたの強さ、高さには大いに興味がある。オレは焼刃煌侍やいば こうじだ。良かったらあんたの名を聞かせてくれないか?」

「良かろう。我が名は火姫かき幻琴げんきん十二国姫じゅうにこっき第六姫だいろっき、火の国の姫なり」

「へぇ、やっぱ耳慣れない響きだな。で、オレはあんたをどう呼べばいい?オーソドックスに“様”付けでいいのか?」

「ふむ、そうだな……」

 腰に手を置いたまま、首の角度を左に15度ほど傾ける幻琴。やがて何やら「思い付いた」ようで、ニパァ~ッと笑った。明け透けな笑顔の似合う女性だ。

「我の事は、そのまま『幻琴』と呼ぶが良い」

「いいのか?恐れ多いっつーか、あんたの世界の連中に知られたら殺されそうなんだが」

「良い。これは我が決めた事だ。誰にも異は唱えさせん」

 決然と言い放つ。

(かっこいいな、おい)


「で、『じゅうにこっき』ってのは何だ?異次元とか別世界って感じか?」

 彼にしてみれば当然の疑問だ。が、

「それはおぬしの目で直接確かめるが良かろう。人間のことわざにも『百聞は一見にしかず』というのがあろう?」

 そう言って、煌侍こうじの右腕を無造作に掴む。情けない事に身動きひとつできない。

「ちょ、待てって!オレは妹達に『行ってきます』も言ってねえ!」

「構わん。必要ない」

 幻琴げんきんはバッサリと切り捨て、空いている方の右手を前方にかざすと、どういう仕組みなのか、炎でできた扉のような物が突如出現した。扉の向こうは、プリズムのような万華鏡のような形容しがたい光を放っており、どこにつながっているのか想像もつかない。「じゅうにこっき」とやらの世界に直結しているのだろうか。

「では行くぞ。手を離すなよ。放せば最後、先の保証はできんからな」

「だから待てって!せめて妹達にキスくらいさせろ!」

「却下だ」

 煌侍の要求はすげなくあしらわれ、幻琴は彼の腕を掴んだまま、炎の扉の中へと身を投じた。彼女達の通過を待って扉は消滅し、赤く覆われていた世界も何事もなかったかのように元に戻り、人間世界は日常を取り戻した。異世界に連れ去られたただ1人を除いて。


<6>


「いつまで呆けておる」

 ついさっき憶えた幻琴げんきんの声で、煌侍こうじは我に返った。あれからどれぐらいの時間が経ったのか、まるで分からない。身体と脳には現在、時差ボケのような症状が現れている。

 眼球の奥に力を込め、意識を強引に覚醒させる。クリアになった視界に、ギリシア風と中華風とペルシャ風を足して2で割ったような建物の内部が映し出された。とにかく何もかもが広くて高くて、そして大きい。ここはエントランスホールのような場所だろうか。


「……着いたのか。今んところはあんま人間常識離れしてねえな」

「感覚は戻ったか?ならば行くぞ」

「ちょい待ち。最終確認だ」

「何だと言うのだ。気ががれる」

 幻琴は腰に手を置き、ふくれっ面を見せる。そうしてみると、何かと苛烈な印象の彼女も、華やいだ少女の印象を持たせる。

「さっき、ここ来る途中でテレパシーみたいなので会話したろ、その時の話だよ」

「『我に身も心も全て捧げる』、と言った事か?」

「言ってねえよ。捏造すんな。『こっちの世界でどんだけ寝ても修行しても、人間界に戻った時には一秒も経ってない』ってのだ。それ聞いたから、オレはついて来たんだからな。『帰ったら浦島太郎になってました』じゃ洒落になんねえんだよ」

「十二国姫の女神である、我の言葉が信じられぬと?」

 すうっと幻琴の両眼が細められる。それだけで周囲に殺気がほとばしる。「機嫌を損ねた」と顔にでかでかと書いてある。だが、煌侍はひるまない。現世に戻ってみたら妹達ともう会えなくなっていた、では全てが終わる。

「90パーセントぐらいは信じてる。説得力が違うからな。でもまだ100パーは無理だ。なんつーかその、お互いを知らなさすぎるだろ?」


「存外疑り深い男よな。それは執着の強い妹達の事だからか?」

「当たり前だ。あいつら以外の事は二の次だ」

「フン。それも面白くはないな」

 細められた両眼はそのままだが、顔の下半分が底意地悪く歪められる。そして、ズカズカと大股に煌侍との距離を縮めて来た。

「なんだよ。こんな事ぐらいで切れたの――ッ!!」

 唇を奪われていた。深く、鋭く。

 身体が硬直し、目は驚きで見開かれたままになる。全く、反応できなかった。いや、そんな事より、これは非常にマズイ。

「―――ぷはっ」

 たっぷり十数秒後、ようやく離れてくれた幻琴から距離を取り、煌侍は口元を両手でしっかりときつく押さえる。来るであろう、“その時”に備えて。だが―――

「あれ?なんでだ?こんなはずねえ。ダメなはずだ」

 焼刃やいば煌侍ともあろう者が、激しく取り乱す。しかしこれは、彼にとって大きな事件なのだ。

「フフッ」

 そんな彼の挙動を見て、元凶である幻琴が悪戯っぽく笑う。

「我はもうそなたを“知って”おる。あとはそなたが我を知れば良い。我は、我々は“大丈夫”なのだとな」

 ……焼刃煌侍の特異体質も、女神様相手ではあてはまらない。この新発見は、これからの彼にどういった影響を及ぼすのだろうか。


<7>


 やがて、堂々と歩を進める女神とまだ釈然としない人間の男のペアは、大きな扉の前へと到着した。その前には、扉を左右から挟むようにして二柱の武装した女神(?)がいた。受付と衛兵を兼ねているのだろうか。

「これは火姫かき幻琴げんきん様。十二国姫じゅうにこっきの皆様方がおそろいでお待ちです。お早く――」

 幻琴の姿を見てにこやかに対応していた衛士の片割れが彼女の後ろの煌侍こうじに気付いた。槍状の武器を携え、声を荒げる。

「何者だ!?――人間の、男か!?今すぐ姫より離れろ、下郎めが!」

「バレバレじゃねえか。何が『これで大丈夫だ』、だよ」

「ふむ。中枢の衛兵の有能さが証明されたのだ、それは喜ぶべきであろう」

 じっとりとした目付きで幻琴を横目でにらむ煌侍の眼前には、すでに二対の武器が突き付けられている。首も満足に動かせる状態ではない。一方、簡易偽装工作の術があっさりバレてしまった幻琴は、さすがに少々バツが悪そうだ。見た目からしてそんな気がしたが、彼女にはこういった小手先の技術は向いていないらしい。

