救ったもの、救えなかったもの。だからこそ 1
ユリの輝きは早くも衰えを見せた。完全治癒したはずなのに彼女は吐血し、苦悶に顔を歪める。
「ユリ、そんなことをしたら、お前は……」
「いいんだよ。どうせ帰っても意味ないし。それにね、今だけなんだよ。私が、私の命の使い道を選べるのは。私はさ、くだらない国のために死ぬんじゃなくて、好きな男のために死にたいよ」
浮かべる笑みはやけに穏やかで、レイは目頭が熱くなるのを感じた。胸の苦しみが行くあてもなく渦巻く。
ユリはハルナを睨みつけると、たどたどしい口調で言った。
「レイのこと……よろしく」
鋭い眼光に怯えていたハルナだったが、それを聞いて力強く頷いた。
「ええ、任せて」
ユリが笑みを漏らすと、ハルナも笑った。
ハルナは決して涙を流さなかった。その一言の裏に飲み込んだ想いを知っているから。先行きを不安がらせるような弱い姿は見せない。それだけが唯一、彼女に対してできることだと思った。
前を向いたユリは、振り返らずに言った。
「さよなら、レイ」
レイが言葉を返す前に、彼女は姿を消した。
ククリナイフを回収したユリは、一直線に黒ダルマへ向かう。その速度はアクセル使用時のゼロワンをも超え、ぶつかり合った拍子に大地が揺れた。衝撃波が周囲を駆け抜け、衝突点が爆心地のごとく穿たれた。
だが、その一撃を持ってしても黒ダルマの障壁は破れなかった。ククリナイフは半分から先が欠けていて、もはやその特性を生かせない。
ユリはそれを投げ捨てると、拳を握り締めた。振り上げたそれを思い切りぶつける。その度に轟音が響き、無惨に潰れた彼女の手が修復する。
障壁を展開しているために手を出せない黒ダルマは、その無謀な攻撃を無機質な赤目で眺めるだけだ。自ら手を下さずとも、防いでさえいれば勝手に自滅する。そのはずだった。
何十と打ち込んだ拳。いつからか、轟音の中に小さな破砕音が混じる。それは次第に大きくなり、ついに大きな音を立てて障壁が吹き飛んだ。粉々に砕け散った障壁を前に、黒ダルマは為す術なくユリの攻撃をその身に受ける。
情け容赦のない正拳突きが黒ダルマの顔面を捉えた。頭が跡形もなく吹き飛ぶ。
核を失って消えゆく黒ダルマの身体。それとともに、ユリの身体が後ろに倒れる。
それをレイが抱き留めた。彼女の全身からはすでに光が失われている。
「ユリ!」
顔を覗き込んで、レイは言葉をなくした。その瞳に色はなく、顔は死人のように青白い。伸ばされた震えるユリの手をレイが握り締める。
「レ、イ? そこに、いるの?」
「ああ、ここに。ここにいる」
「ねえ、待って。どこ? どこに? 分かんない。分かんないよ、レイ」
握った手の中で、ユリの手が何かを探すようにうごめく。
「暗いよ。怖いよ。何も、何もない。触って、レイ」
視覚も聴覚も触覚も、すでに彼女からは失われているのだろう。それでも、レイは彼女の身体を抱き締めた。強く、これ以上彼女から何も失われないように。
それが届いたのか、ユリは頬を緩め、心底安堵したような声で言った。
「そこに……いたんだ。……よかった。となりに、いて……くれ……て」
その言葉を最後に、彼女は口を閉ざした。
ユリの目を閉じてやる。すると、彼女の頬を滴が伝った。雨だろうか。視界が滲んで、溢れ出す熱を抑えることができない。滴の数だけ、ユリとの思い出が蘇っていく。
今までに経験してきた死とは別の感情だった。ぽっかりと胸に穴が空いたようで、そこがとてつもなく苦しかった。
今度こそ本当に死んでしまったのだと、腕に抱く彼女の重みが告げる。
しかし、この地は死者を悼む時間すら与えてはくれない。
青白い閃光が大地へ落ちた。
レイは涙が一瞬で引くのを感じた。肌を刺すような空気。そこに落ちたのは、黒ダルマではない。それよりも危険なものだと本能が告げる。
