シャンデラの街にやってきました!
白く四角い趣の異なる建物に、鮮やかな色の日よけが掲げられた店。街を行き交う人々は、女性は巫女を思わせる美しいレースを被り、男性はそれぞれ個性豊かな布を頭に巻いていた。
同じ国でありながら、全く違う風情に思わず感嘆のため息を落とす。
「リーリア様は、シャンデラには? 僕は初めてなんです」
過ぎていく景色に同じ様にクリスが目を細めて尋ねる。
「私も初めてなんです」
いつかシャンデラには来てみたいとずっと思っていた。でも、ここは大修道院がある街だから、教会派の権力が強い。旧国派の筆頭のディルーカ伯爵の娘である私には、少々敷居が高く訪れる事ができていなかった。
「では、街の事はあまりご存知ではないのですね。皆が美しい布を身に付ける理由が知りたかったのですが……」
「ああ。それでしたら分かります。産業を知る事も王妃教育の一つですから! ここは、大修道院を柱とした観光の街の印象が強いですが、繊維業も実はとても盛んなのです。巫女様にあやかるベールは、中でも需要の多い品で、これを盛り上げようと商人達が身に付け始めたのが始まりです」
答えを聞いたクリスが、愛らしい顔を嫌そうに顰める。
「実利的な理由ですか? 風情のある佇まいに、異国らしい謂れを期待してました。拍子抜けですね」
確かに、そうかもしれない。
宣伝の為と聞いたら、この異国情緒も少し色褪せる。異国の人が何故と思う事なら、それらしい理由を用意した方がより盛り上がるかもしれない。
シャンデラの役に立つだろうか? レナート王――ううん、今はもう違う。デュリオ王子に相談して……。
そこまで考えて、小さく頭を振る。
不安定な今の情勢では、小さなことがどんな結果に結びつくか分からない。デュリオ王子と私が何かをして誰かが利益を出せば、レナート王子の足元はきっと少しずつ崩れていく。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。私は、デュリオ王子もきっと。レナート王子の為にと、ずっと変わらず思っていたのに。
「リーリア様、宿に着きましたわ」
ジュリアの声に我に返って顔を上げる。
お礼を言ってクリスを先に宿に降ろすと、馬車は再び動き出してシャンデラの駐屯地を目指した。
今回、私に同行してくれた騎士には、儀式の為の人員が含まれている。聖女の役目が終れば、今の人数は不要だ。
慌ただしいけれど、半数が今日のうちに解任されて、明日一足早く王都に戻る。帰還する騎士には、解散式の後に慰労の宴が駐屯地で用意されている。旧国の騎士ばかりで知る顔も多いから、私も少し顔を出す約束をしていた。
駐屯地の一室で慰労の宴が始まると、騎士たちの明るい乾杯の声があちこちで響いた。
「リーリア様。護衛の任に就けた事を心から誇りに思います」
一つのテーブルに赴くと、感謝の言葉を述べるより先に騎士の一人が感極まったように手を取る。
「もう、無礼ですわよ! 宴と言えども、騎士としてしゃんとなさって!」
側に控えていたジュリアが叱責すると、慌てて騎士が手を放して背筋を伸ばす。
駐屯地の宴だから、お酒はさほど用意されていない。それでも、役目を終えた安堵が騎士たちを緊張から解き放って、任務中とは違う顔を覗かせる。
「いいの、ジュリア。宴だもの無礼講にしましょう?」
ふぅっと大げさに息を吐いて、「お人好し」とジュリアが笑顔で睨む。同時に、話を聞いていた別の騎士達が集まってきて、口々に奇跡の話や旅の話しをして私を取り囲んだ。
「最初の村での奇跡を見た時は、感動しましたよ!」
「結構な強行軍の旅でしたが、不満一つおっしゃらなかった。流石、リーリア様ですね!」
「できれば、我々も最後まで護衛をしていたかった。ジュリア、羨ましいぞ」
