第58話:渦巻く思惑(1)
いつもならば大勢の人通りに賑わうアリウスの街。
だが、今はそれが嘘のように静まり返っている。
かといって人通りがまるでないわけではなく、一人、二人と通りを歩く者も見える。
日は出ているが、つい先ほど出たばかりとあってはそれも当然のことだろう。
本来なら大勢の人々はまだ眠りについている時間ではあるものの、この時間からでも活動する人達はいる。
とある兵士の一人も今日から始まる闘技大会の最後の準備に向かうべく、家の中で近所迷惑ながらも慌しく身支度を整えていた。
『よし、行くとするか』
口を覆うほどの髭を生やした太めの兵士、アンガスが剣を携えて外に出ようとした時だった。
突然、ドアが数回ノックされる。
こんな早朝に人が尋ねてくるなどあり得ないと思っていたアンガスは驚きから飛び跳ねるように反応し、壁へと後頭部をぶつけた。
痛みにふさぎこんでいる彼の耳へ、ノックに続けて人の声が聞こえてきた。
『アンガスさん?』
『いつつ・・・、ん?この声は』
聞き覚えのある声にアンガスは頭から手を放し、ドアを開いた。
開いたドアの前に立っていたのは、一時いなくなっていた瞬だった。
『瞬!』
『あ、おはようございます』
『おはようございます、じゃない!今まで何処に行っていた!?アーリア湖の周りか?』
『ええ、まぁ』
『全く無事だからいいようなものの、本来ならあの辺りは行方不明者を何人も出すような場所なんだぞ?いくら治療のためとはいえ、あんな場所で』
アンガスは呆れた声を出すが、瞬は心に思った疑問を素直に言葉にしていた。
『・・・治療?』
『ん?お前の持病の治療だろ?あんな血を吐くような病を持っているようにはまるで見えんがな』
瞬は思い出していた。
城を抜け出してロビンの元にいる理由として、自分自身が持病を抱えてロビンにしか治せないためだと説明していたのを。
『・・・あ、ああっ!そ、そうです、ロビンさんのおかげで治って今は健康なんです、ははっ』
嘘をついている後ろめたさに自然と目を逸らす瞬。
アンガスはそれに疑問を覚えたものの、大した事ではないとすぐに忘れる。
ただ、彼は別なことが気にかかっていた。
瞬が何処となく前よりも雰囲気が暗く、そして背中にフードを被った顔の見えない人を背負っている事だ。
『どうかしたのか?それに、その背中の者は誰だ?』
『・・・その、実は・・・』
『?』
『・・・姫が!』
瞬がヴァネッサは毒に倒れたことを説明しようとした途端、空から小さい爆発音が二人の耳へと届いた。
その音を聞いた途端、アンガスは自分の失態に気づいて焦りだす。
『まずい!集合の時間だ!ええい、話しは後で聞くから、とりあえずこの家は自由に使え!』
『あっ、ちょっと!?』
『そうそう、お前も闘技大会参加者だったな?アーリア湖の森にいたから知らんだろうが、参加者は城の訓練所に集まることになっている。まだ時間の猶予はあるが、早めに行けよ!じゃ、後でな!』
『えっ、あっ』
手を差し出して止めようとした瞬を簡単に振り切ったアンガスは、瞬が取り繕う暇もない内に外へと出て行った。
彼が風のようにいなくなった途端に静寂は訪れる。
閉められたドアに空しく向けていた手を瞬は下ろした。
『・・・言えなかった』
ヴァネッサを守れなかった事を伝えようとしたものの、うまくいかなかった事に瞬は溜息を漏らす。
その胸中は色々な考えが入り混じり、彼には珍しくどうすべきか判断に困っていた。
とりあえず、瞬はベッドへと背負っていたヴァネッサを横たわらせ、傍らに体力を回復させる赤い秘薬を並べた。
『ロビンさんも戻ってこない、アンガスさんも出てしまった・・・。城の人達に直接、この事を伝えに行くべきか』
今の瞬には闘技大会などどうでもよく、ヴァネッサが目を覚ましてくれることが一番の望みだった。
正直な所では、己を試してみたいと言う気持ちがわいてこないわけでもないが、そんな物はヴァネッサの事に比べればほんの些細なことだ。
実際、一国の姫、それも彼女と結婚できる権利を賭けた戦いなのにその本人がいないのでは話にもならず、開催すること事体がなくなってしまうだろう。
瞬はその事実を知ってか知らずか、思いつめた顔で眠りから覚めない彼女の口へと赤い秘薬を含ませる。
秘薬の効果により、ヴァネッサの体へと体力が戻っていく。
『姫、すいませんが少し出てきます』
一礼してアンガスの家を出た瞬は城を目指して走り、人がまばらな通りを突き進み、城へと続く門へとたどり着いた。
