第40話:アジア統括支部(6)
2011/07/11 間違っていた個所を修正
2011/12/26 レナルドの設定を変更
目の前の惨状にニキータは息をするのを忘れるほど茫然としていた。
首をひねられて殺されている者や鉄球にでも押し潰されたように壁にめり込んでいる者。
黒こげになった地点から四方に体がちぎれ飛んでいる者、更には鋭利な刃物で原型が分からないほど細切れになった者など、多様な殺し方をされた死体が通路の中に大量に転がっていた。
戦場、と言うよりも猟奇殺人の現場と言った方が近いだろう。
凄惨さで言えば人殺しすら厭わないニキータが言葉も出せず、現場に飲み込まれるほどだ。
音もなくただ立ちつくすニキータだが、ふと彼女の視界に壁に飛んだ血が地面へと垂れていく様が映った。
「・・・っ!?」
それが何を意味するか理解したニキータは辺りを何度も見回し、誰もいないかと確認する。
血が固まらずに地面へとまだ到達していない、つまりこの惨劇は起きてから数分と経っていないのだ。
となれば、これを行った奴は近くにいる可能性が高い。
仮にその相手と対面したとして、見境のない殺し方から推察するに言葉のやり取りなど無意味だろう。
怪物の1人であるニキータならば、出会った瞬間に殺される事は間違いない。
ニキータの必要以上の警戒はそういった考えがあった。
「誰も・・・いない・・・、ふぅ・・・」
幸いな事に通路内に1人として動く者はいない。
緊張でこわばった顔が少しゆるみ、無意識に安堵の息をつくニキータ。
そして、その溢れかえる異形の死体のさらに奥、通路の先に目を向ける。
早く『ニブルヘイム』から離れないと・・・!
出来る事なら通りたくない場所ではあるが、戻るという選択肢がない以上、彼女は意を決して先に進みだした。
下半身が大蛇でありながら床に出来た血溜まりを器用にかわし、極力音を立てない。
どこにも敵の姿は見えないが、転がっている死体を見るだけで自然と心臓の鼓動は高まり、冷や汗が体中から止まらず、挙動不審に辺りを見回す。
その様子を一目見れば、誰でも彼女が極度に緊張していたのは間違いなく分かる。
だからなのだろう。
通路内に突然響き渡った銃声で彼女は驚きの声を上げてしまう。
「ぎゃっ!?・・・い、今のはどこから?」
青ざめた顔で辺りを見回すニキータ。
どこかで戦闘が始まったのか、最初の銃声を皮切りに何十、百発分もの銃声が彼女の耳に届く。
どうやら銃声は彼女の進む先からしているようだ。
「この銃声・・・、AK47(アサルトライフル)?」
銃声を発する物がこのアジア統括支部での隊員標準装備であるのに気づいたニキータ。
となれば、『MW2』の隊員達と何かが戦っている事になる。
この先に一体何がいるのか彼女には知る由もないが、いまだに銃声が止まないとなるとそれだけの数が敵だと言う事なのだろうか。
もしくは『旅人』のような者でも相手にしているという可能性もある。
どちらにしろ、彼女の道を塞ぐ障害でしかない。
隊員達に加勢する様な気はさらさらないが、だからと言って敵対する奴に手を貸す気も彼女にはない。
あるのは己が助かるためにどう動くかという考えだけだ。
とりあえず、何が起こっているのかを確認しようとニキータは奥へと歩み寄り、折れ曲がった通路の先を影に隠れながら覗き込む。
そして、覗き込んだ事を即座に後悔する事になる。
そこで起こっていたのは一方的な虐殺、それもたった1人の男によるものだ。
さっきと同様に色々な手口によって無数の屍と化した隊員達の中に、1人だけ立つ短い金髪の長身の男。
歳は40代の中年と言った様だが、身に纏う雰囲気はただの大人という言葉では括れない。
上下ともに黒ずくめの男が己へと向けられた集中砲火の中を悠然と歩き、その弾は男に当たる事もなく逸れていく。
次々に魔法によって造られた炎の弾や氷の刃が飛び交ってもその歩みは止まらない。
「う、撃てぇ!奴を近づけるな!殺されるぞ!」
「ひ、ひぃぃっ!」
隊員達の間には明らかに敵意とは別な物が感じられる。
そう、向かってくる男への恐怖だ。
