目に宿る熱
私はテントに戻り、ひとり考え込んでいた。
たしかに――私はよく、勢いだけで動く。
そして、それが案外うまくいくことも多い。
けれど、今は違う。
落ち着いて考えることも、大切だ。
復讐のために。
野望を果たすために。
考えることも、“行動”のうち。
私の“武器”。
まずは――美しい顔。……いや、どっちかといえば“可愛い系”?
まあ、敵の油断を誘うくらいには使えるかもしれない。
足の速さ? いざというときの逃げ足にはなる。
けれど、本当に頼れるのは――
この“魔法の才覚”と、川辺のおじいさんから授かった知識。
そして、いささか怪しい神からもらった“万象を見る目”。
……でも、こうして冷静に考えると、
結局、私には“魔術に関すること”しかなかった。
今日は起きられたけど、基本――朝はまるでダメ。
ご飯も作れないし。
それに、魔導士は基本後衛。
前で守ってくれる人がいなきゃ、ゴブリンの群れに囲まれたら、あっという間に終わり。
考えすぎると、ちょっとネガティブになってくる。
――でも、やっぱり。
私の最大の長所は、この性格の悪さだ。
落ち込まない。めげない。
どんな絶望の中でも、私は笑って生きてやる。
そんなことを考えていた、そのとき――
「――セラナ様!」
……この声。
私の“日常”の朝の声。
「失礼します! おはようございます!」
テントの布がぱさりとめくられ、冷たい朝の空気が流れ込む。
眩しさに目を細めた私の前に、きっちりと髪をまとめたニナが立っていた。
いつも通りに頭を下げながらも、その目の奥には――
昨日の悲しみが、消えずに残っている。
「……おはよう、ニナ」
私は、少しだけ笑ってみせた。
「セラナ様……申し上げにくいのですが――
ミラレス全土のマナが乱れ、“魔響区”化が進行しています。」
ニナの言葉が、冷たい朝の空気よりも重く、胸の奥に沈んだ。
「……うん、そっか」
声は、自分でも驚くほど静かだった。
“魔響区”――。
それは、たくさんの強い感情が入り乱れ、マナが暴走した結果、
土地そのものが“死の領域”と化してしまう現象。
授業で何度も聞かされた言葉。
黒板の上の理論だったそれが――
今、私の世界で現実になっている。
「……ここも、数週間後には“魔響区”に侵食されてしまいます」
ニナの声が、静かにテントの空気を揺らした。
「生き残った者の中から、私が護衛を募ります。
南の大国――セレストリアなら、必ずセラナ様を受け入れてくださるはずです」
その瞳には、恐怖ではなく確かな“決意”が宿っていた。
きっとニナは、この言葉を伝えるために何度も考えて――ようやくここに来たのだろう。
私は黙って頷き、その声を最後まで聞いた。
「危険で、長い旅になると思います。
ですが……私も同行いたします。
この命に代えても、セラナ様には生きていただきます」
その真剣さに、少しだけ息をのむが
「そんなの、行かないよ」
私は、即答した。
ニナの目が見開かれる。
「で、ですが……!」
「だって、それって――ここの人たちを見捨てるってことでしょ?」
言葉が自然と出ていた。
テントの外からは、子どもの泣き声や、咳き込む避難民の声が微かに聞こえる。
「……ニナ、私――東のアルディアに行く!」
勢いのままに、言葉が口を突いて出た。
「アルディアは、おばあ様に大恩があるでしょ? だったら、きっと助けてくれるはず!」
ニナは目を見開いたまま、しばらく黙り込む。
やがて小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。
「……たしかに。もしアルディア王国に助力をいただければ、
この避難民たちを救うことができるかもしれません」
けれど、その瞳には深い不安の色が宿っていた。
「しかし――近年、我が国とアルディアとの国交は途絶えております。
あの国は小国ゆえ、帝国の目を恐れて動けない可能性も……」