瞬自身も今までに何度か目にしていた門だが、街の様子とは裏腹に何人もの門の前に立つ人で賑わっていた。
『これは一体?』
見渡してみれば、瞬の目に映るのは屈強な兵士やローブを着た魔法使いらしき人物から鍬を担いだただの農民などだった。
皆が皆、門の方向を見ているようで、瞬も気になって視線の先を見た時だった。
門の方から吹き飛んだ鎧の男が地面に落ちて何mか転がり、かわした人達の間を通り抜けて瞬の前にまで転がってくる。
何回転したかも定かではない男だがまだかろうじて意識はあったらしく、震える腕を地面に立てて立ち上がろうとしている。
生まれ立ての小鹿のように体を震わせながら徐々に起き上がっていき、どうにか立ち上がれたかと観客と化した皆が思った瞬間、糸の切れた人形のように気力が切れた男は倒れた。
まるで動こうともしない男に瞬はすかさず駆け寄る。
『だ、大丈夫ですか!?』
『グハハッ、その程度の実力で参加できると思うな!腕を磨いて出直して・・・ん?来たか、瞬!』
『え?・・・アンガスさん?』
名前を呼ばれて反射的に振り返った瞬は練習用の木剣を持ったアンガスと目が合った。
ついさっき別れたばかりのアンガスだったが、その顔には小さい玉の汗が浮かんでいた。
『一体、何を?』
『ん?決まってるだろ、闘技大会への参加者を振るい落としているんだ。参加者は姫様目当てで山ほどいるが、弱い者が参加しても時間の無駄だからな。ワシが強い者だけを選抜している訳だ。国の一兵士すら倒せん奴に用はない』
『姫目当て?よく分かりませんけど、これは予選みたいなものですか?』
『そうだな、そんなもんだ。さぁ、次にかかってくる奴はどいつだ!?それとも瞬、お前が来るか?』
アンガスは過去に負けた屈辱を晴らそうと、今まで相手をしてきた者達よりより一層気を引き締める。
途端にアンガスの本気度合いから、全員の視線が一斉に瞬へと集まる。
今にも後ずさりしそうなほど後ろのめりな瞬に、アンガスが持っているのと同じ木剣が手渡された。
『いや、ちょっと!?』
『さぁ、いつでもかかってこい!』
『あ、あの、そんな事よりも姫が・・・姫が!』
『姫様が?どうかしたか?』
瞬の只ならぬ様子にさすがのアンガスも構えを緩めた。
ヴァネッサの事であるならなおさらだ。
『姫が・・・その、毒で倒れ』
『私がどうかしたか?』
声に反応して瞬が城壁の上を見上げると、そこにいた者を見た途端に声を失ってしまった。
魚のように口を動かし、体を震わせる様はまるで幽霊でも見ているかのようだ。
実際、今の瞬にとっては幽霊とも言える存在が城壁の上に立っていた。
『・・・・・・・・ひ、姫?』
『何を驚いている?まぁいい、皆も頑張るように』
訓練着を来たヴァネッサが城壁から見下ろす様に立ち、柔らかい笑みをその場にいた全員に向ける。
女神が降臨してきたかのような笑みに誰もが頬をうっすらと赤く染める中、呆けていた瞬はその笑みを見て正気を取り戻した。
「・・・違う、あれは姫じゃない。あれは」
疑いの目を向ける瞬とヴァネッサの視線がかみ合った瞬間、彼女の笑みが少し曇る。
まだ生きているとは・・・本当に化物だ。
ヴァネッサの振りをしている隠者は瞬が自分自身で仕留める事は難しい相手だと再度、思い知らされた。
彼女の主人であるエドガーから百戦錬磨の傭兵団を向かわせた事を聞いていたが、瞬には傷一つない。
にも関わらず、傭兵団は二度と関わりたくないと負けた事を告げて去っていった。
今の彼女には偽りの姫としての役目がある以上、暗殺を行うことも出来ないものの、既に隠者の瞬に対する殺意は根こそぎ折れていた。
見た目はただの優男である瞬に敵わないのを自覚しながらも、その見た目にどうしても納得しきれない部分を心に抱えながら隠者は二人の対峙を見ていた。
『姫様、お体は大丈夫ですか?』
『ああ、問題ない。むしろ、軽い休養で訛った位だ』
軽い笑顔を浮かべながら話す彼女はどう見てもヴァネッサ・イーグランドそのものだが、瞬は厳しい目つきでヴァネッサを演じる隠者を見ていた。
隠者もそれに気づきながら、敢えて気づいていないかのように振舞う。
迂闊にこの場で言及しようものなら、まだ流暢とはいえない瞬はあっという間に論破されるだろう。
それに加え、暗殺や傭兵団などを差し向けてきた彼女の上の存在が、色々と手を回していたとしてもおかしくはない。