仲間の死の瞬間を何度も目撃し、パニック寸前までに高まった恐怖は、隊員達から見る男の姿を鎌を振りあげた死神の姿と変貌させていた。
「くそ!撤退だ!距離を」
「逃がさんよ」
後退の指示を隊長クラスの隊員が出そうとした瞬間、男の青い目が細まると場の空気が一変し、重圧が隊員達を襲った。
まだ戦闘に慣れていない隊員達はその場で白目をむいて倒れる。
ベテランの隊員達は意識は保ったものの、体にまるでコールタールがまとわりついているかのような重苦しさを感じている。
『名無し』と同じ殺気を放った男は攻撃が弱まった途端に走り出し、一気に距離を詰めた。
そして、倒れている者や重く感じる体に迎撃もままならない者に手を触れていく。
その途端、ある者は鋭利な刃物で切った様に首が飛び、ある者はロープがかかっているかの様に首が絞められていく。
更にある者は呼吸ができなくなると苦しさに床の上を転げ回り、またある者は内臓が損傷したのか血を吐きながら倒れた。
男に触られた者は例外なく次々と死んでいった。
触ると死ぬなど、さながら本物の死神だ。
物陰から見て何が起こっているのか皆目見当がつかなかったニキータだが、その死の魔法から男が誰なのかを思い出した。
思い出した途端、体中から血の気が失せていくように青ざめ、体中が寒くもないのに震えだす。
「う、嘘・・・、なんでこんなところに奴が!?」
彼女が思い出したのはまだまともな人間だった時に見た『旅人』の資料の1つ。
そこに記されていた№2:レナルド・ロドリゲスの情報だった。
通り名は『処刑人』。
触った者に様々な死を訪れさせる『マーダーハンド』という特殊な魔法を持ち、彼に対する近接戦闘は死にに行くのと同じ意味となる。
普段は人里離れた山奥などに潜伏しているはずだが、どういう訳だか100mとない距離にいる。
彼に見つかればニキータにも死を訪れさせていただろう。
幸い、今は隊員達を皆殺しにするのに忙しいらしく、ニキータの方に顔が向く事はなかった。
ニキータが顔を引っ込めてもなお、レナルドによる一方的な蹂躙は続いた。
銃の弾は『イージスの盾』によって弾かれ、ナイフをつき立てようものならカウンターで触られる。
次々とタッチされて虐殺されていく中、触られて死を覚悟した隊員の中には銃を頭に向けて自決する者までいた。
そうして、一番奥にいた隊長クラスの隊員の前に立った時、彼の部下だった者で立っている者は誰1人としていなかった。
目の前の惨状、部下の惨い死に隊員は膝をついて懇願した。
「た、ったた、頼む!殺さないでくれ!死にたくない!」
「『ホール』の魔法の止め方を知っているか?」
「・・・え?し、しらな、・・・っっっ!?」
隊員が良い終わる前にその肩へと死神の手が置かれた。
慌てて払いのけた隊員だが、その直後、体が持ちあがり助けを求める間もなく尋常じゃないスピードで地面へと叩きつけられた。
体中の骨が砕け、隊員の命も砕け散っていた。
「やれやれ」
あれだけの人を殺したと言うのに微笑みを浮かべるレナルド。
まるで罪悪感の欠片も持っていないとでも言うのか、どこにも悔む様な様子は一切ない。
魔法や身体能力に加えて人をゴミの様に扱う思考、人としては最低だが、殺人者としては最高といえる男だった。
銃声が一切なくなったのをニキータは耳で聞き、戦闘が一方的に終わったのが分かった。
間違いなくレナルドの勝利と言う形で。
『ホール』の中の『ニブルヘイム』に戻るのは嫌だが、ここにいてもいずれ殺されるだけな状況。
とにかく1歩も動かず、レナルドがいなくなるのを心の底から願っていたニキータだが、その願いはあっという間に壊された。
目の前にいつの間にかレナルドが立っていたのだ。
「あ、がっ!?」
咄嗟に身構えたニキータだが、そんな事など気にならないのかレナルドは彼女に問いかけた。
「『ホール』の魔法の止め方を知っているか?」
「しっ、・・・知っている」
「どうすればいい?」
とても質問している立場とは思えない様な見下す冷たい視線がニキータの体に突き刺さる。
嘘でもつこうものなら即座に殺されかねないだろう。
そんな中でニキータはどうにか稼働する頭をフルに回転させ、生き残りの道を探し出した。