一人の騎士がジュリアに声を掛けると、ちょっと胸を張ってジュリア様が顎を上げる。
「ふふっ、わたくしは今日も明日もずーっとリーリア様の護衛ですの。羨んでくださいませ」
ジュリアは凄い。教会派と旧国派。女性と男性。旅の初めはぎこちなかったのに、今はすっかり打ち解けている。
「そうです! ジュリアは私の頼もしい騎士なのです」
笑顔で腕を絡ませると、周囲の騎士たちが「しっかりやれよ」「まかせたぞ」とはやし立てる。「もう」と膨れて怒った顔をしたけれど、ジュリアの頬が少し赤いのを私も騎士たちもしっかりと見ていた。
全員と言葉を交わし、退席の言葉を述べてから部屋の外へと向かう。ドアの前でふと思い出して、見送りの騎士を振り返る。
「あの、レナート王子の状況は連絡がきてませんか?」
ラントの街はシャンデラよりも遠いけど、三日も早く出発しているから、きっともう到着している筈だ。
「特に何も聞いていません。時間を考えれば、既に最初の接触はあったでしょう。連絡がないという事は順調なのだと思いますよ」
その言葉にほっと胸を撫で下ろす。
ラントから近い駐屯地にはムルデもあるけれど、シャンデラの方が規模が大きい。何か大事があれば、必ずこちらにも連絡がある筈だ。
礼を言って部屋を出ると、道中の報告の為に外していたアランが待っていた。
「お疲れさまでした、アラン。どうでしたか?」
大修道院の訪問、『奇跡』の目撃者との面談、生前のイレーネ暮らしの聞き込み。早馬で調整を頼んでいた三つの返答が来ている筈だ。
「大修道院の訪問は、明日の午前に決まりました。イレーネについては、腹立たしい事に大修道院から知らぬと回答が来ました」
「知らない? そんな訳ないです。パン屋のお爺さんが知っていたんですよ。ソフィアを抱えていた大修道院が把握していないなんてあり得ません」
お爺さんとイレーネの関りは、シュルテン修道院にしかない。シュルテン修道院がソフィア様のお母様の事を知るなら、情報元はシャンデラの大修道院しかありえない。
「分かってます。ライモンドを改めて修道院に差し向けました。リーリア様の護衛騎士が直接回答を迫る事で、一層の圧力をかける事が出来る筈です」
書面よりも、直接赴く方が躱しにくくなる。ライモンドは教会派への反発心の強い人物だから、態度は強硬になるだろう。圧力をかけるには適任だ。
「わかりました。では、奇跡に立ち会った貴族の方はどうなってますか?」
アランが私ではなくジュリアに向き直る。
「先程、タヴァーノ伯爵が騎士団を尋ねてきた。約束をしてあったのか?」
くすくすとジュリアが小さく笑う。
「まぁ、せっかちな方ですのね。約束はしていませんわ。ソフィア様と用件を言えば警戒されますから、シャンデラの教会派とリーリア様が誼を結ぶ事について意見を求めるお手紙を出しましたの」
「成程。他の貴族を出し抜きたくて約束もなく馳せた訳か」
満足気に頷いたアランに対して、答えたジュリアは一瞬やや複雑そうな顔をした。
これまでの教会派なら、旧国派との誼など即座に断っていただろう。待ち構えていたという事は、アベッリ公爵、ストラーダ枢機卿の失脚が王都から離れたシャンデラの貴族の心も揺るがせているという事だ。
タヴァーノ伯爵が待つ部屋の扉が開くと、ややお腹の目立つ中年の男性が笑顔で迎えた。
「お初にお目にかかります。リーリア・ディルーカ様」
「はじめまして、タヴァーノ伯爵」
タヴァーノ伯爵はシャンデラに住む貴族としては二番手、三番手の位置にいる人物らしい。上手い人選だと思う。グレゴーリ公爵令嬢が護衛する旧国派の『聖女』。将来の筆頭を目指すなら、手に入れて損はない試金石に映る。
「教会派の未来を担う貴方様にお会いできて光栄です。かねてより、教会派と旧国派の垣根を口惜しいと思っていました」
