父の行い
「エルフ公爵様、夜分遅くに申し訳ありません」
フィリップがエルフ公爵邸にやって来たのは、私達がお風呂も済ませ、間もなく就寝という遅い時間だった。
「フィリップ君、お仕事お疲れ様。もう辻馬車も無い時間だ、今日は泊って行くといい」
マイア様の言葉に、フィリップも今回は首を横に振る。
「いえ、そんな訳には参りません。馬車ではなく店の馬で参りましたので帰りは大丈夫です」
「それなら尚更だ。夜道を馬で駆けるのは危ない、それも一人でしょう。これは私からの命令だ。今日は屋敷に泊りなさい。ソフィアさんに心配をかけることは私が許さないよ」
厳しい言葉で優しいことを言うマイア様に、フィリップも流石に折れる。
申し訳ないと思いながらもどこか嬉しそうだ。
その気持ちは分かる。
私もフィリップも心配されることになれていない。
きっと私達はこんな優しさを両親から向けてもらいたかったのだ。
フィリップの頬が少しだけ赤くなっている気がして、私も嬉しくなった。
「有難うございます。ではエルフ公爵様、申し訳ありませんがお言葉に甘えさせていただきます」
「うん、それが良い。ソフィアさんもこれで安心でしょう?」
「はい、マイア様、有難うございます」
マイア様に兄弟そろってお礼を言えば「私はまだ仕事があるから」といって部屋に向かってしまった。私達が話しやすいようにこの場を離れてくれたのだろう。マイア様は本当に優しすぎる。
フィリップを居間に案内し、軽食を用意して私も席に着く。
夕食は食べて来たといっていたが、やっぱり仕事中にかじった程度だったのだろう。
ありがとうと言いフィリップは軽食を口に運んだ。
美味しいと言いながらも、その笑顔はどこか晴れないものだった。
「姉さん、実は実家の事なんだけど……」
お腹が落ち着くと、フィリップは早速話を始めた。
明日も仕事でお互い朝が早いため、さっさと話しを終わらせたいということもあるが、フィリップは早く誰かに相談したくて仕方がないようだった。
「まず、母上が出て行った……」
「えっ? えええっ? あのお母様が?」
「うん、あの母上が……」
最初から驚く話に私は言葉を失う。
私から見る母はあんな父を深く愛していて、常に父の言うことが正しい、そんな人だった。
この世界は父中心に回っていると母は思っているのではないか、そう思う程スチュアート家を継いだ父に母は惚れこんでいた。
実家のあるあの土地では、スチュアート家を嘲笑う者は多かったけれど、反対に妄信的なファンも多かった。
母の実家は正にこれで、スチュアート家の嫁となった母を素晴らしい娘だと心から尊敬していた。
その上スチュアート家の子供を沢山産んだ母は、この熱狂的な信徒からは女神のように崇められていた。
なので当然子育てなどには目もくれず、母は子供を産むことだけに力を注いでいた。
それも立派な騎士になる男児を希望して。
娘である私など母から見ればどうでもいい存在だっただろう。
母もまた父同様私の顔や名を覚えているかも怪しい。
失敗作に興味など出るはずが無いからだ。
兄のアンドリューと弟のフィリップ、それから末子のエリオット。
それが母の宝であり、自分の自慢の子供だった。
そして自分そっくりな姉カレンは自分の分身。
良いところに嫁に出す。
父と同じく母もそんな考えだった。
そんな母が出て行った。
フィリップの話が真実だと分かっていても、すぐには信じられなかった。
「父は後妻を迎えるらしい」
「は? 後妻?」
何言ってんの?
