42 戦う相手 前編
すべてを香奈に話終えると香奈からは何の反応も見られない。
当然だと思った。到底信じることなど出来ないことばかりだからだ。しかし、後宮で起こっているのはその話の続きでしかない。
皇太后は柾良親王をいずれ帝にするため邪魔な者たちを排除しようとしている。その手始めが東宮を廃することで直貞親王を宮中から連れ去りその責任を東宮に負わせ、二人を排除しようと考えていたが綾がそれを阻止したため、きっと皇太后は何か仕掛けてくるはずだ。そうなったとき、香奈が傍にいたほうが何かと都合がいいと思っている。
「姫様。これはとても大変なことになっていませんか?柾良親王様の病の原因を姫様が突き止めたのはいいとして、藤壺の物の怪騒ぎは東宮様が賊を捕まえて解決していますよね。更に直貞親王様を宮中から連れ去ったはずがなぜか後宮にいるとなると……」
「そうね。今度は本当に私の命が狙われるのかしら」
「新右近中将様がおっしゃっていたことですと命は狙われないと思いますよ」
「あっ。そうか。私は側室になるんだったわ」
綾は呑気に答える。父様は当然そんなこと許すはずもなく、綾もあの男の元へ嫁ぐ気などさらさらない。だがあの男が何か企んでいることは警戒しなければいけない。
「香奈。そういえば、頭中将様は例の文の方?」
綾は帥宮に言われたことを思い出し香奈に確認する。
「えっ?姫様。もしかして今頃、気づかれたのですか?」
「うん。帥宮に言われて……」
「姫様の関心のなさには呆れます」
香奈は頬に手を当てて大きなため息をついた。
「頭中将がね、素敵な出会いがあったとおっしゃっていたわよ」
いつも言われてばかりいるので少しばかり意地悪をしてみる。香奈は少し恥ずかしそうに俯いた。上手くいっているようで安心する。
「それにしても……」
「どうかされましたか?」
「あの男はどうしてこうまで私のことに執着するのかしら?沙羅内親王様のこともかなり執着していたと聞いているわ」
「そうですよね。沙羅内親王様のことは別として姫様に恨みがあるのなら側室にするよりかは命を狙う方を選ぶと思いますが」
香奈はかなり物騒なことを言い出すが、綾はその意見に同意する。
「東宮妃様。頭中将様が来られました」
部屋の外から女房の声がした。
「お通しして」
綾の声でさらさらと衣擦れの音と共に束帯姿の頭中将が部屋に入ってきた。
香奈が席を立とうとすると頭中将がそれを止めた。
「もう、お話をされましたか?」
「今、丁度話をしていました」
頭中将は綾と香奈の前に座る。
何か動きがあったのだろうか。綾は頭中将を見る。
「東宮様と今後のことを話して、しばらく向こうの動きを注視しながら過ごすことになりました」
「こちらからは何もしないということですか?」
「はい。まだ、動く時ではないと言うことです」
「そう。ところで最近、兄の姿が見えないのですが何をしていますか?」
綾は兄の良智が訪ねてこないことが気になった。良智も綾と同様に狙われる可能性はある。無事を確かめたかった。
「左近中将殿は、中納言様が体調を崩されて不安になった四の姫をお慰めするため中納言邸に通っておられます」
「えっ?」
こんな時にいくら狙っている姫だからといっても何をしているのかと呆れてくる。
「と、言うのは表向きで中納言様に沙羅内親王様のことや例の文のことを聞くために出かけています」
頭中将はいたずらっ子のように片目を閉じ人差し指で口元に当てる。ほっと胸をなでおろす。兄はきちんとお勤めを話しているようで安心する。
「それと、昨日美和殿を後宮から連れ出しました」
「どうやって?」
宮中で昇進した者たちの挨拶で賑わっている隙をついて、美和と体格が似ている侍女が亡くなったのを利用して美和の身代わりにし美和を連れ出したという。
「美和殿はどこに?」
「先太政大臣様のお屋敷で匿ってもらうことになりました。ちょうど東宮妃様のお父上の左大臣様がご挨拶に伺うというので左近中将殿がご一緒に行かれて美和殿をお連れしました」
「大丈夫なの?」
綾は心配になる。美和は柾良親王に毒を盛った犯人だ。見つかって咎められたら先太政大臣にも類が及ぶ。
「先太政大臣様にはご事情を説明して快諾してくださりました。お忘れですか、もう一つの文は先太政大臣様からのものです」
そうだった。帥宮から受け取った文の一つは先太政大臣が持っていたものと言っていた。それならこちら側の者だ。
東宮と頭中将、兄たちは帥宮から受け取った文の検証を始めていたのだ。それと共に桜子の望みも叶えていく。あまりの手際の良さに感心する。
「これで戦う相手が一人に絞られましたからね。相手のことも探りやすくなりました」
頭中将は不敵な笑みを湛える。なまじ整った顔立ちなのでこういう表情をすると怖いくらいだ。だが綾も負けてはいられない。気合を入れなおした。
「東宮妃様。一つお願いがございまして」
「どんな事ですか?」
「後宮の問題が片付きましたら香奈殿をいただきたいのです」
そういうことね。
綾は思わず香奈を見てしまった。当の香奈は真っ赤な顔をしている。
「香奈からは色よい返事はもらえたのかしら?」
二人の様子を見ているとこんなことを聞くのは無粋だろうが聞いてみたかった。
「香奈殿は綾姫様から離れることに難色を示していまして」
「姫様の侍女としていままで務め来ました。その姫様から離れることを考えたことがなくて……」
香奈は目を潤ませて訴えてくる。迷っているのがすごくわかる。
「香奈殿。今すぐ綾姫様の元を離れる訳ではありませんよ」
頭中将は香奈の肩に手を添え優しく伝えている。
羨ましすぎるわ。うっとりと二人を見ていると香奈と目があった。
「またとないことだわ。香奈はどうしたいの?」
「頭中将様のお傍に居たいです」
振り絞るように呟く香奈に綾と頭中将は微笑んだ。
「それなら話は早いわね」
「では、東宮妃様。一筆書いていただけないでしょうか?」
「どういうこと?」
綾は一筆という言葉に疑問を感じた。
「香奈殿や東宮妃様の気が変わらないように」
頭中将はまた何か含みのある表情を見せた。何を企んでいるのだろうか。
「東宮妃様ばかりご活躍されるのに聊か嫉妬と申しますか、私もそろそろ本気を出そうかと」
「本気って」
「めんどうくさがりの姫様がここ最近張り切っておられるので、よほど東宮様にお会いしたいのだと私たちの意見が一致しました」
先ほどまでとは打って変わって香奈がしっかりとした口調で言う。
「だって、のんびり昼寝も出来ないじゃない。寝ている間に刺客に襲われるのも身に覚えのない罪を着せられるのも御免だわ。それならきっちりとけりをつけて安心して昼寝をしたいじゃない」
綾は胸を張って言い切る。
そう、後宮の問題が片付けば東宮様のお渡りを待つだけでそれ以外は特にすることもなくなるはず。そうしたら昼寝三昧。そう考えただけで顔がにやけてしまう。
頭中将と香奈は冷めた目で綾を見つめた。