「良い。この者は我の客人だ」

「し、しかし!このような事、前例がありません!」

 悲鳴のような反応を返す衛兵2人。彼女達としても、このような前代未聞の事態にどう対処して良いものか分からないのだろう。

「我は『良い』と言ったぞ?」

 空気に火の粉が爆ぜる。燃え盛る幻琴の眼光に当てられ、二柱の衛兵は声も出せずにその場にへたり込んだ。

「手間をかけさせおって」

 自らの不手際を棚に上げ、幻琴は扉を豪快に開け放つ。中からあふれ出てくる光と神気に当てられ、煌侍は思わず目がくらんでしまった。


 むせ返るような、全ての感覚器官を洗浄されるかのような神気。ないと信じたいが、自分の中にある負の要素が、分子レベルで壊されていくようにすら感じられる。

 視線を感じる。「突き刺さる」と言う感じではないが、値踏みされているみたいな気分になる。実際その通りなのだろうが。不快感・不審・好奇心などなどの目、それが彼一人に集中していた。

 そこはだだっ広い会議室のような部屋で、天井は垂直に見上げるほど高く、風通しが良い。存在感のあり過ぎる円卓がどーんと置かれ、周囲に配置された十二の椅子に、十一柱の女神が着席していた。彼女達の後方には、側近や副官、秘書やお世話係のような風貌の連中の姿が見え、煌侍を含めて約三十柱ほどの女神様達がいる事になる。


<8>


幻琴げんきん、数百年ぶりに招集をかけておいて、自ら遅刻とは何事ですか」

 円卓の十一柱の内の一柱、時計の針で言うと「12」の位置に座る女神が、静かに口を開いた。語気が荒いわけでも、声が大きいわけでもないのに、何という威圧感だ。

(このひとがアタマだな)

 煌侍こうじは即座にピンと来て、さりげなさを心がけて声の主を観察する。軽装だが、いかにもギリシャやローマの神話に出てきそうな出で立ちだ。髪は輝くプラチナブロンドで肌は透けるように白く、きめ細かい。そして何よりも印象的なのは、その目だ。瞳の色は美しいエメラルドグリーンで、一見猫のような、横にしたドングリのような、独特の形状をしている。

 ――目が合ってしまった。全身の皮膚が泡立つ。細胞の一つ一つまでもを、ほんの一瞬で調べ尽くされてしまった、と思ったのは錯覚……ではないのかもしれない。

 そのまま見つめ続けられる。彼女はまばたき一つしない。煌侍は何とか視線を合わせ続ける。背筋にゆっくりと、冷たい汗が伝い降りていく。

「申し訳ございませぬ。少々“コレ”がゴネまして」

 幻琴の返事を待って、ようやく煌侍は金縛り状態から解放され、大きく息を吐く事ができた。

「無理やり連れて来ておいて“コレ”扱いかよ」

 波打つ心中をごまかすために、幻琴をにらんで不満の声を上げてみる。それに対して幻琴が「まあ許せ」と答えようとしたが、時計の「7」の位置からの怒気が吹き付けてきて阻まれてしまった。

「人間!十二国姫じゅうにこっきである姉上に対し、何という不遜なる態度だ!わきまえよ!」

「あ?」

 声がした方向に振り向こうとした煌侍――だったのだが、その前にあごの下にヒヤリとした感触が押し当てられた。これは、刀か。

(……チクショウ、また反応すらできなかった)

 煌侍は歯噛みする。首の皮が切れるのにも構わず、刀を突き付けた相手を見据える。周囲からは、負の感情が混じった低いどよめきの声が漏れ聞こえる。


 金色の瞳の中には、揺らぎない眼光。その持ち主は、白磁のようなきめ細かい肌をした、青みがかったショートカットの女神だった。装束は女神にしてはやけに簡素な印象を受けさせる。

「何をにらむ小僧。逆恨みと言うならば、即刻その首叩き落とす」

「悔しいんだよ。反応すらできねえ自分がな」

「ほう。なかなかの気骨だ」

 金色の瞳が明るく輝いた。「興味を持った」という事か。

「だがな、それ以上に嬉しくもある」

「言ってみろ」

「まだまだ上があるって分かったからな。もう1秒たりとも無駄にしねえ」

「つけ上がるなよ、小童。人の身ごときで、我ら神の領域に踏み込もうと抜かすか」

「は?何が『人の身』だ。オレはそんな小せえ枠に押し込められた憶えはねえ」

「吼えるではないか」

 人間と女神、両者の視線が交錯する。煌侍の両眼に込められた眼力は、ここに来たすぐの時とは比較にならない。その長く続いた沈黙を破ったのは、意外にも女神の方だった。

「はははは!いっそ痛快と言うべきか。姉上、確かに“コレ”は面白いな!」

 豪快にカラカラと笑う。そして、ようやく刀を鞘へと収め、上半身を反らせる。

「で、あろう?」

(また“コレ”扱いかよ)

 萎える煌侍を尻目に、なぜか幻琴が自慢げに胸を張る。「我の目利きを見たか」と言わんばかりに。

「この金姫きんき芍薬しゃくやく、姉上の側につこう」

 自らを「芍薬」と名乗った女神は、改めて煌侍に向き直ると、左手の人差し指をペロリと一舐めし、それをそのまま彼の首筋の切り傷へと押し当てると、なぞるようにすうっと線を引く。するとどうだろう、驚いた事に、傷が跡すら残さずに完治しているではないか。

「お、どうなってんだこりゃ?」

 触ってみても何の違和感もない。これが女神の力の一端なのか。


<9>


 周囲のざわめきは、一層大きくなっていた。何しろ十二国姫じゅうにこっきの中でも特に武闘派の二柱が、真っ先に意見を同じくし、人間の男を受け入れると宣言したのだ。常日頃の二人のそりの合わなさを見てきている周りからすれば、珍事以外の何事でもない。今日という日は本当に、前代未聞続きだ。

「静粛に」

 時計の文字盤でいう所の「1」の座席の女神が、静かにたしなめた。その短い一言だけで、周囲は水を打ったように静まり返る。語気を荒げたわけでもないのに、何たる支配力か。もしあの円卓の座席が「12」から時計回りに上位から下位へという序列で並んでいるのだとすれば、彼女が十二国姫の第二姫だいにきという事になる。

 一見すると、中学生ぐらいの少女に見える。ホワイトとピンクを基調とした、絵本に出てくるプリンセスのようなフリルドレスに、腰まで届くブロンドのウェーブヘアがとてもマッチしている。その髪はツインテールに分けられていて、それによって、大きな瞳がさらに印象的になっている。「神々しい」とは、まさに彼女のための表現か。

「まずは幻琴げんきんの話を聞こうではありませんか。皆もそれでよろしいですね?」

 彼女の言葉に、円卓に座する全員がうなずく。それを確認して、「1」の少女神は、視線で幻琴を促した。

「はっ」

 殊勝な態度で応え、幻琴が姿勢を正す。そして、彼女が煌侍を“見付け”、ここに連れて来た経緯を話し始めた。


 弁士のように情感をたっぷりと込め、身振り手振り大きく話す幻琴に、良いリアクションが返ってくる。時に感心し、時に笑いが漏れる。彼女は非常に得意気だが、当の煌侍こうじにとっては堪ったものではない。これではまんま、さらし者だ。

(あんたらにとっては笑いの種かもしれねえが、オレにとっては死活問題なんだよ……!)