嘘ばっかり! 喉元まで出かかった言葉を堪えて、親し気に伸ばされた手をとり笑顔を作る。
「二つの派閥が歩み寄れるのなら、嬉しい事です」
その後もタルヴァーノ伯爵は耳障りの良い事を色々口にしたけれど、どれもこれも表面的な事ばかりで心にの残るものは何もない。頃合いをみて、本当に聞きたかった内容へと話の舵を切る。
「そういえば、伯爵はソフィア様の奇跡をご覧になったそうですね」
「ええ、立ち会わせて頂きました」
言葉の先を計るようにタヴァーノ伯爵がすっと目を細める。
ここで焦っては駄目だ。そう自分に言い聞かせると、事前に用意してあった言葉を口にする。
「私は『聖女』として日が浅く、自分の立場に戸惑っています。同じ立場にあるソフィア様の話を参考に伺えたら嬉しいです」
二心を探る眼差しに聖女らしい穏やかな笑顔を返す。 笑顔にほだされてくれたというより、矜持と歓心を秤にかけた結果だと思うが、伯爵が唇の端を上げて大きく頷きかえす。
「そうでしょうな。突然、『聖女』として力を得られては、戸惑う事も多いでしょう! ソフィア様も、最初の奇跡の場では驚き戸惑っておりました」
初めてソフィアが奇跡を起こした日、大修道院ではレナート王子を歓迎する行事が行われていた。
毎年訪問していると言っても年に一度の事。姿をみようと貴族だけでなく、シャンデラに住む庶民の多くが大修道院に集まった。
「大きな木が幾つもありましてな。登る悪童が行事の度にいるのです。巫女たちの舞が終わり、殿下が賞賛の言葉を述べると会場は興奮が最高潮となりました。気持ちが高ぶって無理をしたのでしょう。どこかから、少年が落ちたという声が上がり会場が騒めきました」
舞台にほど近い場所にできた空白。そこで倒れる小さな影を貴族席にいたタルヴァーノ伯爵も見た。
「走り出して駆け寄ったのは、ソフィア様だったと後に伺いました」
「では、その時に奇跡が?」
「いいえ。騎士たちがすぐに来て、少年を治療のために修道院に運びはじめました。騎士を追って一人の巫女、ソフィア様が幼い女の子を――少年の妹を抱えて追ったんです。レナート殿下は、お優しい。ソフィア様に気づいて近寄ると、泣く少女に声をお掛けになった」
目を閉じると紫色の瞳が瞼の裏で優しい弧を描く。。
いつだって周囲をよく見ている人だった。誰もが見落とすことに気づいて、心配りのできる人だった。
「その時なのですよ! 奇跡が起きたのは!」
声を張り上げるとタルヴァーノ伯爵が大きな体を揺する。
「私は、偶然にも殿下を見ていました。お二人の間で何かが輝いた気がしたんです。次の瞬間、少年が目を覚ましたと騎士が叫ぶのが聞こえました」
「それでは、皆が驚いたでしょう?」
タルヴァーノ伯爵が何度も頷くと、その度に顎に折り重なるような皺が出来る。
「気付いた者は光を不思議に思っていたと思います。だが、気付かない者も多かった。どちらにしても、あの僅かな光が、少年の回復と繋がる事に気づいた者は殆どいなかったのです」
王都の大修道院と呼ばれる場所も、広い敷地を持っている。国でも屈指のシャンデラなら同様か、それ以上の広さがあって当然だ。突然の不可解な事態を見守る観衆が、一瞬で理解をするのは難しいかもしれない。
「では、その時は『奇跡』と理解されなかったのですね。皆が知ったのは、いつだったのです?」
「翌日です。大修道院から『聖女ソフィア様』による『奇跡』と発表がありました。驚いたと同時に、合点もいきました。呆然とするソフィア様と向き合う殿下は驚くよりも恐れているように見えました。何故と不思議だったが、あれは畏敬だったのでしょう」
「畏敬……ですか?」
目の前で起きた事に呆然としたソフィアは、自身の『奇跡』を知らなかったのだろう。畏敬の念を抱いて見つめたレナート王子は、その場でもう『奇跡』に気付いていた。
