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卒業パーティーの翌日は流石に仕事を休んだ。二日後、仕事へと出勤した日は薬師の皆様からそれはそれは和やかに出迎えられたわ。もちろんナザル薬師が丁寧に他の薬師の方々に説明してくれたみたい。
そしてナザル様の公爵家から我が家の侯爵家にソニアの話を持っていったみたい。
これから妹はどうなるのかしら。
そんな考えもさらりと忘れて仕事をこなす日々が続いた。
卒業してから同級生の何人かは王宮でも見かける事もあったけれど、平民になった私に声をかけづらいみたい。
ようやくナザル薬師達とともに薬の開発も助手として参加が許されて本格的に薬に携わるようになってきたの。
日々成長を感じるわ!
私は今までにないほど充実した日々を過ごしている。
ある日、仕事を終え、夕食を摂っている時にローサが突然、真面目な顔で話を始めた。
「トレニアお嬢様、大事なお話があります」
「ローサ、どうしたの? 改まって。何かあったの?」
いつになく真剣な表情のローサに私は食事の手を止める。
「実は、ガーランド侯爵家からの知らせが届いております」
差し出された一通の手紙には侯爵家の押印がされている。私はもぐもぐしながら手紙を開封する。
ローサははしたないと横で怒っているが気にしない。どれどれと手紙を読んでいく。どうやらガーランド侯爵家の近況報告が書かれていた。
「ソニアがあの修道院に入ったのね。母も領地の外れの邸で静養する、ね。現在、姉は妊娠中で母とは別の邸で過ごしている。
あら、凄いわね。お父様は苦渋の決断を下したのかしら? 婚約破棄になったジョシュア様はドナート侯爵様の指導の下、厳しい再教育?へぇ」
私は独り言のように話をする。
「トレニアお嬢様。そしてこの書類、旦那様から復籍届です。トレニアお嬢様が戻りたくなったらいつでも戻ってきておいでと私が預かりました」
ローサはそっと私に書類を差し出す。
「ローサありがとう。でも今を楽しんでいるからこのままで良いわ。そうね、いくら考えても結婚する時くらいしか必要にはならない気はするのだけれど、結婚は考えていないから今の時点では保留でいいわよね」
私が気にした様子もなく話しながら食事を続けていると、ローサは更に二枚の手紙をそっと差し出した。
「あと、お嬢様宛にルーカス様とジョシュア様からの後悔と謝罪の念に駆られた手紙も受け取っていましたがどうしますか?」
「ふふふっ、後悔と謝罪の念に駆られているのね。……貰うわ」
私は手紙の束を受け取り、そのまま机の引き出しにしまった。
ようやく一人前の薬師になれたかしら?
気づけば私も二十歳になろうとしている。
今年はマード薬師長のお眼鏡に適う人が一人見つかり薬師として入ってきた。彼の名はマテオ薬師。
子リスのような感じで可愛いといった印象かしら。薬草の知識は豊富だけれど、私のように薬草と触れ合う機会がなかったようで薬草園の手入れを補助してもらっている。
私はいつものように薬を王宮医務室と騎士団医務室へ運ぶ途中にその出来事は起こった。
「誰かっ、助けて下さいっ!!」
そこには恰幅の良い男性が蹲って苦しそうにしており、その従者と思われる男が助けを求めている。
「大丈夫ですか?」
私は慌てて駆け寄ると男の人は土気色の顔をして苦しそうにしている。偶々私の後ろにいた騎士も気付いて駆け寄ってきた。
私は駆けつけた騎士に指示をしながら急いで王宮医務室に男の人を運びこんだ。
どうやら太った彼は今滞在中の隣国の使節団の一人らしい。
医務官の診察では少しばかり心音が乱れているとの事。太っているということも指摘されているわ。
血がドロドロになって心臓に負担が掛かっているのだとか。薬で血液の流れを良くして痩せるように言われていた。
彼は使節団が帰国するまでの一月の間、医務室で安静となった。私は無事だったことに安堵の息を吐き、仕事に戻る。
暫くしてからマード薬師長から声が掛かった。
「トレニア薬師、先程は使節団の者を素早く医務室に連れてきてくれたお陰で助かった。そこでちょっと頼まれて欲しいのだ」
「マード薬師長、私は殆ど何もしていませんよ? そしてお願いとは何ですか? 聞けるお願いなら聞きますが……嫌な予感しかしません」
「なぁに大した事じゃないんだ。使節団の帰国時に一緒に隣国まで病で倒れた彼を送って戻ってくるだけだ」
マード薬師長は楽しそうにしている。これは、拒否権のないやつだ。
「はぁ、分かりました。でも、何故私なのですか?」
「良いところに気付いた。私やヤーズは居残り組だが、ロイとターナは騎士団の軍事演習に随行しなくてはいけなくてね。薬の生産を止める訳にはいかないのでナザルとレコルトは休みなく薬の生産に入って貰うんだ。
そしてマテオは君が行っていた薬草の手入れと医務室への薬の補給をすることになっている。丁度良いだろう?」
「分かりました。それならば仕方がないですね。医務官は同行するのですか?」
「それが、医務官も手一杯で同行はできぬのだ。トレニア、君に医務官の代わりに使節団の健康維持と薬の処方を頼む事になる」
マード薬師長は君なら出来る大丈夫! と言わんばかりの笑顔だ。
「分かりました。私は侍女を連れて行ってもいいのですか?」
「一人だけなら許可が出ている。なるべく移動人数は減らしたいと使節団の希望なのだ。すまんな」
「……特別手当、弾んで下さいね」
「もちろんだ。善処しよう!」
普通、女の旅は危険だと止めるわよね!?
給料も善処とはいただけないわ。でもこればかりは仕方がない。
ローサに旅の準備をお願いするしかない。
確か片道十五日程は掛かるのではなかったかしら? 往復でひと月。
きっと帰りは輸入品の荷物に交じって戻ってくるのよね? 絶対普通のご令嬢ではあり得ないわ。
でも、せっかく隣国に行くのだから到着後、休みをもらえるだろうし、観光を楽しんでから帰国するわ! 旅を楽しんでやるんだから!
そうして私は早めに帰宅し、ローサに旅の準備をお願いした。『平民が貴族に交じって隣国に旅行に行けるなんて凄いことですよ!』と、私の心配を他所にどこまでも前向きなローサだったわ。




