第六十一話 悪鬼の後に
新たな天下の仕組みが定まってから、五年の歳月が流れた。
有力な家々による合議のもと、天下の政は、以前よりも、多くの声を汲み取る形で動くようになっていた。改易や取り潰しは、目に見えて減り、諸国には、これまでにない、穏やかな空気が流れ始めていた。
義誠は、この年、六十三になっていた。表舞台からは、すでに半ば退き、鹿児島郊外の、静かな屋敷で、日々を過ごしている。
「有村様、蔵人様が、お見えにございます」
その報せに、義誠は、緩やかに、腰を上げた。
「相変わらず、辛気臭い庭だな」
蔵人は、そう軽口を叩きながら、庭先に腰を下ろした。木崎原の頃から共に歩んできたこの男も、今では、髪のほとんどが、白く染まっている。
「お主こそ、隠居してなお、口の悪さは変わらぬな」
「そういうお主も、悪鬼と呼ばれた男には見えぬ、好々爺ぶりよ」
二人は、しばし、笑い合った。
「次郎太は、息災か」
「先だって、文が届いた。孫の顔を見せに、坊津まで来たいそうだ。あの男も、随分と丸くなったものよ」
義誠は、静かに、頷いた。木崎原の谷から始まった道のりを、共に歩んできた者たちが、今、それぞれの形で、穏やかな余生を送っている——それだけで、義誠の胸には、静かな満足が満ちていた。
「有村様」
朝が、茶を運んできた。四十を過ぎてなお、その目には、若い頃と変わらぬ、聡明な光が宿っていた。
「坊津の商いは、代替わりの支度が、着々と進んでおります。この先は、若い者たちに、任せていくつもりにございます」
「そうか。お主にも、随分と、支えてもらった」
「私こそ。有村様と共に歩んだこの人生、悔いは、何一つございませぬ」
義誠は、その言葉に、静かに、微笑んだ。
夜、義誠は、一人、縁側に座り、星空を見上げていた。
木崎原の谷で、初めて策を口にした日から、五十一年。
前世の記憶は、今も、義誠の中に、変わらず流れ続けている。現代日本の記憶、満員電車の匂い、そして、戦国時代の島津家への、あの日の憧れ。すべてが、今、この老いた体の中に、静かに息づいていた。
私は、あの日、島津が好きで、この時代に生まれ変わった。そして、島津に、天下を獲らせたいと願った。
その願いは、史実とは違う形ではあったが、確かに、成し遂げられた。島津が単独で天下を支配したわけではない。だが、徳川だけに権力を集中させるのではなく、島津をはじめとする有力な家々が政に関わる、新たな天下の形を作ることができた。
多くの犠牲の上に、成り立った結末ではあった。だが、それでも、義誠は、後悔はしていなかった。
必要な殺しは、ためらわなかった。無意味な殺しは、しなかった。降伏した者は、助命した。味方の損害を、最小限に抑えることを、常に、心がけてきた。誉れではなく、結果を選び続けた。
その一つ一つの選択が、積み重なって、今の、この穏やかな夜に、繋がっている。
「悪鬼、か」
義誠は、誰へともなく、静かに呟いた。
その異名は、今も、九州、そして日ノ本の各地で、語り継がれている。恐れられた男として。だが、同時に、多くの命を、無駄に散らさなかった男として。
それで、良かったのだと思う。
義誠は、静かに、目を閉じた。
風が、庭の木々を、優しく揺らしていた。
木崎原の谷で始まった、一人の男の物語は、こうして、静かな、穏やかな夜の中に、その一つの区切りを、迎えようとしていた。
義誠の人生は、まだ、しばらく続いていく。この先も、彼が守り抜いた天下が、どのように育っていくのかを、見届ける日々が残されている。
だが、それはもう、戦場で命を賭けて切り開く日々ではない。
九州の悪鬼と呼ばれた男は、ようやく、穏やかな日々の中で、自らが歩んできた道を、静かに振り返っていた。
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あとがき
物語の締めくくりとして、義誠の穏やかな晩年を描きました。蔵人、次郎太、朝——これまで共に歩んできた者たちの、その後のささやかな幸せを、丁寧に描きたいと思いました。
派手な結末ではなく、静かな夜の縁側から始まる回想という形で、木崎原の谷から始まった物語を、最後は穏やかな日常へと戻す形にしています。
前世の記憶を持ち続けるという、この物語の核心も、最後に義誠自身の言葉で振り返らせました。
「誉れではなく結果」「必要な殺しはためらわず、無意味な殺しはしない」——その信条こそが、長い年月をかけて、義誠という男を形作ってきたものだったと思います。
『島津悪鬼録 ~敵味方に恐れられた男、島津に天下を獲らせる~』、長きにわたりお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
木崎原の谷から始まったこの物語が、少しでも、皆様の心に残るものであったなら、これに勝る喜びはございません。
これまでの、すべてのご感想、レビュー、本当にありがとうございました。