『聖女』を見つめて、何を思ったのか。恐れとは何だったのか。
驚きなのか。『聖女』に既に心惹かれたのか。私との未来の暗い予感を一瞬でも思ってくれたのか。
もう尋ねる事が出来ないのに、何度も今更の言葉を心の中で繰り返す。
「『聖女』の出現にシャンデラの民は湧き、貴族は力が見たいと殺到しました。私も何度も大修道院に問い合わせをいたしましたよ。程なく、二度『奇跡』のお披露目を行うと連絡がありましてね。最初の日程でシャンデラの有力な貴族と大商人。後の日程で下級貴族と古参の商人が参加を許されました」
タルヴァーノ伯爵が、「僭越ながら、私は最初の日程でした」と言って誇らしげに胸を張る。
教会の喧伝と、国中を自由自在に行く商人の噂。『聖女ソフィア』が瞬く間に国中に広がった原動力はこれだろう。
「お披露目の時には、ソフィア様はご自身の力に慣れたご様子でしたか?」
「ええ。とても落ち着かれていました。教会長がソフィア様について語った後に、レナート殿下……」
言いかけた言葉を、タルヴァーノ伯爵が決まり悪そうに飲み込む。私を伺う眼差しに、好奇の色が垣間見えて、言葉の先は何となく想像ができた。
「既に、お互い別の道を歩んでおりますので、お気になさらずにあるがままを教えてください」
「そうですか? まぁ、そうですよね」
タルヴァーノ伯爵が、訳知り顔でにっと唇の端を大きく上げる。
人の目には私達はどう映るのだろう。ほんの数か月前まで、レナート王子と私だった。今はもう、レナート王子はソフィア、私はデュリオ王子と共にいる。
「『聖女ソフィア様』はレナート殿下に手を引かれていらっしゃいました。片時も離れぬと言った様子で、ずっと騎士のように側で見守られておりましてね。『奇跡』を起こす際にはソフィア様の緊張をほぐす為か、そっとエスコートの手に手を重ねて微笑んでおりました」
針で悪戯に刺されるように胸がちくちくとと痛む。
その頃、私は何をしていた?
王太子としての職務で、忙しなく不在を繰り返す彼に何度手紙を書いただろうか。
無理をせずに、ご自愛ください。
お帰りを待っています。
私に出来る事はありますか。
ご無事を祈っています。
今も、私達は変わらない。あの日のまま。そう思うのに、突き付けられた事実が本当にと囁く。
でも、動揺や落胆を表に出す事は出来ない。沈痛そうな表情で私を見るタルヴァーノ伯爵の目には、醜聞を探そうとする抜け目ない光があるのが透けて見えるからだ。
「つつがなく、ソフィア様は『奇跡』を成されたのですね? 二度目でしたら、村に水を湧かせた。確か、そうでしたよね?」
「不思議な光景でした。突然水が湧き始めて、あっという間に水が満ちた。私は半信半疑でおりましたが、目の前で見れば受け容れざるえません。そう言えば、リーリア様も同じ様に水を生む『奇跡』を起こされるのでしたね?」
水が湧き上がる。同じ。その言葉に『魔術』が一瞬頭を過ぎる。でも、直ぐに否定する。水を生む事は『魔術』で出来る。
でも、花を蘇らせることはできるだろうか。傷ついた人を癒す事はできるだろうか。
私はそんな『魔術』を知らない。それに、魔術には明確な目的を持った『発動の術式』が必要だ。お披露目の『奇跡』はともかく、初めの奇跡は突然の事で用意など出来ない。
以前、ジュリアが「『奇跡』を比べてみたい」と言った。もう一つの奇跡は王家の『祭祀』。宝剣について王都に戻ったらデュリオ王子に尋ねてみよう。
小さい頃は宝剣を二人の王子が何度も見に来ていたと、王家の巫女は言っていた。何か知っているかもしれない。
「……ソフィア様にも緊張や驚きがあった事を知れてよい参考になりました。最後にもう一つお聞かせください。教会長が語ったソフィア様についてのお話はどのようなものだったのでしょう?」
