昏き繭の中、その神は確かに「滅び」を呼んだ その3
アトラは理性ある神である。故に、侵入者二人の会話から髭の生えた男が自らを殺しうる手段をもっているのだと判断する。まずはそちらを殺しにかかったほうが良いだろう。小娘の方も危険ではあるが恐るるに足りない。下等生物如きが深淵なる力の一端を知るなどアトラにとっては不愉快極まりない話だったが、所詮は下等生物。神たる自分と同じ土俵で闘おうなど驕りがすぎる。そもそも蓄えられる魔力の量が違うのだ。アトラは下等生物二人を心の中で嘲笑いつつ、悠然とアザトース達の逃げた先へ進み出した。
時間を稼ぐには、アトラの注意をひけばいい。しかしアトラはアザトースのことをそこまで警戒していないだろう。結局手傷を負わせられなかったアザトースよりも、鎧を纏う前とはいえ傷を与えたアンドレの方が危険と考えるはずだ。だがアトラが魔術に耐えるなら、それはそれで戦う術はある。アザトースはアトラの方に向かいながら自らの胸に手をあてて魔術を使う。
「...『肉体の解放』」
コウタと違いアザトースの肉体は貧弱だ。アトラの動きに追いつくためにも、アザトースは肉体の損傷を無視した出力で発動する。心臓の鼓動が早まり、血管がちぎれそうなほどに血の巡りが早くなる。目が充血して白目の部分が赤くなり、その肌には細い血管が浮かび上がる。HPとMPのゲージを見れば『肉体の解放』の効果で少しずつ減っている。だが問題はない。1分程度なら十分に保つ。一呼吸した後、一歩大きく踏み込んで加速する。その勢いは弾丸のように早く稲妻のように鋭かった。アザトースの急激な加速に完全に出遅れたアトラの、蜘蛛とヒトの部分の付け根あたりに強化棍をすれ違いざまに叩き込む。糸の鎧を叩き割り、そのまま肉を抉る感触が確かにアザトースの手に残る。その勢いのままさらに背後に回り込んでもう一撃を入れようとした瞬間、アザトースはあることに気づく。
「.......『肉体の補填』」
アザトースが魔術を発動すると、ボコボコと肉が沸き立ち引きちぎれた右手を再生する。アトラの腰の辺りにはオスカーの強化棍がアザトースの右手に握りしめられたまま刺さっていた。肉体の損傷はせいぜい筋肉の断裂や骨折くらいなものだと思っていたのだが、まさかここまでとは。アザトースはこれ以上の自爆を防ぐため『肉体の解放』の出力を落とす。HPの減少は止まったが、右手がちぎれたせいもあって体力は残り少ない。ガシャガシャと八つの蜘蛛の足を動かしてアトラがこちらに向き直る。のっぺらぼうな上に糸を固めて作った兜をつけているヒトの顔にも、表情というものがないはずの蜘蛛の顔にも喜悦が浮かんでいるようだった。強化棍が刺さったところから血が出ていないあたり、鎧の厚みに負けて肉の奥深くまで釘が刺さってないのだろう。引き抜いて捨てないことで武器を奪ったままにしているあたり、この神はかなり性格が悪い。だがまだまだ手立ては残っている。
「...のこり30びょう」
耐え抜くだけだ。
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