3ー2 約束
騎士寮の見習いが生活する四人部屋で、ユージーンはふくれっ面で二人の兄を睨んでいた。
ティムトもキールも目を逸らし、彼女を見ない様にしている。
「お兄様は何でも手伝ってくれるって言いました。」
「言ったな。」
「言った。」
空色の瞳が涙で揺れて見える。噛み締めた口元から絞り出す様な声が聞こえる。
「うぞづぎ…」
「嘘じゃないぞ!」
「そう、出来ないこともあるんだ!」
兄達の弁明も、ユージーンには響かない。
「何の手がかりもないのに、漠然と助けに行くなんて無理だ。西の国に行くのに何日もかかるし、叔母様だって有能な冒険者がいたから行ってこれたんだよ。」
「叔母様の方で使節団として向かわれるそうだから、ここはベテランの方々に任せよう?」
それには答えず、ユージーンの目から涙が溢れひざで握った拳にポタポタと落ちる。
兄達の必死の説得が続く。
「君はまだ見習いで、ここでいろんなことを学んでいる途中だ。友達を助けに行くのは君の仕事じゃないだろう?」
ユージーンは泣きじゃくって、時々「ちが…」とか「私…」と言いかけては、話しきれずに言葉が止まってしまう。
ティムトは彼女の優しく背中を撫でてやり、キールは「ゆっくりでいいよ」と辛抱強く話し出すのを待った。
「マウレがカイアンを憎んだのは私のせいなの…」
「そんな事ないだろ、入寮当初から嫌がらせがあったって証言がある。」
「そうだけど、私は相手が二度と歯向かってこない様に徹底的にやれって、お兄様達に教わったからそうしたの。」
「それでいい。それで?」
「そしたら、何をしても反撃してこないカイアンに全部向かう様になった。だから私のせいだ。」
ユージーンは自分の発言で、改めて自分がしてしまったことを噛み締めた。
堪えていた涙がどっと溢れ出し、後悔で喉が詰まって言葉が出ない。
「ユージーン、犯罪は犯した奴が悪いし、イジメはいじめた奴が悪いんだ。お前が気に病む事じゃないよ。」
「そんな風に思えないよ…」
「とにかく、情報が足りないし、僕らはまだ弱い。これらがクリアできなきゃ反対されて当然だ。」
「お前に部屋で謹慎命令なんてしたくないんだ。良い子で連絡を待とう?」
ユージーンはやがてこっくりと頷いた。兄達はぽんぽんと背中を優しく叩いて部屋を出ていった。
自分のことしか考えてなかった。正義の鉄槌を下した気分になっていた。
その怒りや憎しみの矛先が無抵抗の者に向かうなんて考えたこともなかった。
何一つ文句を言うでもなく、黙って後始末をしていたカイアンを思い出す。
彼は全て飲み込んで、静かに耐えることを選んでいたのに。
彼の描いた未来を殺したのは私だ。
自室のベッドで、ユージーンは後悔と無力感に涙を流し続けた。
ーーーーー
カイアンは気がつくと暗闇の中にいた。
眠りから覚めた時と感覚が似ている。だが、眠る様な食事をした覚えはない。カイアンの中の知識が、気絶状態からの復帰だと教えてくれる。そうか。だがなんで?
カイアンの最後の記憶は、騎士寮の裏手でマウレと話をしていたところだ。
急に犯罪者だの、証拠があるだのと言われ、見たことのない魔導器の様なものを突きつけられた。
理解に時間がかかっている時に、後ろから捕縛された様な気がする。
思い返してみても訳がわからないままだ。
そして、今暗闇の中にいるのは目隠しをされているせいだと気がついた。
それを取ろうにも両手を後ろでガッチリ縛られている。そう言えば足も縛られている。
一瞬、手首のあたりにチリっとした痛みが走った。
今寝かされているのは床や地面ではなく、ポワポワしたものの上だ。そして暑い。
ポワポワに触れている部分が汗で不快になってきた。なんとか頑張ってうつ伏せの状態から横向きに姿勢を変える。
「気がついた様ですね。」
離れたところから女の声がした。少し考えるが聞いた覚えのないものだった。
「どちら様ですか?」
するするとこちらに近づいてくる様な微かな音がした。なぜかひんやりとした空気もこちらにやってくる。
「妾はトーレヴィ。」
やはり聞いたことのない名前だ。ここは「初めまして」と挨拶するべきだろうか?