「私がお話するよりも、喜捨の返礼品で渡される小冊をご覧になった方が良いでしょう。そっくり同じ事が書かれております」
タルヴァーノ伯爵が苦笑いに、以前もらったグレイの署名の入った小冊を思い出す。どうやら教会派の貴族でも、あの小冊には少々思うところがあるらしい。
来訪に礼を言うと、ジュリアに付き添われてタルヴァーノ伯爵が部屋をでた。
はっきりと分かった事は、ソフィアの奇跡は事実だった事。
噂は、教会以外にも商人たちによって国中に運ばれている事
小冊の中のソフィアの生い立ちは、早い段階で語られていた事。
そして、レナート王子とソフィアが急速にその距離を縮めていた事……。
明日は、私は何を知るのだろう。暴こうとしている事が誰の役に立つのか、何のためになるのか。
翌日、朝の食事を終えると直ぐに、クリスと合流して大修道院を目指した。
昨夜遅くに苦虫を嚙み潰した顔で帰ってきたライモンドは、イレーネの情報を得ることは出来なかった。対応に出た老巫女は、耳が遠い振りをしたり、記憶が曖昧なふりをしたりで、知らぬと言うばかりだったらしい。
「ようこそおいでくださいました。リーリア・ディルーカ伯爵令嬢様」
迎えに出た副院長を名乗る老巫女と二人の巫女が服の端を摘まんで一礼する。
『聖女』という名が通るこの場所で、私に爵号を使うのは他意があってのことだろう。
美しいステンドグラスの光が落ちた回廊を、老巫女の説明を聞きながら歩く。
柔らかな色の庭園、厳かなレリーフが印象的な女神像の部屋、相談者を受けれる告解の為の部屋。代表的な場所を案内しながら、老巫女が修道院の歴史、建造物の歴史的価値、教会が祀る女神さまの話を淀みなく説明していく。
「王国屈指の大修道院ですから、礼拝は門を閉めた朝晩におこなっております。日中では修道女たちによる礼拝は中々ご覧いただくことはかないません」
大聖堂の前で老巫女が足を止める。
中では、美しい白い服にレースのヴェールの修道女達が祈りを捧げていた。一人一人の声は小さいのに、皆で同じ言葉を唱えるから、柔らかで華のある声が広い大聖堂に響き渡る。
「神聖で美しいですね。拝見する機会が得られた幸運に感謝いたします」
感動を口にすれば、警戒心を見せていた老巫女も満足気な笑みを浮かべた。
「お喜び頂けて幸いです。これで大修道院で公開されている場所は全てになります」
公開されている場所。ここに至るまでの老巫女は、とても慣れた様子だった。貴族からの申し入れがあれば、同じように説明を繰り返してきたのだろう。
巫女たちの祈りの言葉がひと段落するのを見計らって、老巫女に事前に願い出ていた事を改めて告げる。
「それでは、今度は事前にお願いしてたソフィア様の暮らしぶりを見せて頂けますか?」
「ご要望は伺っております。しかし……」
言葉を止めると、老巫女が視線をクリス移す。
クリスに何かあっただろうか。元々の話では同行の予定はなかったけれど、昨日のうちには連絡しておいた。
「修道院で暮らすのは、女性ばかりでございます。ソフィア様も修道女ですから、暮らしていた場所に男性はお入り頂く事はできません。異国のお客様がいらっしゃる本日は、ご辞退いただく方がよろしいかと存じます」
そういう事か。事前に何の返信もなかったのは、当日こうやって断る為だったのだろう。
漏れそうになった苦笑いを飲み込んだ私の横で、イレーネの件を昨晩断られていたライモンドが不快気に鼻を鳴らす。また、怒り出すと思った瞬間、その袖を「お待ちになって」とジュリアが引いた。
「副院長様、リーリア様がシャンデラに滞在できるのは僅かですの。『聖女』ソフィア様を知り、学ぶことはカミッラ正妃のご命令ですわ。背くわけには参りません。ですから、クリス様は捨て――いえ、別行動をとらせて頂きましょう」