広げられた大きな翼から無造作に放たれる電撃が空を焼く。細長い足と首。その先に尖る嘴。全身が帯電しており、青白い光が終始弾ける。
「神使、雷公鶴……」
呆然とした声でハルナが言った。
神使とは言葉の通り、神の使いだ。だが、神そのものと解釈する土地もある。雷公は雷神の別名を言う。つまり、あの鶴は雷神の使い、あるいは雷神そのものということだ。
雷公鶴が鳴くと、呼応してその身体が青白い閃光を帯び、周囲に放たれる。高熱によって砕かれた地面は火を噴き、一面が焼け野原になった。
黒ダルマはまだ人の及びうる領域にいた。だが、目の前の鶴は違う。神が鳴けば大地は焦土と化し、積み上げたものは消え、ゼロへと戻る。
これぞまさしく神災。
「伝承では、ソウシ様がこの地に鎮めたはず。なのにどうして……」
「理由はあとで考えろ。今はあれをどうするかだ。もう一度鎮める方法はあるのか?」
「分からないわ。雷公鶴は世界の四分の一を焼き払ったと言われる神使なの。それに太刀打ちするには、ソウシ様と同等の力がないと……」
「グンマソウシの力……」
レイは自らの手元に目を落とす。あのときの声が言っていたことが本当で、この刀にその力があるのだとしたら。
レイの思考は雷公鶴が動きを見せたことで遮られた。
雷公鶴は赤い瞳をぎょろりと巡らせ、レイたちとは別の方向を睨んだ。その先には混乱に乗じて離脱しようとするゼロワンとゼロツーがいた。ゼロワンの背にはバックパックが背負われており、吊り橋を目前にしていた。そこを渡り、しばらく走れば乗車口にたどり着ける。
「ハルナ、あの鶴が地上に降りたら、どうなるんだ?」
グンマーが落ちれば、当然あの鶴も一緒についてくるはずだ。
「世界は再び滅びるわ。今度はきっと誰も止めることができない」
グンマソウシが世界を救ったときよりも遙かに下回る技術しか持たない地上に、神を殺すことができるとは思えない。
それに、雷公鶴がいつまでもこの地に留まるとは限らない。一刻も早くダルマを奪還し、アカギ神社へ戻さなければならない。
レイが走り出すよりも速く、雷公鶴が動いた。稲妻と化した雷公鶴は先回りして橋の前に陣取った。落雷の衝撃波が地面を薙ぎ、橋を大きく揺らす。ぶちりと音を立ててロープが一本切れた。
*
ゼロワンたちは衝撃波を凌ぎ、足を止めることなくアサルトライフルを連射した。だが、それらはすべて雷公鶴の身体から放出される電撃によって落とされ、傷一つ与えることができない。
ゼロツーは担いでいた筒状のバッグの中身をぶちまけて、手早く組み立てる。地面に固定し、彼女の頭部より長い弾を装填する。そして、爆音とともに弾が発射された。
流星のごとく一直線に飛ぶロケット弾が雷公鶴に火を噴く。胴体に着弾し、爆炎が巻き上がる。今度は電撃に邪魔されなかった。
ゼロツーは手応えを感じ、二発目を装填する。だが、そこへ一筋の雷鳴が吠えた。
「ゼロツゥゥゥー!」
爆発で周囲が吹き飛ぶ。ゼロワンの声は衝撃音に掻き消され、その足は向かい風によって妨げられる。ようやく爆撃地に辿り着いたゼロワンは、立ち上る炎と煙の中に自らの妹の姿を探す。赤と橙の髪は見つけにくいかと思われたが、すぐにその姿を見つけた。血の匂いだ。
駆け寄ったゼロワンはその目を疑った。ゼロツーの右手足はそこになく、ただ赤い血を垂れ流す。残った部分も無事とは言えず、ところどころが焼け爛れ、綺麗な顔の半分は醜く変わっていた。
「おい、嘘だろ……」
「兄、さ……あがっ」
「喋んな! 今、治療を――」
止血のため自分の衣服を切り取ろうとしたゼロワンの手を、ゼロツーが制した。ゼロワンは血のついた口元を拭ってやり、その頬に手を添える。
「頼むから、言うことを聞け」
「わた、しは……もう……」
