3ー10 対決
彼らは謁見の間にいた。
目の前には玉座の片方の肘掛に肘をついたまま、ビックリして顔を上げた女王がいる。
真っ先に動いたのはユージーンだった。
女王に駆け寄り、ビターンと平手を一発かました。
「よくも人の事首だけにしてくれようとしたわね!」
さすがの女王も張られた頰を抑えて呆然としている。
彼女はすぐに我に返ってユージーンの腕をつかみ、「無礼者が」と強い眼差しで睨みつける。
ユージーンの頭がくらっとなり、下がって跪かなくてはいけないような気がする。
しかし、彼女は騎士寮の訓練で、精神系魔法に対してどう対処するかすでに学んでいる。
ブローチを握りしめた左手で、掴まれている右手の甲をぎっと強くこすりつけた。
ブローチの裏にある、服に止めるための機構から僅かにはみ出たピンが、ユージーンの手を傷付け、細く赤い血の線が浮かび上がった。
ユージーンは女王を睨み返し、左手の指を二本立て、目潰しをかました。
反撃された事も、されると思った事もないであろう女王は、甲高い悲鳴をあげた。
掴んでいたユージーンの腕を離して、両目を押さえてうずくまった。
やってやったとばかりに鼻息荒くユージーンが後ろを振り返ると、東の塔にいたメンバーの他に、メルティナと使節団もそこに居て、唖然とした顔でこちらを見ている。
使節団の謁見の挨拶中に、急に間に割り込むように現れて、女王を張り飛ばした。
「無礼者」というのは正しい。それはユージーンも認めよう。
その時、部屋中の金属が共鳴し始めた。
カイアンとリンドーラの腕輪がみるみる冷気を帯びて霜に覆われる。
そしてすぐに腕輪の霜は消え、今度は熱を帯びてきた。強い魔力が流し込まれているのだ。
ユージーンの握りしめるブローチも熱くなってくる。
「お母様!やめてください!」
リンドーラの声も耳に入らないのだろう。女王の力は止まらない。
ユージーンは我慢できるギリギリまで待って、女王のドレスの胸元にブローチを突っ込んだ。
女王は服の中の熱に驚き、金属に流される魔力が止まった。
謁見室にはわらわらと衛兵たちが集まって来た。
宮殿から外に出る通路は既に塞がれている。
玉座の左側のアーチから、シルサリスが合図を送り、エルダが「そっちです!」と誘導した。
なぜか一緒にメルティナ達も付いてきている。
ティムトはしんがりのつもりだったので、その後ろから使節団が一緒に逃げてきていることに驚いた。
「叔母様、どうして?」
「どうしてじゃ無いわよ、置いていかれても困るんだから説明しなさい!」
ティムトは走りながら、少し考えて簡潔に言った。
「エルフの国に飛ばされて、近くだったのでカイアンを助けに来てました。」
「全然わからない!」
メルティナのツッコミは悲鳴に近いものだった。
一行はシルサリスの誘導で一目散に階段を上がり、扉を開けると広い場所に出た。
王宮の真裏にあるリンドーラが飛ぶための広場だ。
ここでは王女が変身する時に服を脱ぐ必要があるため、宮殿側に窓は無い。
シルサリスは一行が広場に出るのを見届けると、内側から扉を閉めた。
広場側からはエルダが衝立で扉につっかえ棒をかまし、メルティナの護衛騎士達が扉を抑える。
ドドドッと大勢が押し寄せる音が聞こえたが、すぐに静かになり、扉を開けようとする音は聞こえない。
やっと一行は一息ついて座り込み、マルフィンがティムトにちょっと嫌味を言った。
「あんたの妹狂犬ね!」
「惚れ惚れしますよね!」
嫌味は全く通じなかった。
「ちょっとスッキリしました。」
エルダが女王のビックリ顔を思い出して少しだけ笑った。
リンドーラも皆と一緒にここまで来てしまった。
母である女王は敵では無いと思いたかったが、カイアンに滞在を強要する為に薬物だの人質だのと、自分までもが何度もだまし討ちを食らっている。
今はおさまった腕輪の熱を思い出し、恐ろしさに震える。
自分が近くにいるにもかかわらず、女王は龍の力を行使し、静止に耳を傾けなかった。
女王の執着は彼女の理解を超えていて、もうついていけない。
広い舞台は、外壁からは少し離れているが充分な高さがあり、脱出しようと思えばユージーン達は、少し風の精霊の助けがあればここから外へ出られるだろう。
しかしカイアンは?
