第四十六話 海の彼方の布石
慶長十四年、義誠は、五十を過ぎていた。
木崎原の谷で、初めて策を口にしてから、実に三十七年。飯野の悪鬼と呼ばれた若者は、今や、島津家中でも、当主・忠恒、そして隠居してなお影響力を持つ義弘の、最も信頼される智恵袋となっていた。
「琉球への出兵、ようやく幕府より、お許しが出ましてございます」
義誠は、忠恒の御前で、そう報告した。
「これまで、幾度も願い出て、退けられ続けてきた一件だな」
「はい。ですが、此度、明との貿易や外交を巡る幕府の思惑と、我らの願いが、ようやく噛み合いましてございます」
忠恒は、義誠の顔を、じっと見つめた。
「有村殿。此度の出兵、単に琉球を従わせるためだけの戦とは、思えぬのだが」
義誠は、静かに微笑んだ。
さすがは、忠恒様だ。私の描く絵図の先を、幾らか見通しておられる。
「畏れながら、その通りにございます」
「琉球は、明国との朝貢貿易を続けてきた国。これを、我らの手の内に収めれば、島津は、南方との交易を通じて、異国の情勢を知る耳目を得ることができましょう」
「そして、表向きは、幕府への忠勤として、琉球との交易や貢納を幕府にもたらす。だが、その裏で……」
「島津は、独自の力を、静かに蓄えまする」
義誠の言葉に、忠恒は、しばし黙り込んだ。
「関ヶ原の後、雌伏せよと、お主は幾度も申してきた。此度の一件も、その一環か」
「はい。徳川の天下は、当分の間、揺るぎますまい。ですが、いかなる盤石な体制にも、いずれ綻びは生まれるもの。その時のために、今、力を蓄えておくことが肝要かと」
慶長十四年三月、樺山久高を大将とする三千の兵が、琉球へと出兵した。
義誠自身は、この遠征には加わらず、鹿児島に留まり、幕府への報告や、戦後の差配を整える役目に徹していた。
もはや、自ら槍を振るう歳でもない。
今の私の役目は、この先の絵図を描くことだ。
琉球側の抵抗は、ほとんどないに等しかった。首里城は、間もなく開城し、尚寧王は、薩摩方の手に置かれることとなった。
義誠は、その戦後処理において、幕府への報告の仕方に、細心の注意を払った。
「琉球から上がる貢納や、交易によって得られる実際の利益——これを、そのまま幕府に見せるべきではございませぬ」
義誠の進言に、忠恒は、眉を寄せた。
「偽りを申せ、と申すか」
「偽りではございませぬ。表と裏、両方の勘定を持つだけのこと。幕府への義理を果たすために必要なものは、きちんと差し出す。されど、交易によって得られる細かな利や、南方から入る情報まで、すべてを幕府へ明かす必要はございませぬ」
忠恒は、しばし考えた後、頷いた。
「お主に任せる」
琉球王・尚寧は、その後、鹿児島へ移され、さらに駿府、江戸へと送られ、家康、秀忠との謁見を経た後、帰国することになる。
王国としての体面は残されたものの、その後の貿易や外交には、薩摩の強い影響が及ぶこととなった。
義誠は、この一連の顛末を、坊津の朝と共に、静かに見届けていた。
「これで、明国、そして南方の国々との繋がりが、島津の内々に築かれることになりましょう」
朝の言葉に、義誠は、頷いた。
「これから先、幕府の目の届かぬところで、多くの情報と、富が、この島津の元に流れ込んでくることになる。それが、いつか来る大きな機の、確かな土台になろう」
義誠は、遠く、南の海の方角を見やった。
雌伏の時は、まだ、続く。
だが、この一手が、大きな布石になる。
天下統一という、遠い夢へと続く道が、静かに、しかし確かに、また一歩、前へと進み始めていた。
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あとがき
第六章、最初の話です。
史実にある琉球侵攻を、単なる領土拡張ではなく、義誠による長期的な布石として構成しました。
この章では、これまでのような一戦一戦の派手さよりも、数十年単位の根回しと布石を、じっくり描いていく予定です。
琉球との関係を通じて得られる交易と情報が、これからの島津にどのような意味を持つのか。そして、徳川の天下の中で、島津がどのように力を蓄えていくのか。
次話以降、外様大名たちとの繋がり作り、そして大坂の陣へ向けた情勢を描いていきます。
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