だが、カイアンの中の知識は「これは誘拐だ」と警鐘を鳴らす。
こんなに穏やかに話しかけてくる人が敵なのだろうか。
ぎしりと揺れを感じ、頭の後ろ側に何かが触れるのを感じる。
目隠しを外され、ようやく視界が自由になり、初めて視覚を得たときを思い出した。
周りの全てが色を持ち、意味あるものに変化した。
石造りの壁と騎士寮よりも豪華な調度品、窓には青い空だけが見え、強い光が格子に遮られている。
自分が横たえられているのは寝台の上で、天蓋もついた立派なものだ。
寝台のそばに立っているのは、美しい白い女性だった。
年齢はカイアンより少し上だろうか。メリハリのある体を透け感のある涼しげなドレスで覆っており、妖艶な大人の色気を醸し出している。
小さな宝石を散りばめられた白く長い髪はヴェールのように広がり、頭に乗せられた精密な細工の冠が意味するものは、この女性はどこかの姫か女王では無いだろうか。
藤色の瞳は長い睫毛に縁取られ、強い眼差しでこちらを見つめていた。
カイアンは何処かで彼女を見たことがあるような気がした。
彼女は今まで見てきた人間の中で最も美しく作られている。
芸術品が命を持って動き出したような彼女を見ながら、どこで見たような気がするのかは思い出せない。
「其方に危害を加えるつもりはない。だが、その方が我らを一飲みにしてしまわないという保証がなくば、自由にする事は出来ぬ。」
一飲み。この人は自分が竜だと知っている様だ。騎士寮ではちゃんと秘密にできていた。
「竜の口」について知っているのは、シルヴィールとマルフィン以外に誰かいただろうか?
「其方は我が聖龍王国に属するべき者。どうか我らに力を貸してほしい。」
カイアンの目をじっと見つめたまま、彼女はゆっくりと近付いてくる。
彼の顔に冷たい指が触れた瞬間、身体がそれを避けて跳ねた。
カイアンの中の怒りの感情が膨れ上がる。
「べき」と言いながら他人を縛る奴は大嫌いだ。
カイアンの頭は理解出来ない事でいっぱいなのに、感情だけが相手を敵と断じて怒りに振り切れる。
彼女が離れるにつれて冷気もまた離れていき、彼女が目を伏せて小さなため息をついた。
「きかぬか…」
さらりと衣擦れの音だけをさせて彼女は扉の方へと向かった。
「ゆっくりで構わぬ。我らのことを理解して欲しい。」
扉が閉まり、無慈悲な音が部屋に響いた。
少しして、再び扉の開く音がした。
「お食事を持ってきましたよ。」
また違う女性がやってきた。
見たこともない空色の髪をした少女だ。空色といっても、朝の空の様な白に近い、淡い色をしている。
東の国ではその様な色の髪をしたものは見たことがなかった。
食事の盆を持ったもう一人の女性は黒い髪をきっちり結い上げていて、それは東でもよくある髪の色だ。
空色の少女の瞳は深い海の青で、こちらを見るのではなく僅かに視線を逸らしている様だ。
しかし彼女らは敵の仲間だと思うと、何が入ってるかわからない食事など口になど出来ない。
「いりません。」
「そう言わずに。死んでしまいます。」
しばらく「食べろ」「食べない」の押し問答が続き、説得を諦めた空色の少女が、「食事は置いておきますから。」と引いた。
「聞きたいことがあればなんでも聞いてください。できれば貴方には喜んでこの国にいて頂きたいのです。」
さっきの人間とは違って言葉使いも普通に聞こえるし、言うことを聞かせようという威圧感はない。
「貴女はどなたですか?」
「私は王女リンドーラ、…です。」
何かを言いかけてやめた様な間が入った。
「ここがどこで、何のために連れてこられたのか教えて欲しい。」
王女はため息をつき、「何も聞かされていなかったのですか。」と小さく呟いた。
「ここは聖龍王国ルゴーフの王宮です。今、この国では龍が減ってしまっているのです。」
ルゴーフは知っている。東のウェルディアと戦争をしたがっている西の国だ。他には、砂漠の向こうの暑い国で、聖龍王国と名乗っているからには龍が居るんだろう、程度の認識しか無い。
「龍が減っているのの何が問題なのかわからない。」
「私たち龍は人に無い強大な力を持ち、人に代わってこの国を治めてきました。ですが、今はもう数が減りすぎてしまい、新たな龍が生まれなくなってしまったのです。」
「私たち?人間に見えますが、貴女は龍なのですか?」
