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一章 6-2

    *     *     *


 居間の扉を叩いても、返事はなかった。

「……?」

 仕事部屋か自室にでも戻ったのだろうかと、ルインは扉を開けた。首を巡らせ、テーブルに置きっぱなしになっている双剣と、長椅子に倒れ込んでいるエルトを見つけて瞠目する。

「エルト!」

 居眠りをしているわけではないのは一目でわかった。ルインは不自然な姿勢で倒れているエルトを抱き起こそうとして、

「動かさないで!」

 背後から飛んできた鋭い声に、思わず硬直した。駆け寄って来たフラムは、ルインの傍らに膝をついてエルトの様子を診る。そして、頷いた。

「大丈夫、気を失ってるだけみたいです。どこか、横になって休めるとことはありませんか?」

「……部屋に運ぼう」

 本人の寝台へ寝かせるのがいいだろうと考え、ルインはエルトを横抱きに抱え上げた。完全に意識を失っている身体は見た目からの想像よりも重く感じる。

 心配そうな表情で傍らをついてくるフラムを見下ろし、ルインは尋ねる。

「君は、人の看護をしたことがあるか?」

「え、ええ……少しなら」

「教えてくれないか。私は、人間を介抱する方法を知らないんだ」

 フラムは意外そうに目を見開いたが、すぐにしっかりと頷いた。

 エルトの私室は二階にある。階段を上り始めたところで、エルトが微かに身動ぎをして呻いた。

「ん……」

「エルト? 気がついたか」

 足を止めてルインが覗き込むと、うっすらと目を開けたエルトはぼんやりとした表情でルインを見た。何度か瞬きをし、彷徨っていた双眸の焦点が合う。

「あ? ……うお、あれ?」

 咄嗟に状況が飲み込めなかったのか、エルトは言葉にならない声を出して何やら周囲を見回していたが、やがて合点がいったらしく、片手で額を押さえた。

「そうか、俺、あの剣……」

 呟き、エルトは改めてルインを見上げた。

「もう平気だ。下ろしてくれ」

「無理はいけない。部屋で休むといい」

「大丈夫だってば、ちょっと気が遠くなっただけ。なんでもない」

「なんでもないのに気が遠くなるわけがないだろう。また倒れでもしたら」

「原因はわかってる。もうしない」

「それならいいが、身体を休めるのとはまた別だ」

 エルトは束の間、複雑そうにルインを見つめ、苦笑と困惑の間のような表情で背中側を指差した。

「あー……じゃあさ、居間に戻ってくれよ」

「しかし」

「大人しくしてるから。今俺の部屋に戻されても火の気がなくて寒い。寒いとこで寝んのやだ」

 子供のようなことを言うエルトに、ルインは不承不承ながら頷いた。

「……わかった」

 踵を返し、居間へ戻りながら尋ねる。

「一体、何があったんだ?」

「あったっつうか、したっつうか。――四人が置いてった剣、あるだろ? あれに魔力根こそぎ持ってかれた。くっそ、あの剣、絶対おかしいぞ」

 顔を顰めるエルトへ、ひっそりとルインの陰に隠れるようにしていたフラムが遠慮がちに言う。

「……あれは、ウィルド・ノーリですから」

「は? んな、言うに事欠いて……」

 言いかけてエルトはようやくフラムの存在に気付いたようだった。ぎょっと目を剥き、ルイン越しにフラムを見る。

「な……なんでおまえがここにいんだよ」

「えっと、それは……」

「まさか、もう戻ってきたなんて言わねえよな? 俺、そんなに長い間寝てたのか?」

 フラムの返事を聞かず、青くなって問うてくるエルトへ、ルインはかぶりを振る。

「いや、まだ昼にもなっていない。フラム一人だけ村に行かなかったんだそうだ」

「なんで?」

 本当に不思議そうに尋ねられて、フラムは戸惑った様子で視線を彷徨わせた。答えを待つ間に居間に着いたので、ルインはエルトを長椅子に下ろす。

「ありがと」

「いや」

 ルインがエルトの向かいに座ると、扉を閉めたフラムは所在なげに二人を交互に見た。エルトが仕方なさそうに空いている一人がけの椅子を顎で示す。

「……座れよ」

「はい」

 椅子の端の方にちょこんと腰掛けたフラムは、両手を握り締めて身を乗り出した。

「あの……メルヒオールさん」

「なんだ」

「僕を……、僕を弟子にしてください!」

「断る」

「……え?」

 一瞬たりとも迷わず容赦なく切って捨てられ、フラムはぽかんとした顔になる。エルトは背もたれの上に両肘をのせ、やれやれとでも言いたげに天井を仰いだ。

「んなこったろうと思った。おまえ、魔導士だもんな。おおかた、便利そうな繕理術を教えろってんだろ」

 顔を正面に戻したエルトに睥睨され、フラムは髪が水平に広がるほど勢いよくかぶりを振った。

「い、いえ! 繕理術も教えて貰えればとは思うんですが、魔法も……どうすれば予備動作や呪文なしで撃てるんですか? 杖みたいな、依り代になりそうなのも持ってないみたいですし」