嬉々として美しい笑顔をジュリアが天敵であるクリスに向ける。小さく肩を竦めるとクリスが薄紅の髪を揺らして鷹揚に頷いた。
「元々、僕が行動を共にする予定はありませんでした。当初の予定を変更し、ご迷惑をお掛けするのは心が痛みます。こちらの修道院には大きな図書室はございますか?」
私がクリスをもてなす立場であれば、その役目を放り出すのは外交上の欠礼になる。でも、今回のクリスは勝手についてきただけだ。
公式な行事には一切関係ないから、クリスが良しと言えば何の問題もない。
「ええ……、ございます。しかし、……」
共にやってきた事から、同行は大使へのもてなしの一環と理解していたのだろう。老巫女が予想外の話の流れに狼狽える。
別の逃げ道を見つけられる前に、ここは一気に押し切りたい。
「ここでしたら、王都にない貴重な書物も多いでしょう。クリス様は図書室がお好きなのです。すぐにご案内して差し上げて下さい」
老巫女を飛び越して後ろの巫女に告げる。慌てて伺うような眼差しを老巫女に向けたけど、断ち切るようにクリスが年若い巫女に異国の帽子を抱えて美しく一礼する。
「よろしくお願いします。僕にとっては少しの時間も惜しいです。行く道では、どのような本があるか是非お聞かせくださいね」
得意の天使の笑顔は、修道女にも効果抜群だった。一瞬、蕩ける様な表情を浮かべると、操られるように巫女が頷く。今更、お断りはできない空気を盾に、駄目押しの言葉を投げかける。
「大修道院の名に恥じぬよう、お相手をお願い致します。さぁ、異国の大使様をお待たせしてはいけません。早くご案内を!」
諦めたように老巫女が頷くと、巫女が軽い足取りでクリスを促して歩き出した。
歩み去るクリス達を見送ると、老巫女に微笑みかける。
「さぁ、私達も案内をお願いします」
断る名目が消えた今、事前の依頼を断ることはさせない。眼差しに言葉を乗せて見つめれば、顔の皺を深めて老巫女が廊下の奥の扉を指さす。
「あちらになります。男性の護衛は、扉の外に残してください。女性騎士であるジュリア様はご同行いただけます」
大修道院の奥。修道女しか入れない場所にジュリアだけを伴って足を踏み入れる。
石造りの廊下は、とても質素で表のような彩とりどりの光はない。でも、汚れ一つなく磨き上げられていて、高い窓から落ちる光が素朴な美しさを見せた。
食堂、学習室、祈りの間、歓談の間、小さな図書室、そして幾つかの区画に分かれた修道女の部屋。聖女たちの一日をなぞって歩く。
「ここで、ソフィア様は暮らしていたのですね]
誰に問う訳でもなく呟くと、老巫女が答えを返した。
「長く暮らしておりましたが、一人の修道女としてでございます。『聖女』としては、程なく王都に召し上げられましたから短い時間でした。その短い時間もお力を確認するのに忙しく、『聖女』としてここで過ごした時間は極めて少なかったのです」
だから、何を聞いても無駄。そう言いたげな視線を老巫女が送ってくる。
非協力的なのは私が教会派ではなく旧国派の人間だからだろうか。ここにもソフィアを覆い隠そうとする壁があると感じるのは穿ち過ぎだろうか。
どちらと判断はできないけれど、簡単に引き下がるわけにはいかない。
「環境の変化以降より、『聖女』以前の暮らしが伺いたかったので十分です。人となりを学ぶことは大事ですから」
「以前の暮らしとて、他の修道女と変わりはございません。今までさせて頂いた説明以上に、特段お話できる事はないかと存じます」
老巫女の視線から眼差しを逸らして、廊下の端で礼をとる修道女を見る。
元々、私をここに入れるつもりがなかったせいか、まだ早い時間という事もあってあちこちで掃除道具を持って清める修道女がいた。
