昏き繭の中、その神は確かに「滅び」を呼んだ その4
とりあえずコウタに返し忘れた短剣をポーチの中から取り出して構える。アトラに理屈はともかく魔術が効かない以上、物理攻撃に頼るしかない。今のMPの残量では糸の甲殻を突き破るような攻撃ができないが、あの蜘蛛の赤い目玉を貫き通すくらいのことはできるはずだ。
「......ごー」
まずは愚直に突撃する。この小さく弱い体ではアトラと真正面から撃ち合うことは流石にできない。『肉体の解放』は腕力や脚力を素晴らしく強化してくれるが、あくまで『解放』であるため流石に肉体の耐久性までは補助してはくれない。であるならば、一撃入れたら離脱する戦い方の方が良いだろう。アザトースとしては相手の攻撃を全て受け切って絶望させた後、耐えることのできない絶対的な一撃で葬る戦い方を永い生命において行ってきたが、こういった弱者の戦い方も悪くはない。高揚感がアザトースを包み、前へ進む足がさらに早くなる。
「......よし」
真っ直ぐにこちらに向かってくるアザトースを潰すために、アトラは持っていた薙刀を槍投げの要領で投げつける。アザトースはそれを飛び跳ねるようにして避ける。アトラとしても避けられることは織り込み済みだったのか、蜘蛛の下半身を生かしてアザトースの方を向きながら機敏な動きで距離をとり、そして蜘蛛の口から消化液をアザトースの動きを制限するために薙ぎ払うように地面に撒き散らす。消化液の水溜りをアザトースが踏みつければ、すぐに足がドロドロに溶けて、消化液に含まれた毒が体に回って動けなくなる。飛び跳ねて避けるというのなら、着地点に合わせて消化液を吹きかけるだけだ。その場で立ち止まるのであればヒゲが生えた方の下等生物を殺しに向かうか立ち止まった瞬間を狙って糸で拘束すればいい。アトラはどの選択をアザトースがしようとも確実に無力化できると踏んでいたが、その程度の考えではアザトースは止まらなかった。
「......『踏み躙られた空』」
消化液手前で飛び跳ねたあと、アザトースは魔術を発動する。重力に縛られない本体では使う機会のなかった魔術だがこの体なら使い道がある。虚空に足を伸ばし、踏みつける。魔力が本体並みにあれば空中を縦横無尽に走り抜けることも可能だが、今は一瞬空中に止まるだけだ。だが、それでいい。予想外の軌道でアザトースに懐まで近づかれ、アトラの一番右の目に向かって短刀が突き刺さる。しかしアトラも愚かではなかった。体を傾けて刺さる位置をズラして目が潰れないように調整する。
「......む」
そのまま蜘蛛の顎でアザトースを挟み消化液を注入してやろうとアトラは考えたが、至近距離で攻撃を喰らうことを嫌ってアザトースは再び重力を無視した不可解な軌道で後ろへ下がる。十分な距離を取った後、アザトースは隙を探すかのように、クルクルとアトラの周りを走り回る。アザトースのやり口を察したアトラは、もう一度来るであろう突撃に備えて策を張る。アトラは思う。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というのは実にいい戦術だが、相手が悪い。蜘蛛は蝶も蜂も捕食する。どれだけ動き回ろうとも、最後は屍を晒すのみだ。




