EP 35
敗北の味と友の誓い
サブリナの『土魔法』による容赦ない面制圧を受け、意識を失ったキャルルは、勇太とイグニスによって闘技場の奥にある選手用医務室に担ぎ込まれた。
石造りのひんやりとした簡素な部屋には、長椅子と簡単な医療キットが置かれているだけだ。勇太がキャルルをそっと長椅子に寝かせ、応急処置をしようとしたその時。
「キャルルッ!!」
バンッ! と扉が弾け飛び、特等席から駆けつけてきたリーシャが、息を切らしながら部屋に飛び込んできた。
「しっかりなさい、キャルル!」
普段の優雅さや冷静さはどこへやら。リーシャは焦燥に満ちた顔でキャルルの傍らに膝をつくと、震える手でマジック・ポーチから『特製ハイ・ポーション』を取り出した。
自ら開発した最高品質の銀色の液体をキャルルの傷口に振りかけ、さらに両手をかざしてエルフの秘術を紡ぐ。
「聖なる光よ、その傷を癒やし、安らぎを与えたまえ……『ヒール』!」
ポーションの圧倒的な再生力と、リーシャの手から溢れる温かい光が、キャルルの小さな体を優しく包み込む。吹き飛ばされた際にできた無数の打撲や擦り傷が、みるみるうちに塞がり、痛々しい痕跡が薄れていく。
「……ん……ぁ……」
やがて、キャルルの長い兎の耳がぴくりと動き、彼女はゆっくりと赤い瞳を開けた。
「……ここは……? あ……そうか。私……負けたんですね……」
サブリナが放った、圧倒的で絶望的な一撃を思い出したのだろう。キャルルの瞳から、みるみるうちに光が失われていく。
その声は、体の痛みではなく、自分の未熟さを噛み締めるような、酷くか細い響きを持っていた。
「キャルル、気がついたか。大丈夫か? 体に痛いところはないか?」
勇太が、心配そうに彼女の顔を覗き込む。
その優しく、どこまでも温かい声が――極限まで張り詰めていたキャルルの心の糸を、ぷつりと切ってしまった。
「うわ〜〜んッ! ユウタさぁ〜んっ!」
キャルルは起き上がると同時に、弾かれたように勇太の胸に飛び込み、子供のように声を上げて泣き出した。
「ごめんなさい……! ごめんなさいっ! 私、全然歯が立たなくて……! 一生懸命修行した月影流の技も、かすり傷ひとつしか付けられなくて……! 悔しい……! 悔しいですぅっ……!」
ボロボロと大粒の涙を流し、勇太の服を強く握りしめる。
彼女の小さな背中が、武闘家としてのプライドを粉々に砕かれた絶望と、不甲斐なさで激しく震えている。
「謝ることなんてない。……君は強かった。立派な武闘家だったよ。今は、泣いていいんだ」
勇太は何も言わず、ただ彼女の悔しさを受け止めるように、その頭を優しく撫で続けた。リーシャも、ハンカチでそっと目頭を押さえている。
イグニスは、そんな彼らの様子を、部屋の隅で壁に背中を預けながら黙って見ていた。
腕を組み、うつむき加減で影になったその表情は、普段の豪快な彼からは想像もつかないほど『静か』だった。
その時である。
部屋の外にある拡声魔道具から、進行係の無機質な声が響き渡った。
『次! 第四闘技場! 予選Dブロック! イグニス・ドラグーン選手! 入場準備!』
その声に、イグニスがゆっくりと顔を上げた。
彼は、勇太の胸で泣きじゃくるキャルルを一瞥すると――ギリッ、と奥歯を鳴らし、固く拳を握りしめた。
「……見てろよ、キャルル」
地を這うような、恐ろしいほど低い声だった。
彼は壁に立てかけてあった巨大な模擬戦斧を片手で軽々と肩に担ぎ、闘技場へと続く重い扉に手をかけた。
そして振り返りざま、燃え盛る黄金色の瞳で、仲間たちに向けて静かに、しかし絶対的な殺意を込めて宣言した。
「お前の流した涙の分まで、俺が全部『倍返し』にして闘ってやる。……あの銀髪の冷血女も、タテガミ野郎も、俺様が一人残らず粉々にぶっ飛ばしてやるからな。待ってろ」
その背中には、いつもの自信過剰な雰囲気だけでなく、仲間の無念と悔しさを背負った戦士としての、底知れない覚悟の炎が燃え上がっていた。
「頼んだぞ、イグニス」
勇太は、泣きじゃくるキャルルの背中を優しくさすりながら、静かな怒りを纏った竜人族の背中を頼もしく見送った。
ホープ・クローバーズの反撃の狼煙が、今、猛き竜の咆哮と共に上がろうとしていた。