「練習」

「…………」

 またも一言で返され、フラムは口を噤んだ。しかし今度はすぐに立ち直ったらしく、拳を握り締めたまま言う。

「家事でもなんでもやりますから!」

「家政夫はルインがいるから間に合ってる」

「ん?」

 いつの間にそういうことになったのかとルインは疑問符を差し挟んだが、横目で見てくるエルトの、そういうことにしておけという無言の圧力に負けて口を閉じた。

 エルトはフラムに向き直って払うように片手を振る。

「諦めて帰れ」

「帰りません。お願いです、弟子にしてください」

「弟子はとってない」

「じゃあ僕が一番弟子ですね」

「なんだその前向きな解釈は。やだっつってんだろ、俺は人にものを教えるような柄じゃねえよ」

「そんなことありません」

「なんでおまえが言い切るんだ」

 半眼で言い返してから、エルトは仕方がなさそうに息をついた。

「繕理術ってのは、普通の魔法と違う適性が必要なんだとさ。父さん――先代のメルヒオールには弟子が一人いて、その人は他の魔法は父さんよりも上手かったけど、繕理術だけは使えるようにならなかった。おれが使えるのは多分、遺伝だ。だから他人には無理」

「じゃ、じゃあ、適性を見るだけでも。どうやって見分けるんですか?」

「知らん」

「へ?」

 きょとんとするフラムへ、エルトは面倒臭そうに説明する。

「適性の有無を一発で判別する方法はない。まあ、死ぬほど勉強して、駄目だったら適性がないってこった」

「そんな……死ぬほど勉強してからしかわからないなんて、時間と労力の無駄じゃないですか」

「学んだことが実にならないかもしれないからって、無駄だなんて言ってる奴は一生無理。おまえ、よくそれで魔導士やってるな。魔法は死ぬまで勉強だろ」

 フラムは不意を突かれたような顔をして、か細い声で言う。

「……僕にはこれしか取り柄がないので」

「あっそ。とにかく、やる気があるなら独学でもやれるだろ。俺の近くにいたからって、急に使えるようにはならねえよ」

「でも……でも、特別な技術とか……様式とか」

「ない。第一、楽して手に入れた力なんて、最後の最後で踏ん張りがきかねえぞ? こんだけやったって裏打ちがないから」

 フラムは膝頭のあたりで両手を握り合わせ、黙って俯いた。細く息を吐きだし、エルトはまったく違うことをフラムに尋ねた。

「フラムだっけ。おまえ、年幾つだ?」

「……十四です」

「十四かよ。その年で、一体何を焦ってんだ? 十四で魔導士を名乗れるくらい魔法が扱えるなら、嫌でもそのうち強力なのが身につくって」

「そのうちじゃ駄目なんです。今欲しいんです。……みんなの役に立ちたいんです」

「みんなって、他の三人か?」

 フラムは首肯する。

「僕は、トロンたちに助けて貰ったんです。しかも、行く宛がないなら一緒にいてもいいって言ってくれて……足手纏いになるのはわかりきってるのに。だから、恩返しがしたいんです」

 特に感銘を受けたふうでもなく、エルトは首を竦めた。

「おまえら、きょうだいじゃなかったのか」

「三人はきょうだいです。血の繋がりはないけど、同じ場所で育ったって言ってました」

「ふうん。名前からして四きょうだいだと思ってた。単なる偶然か」

「名前?」

「トロンは雷、シエルは空、メイアは海、フラムは火」

「あ……古語ですね。トロンたちはわかりませんけど、僕のは偶然です」

「ふうん?」

 疑わしそうに言い、しかしすぐにエルトは話を元に戻す。

「まあいいや。――恩返しってったって、あいつらに貸しにしとくから返せとでも言われたのか?」

 フラムは瞠目して身を乗り出した。

「違います! そんなこと言いません。……優しい人たちです」

「だったらおまえの自己満足か。やめろよ、誰も得しねえぞ」

 突き放すような口調でエルトは続ける。

「本当に自分が役立たずで足手纏いになってると思うなら、無理にあいつらにくっついて行かないで、どっかで適当に別れりゃいいじゃねえか。三人は荷物が減る。おまえは恩返しだのなんだのって悩む必要がなくなる。その方がお互いのためだろ」