 体内で気を昂ぶらせる煌侍の右手首を、冷やりとした感触が包んだ。ハッとしてその持ち主を見ると、それは芍薬しゃくやくの物だった。

(その想いが本物であるならば、尚の事今は堪えろ)

 眼光でそう諭される。沸騰しかけていた頭の血が下がり、彼は自分が冷静さを取り戻していくのを実感する。


「で、げんちゃんは、一体その子をどうしたいのん?」

「2」の位置に座る黒衣の女神(なにやら魔女っぽいが)が軽い口調で訊ねる。だがその目の奥は笑っていない。室温が一気に下がった気がした。

「ペットにでもするの?それとも力を与えてみて、観察して、無聊ぶりょうを慰めるつもり?」

 露骨な揶揄だ。表情は「どっちでもいいけどー」と言っているように見える。

 彼女の発言で、再び幻琴に注目が集まる。そもそもの発端は彼女なのだ。この人間が面白いのは分かった。で、これからどうする?

 幻琴は一拍置いた。そして、お得意のニヤリとした笑みを作る。自分が今から投下する爆弾の効果を信じて疑っていない様子だ。

「我はこの者を使って、“風通しを良くする”つもりだ」


 恐らく、即座に真意を理解出来た者はいなかっただろう。疑問符が各自の頭上に乱立し、何とも言えない空気を作り出した。

「姉上は、この人間の男が、この世界を変える存在とでも?」

「10」の位置の女神が、訝しげに声を絞り出した。前髪で片目が隠れているが、呆れ返っているのが明らかだ。

「応さ。我はもう飽き飽きしているのだ。現在の我ら十二国姫の関係にも、この世界の閉塞感にもな」

「何を世迷言を!我ら十二国姫は至高の存在にして全ての規範、その私達が人間などに導かれようなどと、姉上はお気が確かですか?!」

「8」の位置の女神が、金切り声を上げて座席から立ち上がる。一目で「水」の属性であると分かるコスチュームだ。普段は理知的なのであろう顔立ちが、苦々しげに歪められている。

 水の女神の一声で、場内の空気が一気に否定派に傾く。低く小さくではあるが、各所で同意の声が上がり、首肯する者達の姿が見られる。未だ静観の構えを取ったままの他の十二国姫がいる手前大きな騒ぎにはなっていないが、幻琴と芍薬の陣営はかなり旗色が悪くなってきた。

 元来頭を使う事よりは身体を動かす方が性に合っているふたりだ、即座に逆転の妙案が浮かばない自分に苛立つ。


<10>


「なんで?そうしないとなんかマズイのか?」

 頭を抱える二柱を余所に、人間である煌侍こうじが疑問を口にした。

「馬鹿者!」と幻琴げんきん芍薬しゃくやくが慌てて飛び付き、彼の口を塞ごうとしたが、あまりに自然にこぼれ落ちた素朴な問いに、そこにいた誰しもが虚を衝かれていた。

「あんた達の上には誰もいないんだろ?だったら誰にも文句言われる筋合いねえじゃん」

「そう言われてみれば、そーだねー」

「あははー」と言った感じで、「9」の位置の女神がのんきに同意した。十二国姫じゅうにこっきの中でも、特に気さくで取っ付き易い印象を受ける。

鼎后ていこう!あなたはいつもいつもそうやって事の重大さを!」

 先程の水の女神が、我に返って噛み付いた。危うく場の雰囲気に流されてしまうところだった。

「鼎后」と呼ばれた女神は「そうでしたー。しっぱーい」と舌を出し、小さくなった。

水姉様みずねえさまのおっしゃる通り。我々が規範とならねば、下の者に示しがつきません」

 またも「10」の女神の堅苦しい発言。どうやら相当うるさ型らしい。戦場の勢力図は刻一刻と変化する。ここでまた、保守派が盛り返してきたか。

 だが、

「そんなんオン/オフで切り替えりゃいい話じゃねぇか。上がそんなんじゃあ、下も息が詰まっちまうぜ。第一、あんたらだって疲れるだろうに」

 悟りきったよう台詞を、人間ごときが。

「くっ、くくく……」

 不意に湧き上がった、押し殺した笑い声。皆が弾かれたように発生源を見やると、「3」の位置に座する、くの一のような装束の女神が、笑いを堪えきれなくなったところだった。

「はははっ、これはこれは盲点であったわ!己が器に制限を設けておったのが己自身だったとはな。『四大元素よんだいげんその姫』の将として、胸のすく思いよ。まさかこのような、人間の子せがれに啓蒙されようとは!」

 言葉とは裏腹に、陽気に笑う。それに釣られたか、「4」と「11」の位置の、見た目小学生のような、ちびっ子女神二柱も笑い出した。

「ふふっ、おかしいね。ビックリだよ」

「なーんだ、今まで損してたよー」

 やがてその笑いは伝播し、爆発した。最高の女神である十二国姫は、どうしたものかとオロオロする部下達を気にもかけず、大いに笑った。こんなにも楽しい気持ち、解放感はいつ以来だろう。もしかして、初めてだったのかもしれない。


 自分達がいつどうやって誕生したのかも知らない彼女達十二国姫。生誕と同時に使命を理解し、それにずっと縛られてきた。どれくらいの時が流れたのかも分からない。なのに。

 なのにそれが、まさかこんな形で瓦解しようとは。今まで自分達がこだわり続けていた物とは何だったのか。だが今は、そんな空しさよりも、生まれて初めての自由を謳歌していたい。

 愛おしい。姉達が、妹達が。これまでずっと守り抜いてきた、この世界の全てが。誇らしい。

 感情が爆発する。いつの間にか自分達自身が作り上げて閉じこもっていた狭い世界が、ほんの小さな風穴ができた事によって取り払われたのだ。

「なんかよく分かんねぇけど、上手くいったみたいだな」

 世界中の誰もが成し遂げられなかった偉業を無自覚にやってのけた張本人は、あくびを噛み殺しながら、事もなげにそう言った。


<11>


「んでさ、幻琴げんきんさんよ。みんなで盛り上がってるとこ悪いんだが、オレはどこで寝りゃいいんだ?こっちの世界じゃいくら寝てもいいんだろ?オレもう、眠くて仕方ねえよ」

「姉上、真名しんめいで呼ぶ事を許されたのですか?」

「6」の位置にいた、巫女服のような民族衣装のようなコスチュームを着た女神が、目を丸くして幻琴に訊ねた。それが引き金となって喧騒は止み、彼女に注目が集まる。唐突に渦中の人となった幻琴は、あさっての方向を見つつ、目の下を朱に染める。