「た、助けれくれるなら教える」
「ほう、私に交渉か。いいだろう、交換条件だ」
すかさずニキータの体を襲っていた重圧が無くなり、とりあえずは助かったと思ったニキータ。
だが、目の前で仁王立ちのまま絶対零度の見下す視線はいまだ彼女の動きを封じるのには十分だった。
多少ビクつきながらニキータは嘘など一つもなく、『ニブルヘイム』を形成する『ホール』の仕組みを教えた。
簡単に言ってしまえば、彼女から抽出した魔法を別の有機体へと強制的に移し、魔力濃度の高い空気から抽出した純粋な魔力をその有機体へと人工的に与え続ける。
その結果、他人の魔法を半永久的に使える装置が完成するという訳だ。
以前から研究されていた魔法研究の1つだが、彼女が監獄に囚われている間に完成し、更に対『旅人』用として初めて建造された装置に抜き取られた彼女の魔法が使われていたと言う訳だ。
「装置については分かった。その魔力の元を止めれば止まるということか」
「そういうことよ。『ホール』の外周を回っている壁から『ニブルヘイム』の魔力が放出されていた。どこかにその元があるはずよ」
「その場所は?」
「わ、私は知らないわよ!」
「・・・どうやら嘘はない様だ。お前の命は助けよう」
興味すらなくしたようにニキータに背を向けたレナルドはその場から去る。
今なら不意打ちも可能だが、ニキータは自分から谷底に落ちる様な選択はしない女だ。
手を出した所でせっかくつないだ命を無駄にするだけでしかない。
気が付けば視界の中からレナルドは消えており、気が抜けてニキータはその場にへたりこんだ。
「な、なんであの男がここにいるのよ!?」
「そうそう」
「っっ!?」
いなくなったはずのレナルドが突然ニキータの目の前に現れ、その手をかざしていた。
ニキータが動けば確実にその手は体に触れ、命はあっという間に消し飛ぶだろう。
「分かっているだろうが、さっきの話が嘘ならお前の地の果てまでも追いかけて殺す。いいな?」
言葉も出ないが、黙って頷くしかないニキータ。
それに満足したのかレナルドは手を引っ込めると口の端を釣りあげた笑みを浮かべ、ニキータに背中を向けた。
「ああ、命を助けてやるついでに君の質問にも答えてやろう。私が此処にいるのは、約束のせいだ」
ついでと言われたのが引っ掛かったニキータだが、そんなことよりも後の言葉が気にかかっていた。
何せ、人との接触を好まないレナルドをアジア統括支部を襲撃するのに引っ張り出した理由だ。
「約束?」
「遠い昔、友と交わした、な。・・・さて、約束を果たしに行くか」
ニキータが戸惑っているうちに姿が幻の様に薄れていき、気が付けばどこにも彼の姿はなかった。
彼がいない事を確認したニキータは安心すると同時に、止まりかけた心臓のハイペースで鼓動を打つ大きい心音が耳に届く。
緊張の糸が切れたようにその場に横たわるニキータ。
僅か数分間対峙しただけでニキータは惨めな死の恐怖に憔悴しきり、逃げる気力もなく、ただレナルドが消えた通路を見ていた。
体にまとわりつく様な濃霧の中をキャンプファイヤーの光を元に戦い続ける瞬と『名無し』。
何時になったら終わるのかと瞬はともかく、『名無し』に疲れが見え始めた時だった。
敵の増加が止まり、攻撃の手数が激減していったのだ。
その様子をすぐに感じ取った『名無し』だが、これも『W2』の作戦かと思考を巡らせる。
一方、瞬の方もそれには気付いていたが、攻撃が止まれば脱出もできるのではとニキータの行っていた脱出方法を考えていた。
二人とも別な事を考えながらも、その体は俊敏に、そして的確に敵を倒していた。
「『旅人』!気づいているだろ!?」
「ええ!敵が減ってきている!」
「何かの罠かもしれん、俺は片がついたら一旦壁の中に引っ込むぞ!」
「分かりました!僕がその後でニキータさんと同じ方法を試してみます!」
簡単に作戦を決めた2人はとにかくその手を止める事はなく、次々に敵を倒す。
そして、ようやくその怪物もロボットも打ち止めなのかもう襲ってくる様子はなく、さすがに疲れた『名無し』は荒い息を上げていた。