自分の中で静かにそう結論付けた瞬は、叫んで否定したい気持ちを胸を握りながら堪えていた。
そんな事など露知らず、アンガスは隠者の様子に安堵した表情を浮かべる。
『ふむ、しっかり回復されたようだ。これなら心配は・・・ん、どうした瞬?さっき、姫様がどうとか?』
『いえ、何でもないです』
『それならいいが・・・。じゃ、仕切りなおしと行こうか!姫様が見ている前で無様な姿を晒したくないならさっさとかかって来い!』
迎え撃たんと木剣を構えるアンガス。
周りを威圧する雰囲気に周りで見ていた者達も圧倒され、無意識に1歩ずつ下がっていた。
瞬はアンガスの威圧を物ともせず、静かに隠者への視線を強くし、敵対する意思を隠者にのみ送る。
「どういう事かは分かりませんが、そこは貴方の居場所ではない。姫が戻るためにその場所は空けてもらいます」
『・・・』
『何だ?何を言っている?』
他には分からない日本語での宣戦布告だが、隠者にも内容は分からずともその意味は理解されていた。
笑顔を崩さぬ隠者だが、その内心ではエドガーの作戦を吹き飛ばさんとしている大砲の様な存在がそこにいることを理解した。
『何を言ったか知らんが、さっさとかかって』
『いきます』
もう一度言葉での威圧をしたアンガスだが、その言葉は途中で切れる。
瞬が木剣を構え、静かに正眼に構える。
アンガスのようには相手を威圧する様子もまるでない。
ただ、その構えは驚くほど安定し、少しのブレもなく、そして、研ぎ澄まされていた。
見る者達からすれば二人の構えに大した違いなどないし、アンガスの圧倒する雰囲気からまるで虎と鼠が向かい合っているような構図だった。
『よし、かかってこい!』
『では』
息巻くアンガスを目で捉え、少しだけ息を吸い込んだ瞬は強く足を踏み込んだ。
その力に足元の石畳に埋め込まれた石にヒビが入ると同時に、瞬は飛び出し、真正面からアンガスへと飛び掛った。
少なくとも5mはあった互いの距離は一瞬で詰まり、瞬はともかく、いきなり目の前に膨張したかのように彼が現れ、アンガスは驚きで目を見開いた。
『なっ!?』
予想外の速さに対応が遅れたアンガスへと瞬は木剣を振るった。
確実に決まると思われた一撃だが、寸前の所でアンガスも振るわれた木剣の軌道の先へ、自分の木剣を動かす。
一度受けて、体を突き飛ばして一撃だ!!
幾度となく戦ってきた体と精神は何度も行ってきた動きを行うべく、体を固めて既に反撃の意識を強めていた。
『ごめんなさい』
ところがそんな彼の判断をあざ笑うように、彼の木剣へ瞬の木剣は重ならず、乾いた音も上がりはしない。
代わりにアンガスが感じ取ったのは腹部への強烈な痛みだった。
『ぬぉっ!?』
まるで鈍器で殴られたかのような痛みが彼のわき腹を遅い、同時に彼の瞬を迎撃する動きすら止めていた。
たまらず膝をついたアンガスの目の前に、瞬の木剣の切っ先があった。
『負けを認めてください』
『グッ!?・・・グハハッ、一度ならず二度までも負けたか。あんまり認めたくはないがお前は合格だ』
以前の訓練場で戦った時よりもあっさりと決まってしまった勝敗に、アンガスも素直に負けを認めていた。
負けたにも関わらず、不思議と心が朗らかであるのはヴァネッサと戦った時と同じだった。
そして。
『大丈夫ですか?』
負かした相手を心配しながら手を差し出すのも同様だった。
『フン、大丈夫だ。お前の攻撃程度でどうにかなる貧弱な体じゃない』
差し出された手と強く握手し、体を引き起こしたアンガスは瞬の心配を軽く一蹴する。
本当は立っているのもつらい痛みだが、彼は目の前の男に心配をかける真似だけはしたくなかった。
『お前は中に入れ。城の者が案内してくれる』
『分かりました。アンガスさんは?』
『俺はこのままだ。ここにいる連中の相手をしてやらにゃいかんからな』
『では、また後で』
瞬が少しだけ開いた門の向こう側へと消えると、アンガスは片足が膝をついた。
途端に安全な所で控えていた治療魔法を使える医者が駆け寄り、患部へと手をかざして治療していく。
『今のは奴の本気、なのか?』
一方的な戦いながらも収穫できた情報はあった。
ただし、それが瞬自身の何割の力なのかは隠者にも計りかねていた。
瞬には最低、これだけの力があると言うのが分かっただけだが、それだけでも人間離れした強さだった。
間違いなく、今回の闘技大会で優勝する可能性が一番高い存在、言い換えればヴァネッサ・イーグランドとして結婚を賭けた対決をするのも瞬である確率は高い。