「まあ、な。だがおぬし、『さん』はいらぬと申したであろう。呼び捨てで良い」

「あ、ああ、あんたがそう言うんなら、そうさせてもらう」

 対する煌侍こうじも、何やら毒気を抜かれた様子。まるで初々しい中学生カップルのようだ。こそばゆい。

「『あんた』と言うのもよせ。他人行儀に聞こえて好かん。『おまえ』で良い」

 お――っ。ざわ……ざわ……。

「姉上、いつの間にそこまで……」

 芍薬しゃくやくが驚き半分、呆れ半分で問う。今さらながらに、「我が姉にこういう一面があったのか」と軽くショックを受けたようだ。

「我が最初にこの者を見付けたのだ。その、あれだ……よかろう?」

 顔の紅潮はさらに濃くなり、目が泳ぐ。滅多に見られない表情だ。

「んふふふ~ん、さ・て・は、狩り好きのげんちゃんが、今度ばかりは射止められちゃったってわけね~ん?」

「2」の位置にいた魔女っぽい女神が、大きな本の上に腰掛け、そのままスイーッと宙を滑り、幻琴と煌侍の所までやって来た。さすがにその光景を目にした煌侍は驚き、目と口を開けっ放しにしてしまったが、ここは異世界で相手は女神、こんな事でいちいち度肝を抜かれていてはこの先とてももたないだろう。

「あ、姉上、お戯れはお止めください」

 こめかみ辺りに怒りマークを点滅表示させながらも、幻琴は何とか平静を装っている。……つもりなのだが、姉にはすっかりお見通しのようで、面白がっては妹の頬をしなやかな人差し指の先でつんつんぷにぷにし続けている。


「けどよ、さすがにオレでもマズイと思うぜ?女神様相手にタメ口、呼び捨て、『おまえ』呼ばわりってのは」

 恩ある幻琴に助け舟を出す意味でも、煌侍が言った。「はいそうですか」と調子に乗って実行した途端、「実は試されてました」→不合格→罰が当たるの図式ではシャレにならない。せっかく自分を飛躍的にランクアップさせられるチャンスを得たのだ、つまらないミスであっさり失いたくない。そのためになら、邪魔なプライドなど捨ててもいい。

「見くびるなよ」

 幻琴が「これ幸い」とばかりに姉を押しのけ、煌侍の前へと進み出た。距離が近い。お互いの顔と顔の間は約5センチほど。かかる息がくすぐったい。

「この十二国姫じゅうにこっき第六姫だいろっき火姫かき・幻琴、正面突破を信条とし、一切の小細工を弄さぬ。戦うも愛でるもまた同じ。我がそなたを気に入り、そばに置くと公言したのだ。我が言葉に混じり気はない」

 まっすぐな言葉。まっすぐな瞳。まっすぐな想い。信じよう、彼女の言葉を。ならば返そう、こちらもまっすぐに全てを。

「分かった。オレも一切の虚飾を捨てる。その上でここにいて、あらゆる物を吸収させてもらう。もちろん、もらうだけじゃねえ。いずれはこの世界に必要な存在になってみせる。風穴だろうがはけ口だろうが何でもいい。頼む、オレをここにいさせてくれ」

 真摯な想い。表現は不器用極まりないが、それは確かに伝わった。

「ふっ、最初から素直にそう言っておれば可愛げがあるものを」

 こうして、さわやかな青春ドラマチックな雰囲気に――

「えいっ☆」

 ――ならなかった。

「ぅんぷっ!」

 幻琴の背中を金髪魔女女神が突き飛ばし、完全に不意を衝かれた幻琴が煌侍と衝突し、見事にキス成立、さらには二人折り重なって倒れ、煌侍はボリュームたっぷりの双丘の下敷きになってしまった。谷間がなければ窒息するところだった。なんだこの絵に描いたようなラブコメアクシデントは。

妓唇ぎしんちゃん、にーばんっ!」

 自ら「妓唇」と名乗った黒衣の女神は、乗っていた本から軽やかに飛び降り、煌侍に覆い被さったままの幻琴の背中の肩越しに煌侍の唇を奪った。

「あーっ!」

「あ―――っ!!」

 してやられた幻琴が少女のような声を上げ、続いて他の女神達も声を上げる。それにしても、相変わらず突飛な行動に走る姉だ。これが第三姫だいさんきとは……。

「んふふっ。ご・ち・そ・お・さ・まっ。とおっても美味しかったわよん☆」

 そう言って妖艶に舌なめずりして見せる。同性すらゾクゾクさせる仕種だ。

「あたしもーっ!」

「あたしもあたしもーっ!」

 今度はロリっ娘女神コンビが降って来た。これではまるで落ち物パズルゲームだ。一番下の煌侍にとっては堪ったものではない。もう揉みくちゃで、何が何やら。


<12>


 ―――で、いつの間にやら「主様あるじさま」だ。

 煌侍こうじは苦笑とともに、意識を回顧の海から浮上させた。こちらの世界に来たのはもう何度目だろう、憶えていない。「人間世界での時間に換算したらどれくらいになるのかな」、などとチラッと考えてみたりする事もあるが、うそ寒くなるので止めておく。

「ではみんな、そろそろ寝汗を流しに参りましょう」

 嬉々とした楊座ようざの声。さすがは水姫すいき、水に触れる事が心底好きなのだろう。彼女は無類の入浴好きとしても知られている。

「あー行ってこい行ってこい。オレはもう少し寝させてもら――いっ?」

 うつ伏せになって枕に顔をうずめ、目の毒極まりない肌色(桃色?)天国を見ないようにしていた煌侍だったが、両脇を二人に抱え上げられて、無理やり起こされた。そうすると当然、シーツもはがれ落ちるわけでして。

「何をおっしゃる。もちろん主にもご一緒していただきますぞ」

「そーそー。キレイキレイちまちょうねー?」

 左腕を風姫ふうき依韻いいんに、右脇を空姫くうき鼎后ていこうにガッチリと掴まれ、ついにベッドからも引き離されてしまった。

「ちょっ、いいって!さすがにそれはNGだろ?!当たってる!当たってるって!」

「何を今さら照れておいでか」

「お風呂だけに水臭いんだからー。なんちてーっ」

 あ~~~れ~~~っ……。


 そりゃもうピッカピカですよ、ええ。

 アニメでしかお目にかかれないようなスケールの大浴場(総大理石造りの泉みたいな感じ。ギリシャ人っぽい石膏像が持っているカメから、お湯がドバーッと出ていたりする)で、入れ替わり立ち代わり、肌色女神様達にゴシゴシされてきました。抵抗?そんなのできるわけがない。

「――はぁ」

 大きな溜め息を発射する。疲れました。罰当たり過ぎて、いつ死んでもおかしくない気がしてきた(死ぬつもりはさらさらないが)。「せめて自分で身体を拭かせてください」と頼み込んで独り、脱衣所にたたずむ我が姿の、なんと情けない事か。……ふきふき。

「うえっ、こんなの着るのかよー」

 用意された衣をつまみ上げる煌侍。どこの王侯貴族様のバスローブですかこれは。フワフワでふっかふかじゃないですか。何の素材でできているのか、想像もつかない。

 ―――着てみました。

「なんかスースーする。服着てるっつー気がしねぇ」

 自分の姿を鏡で見て、ゲンナリする。激しく着替えたい心境なのだが、あいにくこれしか見当たらない。罰ゲーム?