瞬と戦う時も終始無表情を貫いていた彼だが、今の表情には明らかに疲れの色が浮かんでいる。
だが、ここで終わった訳ではない。
疲労困憊の体で鉄鋼の壁の中へ逃げ込もうと足を進める。
「っち、さすがに限界が近いか」
今にも倒れそうなほどふらつく足取りで歩き、バランスを崩して倒れそうになった瞬間、その体を瞬が支えた。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、何とかな。疲れただけだ」
「後の事は任せて休んでいてください」
「悪いがそうさせてもらう、しっかり頼むぞ」
こんな状況にもかかわらず能天気に微笑んで頷いた瞬に『名無し』は妙な期待感を抱く。
本当にこの男なら何とかしてくれるかもな。
そう思えるほど、『名無し』には肩を貸してもらっている男が信頼できた。
同じ奇妙な状況にいるというのが連帯感を生んでいたが、それ以上にこの『旅人』の人格は不思議なほどに人を惹きつける。
殺し屋として長い間1人で命のやり取りを行っていた『名無し』に信頼感を生みだすほどに。
壁の中へと連れ込まれた『名無し』の前に次々と食料や薬、弾薬などが置かれ、所狭しとばかりに置いた瞬はその場から離れた。
「全く、どれだけお人好しなんだアイツは」
呆れたように呟く『名無し』だが、その顔には笑みが浮かんでいた。
彼には久しくなかった感情だった。
自分が笑っている事に気付いた『名無し』だが、とくに気にする事もなく詰まれた食料に手をつける。
奴だけに任せておけないなとコルトパイソンのメンテナンスを行いながら、食料を腹の中に入れていき体力の回復に努めた。
その間、敵襲も銃撃もない中を瞬は『天狼』片手に立ち、霧の壁へと向かって何度も斬りつけていた。
魔力の乗った霧にジャミングされ魔力の流れなど分かりはしない瞬には、ただ闇雲に霧の壁を斬りつけるしか方法がない。
「一体どうすれば外に出られるのか・・・」
疑問は浮かんでもそれに答えてくれる者はいない。
ただ、瞬には一つだけ試してみたい事があった。
『天狼』を消したかと思うと、鞘に収まった『天狼』を作り出し、左手で鞘を腰に当て刀の柄を右手で握り締める。
屈むように姿勢を落とし、まるで徒競争でもするかのように足は縦に大きく開く。
イリアとの修行中に学び、無意識のうちに放った結果、イリアに一撃を入れる事に成功した居合切りだ。
瞬は今まで全力で試した事はなかったが、やればおそらく今まで出した事もない様な強力な斬撃を出せる予感がしていた。
それならばニキータが何をやったかは分からないまでも、何かしらの結果を出せると彼は考えていた。
「これで駄目なら・・・何度でも試すまでだ!」
低い姿勢から更にもう一段階低く身を沈めた瞬間、爆発した様に前へと飛び出す。
一瞬で目の前に迫った霧の壁の寸前で渾身の力を込めて地面を変形させる程の踏み込みを行い、地面を足の裏一つで捉える。
凝縮された力を足から体全体へと伝え、体中が加速する中で力を込めて『天狼』を抜く。
「ああぁぁぁ!」
常人を超えた力と加速に加え、刀自身を鞘の中で走らせて通常の斬撃程度では及びもしない程の超加速状態の勢いのまま、全力の斬撃が放たれる。
誰の目にも捉える事が不可能な斬撃が霧の壁へと放たれ、瞬が抜いたと思った時には既に『天狼』は振り切られた後だった。
その直後、周りの霧を吹き飛ばす風が瞬を中心として吹き、爆発した様な音が辺りに轟く。
瞬は知る由もないが、その音こそ音速を破った事を示す破裂音だった。
今の自分に放てる最高とも呼べる一撃を放った瞬だったがその代償もあり、見れば体中に斬られたような傷ができていた。
『天狼』を振り抜いた右腕の損傷は特に激しく、まるで表面が破裂したような右腕へと変貌していた。
音速を突破した事で生じたソニックブームがカマイタチの様に体を襲い、もし『旅人』でなければ死んでいただろう。
強化された『旅人』の体でも音速の壁を生身で突破するのは容易ではない。
それは瞬の体を見れば理解でき、事実、瞬の体の至る所から痛みが上がり、それをこらえるので表情が自然と硬くなっていた。
だが、その痛みの価値はあった。
「これは!?」
