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偽面葬送  作者: ぱぅむ
9/9

主従関係

――激闘から二日後。

 組織の最奥にある執務室で、宵宮はシンとサキが提出した任務報告書に目を通していた。

 書類をめくる指が、ある二つの記述の上でピタリと止まる。

『邪神の力を所持している――羅刹と名乗った男と交戦。追い詰めるも、液体化し排水溝より逃亡』

『敵は初対面であるはずのシンのフルネームを把握していた』

「…………」

 いつも柔和な笑みを絶やさない宵宮の瞳から、一瞬で温度が消え去った。差し込む光さえ拒絶するような、酷く鋭い目つきへと変わる。

 単なる位相の調査、あるいは野良の陋格者との偶発的な衝突ではない。

 敵の目的が、あの少年――『藍原シン』そのものである可能性。その最悪のシナリオを、宵宮は冷徹に思考の視野へと組み込んでいた。

 一方、拠点の共用スペースでは、極めて騒がしい反省会(?)が行われていた。

「だからね!? そいつが手を挙げてさ、触られたところがジュワッってなってさ!! それでヤバいと思って一歩下がろうとしたら、足元がぐわって!! 床がドロッのぐにゃんよ!?」

 溶かされた右腕に痛々しく包帯をぐるぐる巻きにしたサキが、身振り手振りを交えて必死に熱弁していた。ほぼ擬音と効果音だけで構成されたその説明を、桼と冥の二人が冷めた目で見つめている。

 端の席にいたシンは、(……よくこんな頭の悪い説明で伝わるな)と内心で盛大に呆れていた。

 冥がふっと鼻で笑い、髪をいじりながら口を開く。

「なぁ、やっぱ酒カスって、脳みそまでアルコールに溶けて語彙力なくなんの?」

「おい冥。本人に『自覚がないこと』をわざわざ口に出して指摘するのは失礼だぞ。傷つくだけだ」

 桼が至極真面目なトーンで追撃を入れる。

「ちょっと二人とも!! 遠回しに私のことバカにしてるでしょ!? 特に桼! あんたのその言い方、すっごい癪に障るんだけど!?!」

 サキがわめき散らし、いつものように騒がしい日常がそこにはあった。

 しかし、シンはその内輪揉めの声を、右の耳から左の耳へと素通りさせていた。

 シンの意識は、あの戦いの最中に響いた、あの悍ましい声に囚われ続けていたのだ。

 (もし、次の戦いが……本当にどうしようもない死線だったら?)

 今回のように、あのクソ邪神が『私はまだ、愉悦を見ていない』などと気まぐれを起こし、能力を使わせてくれなかったらどうなる。

 自分が無力だったせいで、宵宮さんが、桼が、あるいは目の前のサキが、死んでしまったら。

 ――背筋に、冷たい汗が伝う。

 自分の命だけじゃない。誰かを守るためには、あまりにもこの『4番目』は不安定で、邪悪で、理不尽すぎる。

 (一度、あいつと……『ナイアルラトホテップ』と、ちゃんと腹を割って話す必要がある)

 たとえそれが、自らの精神を狂気へと差し出す行為だとしても。

 シンは湯呑みを握る手に力を込め、自分の影の中に潜む『這い寄る混沌』の存在を、強く、強く睨み据えた。

――その時だった。

 唐突に、世界のすべての音が消えた。

 さっきまで拠点の椅子に座り、桼やサキの騒がしい声を聞いていたはずだった。それなのに、気がつけばシンは見たこともない奇妙な場所に、ぽつんと一人で立っていた。

「……ここ、どこだ……?」

 シンは警戒しながら、ゆっくりと歩みを進める。

 その空間の異常さに、すぐに肌が粟立った。シンの進む道の両脇には、びっしりと「それ」が並んでいた。

 それは、数え切れないほどの等身大の人形のようなもの。

 だが、人形という生易しい言葉では到底表せない。毛穴の、皮膚の質感、一本一本の毛髪に至るまで、リアルという概念を超えて気持ち悪いほどに「本物そっくり」なのだ。

 まるで巨大な書庫のようだった。何段にも組まれた巨大な棚の中に、その生々しい人形たちが隙間なく詰め込まれている。そして、まるでシンを歓迎するかのように、その間を縫う道だけが綺麗に開かれていた。