十三人も子供がいる家に後妻など来るわけがない。
そんな私の常識をフィリップがぶった切る。
「うん、そうなんだ……後妻は王都で作った元愛人らしい、すでに父との子供がいるそうだ。五歳の男児……エリオットと歳も性別も一緒だ。来月には屋敷に越してくるとあの父親が言っていたよ」
「……」
エリオットは私達兄弟の一番下の弟だ。
まだ五歳で、私が家を出る時にちょうど生まれた末子で、スチュアート家の子供らしい赤茶色の髪色をしていたのを覚えている。
「母上は家に残っていた妹たちと一緒に家を出て行った。今はエリオットとアイツだけがあの屋敷で暮らしている。まあ、メイドという名の乳母のような人が一人いるけど、アレじゃあ辞めるのも時間の問題だろうね」
「そんな、エリオットは大丈夫だったの?」
私の問いかけにフィリップは首を横に振る。
父と一人屋敷に残ったエリオットに掛けられる期待はとても重いもので、時間が許す限り剣の稽古をしているそうだ。
『騎士ではないオマエが口を挟むな』
五歳児が行なうにしては過剰な練習を止めようとしたフィリップを父は怒鳴った。
それでもフィリップはどうにか止めようと思ったのだが、エリオット本人に「大丈夫」だと止められてしまった。
僕は父上のような立派な騎士になるんだ。
そう望むエリオットを見て、フィリップはもう何も言えなくなってしまったようだ。
「姉さん、実家へ仕送りはしてる?」
フィリップの問いかけに「ええ」と頷く。
ぼっちゃまの屋敷をクビになり、仕送りも出来なくなるだろうと心配したけれど、コリンさんの素早い仕事ぶりでマイア様の屋敷に勤めることが出来たので、仕送りは無事続ける事が出来た。
それもマイア様のお屋敷で働いてからは以前よりも多く送ることが出来た。
お給料がとても良いからだ。
「やっぱりね……」
そう答えたフィリップの苦々しい顔で、それが弟妹に行き渡っていなかった事を知る。
「あの糞は俺たちからの仕送りを全部愛人に使っていた。兄さん、カレン姉さん、ソフィア姉さん、俺が送ったものを全部ね。他の妹たちは有難いことに給金が低くて送れなかったらしい。それで良かったと思っているよ。あの糞の犠牲にならなくて済んだからね……」
「フィリップ……」
泣きそうな顔に見えるフィリップを見て胸が痛む。
弟妹達の生活が少しでも楽になるようにと、自分の生活費を切り詰めて送っていたお金が、父の道楽に使われていた。それも愛人を囲うために。
怒りより情け無さが先に立つ。
あの父のことは諦めていたが、それでも騎士として認める部分は確かにあった。
それがどうだろう。
開いてみれば剣を極めるどころか女遊びにうつつを抜かしている。
多少なりとも騎士への憧れがあったフィリップの落胆は私よりもよほど大きなものだろう。
「お母様は大丈夫なの?」
話題を変えるため母の名を出せば、泣きそうだったフィリップも表情が変わり「うん」と頷く。
「母上は実家で伸び伸びしてるよ。自分の役目は終わったからって、あの人と離縁したけどケロッとしてた。笑えるぐらいにね」
「お母様の役目って……」
「うん、もう子供は産み切ったからって、あの人らしいよねー。誰も騎士になってないけどスチュアート家の跡取りを産んだって誇らしげでさ、笑っちゃったよ」
「フィリップ……」
私もフィリップについて行くべきだった。
きっと今話していないことも、実家ではあった筈だ。
フィリップの横に座り、ギュッと抱きしめる。
幼い頃お互い辛い事があると、良くこうして抱き合ったものだ。
兄と姉は双子で仲が良く、私とフィリップは年子で仲が良かった。
だから分かる。
涙は無くてもフィリップは今泣いている。
なんの力もない姉の私が出来ることは、ただ抱きしめることだけだった。
「店が落ち着いたらまた実家に行ってくるよ、エリオットが心配だしね」
「なら私が行くわ」
もう辛い思いはさせたくない、私がそう言えばフィリップは首を横に振る。
「姉さんは実家に近づかない方がいい。エルフ公爵様と知り合いになったと知れば、アイツが何をするか分からない。それに……」
「それに?」
「アイツ、あの糞野郎は、マリアのことを無理矢理嫁に出そうとしたんだ」
「マリアって、あの子まだ十歳でしょう?」
「うん、今は母上と母の実家にいるから大丈夫だ。他の年頃の妹たちはみんな働きに出てるから、家にいた一番年上の子がマリアだった。それだけでアイツはマリアを売ろうとしたんだ。持参金目当てでね」
「そんな、そんなこと、この国では許されていないわ」
甘い考えだと分かっているけど、そんな言葉が出てしまう。
この国で結婚は成人してからと決まっていても、やっぱり抜け道はある。
婚約さえしてしまえば、相手が教育の為だと未成年の子を引き取っても何も問題はない。
フィリップは商人だ。
私よりもよっぽど薄暗いことには詳しいはず。
だからだろう、尚更厳しい顔で私を見た。
「アイツは狂ってるよ。アイツは強騎士に憧れた愚者だ。騎士だと名乗っているけど騎士道なんて何も分かってない。ただ強ければ良い、跡取りがいれば良い、そう思ってるだけだ」
だから絶対に実家には近づくな。
姉さんが行けばどこかへ売り飛ばされる。
そう言い切るフィリップに小さく頷く。
私に出来ることは何もない。
無力な自分を物凄く情け無く感じ、涙が出そうだった。
おはようございます。今日も読んで下さりありがとうございます。
ブクマ、評価、ありがとうございます。
ヤル気頂いております。
糞父早く出したいです。
夢子
完結作品
パン屋麦の家
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こちらもよろしくお願いいたします。