瞬の目の前には霧の壁の中にポッカリと空いた巨大な穴が出来ていた。
ニキータが抜け出す時に作った穴よりも数倍でかい大穴だ。
全力で放った斬撃は刀の先に真空の刃を作り出し、『天狼』の延長になる真空の刃にも魔力を切り裂く力が『天狼』から流れ込んでいた。
その結果、広範囲を切り裂く長刃の『天狼』へと瞬間的に変わると、刀何本分もの長さをもって霧は刹那の速さで斬られていた。
魔力の流れが弱まっているなど関係ない。
瞬は強引に辺り一面の霧を切り裂き、外への通路を作り出していた。
「でき・・・た?これが出口?」
体が自然に治癒していく中、目の前の何でも飲み込んでしまいそうな程でかい穴にどうすればいいか迷っていると、その背後に『名無し』が現れた。
まだ食事は途中だったのか、口一杯に物を含んでいたが、驚いた状態で一気に全てを呑みこんだ。
「これだ!さっき蛇女が出ていく時にそんな穴が出来ていた!」
「となると、後はこれが本当に外に通じているのかどうか、ですか」
「そういう事だ。とにかく飛び込んでみないと話は進まんだろう。何より俺はここにいたくない」
「分かりました。じゃ、僕が担いで『イージスの盾』で守ります」
そう言うと『名無し』の体を軽々と持ち上げて、担ぎあげる瞬。
今まで経験がない程簡単に持ち上げられた事に驚く『名無し』だが、その直後、不愉快とでも言わんばかりに表情が曇る。
「・・・おい」
「なんですか?」
「これはふざけているのか?」
「いえ、別に」
悪気はなさそうに答える瞬だが、『名無し』は瞬の腕の上で小さく小刻みに震え、怒りの声を上げた。
「ふざけんな!男をお姫様だっこする奴があるか!?」
叫ぶついでに頭めがけてチョップを入れる『名無し』。
だが、強化された瞬の体では痛みが手に帰ってくるだけだった。
今の彼の状態、それはまるで王子様がお姫様を抱える様に胸の前で相手を持つ、所謂お姫様だっこのお姫様が『名無し』となっていた。
その扱いには文句の声を上げる『名無し』だが、瞬はさっきと変わらず微笑んでいるだけだった。
どことなく狙ってやっているのではないかと思わせるほど不自然に笑っている瞬。
『名無し』が突っ込みを入れたのも無理はない。
「今は一刻を争いますから、行きます!」
「ま、待て!せめて脇に抱えるとか背中にぃ!?」
無表情で淡々と仕事をこなす、ロボットの様な殺し屋として有名だった『名無し』。
そんな彼が瞬のせいで片無しである。
喚く『名無し』を余所に瞬は『イージスの盾』を展開し、今にも消えそうな切れ目へと飛び込んだ。
濃い霧が続く中を瞬は小走りに進み、『ホール』の壁が見える事を祈る。
2人を取り囲んでいた霧が段々と薄れていき、もう『ニブルヘイム』から抜け出せたと思った2人だったが、足を止めるとそこはまた同じ霧が支配する空間だった。
霧が薄れたのは瞬が斬り裂いた場所にまた戻ってきていたからのようだ。
「また・・・元の場所、ですか」
「っち、駄目か」
明らかに落胆する2人。
抜け出せそうな気が強くしていただけにその反動は大きい。
「また別の手だな。それより早く下ろせ」
「はいはい・・・ん?『名無し』さん、あれは?」
肩を落としていた瞬だったが、なんとなく見ていた上の方で霧が晴れていくように薄くなっていくのに気が付いた。
ようやくお姫様抱っこから解放された『名無し』も体を伸ばしながら目を向ける。
薄れていく現象は降りていくように全体へと広まっていき、徐々に霧の濃さも薄まり、視界も拓けていく。
まるで霧が蒸発でもしているかのようだ。
「・・・魔法が消えようとしているんじゃないか?もしかするとお前の一撃で魔法構造そのものが壊れたかもしれない」
「ん~、手ごたえも何もなかったから良く分かりません。でも、外に出れると言うなら」
言葉を切った瞬は右手に麻酔銃を、左手に『天狼』を作り出す。
これから起こるであろう戦いに備えて。
瞬の雰囲気が変わったのに気づく『名無し』だが、茶化すように両腕を上げると鼻で笑う。
「・・・まっ、俺は敗北宣言したんだ。せいぜい邪魔にならない様に消えさせてもらう」
「そうですか。しっかり約束は守って下さいよ?」