 シンは息を呑み、歩きながら人形の顔を見た。

 そこには、宵宮がいた。桼が、冥が、尖崎が、浅葱がいた。さらには、これまで見たこともない、悍ましい異形の『邪神』のようなものたちまでもが、死んだように無機質に並んでいる。

「なんだこれ……」

 吐き気をもよおすような狂気と、背徳的な嫌悪感に苛まれながらも、シンは何かに引き寄せられるように、その不気味な道を進み続けた。

 そして、人形の列が途切れたその先、開けた空間の中心に――「それ」はいた。

 千のかおを持つ神。――ナイアルラトホテップ。

 その存在に、明確な口などない。しかし、シンの脳内に直接、あの神経を逆撫でするような不気味な声が傲然と響き渡った。

『勘違いするな、人間』

 脳が直接圧迫されるような衝撃に、シンは足元がよろめく。

『私は自ら誰かの下に着くことなどない。お前が私を宿しているのではない。私が満足し、私が記憶するに値するほどの「愉悦」――それを見せた場合のほんのささやかな褒美として、我が権能を一時的に与えているだけに過ぎない』

 声は、くすくすと嘲笑うようなニュアンスを帯びていく。

『二日前、お前が圧倒的な強者を前にして恐怖し、死という人生の終着点を覚悟したあの瞬間……。あれはまぁ、そこそこに面白かった。 だからこそ、私は一分間の慈悲を与えたのだ』

 邪神の身勝手極まりない理屈に、シンの胸の奥で、ドス黒い怒りがふつふつと湧き上がった。シンは両の拳を血がにじむほど強く握りしめ、魂の底から声を絞り出す。

「……ふざけるな。俺が使いたい時に使わせろ。お前の気まぐれに付き合ってたら、みんな死ぬんだよ……!」

 シンの必死の訴えに対し、ナイアルラトホテップは答えない。ただ、シンの周囲をゆっくりと這うように歩き回り始めた。

 一歩歩くごとに、その姿が老人に、美女に、怪物に、あるいはシン自身へと、目まぐるしく変化していく。そして、幾重にも重なったような声が再び脳を揺らした。

『滑稽だな。なぜ、主がわざわざ「犬」の都合に合わせてやる必要がある?』

「お前――ッ!!」

 シンは歯を食いしばり、その胸ぐらを掴まんと何かを言おうと叫んだ。

 ――ガタッ。

「……あ」

 突き出したシンの両手は、虚空を掴んでいた。

 次の瞬間、世界は爆発的な速度で元の色彩を取り戻していた。

 目の前には、相変わらず「あんたの言い方が癪に障る」と怒鳴っているサキと、それを鼻で笑う冥、呆れる桼の姿。

 シンは元の席に座ったまま、冷や汗でびしょ濡れになった身体を小さく震わせるしかなかった。

 ほんの数秒の出来事。だが、シンの手には、あの底なしの恐怖と、邪神との間に横たわる絶対的な溝の深さが、冷酷な現実として刻み込まれていた。






 【記録:2021年7月4日】

 【事案:焼死体連続発見事件】

 【詳細:市内各地にて、焼死したと見られる遺体が発見された。放火魔も視野に入れ警察が捜査を行ったが、出火原因不明、証拠もなしという不可解な状況が続き、未解決事件として処理された。】



――どこにでもあるような、騒がしいファミレスの店内。

「これ、髪の毛入ってるんですけど~? マジでありえないんだけど」

「そうそう、こんなのお客サマに食べさせる気なのかよォ!? 賠償もんだろこれ!」

「あーあ、可哀想。でも写真撮っとこ〜」

 一人の店員と、慌てて駆け寄った店長が平謝りを繰り返している。しかし、三人の高校生たちはヘラヘラと笑いながら、スマホを向けてその惨状を録画し続けていた。承認欲求と正義面した悪意が、店内の空気を淀ませる。

 その光景を、隣の席で黙々と食事をしていた男が、スッと顔を上げた。

「おいおい、青二才共。静かにできないのか? すげぇBADだぞ、今の状況」

 男の声は低く、どこか冷えていた。ガタイの良い高校生の一人が、挑発的に睨みつける。その後ろで、別の高校生がスマホのカメラを男に向けた。

「あぁ? なんだよ、てめぇも文句あんのか? 言っとくけど俺は喧嘩じゃ負─」

 高校生がそう言いかけた、その刹那だった。

 ――ボフッ!!

