<49:ニューヒロインのユウウツ(5)>
本橋香乃・・・演劇部員の高校1年生。
吉崎蘭・・・演劇部の部長。
石丸大剛・・・演劇部の副部長。
小原弥生・・・演劇部のOB。
雁岡妙子・・・演劇部員の高校3年生。
武田清美・・・演劇部員の高校3年生。
手場寛子・・・演劇部員の高校3年生。
「こんな所にいたのね」
香乃が中庭のベンチで佇んでいると、後ろから声がした。
蘭だった。
「あっ、部長」
香乃が慌てて立ち上がる。
「舞台が終わってから姿が見えないと思ったら、何やってんの。みんなで、軽く打ち上げでもやろうかって相談してたのに」
演劇部の芝居は、1時間前に終了していた。
大きなトラブルが起きることもなく、無事に幕は閉じた。
「すみません、上手く出来なくて」
香乃は深々と頭を下げた。
「何言ってんのよ。幕が閉じた後の拍手喝采、アンタだって聞いたでしょ」
蘭の言う通り、舞台は大成功だった。
カーテンコールでも、なかなか拍手が止まないほどだった。
特に新人として立派にヒロイン役を務め上げた香乃は、誰よりも大きな拍手を浴びていた。
「ほとんどの場面は、自分でも無難にやれたと思います。でも、肝心な場面が」
香乃は顔を曇らせる。
彼女が言っているのは、シーザーに裏切られて憎しみを露にする、あの場面のことだ。
本番でも、やはり感情を上手く表現することが出来なかった。
大剛がイジメの黒幕だと知らされても、やはり憎むことが出来なかったのだ。
「ああ、あのシーンね」
蘭は、取るに足らないといった感じで、軽く言う。
「なるほど、確かにアンタからすると、失敗したように感じているでしょうけどね」
「あの、それって……」
その言葉の意味が分からず、香乃は首をかしげる。
「あらっ、二人で内緒の話でもしてるのかなあ」
ひょっこりと、弥生が微笑を浮かべて現れた。
「あっ、先輩」
「香乃ちゃん、良かったわよ、最高だった。練習で何度か見たけど、本番が一番の出来映えだったわね」
「ありがとうございます。でも……」
自分の芝居に納得していない香乃は、誉められても素直に喜べない。
「どうしたの、あんまり嬉しそうじゃないのね」
「弥生先輩、香乃は例の場面のことを引きずっているんですよ」
「例の場面って、あの見せ場のこと?それなら、とても良かったわよ。だけど蘭、知らない内に演出を変えたのね。憎しみをぶつけるんじゃなくて、深い悲しみの場面になっていたけど」
(ああ、やっぱり)
香乃が落ち込む。
「そうそう、蘭、大剛が捜してたわよ。打ち上げのことで話があるって。今なら、部室にいると思うわ」
「分かりました、すぐ行きます。弥生先輩も参加するんですよね」
「もちろんよ。それじゃあ、また打ち上げでね」
弥生は立ち去った。それを見送ってから香乃は、
「すみません、やっぱり、あの場面を台無しにして」
と、溜め息をつく。
しかし蘭は、
「いえ、素晴らしかったわ」
と告げる。
「でも、弥生先輩も演出が変わったかのように言っていました。だけど演出は同じです。私の芝居が演出プラン通りじゃなかっただけです」
「違うわ、あれで狙い通り。弥生先輩の言った通り、演出を変えたのよ」
蘭は悠然と言う。
「えっ?」
「あの場面に関して、ある時期から私が全く注意しなくなったのに気付いてた?」
「はい、それは。でも、それは幾ら注意しても直らないから、もう諦めたんだと思っていました」
「私は諦めるなんて嫌いよ。それでいいと思ったから、注意しなくなっただけ。ちなみに、注意しなくなったのが、いつ頃からか、覚えてる?」
「それは、確か」
「大剛がイジメの黒幕だと明かした、次の練習からよ」
香乃が言う前に、蘭が自分で解答する。
「そうそう、大剛がイジメの黒幕ってのは嘘よ」
「ええっ?」
香乃の声が驚きで裏返る。
「で、でも、あのメールは」
「ああ、あれは私が打った偽造メール」
すました顔で、蘭が言う。
「大剛は本当にいい奴で、絶対に人をイジメたりしないわ」
「じゃあ、どうして?」
「どうしてアンタに嘘を吹き込んだのかってことでしょ。それは、あの場面を成功させるためよ。大剛が黒幕だという印象を貴方に植え付けることで、舞台の上での感情表現に利用しようと思ったの」
「もしかして、私に副部長を憎ませようとしたんですか」
「最初は、そのつもりだったんだけど」
蘭は肩をすくめる。
「だけど、それでも貴方は、あの場面で憎しみを向けることが出来なかった。むしろ、以前より一層、深い悲しみの感情表現になっていた」
「はい……」
「そこで、ふと閃いたのよ。いっそ、そういう芝居にしてしまおうと。それでも芝居としては成立するし、別の解釈として面白くなると考えたの。実際、素晴らしい舞台になったし」
真実を明かされ、香乃は唖然とする。
まさか自分の知らない所で、そんな作戦が進行していたとは。
「で、でも、芝居を変更するなら、説明してくれれば良かったじゃないですか」
「せっかく深い悲しみの芝居が自然に出来ているのに、余計なことを言って変になったら困るでしょ」
蘭は飄々と告げる。
「他の部員は知っていたんですか」
「いいえ、みんなにも内緒よ。知っているのは私だけ」
「じゃあ副部長も、全く知らないんですか」
「ええ、そう」
「私、副部長に謝らないと」
香乃は反省した様子で言う。
「イジメの黒幕だと思い込んでいたから、優しく声を掛けられても、何となく避けるような態度を取ってしまって」
「そうか、そこはフォローすべき点ね。うっかり忘れていたわ」
蘭は悪びれることなく、フッと小さく笑う。
「今から会いに行くから、私からちゃんと説明しておくわ」
「お願いします」
「私のこと、酷い先輩だと思ってる?」
「いえ、そんな」
香乃は否定したが、そういう気持ちが全く無かったと言えば嘘になる。
「芝居を成功させるためなら、私は何だってやるわよ」
蘭は居丈高に宣言した。
「大体、貴方がちゃんと憎しみの演技をしていれば、こんな嘘をつかなくて済んだのよ。悪いのは貴方なんだから、役に成り切れなかった自分を責めなさい」
「は、はい」
理不尽な非難ではあったが、香乃は素直に受け入れる。
それは、自分の演技に問題があったことへの罪悪感があるからだ。
「結局、憎悪の演技が出来ないという私の欠点は、克服できないままだったんですよね」
「まだ気にしてるの?本番は成功に終わったんだから、別にいいじゃない。だって貴方、裏方志望なんでしょ。今回の公演が終わったら裏方に回るんだから、もう演技の欠点なんて無関係じゃない」
「あっ、まあ、そう言われれば」
「それとも、ひょっとして役者の仕事を続けたい意欲が沸いているの?」
蘭が含み笑いを浮かべる。
「いえ、あの」
図星だった。
「役者の仕事を続けるのなら、その問題は何とかすべきね。でも大丈夫、何とかしてあげるわ」
「何とかするって?」
「おっと、そろそろ部室に行かないと。それじゃあ打ち上げでね」
「あっ、部長」
香乃の疑問を受け流すように、蘭は走り去った。
「また何か、変な作戦でも考えているんじゃ」
香乃は困った表情で、遠ざかる背中を見つめた。