「残念ながら嘘はつかない主義だからな。まぁ、真っ当に生きていれば2度と会う事もないだろう」
そのやり取りの間に霧はほぼなくなり、段々と霧の隙間から外の無機質な金属製の壁が顔を出していた。
「さよならだ」
「ええ、お元気で」
空いた穴の中へと飛び込んだ瞬に続いて『名無し』も別の穴から外へと飛び出した。
瞬は床の上へと転がると辺りを確認し、そこが間違いなく『ホール』の中であるのを確認した。
どうやら戻ってこれたみたいですね。
肩の力が少し抜けた瞬だが、消滅しかかっている『ニブルヘイム』の近くから離れるために通路の中へと飛び込んだ。
すると、その眼前に広がる光景に絶句した。
見渡す限りの怪物化した死体の山。
『ニブルヘイム』の中で襲ってきたのと同じタイプの怪物もいれば、初めて見たタイプの怪物までいる。
彼らはおそらく瞬を襲うために待機していたというのを想像するのは難しくない。
瞬もその考えにたどり着いたが、一番の問題は別だった。
「一体、何が起こったのか・・・?」
吐き気を催すほどの光景に思わず口元を押さえながら極力見ない様に先に進む。
どこを見ても生きている者はおらず、瞬は警戒するだけ無駄に思えていた。
だが、そんな瞬に警告するように曲がり角の先から小さい物音が聞こえ、その音を捉えた瞬は極力足音を消して角に張り付く。
そして、意を決して角から飛び出すと麻酔銃をその先へと向けた。
「ひっ!!・・・え?」
「あれ?ニキータさん」
後ろから突然の物音にまたレナルドが現れたのかと凍りついたニキータだったが、そこにいたのが見知った優男であるのが分かると強張った顔が一気に緩んだ。
これでも瞬は敵なのだが。
一旦はニキータの気も緩んだが、ふと思い出したように叫んだ。
「アンタも抜け出せたの!?」
「まぁ、何とか」
「どうやって!?そんな簡単に『ニブルヘイム』が敗れる訳がない!」
「それが気が付いたら霧が薄れてきたものですから・・・」
苦笑しながら答える瞬に、ニキータの脳裏にレナルドの姿が思い浮かぶ。
あの男の仕業か!
原因がほぼ特定できたもののどうしようもない程の力を持つ『旅人』ではどうしようもないと忌々しげに唇をかむニキータ。
「あの、それはそうと、何が起きたんですか?この大量の死体は」
「アンタの仲間の仕業よ!どうせ知ってて言ってるんでしょ!」
「仲間・・・?そう言われてもさっぱり分かりません」
困った様に返す瞬の反応から、本当に何も知らないのだとニキータは分かった。
となると、レナルドが言っていた約束の相手は少なくとも瞬ではないと言う事だろう。
「じゃあ教えてあげる。アンタを助けたのも、怪物や隊員達を殺したのも皆、アンタと同じ『旅人』がやった事よ!」
「誰ですか!?その『旅人』というのは!」
自分と同じ『旅人』が原因であるのに驚きながらも、それが誰なのか知りたくてたまらない瞬。
彼はこんな酷い事をロビンやイリアがやったとは考えたくもなかった。
そんな事などつゆ知らず、予想以上の反応を返した瞬にニキータはさっさと去ってもらいたかった。
何せ、『名無し』がいない以上、瞬と戦えば確実に負けるのは間違いなかったからだ。
「アイツなら多分この先よ。急げばまだ」
ニキータが言い終わるのを待たずして、瞬は駆けだした。
「ちょっと!」
「すいませんが先に行きます!相手はまた今度で」
言いながらも足は止めず、あっという間にニキータから離れていく瞬。
その胸中は仲間に会えるという期待感と、死体の山を短時間で作り上げるまだ見ぬ力への恐怖で一杯だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
出来れば文法や書き方、ストーリー展開で意見を頂けるとありがたいです。
お気に入り登録いただけるともっとありがたいです。
どうにか40話に到達です。
文字数にして約30万文字らしいですが、本当に飽き性な私がよく続いたものだと思います。
まだまだ内容は続きますが、一体いつになれば終わるのやら。
他の投稿されている方で1日1話ペースで出来る人並みに書ければと羨ましがる日々です。