皆、所作は美しくマナーもよく出来ている。でも、貴族ほどは洗練されていないし、修道服の型は同じだけれどやや薄い黄味を帯びていて素材はずっと質素なものだ。
礼拝堂で祈る白い服の修道女と、立ち働く柔らかな色の服の修道女。同じ修道女の名を持っていても、その待遇は大きく違う。
「他の修道女とは、どちらでしょうか? ここでも、貴族と庶民では違いがあるように見受けられます。ソフィア様は庶民でありながら、神舞の巫女に選ばれた方。どちらと同じだったのでしょう?」
一瞬、忌々し気に舌打ちが聞こえた気がした。驚いて目を瞬いてから老巫女の顔を見直すと、慈愛と言う仮面をつけた笑顔が返ってくる。
「夫や家族の為に祈りを捧げる事ができる巫女の経験は、騎士の家に好まれる嗜みといわれております。ここシャンデラの大修道院では、多くの貴族の子女を教育の為にお預かりしてまいりました。ほんの一時、ここで祈りや所作や舞を学び、また生家に戻る。その様な貴族の修道女は、華と呼ばれる特別な存在でございます」
華。その言葉の意味が飾の修道女を指す事は、皆まで聞かなくても分かった。
短い期間、必要な事だけを学びに来た貴族の子女に、庶民の修道女が行う本当の修道女の暮らしなどできる訳がない。
「では、華と呼ばれる修道女と本来の務めをこなす庶民の修道女。二種類の修道女がいるのですね?」
自分でそう尋ねてから、なんとなく引っ掛かりを覚えて首をひねる。
華と庶民。神舞の巫女となったソフィアはどちらにもそぐわない。
頷こうとした老巫女が、ジュリアを見て動きを止める。私と異なり教会派の筆頭貴族であるジュリアは、シャンデラを訪れたことがある。嘘を重ねても通じないと判断したのだろう。
「リーリア様は『神舞』はご存知でしょうか?」
年明けに国王様と民が新しい年を願う際の舞は、とても美しい舞だと聞いている。ずっと見てみたいと思っていたけれど、貴族は城で祝いの舞踏会に参加するから見る事は本来叶わない。
「ええ。年明けをの『新祈の儀式』で舞われるのは『神舞』でしたね」
今年だけは、もう少しで見られるはずだった。
レナート王子の隣に私がいるのを教会派が嫌って、早めに退席するように促されたのだ。もちろん、気にするなとレナート王子は言ってくれた。でも、断れば波風が立つのは経験上よくわかっていた。
だから、良い機会と馬車を急がせて『新祈の儀式』にこっそりと赴いてみたのだ。
「そうでございますね。『新祈の儀式』で踊られるのも『神舞』の一つです。他に、農村で行われる豊穣祭や花待祭用の踊りも幾つかございます」
「見せて頂けますか? 是非、みたいです」
思わず前のめりになってお願いする。
私が辿り着いた時、儀式は既に終わった後だった。
庶民のお祭りと振る舞いを楽しみ、教会で庶民に混じって祈りを捧げたのも良い経験だったし、楽しかった。けど、やはり『神舞』を見損ねたのは悔しい。
いつかはと思っていたから、ここで機会が巡って来るなら逃すわけにはいかない。
老巫女が明るい光が大きく差し込む廊下の先を指差す。
「この先で貴族の子女が舞の練習をしておりますが、彼女たちは『神舞』を踊る事は致しません。技術的に大変難しく、捧げる魔力が必要なのです。帰る場所のある者が、出来る役目ではございません」
廊下の先に鮮やかな緑の木々と噴水が見えて、微かに女性の明るくはしゃぐ声が聞こえてきた。
なかなか、思ったペースに戻りません。
ゆっくりでも、徐々に早く上がるようにしたいと思います。
次回、意外な人との再会。そして、リーリアに再びあの異変が起こる!!
という急転の展開まで持ち込みたい……。
ひな祭りまで忙しいので、ちょっとまた更新がとまってます
ひな祭り後、数日で投稿します。
今の進捗はェックだけなんですけど、
異変まではいけませんでした。今回は意外な再開のみで、異変は次々回です。




