森野の陰謀
「そのダンボールはあの部屋へお願いします。あぁ、それは洗面所へお願いします」入籍を済ませた香澄改め滝沢 可憐は、一年半ほど前に滝沢 龍昇が購入した新築一戸建て住宅に引っ越して来ていた。
「どうもありがとう。これ少ないけど、皆さんで昼飯代の足しにでもして下さい」滝沢は引越業者のリーダーへ、一人頭二千円のご祝儀を渡した。
「ありがとうございました。空きダンボールはこちらにお電話下されば、引き取りに伺いますので宜しくお願いします」慌ただしく過ぎ去った引越し作業を終え、二人はダイニングテーブルに腰をかけ、一息ついた。
「ねぇ、龍昇君、コーヒーでも入れようか?」今だエプロン姿の可憐が言った。
「おっ、良いねぇ…イヤ、良く考えたらコーヒーカップが一組しかないや。他の食器類も一組しかないし、どうだ?これから買い物にでも行かないか?」
「うん、そうだね。その前に食器棚をチェックしても良い?必要な物、足りない物を見ておきたいし」そうして二人は滝沢の運転するプリウスに乗って買い物へと出掛けた。
休みが明け、滝沢は兼ねてから企画を進めて来た新作 "ドラゴンストリーム" に取り掛かっていた。新婚生活を始めたばかりの滝沢にとって、可憐に対する申し訳なさがあったものの、社内はもちろんの事、業界内からの期待にも応えるべく、残業続きの日々を送っていた。しかし可憐は、深夜に帰宅しようとも、必ず起きて滝沢を迎え入れ、懸命に内助の功を努めた。そして時に行き詰まり帰宅する滝沢は、誰の目から見ても不機嫌な態度を取った。そんな日々を過す内に、可憐はマリッジブルーに近い精神状態になっていった。そんなある日の事だった。
「あれ?君、香澄 可憐さんじゃないか?」スーパーマーケットからの買い物帰りの可憐に声を掛けて来たのは、一度だけあった事のある男だった。可憐はキャビンアテンダントと言う仕事柄なのか、人の顔を覚えるのが得意で、男の事も覚えていた。
「まぁ、確か…森野さんでしたっけ?」自身の夫との出会いの時に居合わせ、夫の知り合いだと言っていた事もあり、可憐は名前まで覚えていた。
「イヤー、覚えてくれてたんだ、嬉しいなぁ。なんか元気がないように見えるけど、どうかしたのかい?」可憐は夫の知り合いと言う事もあり、森野の誘いのまま、カフェレストランへ行った。そしてそこで滝沢とその後、結婚した事、新婚生活をスタートさせたばかりにも限らず、夫とのすれ違いが続いている事などを話した。
「うーん、分からなくもないなぁ。アイツはね、同期だから良く知っているんだが、君のような美人タイプの容姿の女性は好まないんだ。悪口を言うみたいで気が引けるんだが、少しロリータ好みって言うのかな?可愛いらしい女性を好むんだよ」森野の言葉は可憐に衝撃を与えた。自分が好みのタイプとは違うなんて。だから時に冷たい態度を取られると言うのか?
「で…でも、主人はあの後、東京に帰ってからも、私のような女性と出会えて幸せだって言ってくれましたわ」可憐は森野の言葉を打ち消すように語気を強めた。
「それは身の周りの世話をしてくれるのに売って付けだって事じゃないかな?アイツ、仕事は出来るけど、家事やらなんやらは、てんで苦手にしてるからね」森野の言っている事は、真実味を帯びていた。それが余計に可憐を不安にさせた。
「私…どうしたら良いのかしら?」森野に言っているのか、一人言なのか、区別がつかない物言いで呟いた。
「余計なお節介かも知れないけど、解決の糸口は今、滝沢が取り組んでる新作の中にあるんじゃないかな?オレも同じゲームプログラマーとして分かるんだが、ゲームのキャラクターには無意識に自分の好みが反映されるものなんだ。もし良かったら、ヤツのパソコンに新作のデータが何らかの形で入ってると思うんだ。それをオレのパソコンに送ってくれたら何らかの対策を練って上げれると思うんだが、どうかな?」可憐にとっては森野の裏に隠された企みなど知る由もなかった。それよりも滝沢との関係を円滑にする為に藁をも縋る思いだった。
「分かりました。何とかしてみます」そう言って二人は別れた。その後、滝沢の目を盗みパソコンからデータを抜き取り、USBへコピーして、自身のパソコンから森野のパソコンへデータを送った。その内容は森野が期待していた以上のもので、ほぼ完成形に近い内容だった。それがまさか夫を裏切る行為だった事など、可憐には知る由もなかった。その後もパソコンメールを通じて森野とのやり取りを続けた可憐は、森野に誘われるように、ゲームの世界へと入り込んで行ったのだった。
では、何故に森野にそんな芸当が出来たのか?それは森野がIT関連の情報誌に目を通していた時に始まった。そこにはN大電子光学科准教授、川上 新次郎の妹の死に関する内容と共に現在、進めている研究に対してのインタビュー記事が掲載されていた。森野はそれに興味を抱き、偽の名刺を作成し、記者を名乗って川上に会い、話しを聞いた。その時から森野の計画は押し進められていった。川上の妹、光子の場合は漫画の世界であったが、川上が2Dの世界と表現した事から、森野はゲームの世界にも応用が効くのではないかと考えた訳である。
そうして森野は、滝沢から新作を奪い、愛する妻をも奪おうとしたのだ。しかし、彼の仲間までは奪う事が出来なかった。小園 誠を始めとして、滝沢の部下達に、ヘッドハンティング仲介業者を経て、彼らを引き抜こうと試みたのだが、滝沢を慕う彼の部下達は、その誘いには乗らなかった。そうした経緯もあり、森野は計画を変更し、滝沢をゲームの世界に誘い込み、彼自身をゲーム内に閉じ込めようと画策したのだった。
「もう直ぐだ。間もなくヤツを永遠にゲームの世界に葬り去ってやれるんだ。さぁ、早く来い」森野の暗黒の闇に染められた陰謀と、愛すべき妻を救う為の滝沢との最後の戦いが幕を開こうとしていた。




