第29話 ……ごめんなさい
アンナと一緒に倒れ込んで床に手をついたスサンナさんは、肩で息をしながら静かに言った。
「……ごめんなさい」
スサンナさんの謝罪の言葉は、静まり返った室内にぽつっと落ちる。
薄暗い室内唯一の光源である窓からの明かりは逆光で、仰向けに倒れたアンナの顔の両側を挟むように床に手をついてうつむくスサンナさんの顔がよく見えない。
彼女の顔の輪郭だけぼんやりと白く浮き出して、子供が描いた人形の顔の部分をいたずらに黒く塗り潰した絵みたいだった。
それが、ぞっとするほど暗い。
いつもはきちっと結い上げているスサンナさんの栗色の髪の毛はほつれて落ち、目を見開いたアンナの頬に触った。
どうやらスサンナさんに押し倒されたらしい。ということしか状況がわからないアンナは、衝撃に詰まらせていた息と一緒に声を吐き出した。
「い、いいですけど……?」
目を白黒させながら一番衝撃を受けた胸を手で探ると、指に何かが当たった。
「いけません。こんなものを手にしては……」
アンナの手を、ひやりと冷たい手をしたスサンナさんが止める。
そしてスサンナさんがそっとアンナの胸の上から取り上げたのは、逆光の暗さの中でもギラリと光る細身の刃物だった。
「ナイフ……?」と呟いて、自分のその呟きで把握した。
スサンナさんにナイフで刺された。その衝撃でスサンナさんごと倒れたのだと。
「な、なんでですか……?」
静かな動作でナイフを取り上げたスサンナさんに、アンナは肘で上半身を支えながら起こして言った。
「スサンナさんは、私が結界を付与したアクセサリーをしてるって知ってたのに……。なんで刺そうとなんか……実際、結界で阻まれて全然刺さらずにこうやってナイフも落っこちちゃってるし……」
イェルド様の解呪の時間に魔力量を見ながら結界を付与していたアクセサリーは、アンナが使うためのものであった。
陛下とラーゲルブラード公爵家から、邪神教徒がアンナを狙う可能性から身を守れるようにと魔石のついたアクセサリーを与えられていたのだ。
ぽんと与えられた高価な装飾品を身につけるのは足が震えた。
ちなみに髪飾りとネックレス、ドレスベルト、アンクレットは陛下から。イヤリングと指輪、ブレスレットはラーゲルブラード公爵家からの提供品である。
おかげで全身結界で覆われていて、刺されようが斬られようが傷ひとつ付かない。衝撃にも強い。
作業をしているアンナに紅茶を淹れてくれたりお茶菓子を用意してくれたのはスサンナさんなのだから、アンナがこれらの装飾品に結界を付与していたことを当然彼女は知っていた。
そして特に隠してもいないので、アンナが用心のために今日これらのアクセサリーをを身につけていることもわかっていたはずだ。ワカメのような緑の髪を結いあげて、髪飾りをつけてくれたのもスサンナさんだったのだから。
アンナの結界は勇者の剣でも敵わなかった。スサンナさんの細腕でそれを貫けるわけがない。
「……申し訳ございません」
床にぺたんと座ってうつむくスサンナさんからは、敵意も殺意も感じられない。
しかしスサンナさんはナイフを用意し、観葉植物の植木鉢にあらかじめ隠していた。アンナを害そうと思って誰もいないこの部屋に連れてきたのは間違いないのだ。
アンナはスサンナさんを警戒しつつ、彼女を刺激しないように非常事態に乱れた呼吸をこっそりと整えた。