「貴方もそうでしょう?人の姿と竜の姿があると聞いています。」
カイアンはそれにはあえて答えなかった。
「エルダ、枷も外してあげて。」
「はい。」
エルダと呼ばれた黒髪の女性が、カイアンの後ろで何か作業したと思ったら、両手が自由になった。足もようやく自由になり、楽な姿勢に座り直すことが出来た。
肘から下の腕には、見覚えのない腕輪がはまっている。組み合わせられた金属で出来ていて、腕輪というより鎧の一部の様だ。
「この腕輪は私たち龍を逃さないための魔導器だと聞いています。」
そう言って自分の腕にも同じ腕輪がつけられているのを見せた。
「お揃いですね。」
そう言って微笑んだ王女の顔は、少しだけ苦いものだった。
その苦い笑顔はカイアンの胸の深いところにキンと刺さった。
「本当に、お願いをする立場で枷などおかしい事だとはわかっているのですが、女王の命令ですのでどうかお許しください。」
女王とは、先程話をした女性のことだろう。
王女は注意事項として、腕輪を外そうとしない事、金属の武器を使用しない事、王宮の外に出ようとしない事、窓の向こうは境界が近いので、手を伸ばすと危ない事などを説明し、「また食事の時間になったら来ますね。」と部屋を後にした。
再び部屋に一人で取り残され、手枷もつけられたカイアンは、寝台を降りて窓の方に歩いた。
敷物はさらりと触り心地のいいものだが、裸足で床を歩く冷たさの方が心地よかった。
窓の外に広がる景色は確かに外国で、白い砂漠と赤い荒野、そして遠くに青い海が広がっていた。
日差しは確かに強い様で、砂漠の白を見ていると目がジンと痛くなる。
彼女らは食事を置いて行ってくれはしたが、後ろ手の状態では食べられないことに気がついた。
初めて見る薄く平たい形のパンと、何かの煮込みが盛り付けられている。
匂いを嗅いでみると、香辛料のスッキリとした涼しげな香りがして、この国独特のものだとわかった。
あの王女のことだから、食事に怪しい混ぜ物をするような事は無いだろうとは思うが、カイアンの中で警告が鳴り止まない。匂いの強い香辛料は混入物の風味を隠す。
初めて見る外国の料理に興味はあったが、口に入れるのは止めておくことにした。
ふと東の王国のことを思い出した。
見習いとしてまだ武器の訓練が途中だったとか、訓練で疲れて食べる寮の食堂はなんでも美味しかったとか、マルフィンへの手紙は書きかけのまま置いてきてしまったとか。
約束も置いてきてしまった。
国王を守って欲しいと言ったのはシルヴィールだ。
彼は最初こそ頭から命令をして、カイアンにアレをしろこれをしろと、勝手に決めて指図していた。
だが知りたい自分に知る機会を与え、人の間で暮らす手段をくれていたと今になって思う。
そして、彼と一緒に訪れた国王が、まるで大人の姿をした子供の様に興味津々でこちらを見ていたのを思い出した。
カイアンが口にした子供の様な単純な願いに、彼が本気で葛藤し、出来る事と出来ない事の間で揺れている顔が蘇ってきた。
あの表情を見たから、嫌がらせが続く騎士寮での生活も何でもなかった。
彼は人の上に立とうとする者ではなく、人が立つ所を作ろうとしている。
彼が王である前からずっと、ありとあらゆる技術が彼の手を介して国を豊かに変えてきたそうだ。
私たちにはわからない、彼だけに見える美しい未来に向かって、未だ一生懸命に手を伸ばしている。
彼はずっと我々に「豊かである幸福」を与えようとしてきたのだ。
だから自分が人でも竜でも、あの王に仕えたいと思った。
それなのに今、こんな事になっている。
女王にハッキリ嫌だと言ったらどうなるだろう。殺されてしまうだろうか。
生きてここに止まるか、命がけで抵抗を試みるかの二つに一つなのかも知れない。
ユージーンなら、それがどうしたと言わんばかりに抵抗する方を選ぶだろう。金の髪を王冠の様に誇らしく上げたまま自由を選ぶのだ。
彼女の行動だけは全く予測できなかった。本人は自分の中の確固たる基準に則って怒ったり笑ったりしているのだろうが、どうにも理解が追いつかない。
それでもこの予想はきっと当たっている気がする。
今頃、心配したり悲しんだりしていないといいが、と声に出さずに願った。
リンドーラさんの挿絵追加しました。20181204




