↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/7

不倫の代償

 綺麗な月の見える夜だった。都内に建つ八階建てのマンションの周りを静寂が包んでいた。夜八時を少し回った時、ドスーンと辺り一帯に響くような鈍い音が聞こえた。カーテンで遮られていたマンションの窓が一斉に開き、マンションの住人達は音のした方向を注目した。マンションの南側には住人用の駐車場がある。その駐車場のアスファルトの上に人が倒れている事は明るい月の光のおかげで容易に確認できた。

 その時、マンション北側にある非常用出入り口からサラリーマン風の男が走り去った事に気付く住人は誰もいなかった。ただ、マンション北側の角にある電柱の陰に一人の男が立っていた事に、走り去る男もまた気がつかなかった。男は走り去るサラリーマン風の男にスマートフォンのレンズを向けていた。

 住人達の対応は人それぞれだった。駐車場まで下りて来て救助しようとする人、スマホ片手にその倒れている人を撮影する人、110番通報する人、完全無視を決め込み、ふたたび窓を閉めカーテンで部屋を閉ざす人。それから20分ほどすると、先ほどまでの静寂が嘘のようにマンション周辺はパトカーと救急車のサイレンの音に包まれた。喧騒は夜中の12時を過ぎるまで続いた。

 翌朝、清田和也はいつも通り会社に出勤した。清田がエレベーターで五階のフロアに上がると、営業部内は騒然としていた。

「何かあったのか?」清田は隣のデスクの同僚に尋ねた。

「何かって、お前知らないのかよ。事務の白石美佳、昨日マンションから落ちて死んだらしいぞ」

「えっ、いつ?」

「昨日の夜。今、部長が刑事に事情を聴かれているよ」

 清田の顔から汗が噴き出した。清田は噴き出る汗をハンカチで拭った。しばらくすると部長が営業部へ戻って来た。ところが部長は自分の席には戻らず、清田を廊下に連れ出した。

「お前、白石と付き合っていたのか?刑事からいろいろと聞かれたぞ」部署の皆には聞こえないように部長は小声で言った。

「プライベートな事にまで口を出すつもりはないが、不倫はまずいぞ」

「いや、それが、そのー」清田は口ごもった。

「まあ、いいから、すぐに第一会議室へ行け。刑事さんがお前に色々聞きたい事があるんだと」

 清田は会議室に向かう途中で必死に考えた。なんで刑事は俺が美佳と付き合っていることを知っているんだ。美佳は俺の事を日記にでも書いていたのか、それとも、美佳の部屋に俺の私物でも残っていたのか、何にせよ、まずい事になった―清田の汗は止まらなかった。

 コンコンコン、ノックを3回してから清田は第一会議室へ入った。会議室の中には40歳くらいの強面の刑事と28歳くらいの若い刑事の二人が椅子に座って待っていた。

「すみませんね、お忙しいところを」年上の刑事がそう言いながら、清田に名刺を渡した。名前は立花恭介。若い方の刑事は橋本孝という名だった。

 立花は、清田に切り出した。「既にご存じだとは思いますが、昨日、あなたと同じ部署の白石美佳さんが亡くなりましてね。それで清田さんにいくつかお尋ねしたい事があるんですよ」立花は丁寧な口調で清田に語りかけた。

「あのー、何故私にお聞きになるんですか」清田はとぼけてみせた。

「あれ、あなた白石美佳さんとお付き合いされてましたよね、違いましたか?」

 清田は下を向き、立花の問いかけに答えようとしなかった。

「実は、白石美佳さんと仲良くされていた女性社員の方が教えてくれたんですよ。白石さんはあなたと不倫関係にあったと」

 誰だ?そんな馬鹿な事を言ったのは。美佳も美佳だ、あれほど社内の人間には内緒だと言っておいたのに。愛人だった女性が昨日死んだというのに、この期に及んでも清田は自分の保身の事だけを考えていた。清田和也とはそんな下衆な男だった。

「実は我々、白石さんの転落がただの事故なのか、それとも事件なのか、分かりかねているんですよ。そこで単刀直入にお伺いしますが、昨晩、あなたはあのマンションに居ましたよね」

 これ以上シラを切り通しても無駄な事は清田にも分かった。警察は、指紋やら下足痕やら俺と分かる証拠を掴んでいるのだろう。観念した清田は小さく頷いた。

「白石さんがベランダから転落した時、あなたはどこに居ましたか?」立花は質問を続けた。

「私は部屋の中に居ました」

「ほう、では白石さんは一人でベランダに出ていたんですか?月でも見ていたんでしょうか?昨晩は月が綺麗でしたからね。私もよく覚えていますよ」

「いえ、違うと思います」

「では、彼女は何の為にベランダに出たんですか?」

「それが私にもよく分からないんですよ。彼女は話の最中、突然ベランダに飛び出したんです。そしてその勢いのまま、自分から飛び降りたんです」

「自分から?何の前触れもなくですか。妙な話ですね」

「妙な話でも本当にその通りなんだから仕方ないじゃないですか」興奮した清田は大声でを出した。

「清田さん、あまり大きな声を出してもらっては困りますよ。会社の人に聞かれてもいいんですか?」

 清田はハッとして黙り込んでしまった。

「清田さん、続きは署の方で伺いたいのですが、ご同行いただいてもよろしいですか?」立花が清田にそう告げると、清田は黙ったままゆっくりと頷いた。

「橋本、ちょっと部長さんを呼んできてくれるか?」立花は後輩の橋本に命じた。

 第一会議室に部長が入って来た。立花は部長に向かって言った。

「ここだと、話しづらい事もあるかと思いますので、清田さんとはこの後、署の方でゆっくり話を続けたいのですが、よろしいでしょうか?」

 部長はあっさりと了承し、立花はこのまま清田を警察署へ連行する事にした。自分の席に戻り警察署に行く準備をしている清田の耳に、口さがない連中の声が聞こえて来た。

「清田さん浮気してたんだって」

「最低だよね」

「あの夜も白石さんの部屋にいたみたいよ」

「別れ話がこじれて突き落としちゃったんじゃない」

 清田は自分のカバンを強く握りしめた。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。