「ねー主様ーっ、まだー?」

「まーだー?」

 木姫もっき茶花ちゃか雷姫らいき遊翔ゆうしょうコンビが、開いた扉の隙間から顔をのぞかせた。待ちきれない、と言った様子だ。

「なあ、なんか他のねえかな?コレ以外のだったら文句言わねぇから」

「うわー、主様似合ってるー!」

「わたし達とおそろいなんだよー。いいでしょー?」

「聞いちゃいねぇ」

 最初から他の選択肢は存在しなかった模様。そしてまたしても二柱の女神に引っ張って行かれる煌侍。恥ずかしい。さらし者だ。神の世界には人権はないんですか?


<13>


 もはや改めて説明するまでもないだろうが、十二国姫じゅうにこっきは最高神姉妹である。この世界の中枢である「中央」においても、十二国姫の誰かとすれ違いでもすれば、その者は畏敬と緊張で最敬礼し、お目にかかれた感激に打ち震える。中央に仕える者ともなれば各世界でも名だたる女神達なのだが、やはり十二国姫は別格なのだ。

 そんな崇高なる存在の内の女神二柱に手を引かれ、だだっ広い長い廊下を一緒に歩く人間、焼刃煌侍やいば こうじ。何かと言えば視線が突き刺さる。その種類は羨望・嫉妬・困惑・嫌悪・好奇など、実に様々である。

(女ばっかりだしなあ……って、待てよ)

「どうしたの、主様?」

 木姫もっき茶花ちゃかが大きな瞳で煌侍を見上げて問う。何たる愛らしさか。なるほど、これではやっかみを受けるのも仕方ない。

「ふと気付いたんだが、ここにいるのって女ばっかじゃねぇか?」

 沈黙して停止、そして顔を見合わせて笑い出す女神ふたり。

「おっそーい、今頃気付いたのー?」

主様あるじさま、ここに来てもうどれだけ経つのさ?にっぶいなあ」

 笑われた。言い返したいのだが、その通りだけに反論できない。

「うっせーな、悪かったよ。おまえら十二人以外気にしてなかったんだよ。で、なんでなんだ?」

「うーん、やっぱ“中央”って重要な機関だからね、色んな意味で。あたし達の寝所もあるし。防犯のためってのもあるけど、ぶっちゃけ今まで男なんて必要なかったからね、主様が来るまで」

 雷姫らいき遊翔ゆうしょうがいつになくまじめに答えてくれた。普段はおふざけモードが多いが、そこは十二国姫の末姫まっき、きちんと空気を読む。

「男つっても神様なんだろ?そんな悪い事すんのか?」

「順番が逆だよ、逆。神様である前に男なんだってば。ギリシャとかローマの神話読んでも分かるっしょ?」

 煌侍は「あれは創作上の物だろ?」と返そうとしたが、妙な説得力の前に黙ってしまった。もしかして、前例でもあるのだろうか。考えれば考えるほど、人間の男である自分が今ここにいるのは特別な事なのだと実感させられてしまう。

「でもね、“中央”の外にはちゃんと男の神様達もいるよ。いーっぱい。それぞれの国では大事な所にもいるよ。あくまでもここが例外なだけ」

「そうなのか?なんかどっと安心した」

「うん?変なご主人様ー」

(『風通しを良くする』、か。うん、そうなればいいな)


 みんなで入浴の後はみんなで食事(やっぱり円卓だった)をして、現在はサロン風スペースにてまったりムード。食後のお茶を楽しむ者、テーブルゲームに興じる者達、十二国姫も各々が思い思いにリラックスしていた。その中で煌侍もソファに仰向けに寝そべり、まどろんでいた。

「主よ」

 急にまぶたの上がかげったのと、間近での声に気付き、煌侍が両目を開くと、そこには火姫かき幻琴げんきんの顔があった。

「……ちけぇよ。で、何だ?」

「照れるな。まあいい、世話係を紹介しておこうと思ってな」

「世話係?……あー、今回は火の国の番だったな」

 覆い被さっている幻琴の身体を押しのけて煌侍が身を起こすと、その視線の先に二柱の女神の姿があった。彼女達が今回彼の“世話係“のようだ。

「世話係」というのは、文字通り彼がこちらの世界にいる間、様々な世話や手配をしてくれる者達の事である。彼が滞在する国は、不公平がないように毎回順番で代わり、今回の滞在では火の国の当番となっていた。


「紹介しておこう。灼姫しゃっき夜紅やこう炎姫えんき初梅はつばいだ。才ある者達ゆえ、何の心配もいらぬぞ」

「……よろしく」

「どうぞお見知りおきを」

 前者はなぜか不満を押し殺したような表情で、後者は典雅にうやうやしく、一礼をしてくれた。煌侍は泡を食って幻琴に詰め寄る。

「待て待て待て!あの二人、見覚えあるぞ。つーか、おまえの側近中の側近じゃねえか。ただでさえ風当たりキツイってのに、オレの世話なんかに……。悪いけど、遠慮させてくれ」

「そうはいかん。そなたは我ら十二国姫の主ぞ。それをないがしろにしたとあっては、この火姫・幻琴の名折れよ。我自ら買って出たいところであったのに、殊の外周囲の反対にあって断念したのだ。これ以上は折れぬ」

 ここまで幻琴が言うのであれば、もうてこでも動くまい。煌侍は降参の溜め息を吐いた。

「ってな事らしいんで、不本意だろうが我慢してくれ」

 火姫に代わって頭を下げる。気の毒だが、諦めてもらおう。

「ふんっ」

「お気になさらず。こちらも楽しみですから」

 リアクションは、なんとも分かりやすい明暗くっきり。では、改めて今回の世話係であるふたりを見てみよう。


 まずは灼姫しゃっき夜紅やこう。身長は140センチ前後で、外見年齢は木姫・茶花や雷姫・遊翔と大差ない。最大の特徴は真紅に燃え盛る長髪と瞳の色で、幻琴に近く、本人もそれを誇りとしている。が、可憐な容姿を隠すかのように全身をすっぽりと黒マントで包み込み、常に一振りの刀を持ち歩いている。実質火の国のナンバー2であり、気質も激情型らしい。