 音すらも爆発音には届かない、物理法則を無視した瞬間的な閃光。店内の酸素が一瞬で喰い尽くされ、男の視界にいたはずの高校生たちが、凄まじい火力の炎に包み込まれた。

 悲鳴をあげる間すらなかった。肉が焦げる異臭が鼻をつく。一瞬前まで生きていたはずの彼らは、ただ黒い炭となり、パチパチという焚き火のような音を立てて倒れ込んだ。

 店内に静寂が訪れる。次の瞬間、店員も客も、この世の終わりを見るような悲鳴を上げて一斉に出口へとなだれ込んだ。

 男は、燃え続ける――かつて高校生だった何かを、無表情で見つめていた。

「……そうやって静かにしてるほうがGOODなんだがな。なんでこう、自分たちがこの世界の主役だと勘違いしちまうんだか」

 冷ややかな溜息。男は立ち上がると、レジの方を見て、ふと自分の会計を払わなくて良くなったことに気づいた。

「ま、タダ飯食えたと思えばGREATか…」

 男は焼け焦げた炭となった「それ」に背を向け、燃え広がる店内に一人背中を向けて、涼しい顔で店を出た。

 かつて未解決事件として処理された焼死体事件。その「火種」は、静かに街へと溶け出していた。


 シンと桼は、事件現場となったファミレスへと足を踏み入れた。店内にはまだ焦げた肉とプラスチックが溶けたような悪臭が立ち込めており、規制線が張られている。

「……酷いな。一瞬で、これか」

 シンは眉間に皺を寄せ、炭化した残骸から目を逸らした。現場に居合わせた客たちの証言は、どれも一様にして異様だった。

「突然、高校生たちが燃えたんです……」

「いきなり物音がして、何かと思って見たら人が燃えてたんだ……」

 桼は無言で頷くと、燃えた高校生たちが座っていた席の周囲を慎重に調べ始めた。床の焦げ跡、不自然な熱の残り香。彼はプロの探偵のように、微細な痕跡を拾い上げていく。

「シン、お前でも分かりやすく説明する。今、考えられる可能性は二つ。一つ目、突如発現したせいで、邪神の力をコントロール出来ずに暴発させてしまった。二つ目、意図して能力を使い殺した。」

「あ〜〜、えぇと、めっちゃ短くすれば、わざとかわざとじゃないか的な……?」

「そうだ。どっちかによって、俺たちが追うべき犯人の『格』がだいぶ変わる」

 桼はそう言いながら、カウンター越しに設置されていた監視カメラに視線を投げた。シンと桼は奥の管理室へと回り、保存されていた映像を再生する。

 モニターには、不遜な態度で店員を困らせる高校生たちの姿。そして、隣の席で淡々と食事をしていた男が映し出された。

 男が低い声で何かを言い、高校生が食ってかかる。緊迫した瞬間、高校生たちが男の席に近づいた――その刹那だった。

 男が指先一つ動かすような素振りさえ見せず、高校生たちが爆発的な炎に包まれる。悲鳴をあげる暇もなく炭化するまでの時間は、わずかコンマ数秒。

「……見ての通りだ」

 映像を止め、桼が低く呟く。シンでさえ一目瞭然だった。あの男が確実に、意志を持って殺したのだ。

「……驚いて、ない?」

「ああ。少なくとも、今この瞬間に邪神の力が『発現したばかりの素人』じゃない。自分の能力を完全に把握し、日常の一部として使いこなしている『慣れた』ヤツだ」

 桼は映像に映る男をまじまじと見た。

 動作、立ち振る舞い、そして人を殺した後のあの落ち着き払った態度。

「犯人は絞れた。……シン、準備しておけ。この規模の『火』を使えるなら、こいつは危険だ。今回の件、ただの放火殺人じゃ済ませれない」

 桼の瞳に、獲物を追う冷酷な光が宿った。シンはポケットの中でナイアルラトホテップの気配を無意識に探った。あの中身の読めない男に、再び相まみえる時が近づいている。

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