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島津悪鬼録 ~敵味方に恐れられた男、島津に天下を獲らせる~  作者: 春野ケイ
九州統一

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第二十六話 上方からの文

天正十三年、秋。


義誠が予感していた通りの報せが、鹿児島の島津本家に届いた。


関白となった豊臣秀吉から、九州の諸大名へ向けて、私戦を禁じる旨の文が届けられたのだ。大友氏との争いを止め、領土の裁定は上方に委ねよ——そう記された文書を前に、島津の重臣たちは、色めき立った。


「関白殿下の御下命とは申せ、九州のことは九州で決めるが、これまでの習わし。今更、上方の指図を受けるいわれはない」


「されど、豊臣の勢いは、もはや西国一円に及んでおるとも聞く。逆らえば、いかなる報復が来るか」


「大友宗麟公も、すでに上方へ赴き、秀吉に助勢を願い出たとの噂もある。これは、我らを狙い撃ちにするための策やもしれぬ」


重臣たちの声は、次第に熱を帯びていった。義誠は、その軍議の末席で、これまでの誰よりも重い沈黙を抱えていた。


——史実の通りだ。義久公は、この命に従わぬ道を選ぶ。そして、その先に、九州征伐が待っている。



軍議の後、義誠は、義弘に人払いを願い、二人だけで言葉を交わした。


「以前、申し上げた上方の話、この通りになりましてございます」


義弘は、義誠の顔を、じっと見つめた。


「お主、まさかこの日が来ることを、初めから知っておったのか」


義誠は、一瞬、言葉に詰まった。すべてを語ることはできない。だが、ここで嘘をつくこともまた、義誠には難しかった。


「……確証があったわけではございませぬ。ただ、豊臣の勢いを見れば、いずれこうなると、思うところがございました」


「豊臣に従うべきだと、お主は考えるか」


義誠は、しばし言葉を選んだ。


「従うにせよ、抗うにせよ、相手の力を見誤れば、島津そのものが危うくなりましょう。豊臣の軍勢は、これまで我らが相手にしてきた、いかなる大軍とも、比べ物にならぬかと」


「大友の四万、龍造寺の二万五千よりも、か」


「恐らくは、その何倍にも」


義弘の表情に、初めて、隠しきれぬ驚きが浮かんだ。


「義久公は、すでに、豊臣の命に従わぬ肚を固めておられる。惣無事令など、九州の外から来た者の、身勝手な言い分に過ぎぬ、とな」


義弘の言葉に、義誠は、静かに目を伏せた。


——変えられない。義久公のご決断を、私が覆すことはできない。


前世の記憶にある、この後の九州征伐の顛末が、頭の中を過ぎった。豊臣の大軍を前に、島津は、これまで積み上げてきたものの多くを、手放さざるを得なくなる。だが、それでも、島津という家そのものは、生き延びる。


——ならば、私にできることは、一つしかない。この先の戦で、少しでも多くの命を守ること。それだけだ。


「義誠、お主の考えを、正直に聞かせよ」


義弘の問いに、義誠は、深く頭を下げてから、口を開いた。


「私の一存で、義久公のご決断を覆すことは、できませぬ。ですが、いずれ豊臣の大軍と相まみえる時が来るとして、その時、いかに多くの兵を、いかに多くの民を、守り抜けるか——そのための備えだけは、今のうちから、始めておくべきかと存じます」


義弘は、しばし黙り込んだ後、静かに頷いた。


「お主らしい答えだ。良かろう。その備え、これからもお主に任せよう」



その夜、義誠は一人、鹿児島の海を見下ろす丘に立っていた。


——豊臣秀吉。前世の歴史の中で、天下を統一する男。その男の影が、ついに、この九州にまで及び始めた。


木崎原から数えて、十四年。義誠は、この九州の地で、多くの戦を経験し、多くの命と向き合ってきた。だが、これから始まる戦いは、これまでのどの戦とも、性質が違う。相手にするのは、もはや一地方の大名ではない。日ノ本そのものを飲み込もうとする、巨大な力だった。


蔵人が、いつの間にか、隣に立っていた。


「珍しく、一人で考え込んでおるな」


「……この先、これまでとは比べ物にならぬ戦が待っている。そんな気がしてならぬ」


「お主がそう言うのなら、本当にそうなのだろうな。木崎原の頃から、お主の勘が外れたことはない」


義誠は、それに答えず、ただ、遠く海の向こうを見つめ続けた。


——それでも、私にできることをする。九州統一の、その先にある道のために。


義誠は、遠く上方の方角を見やった。まだ見ぬ豊臣秀吉という男の影が、確かに、義誠の未来に重くのしかかり始めていた。



────────────────────


あとがき


いよいよ豊臣秀吉の惣無事令が届く場面を描きました。史実通り、島津義久公はこれを拒否し、大友氏との対決姿勢を崩しません。その決断を、義誠がどう受け止めるのか——これまで「変えるのではなく、歴史の中に正しく立つ」と自分に言い聞かせてきた彼にとって、最も大きな試練の入り口になる回だと思います。


義弘公に、初めて自分の「知りすぎていること」の一端を、言葉を選びながら明かす場面も入れました。すべてを語ることはできない、というもどかしさは、この物語の序盤から一貫している要素です。


次話、いよいよ岩屋城の戦いです。これまでとは違う種類の重さを持つ回になると思います。


感想、レビューお待ちしております。


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