 もうひとりは、炎姫えんき初梅はつばい。丈の短い和服を着用し、長い髪を左側でお下げにひとまとめにしている。一見病的なまでに肌の色が白く、繊細で儚げな印象を受けさせる。しかし、瞳は金色に輝き、時に怪しく光を放つ。夜紅を “陽”とするならば、こちらは“陰”。「炎姫」と冠してはいても、寒気すら感じさせる。掴み所のない性格と怜悧な頭脳を持つ事で知られる、火の国の参謀格である。

 こんな超大物二柱にお世話される事になっている人間・焼刃煌侍。破格のVIP待遇なのだが、全然嬉しくない。どうなる事やら、不安しか浮かんでこない。


<14>


「おいおまえ、起きなさい。……起きなさいってば!こら―――っ!」

 ―――すごく、眠いです。……ん、でも誰だこの声?絢華あやかでも魅霧みむでもこよみでもないし、ブリュンヒルデでもない。そうか、これは何かの新しい趣向か。うんうん、こういうのも新鮮でいいな。企画した奴にご褒美をあげようじゃないか。ぎゅってしてやろう。

 グイッと引っ張ってぎゅ~~~っ。んー、ふにふにしてて気持ちいい。

「ちょっと、おまえ、何するの?!やめなさい!はーなーれーろーっ!」

 ザクッ。

 枕に刀が突き立てられる音で目が覚めた。背中に冷や汗が噴き出す。

「あっぶねーなー。誰だよ、ったく……あ」

 鼻先に鋼の感触。日本刀が突き付けられていた。思わず寄り目になって先端を見つめる。その持ち主は、灼姫しゃっき夜紅やこうだった。

 そうか、そう言えばここは火の国で、この女神様が恐れ多くもお世話係をしてくれていたのだった。……大変ご立腹のようで、背中に陽炎が見える。

「危ないのはおまえよっ、このケダモノ!だからわたしは人間のオスなんて入れるのは反対だったのよ!」

「ごめんなさい。おはようございます」

(『人間のオス』って……)


「ふふっ、おはようございます」

 憤怒の炎を全身から立ち昇らせる夜紅の背後から、涼やかな声が届いた。もうひとりのお世話係、炎姫えんき初梅はつばいだ。朝からそろってのおでましとは。

「さっさと起きて、さっさと着替えて、さっさと顔を洗いなさい。我が姫が朝食会にお呼びよ」

 剣先を向けられたままで言われる。

 彼女の言う「我が姫」とは、火姫かき幻琴げんきんの事だ。十二の国の者達は、各々の国の姫を親しみと尊敬の念を込めてそう呼ぶ事が多い。

「了解でありますっ」

 普段の彼からは想像もつかない迅速さで煌侍こうじは飛び起き、あたふたと行動を開始する。何しろ相手が悪すぎる。平然と「手が滑った」と斬り捨てられかねない。

「手伝ってあげましょうか?」

 耳元で急に囁かれ、ゾクリと身の毛がよだつ。大きなリアクションで振り返ると、初梅だった。首筋にかかった息がくすぐったくて仕方がない。

「うおっ、い、いいってば」

「あなた、男性なのにきれいな首筋をしているわね」

 つつつ、と右手の人差し指でなぞられる。視界の端に、彼女の犬歯が輝いた気がしたが……気のせいだろう。

「よせよ。からかうなって」

「あら、冗談だと思って?」

 初梅の金色の瞳が細められる。妖艶な視線に金縛りにされそうだ。


「よしなさい初梅、そいつは我が姫の客人なのよ」

 刀を鞘に収めた夜紅が、初梅をにらむ。両者の視線が交錯する事しばらく、ようやく初梅が肩をすくめて煌侍から身を引いてくれた。

「怖い怖い。だけど、憶えておいてね。わたし、欲しい物は手に入れないと気が済まない性質なの」

「そいつを下僕にでもして飼うつもり?そんな事をしたら、我が姫どころか十二国姫の全員が黙ってないわよ」

「取られるならその程度って事ではなくて?」

「初梅!それ以上言ったら、おまえだって許さないから!」

 夜紅が刀の柄に手をかける。眼光にただならぬ怒気が宿り、火花が散るような一触即発ムードになってしまった。だが、それを仲裁したのは、渦中の煌侍だった。

「二人とも、そこまでにしといてくれ。オレは特定の誰かの物になる気はない。それより早く行こうぜ、幻琴を待たせてるんだろ?目先の問題として、そっちが怖い」

「……そうね。行くわよ」

「ええ。この話の続きはまた今度、ね」


<15>


 長い長い廊下を歩く。この廊下は庭園に面しており、爽やかな風が吹き抜けて、眠気をどこかへと運び去ってくれる。庭園は緑にあふれ、あでやかな装束の女官達が行き来している。「桃源郷」と言うフレーズが、煌侍の脳裏をよぎった。

 煌侍の二歩先を夜紅が先導し、彼の2メートルほど後を初梅が歩く。

「さっきは助かった」

「何がよ?」

 煌侍がかけた一言に、夜紅が眉をひそめる。両者の身長差が50センチ近くもあるので、まさに「ねめ上げる」という格好になる。

「あの着物のねーちゃんに言い寄られた時だよ。助けてくれたろ?」

「べ、べつにおまえを助けたわけじゃないんだから!勘違いするんじゃないわよ!」

「なんだよ、もしかして照れてんのか?」

「なっ……!調子に乗るんじゃないわよ、この人間のオス!」

「じゃあ何なんだよ?」

「だまれだまれ!おまえが我が姫に気に入られてるから、嫌々よ!そうでなければ、どうしておまえなんかをっ」

 顔面をその髪の色のように紅潮させ、夜紅は足早に彼との距離を広げて行ってしまった。


「あらあら、怒らせちゃったわね」

「元はと言えば、あんたのせいじゃねえか」

「そうだったかしら?」

(こいつ……)

 すっ呆ける初梅を白い目で見る煌侍。いつの間に隣に並ばれていたのか。彼女の気配のなさには、毎回毎回肝を冷やされる。

「けど、あなたには感謝しているのよ。夜紅も、わたしも、みんな」

「はあ?何だよ突然。オレは何もしちゃいねぇぞ?」

「他の誰にもできない事を成し遂げたじゃない」

「わっかんねー……」

「“風通し”を良くしてくれたわ」

「あー、それか。よく言われるんだけど、正直全然自覚ねーんだわ」

 照れ隠しと言うよりは単に困っているように、煌侍はガリガリと後頭部を左手で掻いた。彼の言葉に嘘はない。

 「あなたのそういう所が良かったのかしらね」

 口元を緩め、初梅は遠い目をする。


「あなたが来るまでの間……いつぐらいからかしらね、この世界は閉塞感に満ちていた。我が姫はいつも『これでは息が詰まる、一刻も早く何とかしたい』と嘆いてらっしゃったわ。でもいかに十二国姫じゅうにこっきのおひとりと言えど、それは簡単な事ではなかった」