私は首を横に振った。
「大丈夫。おばあ様がよく言ってたの。
――“勇者が黒竜を討伐できたのは、ほとんど自分のおかげだった”ってね」
少しだけ笑ってみせる。
たぶん、この図々しさと自信過剰なところ――私はきっと、おばあ様ゆずりなんだと思う。
「恩は、返してもらうだけ」
ニナはしばらく黙って考えていた。
けれど――彼女は知っている。
私が“突発的に決めたことほど、絶対に意見を変えない”ということを。
そして、彼女も決断してくれた。
「……そうですね。アルディアに――掛けてみましょう」
ニナは静かに息を吐き、決意を宿した瞳で言った。
「動ける者の中から、戦える人を募って参ります。
もちろん、私も同行いたします。
セラナ様――この命に代えても、必ず貴女をお守りいたします」
そう言い残し、ニナはテントから出ていった。
彼女はもともとメイドだが、少し剣も使えるらしい。
それに――朝、きっちり起こしてくれる。
……頼もしい。実に、頼もしい。
私も、ただニナの準備を待つだけではいけない。
ピピ先生は今日も、避難民たちの治療をしているはず――手伝いに行こう。
そう思い、私はテントを出て、冷たい風の中を歩き出した。
目に映るのは、焼け落ちた建物の残骸と、荒れた大地。
まだ煙がくすぶっていて、風に乗って焦げた匂いが流れてくる。
……悲惨。言葉にするには、あまりにも現実すぎる光景だった。
ピピ先生を探そうと意識を集中したとき――
ふと、視界の端が一点、赤く滲んだ。
その方向を向くと、ぼんやりとした赤い光の中に、
治癒のマナを操るピピ先生の姿が見えた。
――あの神の声が、頭の中で蘇る。
『取説つかないし、返品交換不可ね~』
今思えば……本気で腹が立つ。
でも、これは――私の“大切な武器”になるはずだ。
早く使いこなすためにも、練習を重ねないと。
私はピピ先生の姿を強く思い浮かべ、さらに目に魔力を込めた。
視界の赤が一層濃くなり、ピピ先生の輪郭がゆらりと滲む。
……なるほど。
“見たいもの”や“知りたいこと”を意味として構築した魔力を目に流すと、
それに応じて外界のマナが――情報として私へ応答する。
たぶん、そんな仕組みなのだろう。
けれど、目の奥が焼けるように熱い。
……やっぱり、練習が必要だ。
「ピピ先生、おはようございます」
「……あら、アルセリアさん。おはようございます」
先生の声は優しかったけれど、顔には深い疲れの色が浮かんでいた。
治癒魔法を使いすぎたのだろう。
私は何も言わず、先生のそばに立ち、包帯の交換を手伝った。
二人で無言のまま、野営地を回って負傷者を見ていく。
焦げた匂いと薬草の香りが混ざり合い、空気の底に重く残っていた。
やがて――私は足を止め、言葉をこぼした。
「……ピピ先生。私、アルディアに助けを求めてきます」
ピピ先生が、驚いたように顔を上げた。
風が、焦げた布を鳴らす音だけを運んでいく。
「この国が……魔響区になる前に。
必ず戻ってきます」
先生の瞳がかすかに揺れ、そして静かに細められた。
「……けれど、あの国が助けてくださる保証は――」
「大丈夫です。なんなら……勇者を連れてきますよ!」
思わず笑って言うと、ピピ先生は息を呑み、
そして――ふっと柔らかく笑った。
「……あなたは、本当に優しい子ですね」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられる。
目が、熱い。
さっきまでの“魔力の熱”じゃない。
なんだろう――わからない。
でも、止まらない。
気づけば、頬を伝う雫がこぼれていた。
声が漏れ、嗚咽があふれる。
ピピ先生は何も言わず、そっと私を抱きしめてくれる。
その腕は小さくて、あたたかくて――
不思議と、私より背の低い先生が、とても大きく感じる。
……この世界にも、まだ“私が泣ける場所”が残っていた。