ゼロツーは息をするだけでも苦しそうに顔を顰める。大地を焼く音の中でヒューヒューという呼吸音が一際大きく聞こえた。
「大丈夫だ。助かる。ダルマさえありゃ、腕のいい医者が診てくれんだ。手だって、足だって、元に戻る。もうちっとで、自由に、自由に暮らせんだ。幸せに、なれんだよ!」
「にい、さま……わたし……」
かすれ声はか細く、ゼロワンは彼女の口元に耳を寄せる。
「……にい、さまと、過ごせて……しあわ、せ……でし…………」
「……おい、何だよ……最後まで、言えよ! なあ!」
その口は二度と言葉を発することなく、光の失われた瞳は、もはや兄の姿を映していなかった。
ゼロワンの慟哭が響き渡る。
*
その悲痛な叫びに反応するように、雷公鶴の身体が発光する。ゼロワンを殺す気だ。しかし、今電撃を打たれれば、ダルマも一緒に焼かれてしまう。
すでに間近まで迫っていたレイは、焼け爛れた胴体の傷を目掛けて跳躍した。ゼロツーの放ったロケット弾は確かに雷公鶴へダメージを与えていた。
刀を深く突き立てる。柔らかな肉を裂き、鮮血を飛び散らせた。悲鳴を上げる雷公鶴は辺り構わず電撃を放ち、暴れ回った。振り落とされないように刀をさらに奥へと押し込む。だが、目の前で弾けた電撃に強い衝撃を受け、吹き飛ばされてしまう。
地面に転がり起きた直後、放たれた稲妻を瞬劫で辛うじて避け、事なきを得る。
雷公鶴は狙いをゼロワンからレイに定めたようで、その赤い瞳から凄まじいプレッシャーを感じた。殺意とはまた別種の何か。得たいの知れない恐怖に、レイは柄を握る拳に力を込める。
先ほどのように不意打ちはできない。近づくためには電撃の雨を回避する他ないが、そんな芸当を何度も繰り返せるはずもない。一撃で決める必要がある。
電撃が放たれるタイミングで瞬劫を使用し、距離を詰める。駆け出したレイだが、すぐに違和感を覚えた。足が思うように動かない。先ほど受けた電撃による痺れが残っていたのだ。そのせいで反応が一瞬遅れた。瞬劫を使っても避けきることができない。咄嗟に刀を盾にしたレイは、目の前で起きた光景に目を丸くした。刀に触れた瞬間、電撃が霧散したのだ。刀身には焦げ目一つない。
レイは刀の銘を思い出す。
「瞬劫……雷切」
グンマソウシが愛用した刀。雷を切ると言われた名刀。あの声が言っていた。名とは存在を定義するものだと。そうであるならば、この刀は雷を切るための武器だ。まさに、今の状況にうってつけの一振り。
電撃を切り払いながら突き進むレイに、雷公鶴はさらなる電撃の雨を浴びせる。量で圧倒する気だ。レイはすべてを切ろうとせず、進行を阻むものだけを処理し、足を緩めないように努める。
あと少しで懐へ飛び込めるところで、地面を舐めるように電撃の波が襲う。レイはそれを宙へ跳んで避けるが、すぐにそれが悪手だと気づかされる。
空中で身動きできないレイの頭上に、大きな雷の塊が現れた。それは一つではなく、いくつもレイの周囲に展開される。同時に攻撃されれば、瞬劫を使用しても防ぎきれない。
万事休す。それでもやるしかない。レイは祈りながら刀を構える。
その視界の端を、何かが異常な速度で跳んでいくのが見えた。
ゼロワンだ。
「死ねえええええ!!!」
白炎と見間違う髪を靡かせ、憎しみの込められた一刀が雷公鶴の片翼を切断した。獰猛に滾る殺意を爆発させ、爛々と輝く血のように赤い瞳が雷公鶴の瞳と交差する。ゼロワンは口角を吊り上げ、獲物を強く握り締めた。ユリよりも遙かに高密度な白い光を放つゼロワンは、宙で身を捩り、二撃目を繰り出そうとする。
だが、その身体は青白い閃光によって弾き飛ばされ、地面を穿いた。数十メートルにわたって大地を抉り、巻き上がる土煙。
彼はその場に倒れ伏したまま動かなかった。