「賛同を得られなかったからか?女神様ってのは、案外保守的みたいだからな」

「そうね、それも大きな要因の一つだった。けれど、それではまだ大きな何かが一つが欠けていたの」

「その『大きな何か一つ』ってのがオレだと?」

「ええ。あなたはまるで最初からこの世界の一つの歯車だったように綺麗に収まって、見事に一枚の絵を完成させた」

「だから買い被るなって。たとえ本当にオレがきっかけだったにせよ、オレ自身は何もしちゃいねえよ。褒めるなら、幻琴げんきんをだろうよ」

「我が姫の事はわたしも誇りに思っているわ。一見傍若無人で唯我独尊だけど、常に大局を見ていらっしゃる」

 さすがは火の国の参謀、客観的な目を持っている。彼女ほどの切れ者、だがこの性格、主君に才なしと判断すれば、簡単に切り捨てるだろう。


「ね、あなた、わたしの物にならない?」

「どういう意味だ、そりゃ?」

 童女のような初梅の悪戯っぽい表情と仕種に、煌侍は困惑させられる。彼女の発言は、どこまでが本気か判断しかねる。

「わたしは本気よ。あなた、わたしだけの物にならない?あなたを手に入れられたら、何もかも得られそうな気がするわ」

「心を読むな。趣味の悪い」

「そんな無粋な真似はしてないわ。あなたが分かりやすいだけよ」

 首の裏側に両腕を回される。心臓が縮み上がるような冷気。意外にもかなり強い膂力りょりょくだ。

「こ、こらーっ!おまえ達、ついて来てないと思ったら、こんな所で、ななな何をやってるのっ!」

「またまたざーんねんっ」

 小さく舌を出し、初梅が跳ねるようにして煌侍から離れていく。絶妙なタイミングで、またしても夜紅に助けられた。

「助け――」

「てないっ!」

 そんなに力いっぱい否定しなくても……。


<16>


「……遅いぞ」

 食堂に入るや否や、頬を膨らませた幻琴げんきんからの苦情が飛んできた。

「申し訳ありません我が姫!」

「色々ありましてぇ」

 直立不動で平謝りの夜紅やこうと、“色々”の元凶である初梅はつばいが、それぞれらしい態度で応じる。

「悪い悪い。本当に色々あってな」

 煌侍こうじが横目に初梅をにらむ。冷ややかな視線を受ける本人は、そっぽを向いてどこ吹く風。

「で、おまえとだけの食事会だって聞いてたんだが」

「……そなたがモタモタしておるからだ」

 すっかりすねてしまっている。それもそのはず、そこにはいつの間にか十二国姫じゅうにこっきが勢ぞろいしていた。“ふたりっきり”を楽しみにしていた幻琴にとっては、さぞや面白くない事だろう。

主様あるじさまを独り占めにしようなどと、そうはいきません」

 黒髪をさらりと流し、地姫ちき茅希ちきが鼻を鳴らした。他の姉妹達も、大きく二度三度とうなずく。幻琴は舌打ちし、もう一度煌侍と夜紅と初梅の三人に責めるような視線を送る。そんな目をされても、少々急いだぐらいでは結果は同じだっただろう。何しろ相手は十二国姫なのだから。

「まあまあ。なにはともあれ、まずはご着席ください」

 水姫すいき楊座ようざに勧められ、彼女と幻琴の間に設けられた席に腰を下ろす煌侍。夜紅と初梅は残務があったのか、早々に退室して行ってしまった。現在食堂にいるのは、煌侍と十二国姫の他は、給仕担当の女官達のみである。


「おい、いつまでむくれてんだよ。いい加減機嫌直せって」

 右隣の席の幻琴に小声で話しかける。

 「我を誰だと思っておる。そこいらの小娘と同列に扱うではないわ」

 明らかにまだすねている。

(オレが悪いのか?)

 煌侍は理不尽な思いにかられる。どうしたものやら。この真っ赤なお姫様は、一度へそを曲げると、なかなか元に戻ってくれないのだ。

「……せよ」

「ん?」

「ぁ……せよ」

「聞こえねぇって」

「『あーん』とか言うのをせよ、と言うておる!それで水に流してやる!何度も言わせるな恥ずかしい!」

「……大声でその台詞叫ぶ方がよっぽど恥ずかしいと思うぞ」

「!しま……った!」

 十一通りのニヤニヤ顔に囲まれる幻琴と煌侍。非常に居心地が悪い。

げんちゃんってば、恋する女の子だよね――っ☆」

 木姫もっき茶花ちゃかが、一片の邪気もない笑顔でコメント。

「姉上!滅多な事をおっしゃいますな」

 烈火のごとく否定する幻琴だが、これは完全に逆効果。火に油を注いだだけだった。

「よいではありませんか。女神であろうと恋をする。わたし達とても、心は同じでしょう」

 光姫こうき銘紋めいもんが、慈愛の精神100パーセントで言った言葉が、荒れかけた場の雰囲気を和らげた。さすがは光の女神、仲裁はお手の物だ。

「ささっ、食べよ食べよーっ」

 空姫くうき鼎后ていこうの暢気な(空気を読んでいるのかいないのか……)号令によって、食事会はスタートした。


 開始前には暗雲が立ち込めていたが、いざ始まってみれば、和やかムードで会は進んだ。あちこちから「それ取ってー」だの「これ美味しいー」だのと、にぎやかな声が聞こえてくる。これも以前にはありえなかった光景だ。堅苦しくなく、必要最低限のマナーさえ守られていれば、あとは自由。この十二国姫と煌侍の食事会は今や定番イベントになっているので、みんな慣れたものだ。

 さて、気になるのはそのメニューだが、やはり女神たるもの殺生をしてはならぬ、という事なのか、動物性たんぱく質が入った料理は一切出てこない。「そんなのでは物足りないのでは?」と問われれば、そうではない。そこは人智を超えた女神の世界、見た目は野菜やフルーツみたいなのに、健啖家の若者でもしっかり満足できる、栄養満点の未知の食物がゴロゴロしている。

 そして、実は絶品なのが酒である。徳の高い仙人でもありつけないような、口当たりが良いのに悪酔いしない美酒ぞろい。今日はご当地、火の国特産であるという「火桃酒かとうしゅ」なる物が振る舞われ、あまり酒を飲む習慣がない煌侍もついつい杯が進んでしまい、体内がなんだかぽわぽわしてきて、すっかりいい気分になってきた。結構度数の高い物だったようだ。

(いかん、眠くなってきたぞ)


 食事のコースもほぼ終わり、酔いが回って頭に霧がかかってきた煌侍。こうなってしまうので、普段は酒を控えているのだ。重くなってきたまぶたをしばたかせ、眠気覚ましに周囲に目を配る。と、時姫じき渉想しょうそうと目が合った。どうやら彼女は少し前から彼を見ていたらしく、珍しくバツの悪そうな表情を見せた。