「それは、そう、ですけど……」

「それとも、明確な理由がなきゃ一緒にいちゃいけないとでも? あいつらについて行くなら、おまえがついて行きたいって思うだけで十分だろ、恩返しなんて言い訳しなくてもさ。だから役立たずだの足手纏いだのってややこしくなるんだ」

「…………」

 フラムは泣きそうに表情を歪めると、唇を噛んで顔を伏せた。エルトは隠しもせずに苛立たしげなため息をつく。

「結局どうしたいんだよ、お前は。そこんとこはっきりしねえと、どうにもなんねえんだよ、少年」

 エルトの言うことは正論だが、年端もいかない魔導士が少々可哀想になってきて、そしてエルトが大きな勘違いをしていることに気付き、ルインは口を挟んだ。

「エルト」

「うん?」

「女の子に向かって、少々言い過ぎではないか」

「んなこと言ったって……え?」

 エルトは言いさして目を見開いた。驚いた顔のままルインとフラムとを交互に見る。

「女? の、子?」

 ルインはフラムへ視線を向けながら頷いた。彼女は何故か、俯いたまま耳まで赤く染めている。

(本当に男だと思っていたのか……)

 フラムは麦藁(むぎわら)色の髪を短くしていて、若いと言うよりは幼い肢体は、分厚い冬服の上からわかるほどの性差を備えない。声も年相応、あどけない顔立ちは整っていて、それ故にどちらか判断することは難しい。

 エルトはしばらく固まっていたが、やがて硬直を解そうとするかのように声を上げた。

「なんっ……なんで男のふりなんかしてんだ!」

 フラムは顔を赤くしたまま弁解めいたことを口にする。

「……子供で、しかも女って知られたら、ますます(あなど)られるんです……だから、僕」

「そのボクってのを今すぐやめろ、紛らわしい。さては、フラムってのは偽名だな?」

「いえ、フラムマリアの略です」

「……もっと女っぽい愛称にしろよ」

「そう言われましても……」

 困ったように眉を下げるフラムへ、エルトは首を左右に振った。

「と、とにかく、女でもなんでも弟子はとらないし、今言ったことを撤回する気もない。雪の中出て行けとまでは言わないから、雪が止んだら……あ、でもあいつらが剣取りに来るか。そのとき一緒に行けよ」

「いいえ! ぼ……わ、わたし、諦めませんから!」

 何か吹っ切れたのか、それとも開き直ったのか、宣言するなりフラムが勢いよく立ち上がり、エルトとルインは同時にやや仰け反った。彼女はその勢いのまま突きつけるように言う。

「お茶! 淹れてきますね! 台所お借りします!」

「あ、おい」

 エルトが止めるのも聞かず、フラムは居間から出て行った。扉が閉まるまでを呆気にとられた様子で眺め、やがて我に返ったらしいエルトは両手で頭を抱えた。そのまま沈黙することしばし、恨めしげに顔を上げて言う。

「……ルインさんよ」

「なんだ?」

「知ってたなら教えろよ」

「何を……ああ、フラムが女の子だということか? 私はてっきり、エルトもわかっているものだと」

「わかんねえよ! 見た目はどっちつかずでも、僕だしフラムなんて名乗るし! 最初に男だって思い込んじまったら、そうとしか見えなくなるっつの」

「そういうものか」

 ルインが納得していると、エルトは渋面のまま首をかたむける。

「あんたはどこで気付いたんだ?」

「気付くも何も、最初から」

「……女に見えたか?」

「見た目よりは、空気というか、雰囲気というか……それに、私は一度、四人に会っているからな」

 告げれば、エルトは一つ頷いた。

「あ、そっか。一回戦ってるんだっけ。そんときはフラム、女っぽい格好してたのか?」

「いや、今とあまり変わりなかった」

「……結局、洞察力か」

 何故か肩を落とし、ため息混じりにエルトは続けた。

「次からは、俺が何か酷い勘違いしてるっぽかったら、早めに教えてくれ」

「わかった」

 実のところ、エルトがフラムを少年と口に出すまで、エルトが勘違いをしているとは気付かなかったのだが、それを告げても更にがっかりさせるだけかと思い、ルインは短く請け負うに留めた。

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