マルフィンとユージーンはカイアンを見た。
リンドーラも血の気の引いた顔のまま、カイアンの決断を待っている。
彼女はカイアンの顔が見れない。目を合わせて、そこに何があるのか知るのが怖いから。
カイアンはリンドーラに歩み寄り、震えている両手を取って言った。
「王女様、貴女はこの異国で私にとても親切にしてくれた。それは決して忘れません。」
やはりカイアンは行ってしまうのだ。
この国は、私は選ばれなかった。
覚悟していたこととは言え、彼の決意を知ってリンドーラの目からじわりと涙が溢れ出した。
「いいえ、私達は貴方に酷い事ばかりしてきました。本当にごめんなさい。」
カイアンは小さく首を横に振った。
「少しだけ、目を閉じてください。」
リンドーラはほんの少しだけ期待しながらも、カイアンの言う通りにぎゅっと目を閉じた。
握った両手が持ち上げられ、僅かに風を感じた。
「もう目を開けて良いですよ。」
目の前にある自分の腕から、あるはずの腕輪が消えていた。カイアンの腕にも無い。生まれてから陽に晒されたことのない彼女の腕の皮膚はひときわ真っ白に見える。
「えっ?ど、どうやって?」
カイアンはにっこり笑って「秘密です。」と言った。
後ろで「竜の口」を初めて見た者は信じられないものを見た顔になっている。
「どうか、貴女も幸せに暮らす事を望みます。」
そう言って手を離すと、カイアンの人の姿がゆらりと消えて、目の前には巨大な竜が現れた。
腕と翼が一体化した、ワイバーンのようなカイアンの竜の形。
小枝が分かれた角を王冠のように頭上に戴き、優しい瞳はたしかにカイアンのものだ。
メルティナ以外は、カイアンの竜の姿を見るのは初めてだ。
呆然とアゴを落としている一行の中で、ユージーンだけが綺麗、カッコいいとペタペタ触り始めた。
大きな竜は全員が背中にしっかり掴まるのを確認すると、リンドーラの方を見て、ぺこりと目を閉じながら頭を下げた。
そして、大きな翼を広げて北へ悠々と滑空していった。
舞台にはリンドーラとエルダが残された。
二人は遠ざかる竜の姿を羨ましく見つめていた。
「とても大きな竜、だったわね。」
「姿もずいぶん姫様とは違いますね。」
だいぶ遠く小さくなったが、背中に乗った誰かがこちらに大きく手を振っているのが見える。
それを眩しそうに見ながら王女は口を開いた。
「エルダ、私、幸せになれるのかしら。」
「姫様は幸せになるために生まれてきたのですよ。」
「…もうエルダにお給料が払えなくなっても良いでしょうか。」
「超一流の冒険者である私が、姫様を養って差し上げます。」
淡い空色の龍が、エルダを抱えて舞台から飛び上がり、北へ飛んでいく竜を追いかけた。
ーーーーー
ルゴーフの国境を越えてエルフの国に入ったカイアンは、着地に失敗してしまった。
足からちゃんと降りたのだが、背中の人間の重みを忘れてバランスを崩し、たたらを踏んで首から大地に突っ込んだ。
「飛ぶのは久しぶりだったので、すまない」
大きな竜から、控えめに話す人間のか細い声が聞こえ、彼の竜の姿を見るのが初めての者達も、本当にこれがカイアンなのだと改めて実感する。
横たわる竜の背中から人間達がそろそろと滑り降りると、翼と一体化した体の割には華奢で長い腕を縮めて、地面に投げ出された体をゆっくりと起こした。
「物凄い地響きがしたと思ったらお前達か。…なぜ増えている。」
エルフの姿のシルヴィールが怒りながらどこからともなく現れた。
「地下の整備が大変だと言ったろう。ドワーフもろとも私を埋める気か。」