「少し、よろしいですか、主様?」

 意を決したように口を開く。妙に歯切れが悪い。

「ん?なんだ?いいよ」

「……では。唐突ですが、主様は“永遠”に興味はおありですか?」

 思いがけない言葉に、発した渉想と受け取った煌侍に注目が集まる。決して軽はずみには返答できない質問だ。

「んーと、それはいわゆる“不老不死”とかって奴か?」

「はい」

 否定しない。彼女の真意が計りかねる。

「実は、あんま興味ないんだわ、そういうの」

 あっけらかんと煌侍は答えた。「あんま」と言いつつ、「ほぼゼロ」に近いニュアンスのようだ。

「どうして?ずっと若くて健康なままでいられるんだよ?人間にとっては究極の望みじゃない」

 遊翔ゆうしょうが「不思議でしょうがない」と言った感じで即反応した。いつもならたしなめる姉達も、今は動かない。「そうか、これはずっと十二国姫のみんながオレにぶつけたかった疑問だったのか」、と煌侍は得心がいった。なるほど、これだけ女神達の世界に訪れておきながら、そちら方面に憧れを持たない方が不自然なのかもしれない。

「それに……」

「ウチの妹達の事か?」

「うん」

 遊翔が小さくなってうつむく。「出すぎた真似をしたかもしれない」とでも思ったのだろう。だが彼は、微塵も怒ってはいなかった。

「ぶっちゃけ、オレもそんな事を考えた事はある。一度や二度じゃない。でもな、いつしかこう思うようになった。『中年、爺さんばあさんになっても、ずっとあいつらと一緒に生きていきたい。その時その時のあいつらを愛したい』ってな。だから、今では楽しみでもある」

 一気に熱く長く喋った煌侍は、少し照れた表情を見せる。

「渉想」

「はい」

「もしおまえが“そういう事”を考えててくれたんなら、素直に嬉しい。けどな、それは死ぬほど生きてからでいいや」

「ふふっ、心得ました。私とした事が、少々酔っていたようです」

 みんなの表情にも微笑があふれる。こうして渉想が、ふたりきりではない時以外にも笑顔を見せてくれた事も嬉しい。


「じゃあさ、オレも酔った勢いで訊くけどよ」

 十二国姫が一斉に煌侍を注視する。やや鼻白んだ彼だったが、一息置いて切り出した。

「やっぱオレ達兄妹って異常なんかね?」

 きょとん。

 やがて笑いが弾けた。

「なーにを今さら。ねぇん?」

「左様。非常に“いんもらる”であろう」

 闇姫あんき妓唇ぎしんがケラケラと笑い、風姫ふうき依韻いいんがオーバーアクションでうなずく。笑いの輪がさらに大きくなる。

「だったよ、なんで――」

「罰しないか、ですか?」

 光姫こうき銘紋めいもんが、先程煌侍がしたように、先回りする。

「お、おう」

「罰したらおぬし、真人間になるのか?」

 じっとりとした目付きで、彼の右隣の幻琴が問う。

「いや、なんねぇけどよ」

「即答か」

 幻琴の苦笑に、他の十一柱の爆笑が続いた。


<17>


「ときに主よ」

 ひとしきりの笑いが収まった後、金姫きんき芍薬しゃくやく煌侍こうじに話しかけた。

「ん?」

「『舞闘祭ぶとうさい』を知っているか?」

「ぶとうさい?ダンスパーティか?それとも天下一強ぇ奴を決めるワクワク格闘トーナメントか?」

「どちらかと言うと後者に近い。四百年に一度、ここ“中央”の競技場で開催される」

「四百年……!そりゃまた気の長い話だな。さすがは神様の世界。で、それとオレに何の関係があるんだ?出させてくれんのか?」

「……主には毎度驚かされる。出ようというのか」

 芍薬が目を丸くする。「そんなつもりで言い出したのではなかったのだが」と顔に書いてある。

「そのお顔、『参加する事に意義がある』ではなさそうですね」

 氷姫ひょうき慈香じこうが、ほとほと困り果てた表情で煌侍を見る。

「そうだな。出るからには結果を残したい。もっと言っちまうなら、てっぺんを獲りてえ」

「出場者は主様以外、全て女神ですよ?」

「次の開催は何年後だ?」

 疑問を疑問で返す。もう腹は決まってしまっているらしい。

「……五十五年後です」

「あるじゃねぇか、時間」

 薄く笑う。残忍なようであり、好奇心の塊でもあるような笑み。

「やれやれ。主様の器の大きさたるや、我ら全員の手にも余るな」

 風姫ふうき依韻いいんが大仰に天井を仰ぎ、他の十二国姫じゅうにこっきはそれぞれに相応しいリアクションをした。

 こうして、煌侍の特訓の日々が始まった。


 五十五年間。時の流れそのものは人間世界と同じだが、そこで過ごした年月は、煌侍の身体及び人間界に戻った時の時間経過には一切影響しない。煌侍は安心して食事と睡眠以外のほぼ全ての時間を特訓に費やす事が出来た。

「オレの今の強さってのを具体的に知っておきたいんだが」

 特訓を始めるにあたり、彼は氷姫・慈香に客観的な計算による回答を求めた。慈香はわずかな間逡巡したが、やがて表情を改めて答えた。

「今の主様が最大の力を引き出したとして、遊翔ゆうしょうの一万分の一にも及ばないでしょう」

「……そこまでか」

 ある程度の予想はしていたが、ショックは隠し切れない。人の身でありながら、女神に対しようとする事への道の険しさに、一瞬気が遠くなる。が、目標はさらに明確に見えた。

 次に、「舞闘祭」のルールを確認する。

「制限時間はなし。足の裏以外の身体の部分が、舞台またはそれ以外の場所に付く事で負けになります。各国代表の十二名+特別推薦枠四名の、計十六名によるトーナメント行なわれます。尚、十二国姫の出場は認められていません」

「相撲みたいなルールだな。そういや、これを訊いてなかったな。武器の使用は?」

「許可されています。ですが、重症や致命傷を負う事はありません。我々十二国姫が責任を持って、いわゆる“寸止め”でストップをかけますので」

「なるほど。伝統行事だけあってよく練られてるな。オッケー、把握した。あとはそのルールの中で、オレでも勝てるように修行していくだけだ」

「主様はまだ、舞闘祭で優勝なさるおつもりですか?」

 水姫すいき楊座ようざが心配そうな表情で煌侍を見つめる。

「当然だ。これで一層、目的意識が芽生えた。同時に、覚悟って奴もな」

「主様、その『覚悟』とは?」

「今はまだナイショ。さあ、おしゃべりはここまでだ。修行だ修行!」

 ―――そして十二国姫界での五十五年後、舞闘祭開催。


<後編に続く>

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