宣戦布告してきただけに本気で叩きのめしてくるとなれば、それはエドガーの予定と狂う。
・・・優勝させない策略が必要だ。
隠者はそう考えるとその場を後にした。
『よし、もう大丈夫だ』
『助かったよ、先生。さて、次はどいつだ!』
体が回復したアンガスは立ち上がり、周りの者達へと凄んでみせた。
一撃で負けた後ではあったが、誰の目にも瞬の方が異常であるのは分かっているだけにとてもアンガスが弱いとは誰も思いはしない。
自然と、前へと出すはずの足も動くまいと止まってしまっていた。
『誰もいないのか?来なければ本選参加は締め切るぞ』
『・・・』
『いないのなら』
『俺だ』
声のした方へと一斉に視線が集まる。
そこにいたのは黒い重鎧と、それに合ったフルフェイスの兜を身につけた者だった。
顔も分からず、また声もくぐもっているために聞き取りづらい。
周りにいた連中とは、色んな意味で違った不気味な存在だった。
『かかってくるのはいいが、まともに動けるのか?ふらついてないか?』
『心配するのは自分の体にしとけ』
下出に出たのを意外な形で返されたアンガスの眉間に皺が寄る。
『ほう、それだけ言うからにはやるんだろうな!構えろ!』
瞬が置いたままだった木剣を拾い上げた黒鎧は、怒りがこみ上げているアンガスに向けて木剣を突き出した。
周囲が意味を理解できないでいる中、黒鎧は掴んだ手に力を込める。
途端に乾いた音を上げて木剣は半ばから真っ二つに折れ、黒鎧の手から落ちた。
木とはいえ、片手でへし折った力はとんでもないが、アンガスはそれよりも黒鎧が何をしたいのかがさっぱり分からなかった。
『お、おい、何をやっている?』
『分からないのか?剣など不要という事だ』
『な、んだとっ!?』
黒鎧の度重なる挑発にアンガスの怒りも頂点に達しようとする中、男は握った拳を慣れたように構える。
今から殴りかからんとしています。
そう体が申告し、男の言っている事が本気であるのも雰囲気で伝わってくる。
だが、アンガスに残っていたまだかろうじて冷静な部分は向かい合った黒鎧の更に不利な部分を見つけていた。
『ふざけるなよ!?そんな重鎧をつけていながら、俺を殴るつもりか!』
『その通りだ』
『そこまでの装備なら重量でまともな動きなどできはせん!俺を殴るといったが、俺がお前のパンチをかわさないとでも思っているのか!?』
『いや、そんな同情は期待しない。お前相手ならこれで十分という事だ』
その一言はアンガスの最後まで残っていた冷静な部分は怒りに全て変換させた。
キレたアンガスは黒鎧へと怒りをぶつけるかのような全力の斬撃を放つ。
鎧を付けた上に木剣ではあるが、このままぶつかれば衝撃は中の者を襲うだろう。
誰がどう見ても木剣は直撃すると思われた瞬間だった。
まず、斬りつけたアンガスの手には伝わってくるはずの衝撃が来なかった。
そして、木剣は何かにぶつかって止まる事もなく、黒鎧がいたはずの場所を振り抜けていた。
まるで幻でも見ていたかの様な錯覚に襲われたアンガスだが、突然、右隣に何かがいると感じた途端、全身の毛が逆立った。
『っ!?』
咄嗟に飛びのきながらも、何がいたのかと視線を移したアンガスの視界に移ったのは黒い鉄鋼で包まれた拳だった。
腕を上げて防ごうとしたアンガスだったが、異常な速度で迫る拳がガードより先に彼の顔面へとたどり着き、その勢いのまま顔へ拳がめり込んだ。
『がっ!!』
黒鎧の拳が顔面にクリーンヒットしたアンガスは、自ら飛び退いた事も相まって数mは吹き飛ばされて倒れた。
体を震わせるアンガスだが、一向に起き上がる気配はない。
慌てて医者が駆け寄ってアンガスを診た。
『おい、アンガス!アンガス!だめだ、気絶してる』
『・・・力は十分だろ、俺は通過だな』
『・・・』
権限はなくとも野次すら言えずに固まる周囲の者達を押しのけ、黒鎧は門の中へと入っていった。
信じられないものを朝から立て続けに二回も目撃した参加者達は、自分が勝つ可能性など有りはしないとこの後一分と立たずに消えてしまい、事実上、予選は黒鎧で終了となった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
出来れば文法や書き方、ストーリー展開で意見を頂けるとありがたいです。
お気に入り登録いただけるともっとありがたいです。