マルフィンが捕まって説教されている。
「あとちょっと片付けが済んだら仕事に戻りますから!」
その時、青い顔をしたティムトが左胸を抑えた。
ユージーンが顔色の悪い兄を見て「ティムト兄様?」と尋ねる。
正式な手続きも無しに契約者から離れすぎた事で、印の戒めが痛みに変わったのだ。
何でも無いと言うように手を振るが、口を開いたらうめき声が出てしまいそうで、必死に歯を食いしばって笑顔に偽装しながらユージーンから遠ざかる。
事情が分からない者たちが不安そうに見つめる中、一行から後ずさっていくティムトを後ろからシルヴィールが捕まえた。
触れられたところに激痛が走り、思わず声が出てしまった。
「少し我慢しろ。痛いだけで死にはしない。」
メルティナの護衛騎士達が地面に崩れ落ちそうなティムトを支え、手を貸しながら彼の鎧を外すと、鎧下の内側で奴隷の印が赤く光っているのが透けて見えた。
ほんの変装のつもりで施した奴隷の印が、今ティムトを苦しめているのを見てマルフィンとユージーンは息を飲んだ。
「兄様、今、楽に…」
「やめてユージーン、シルヴィール様にお任せして。」
ユージーンは決してそういう意味で言ったわけでは無いが、マルフィンは本気で彼女をおさえた。
シルヴィールは露わにされた印の上の方を爪でコリコリと引っ掻き、ぺろりと剥がした。
今まで歯を食いしばっていたティムトの顔が急に真顔になった。
そして剥がされた印を見て全員が目を見張った。
「…それは、そういう物なのですか?」
「そうじゃ無い物を付ける訳にはいかないだろう。」
シルヴィールは何を言ってるんだと言う顔でマルフィンを見返した。
涙目のユージーンがシルヴィールの背中をぽかぽかと叩いた。
彼はマルフィンに目で説明を求めたが、彼女は重々しく頷いて、その刑罰を甘んじて受けるよう促した。
そこに美しい空色の龍が優雅に舞い降りてきた。
皆が見守る中、龍は大切そうに抱きかかえていたエルダをそっと地に下ろした。
エルダはマントを外して龍の前で広げると、龍はリンドーラの人の姿に変わった。
「ごめんなさい、来てしまいました…」
リンドーラはマントにくるまり、恥ずかしそうに俯きながらそう言った。
立て続けに起こる驚きの連続に、一同は声も出ないでぽかんと見ている。
皆のビックリ顔に、リンドーラは歓迎されていないと思って悲しくなり、エルダに目線をやって助けを求めた。
マルフィンが前に出てリンドーラに話しかけた。
「エルフの国は王女様を歓迎します。エルフは保護を求める者を追い返すような真似は致しません。」
「そうだな。力の行使だけ気をつけて貰えるならば、受け入れられるだろう。」
シルヴィールも同意し、やっとリンドーラも安堵した表情になった。
「私、もう流されないで自分で生きることをここで学びます。皆さんのように強くなりたいのです。」
リンドーラの強い決意に、そこにいた皆が笑顔で答えた。
「悪い見本は真似しちゃダメよ」
メルティナの言葉に、皆が一瞬ユージーンを見た。彼女も頷いてそれに同意した。
「皆さんをウェルディアに帰す手配が必要ですね、エルフの王宮に参りましょう。」
マルフィンが先導し、皆は王宮に向かって歩き始めた。
「いつまでそうしている?人の形をとれ。」
シルヴィールが、一行が歩き出したのを見守る竜に向かって言った。
「誰か自分にもマントを貸してください。」
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三章はここまでです。お読み下さった皆様に感謝を。