【『神罰の要塞』外伝】 ### 戦後処理(アフター・フリーズ)
いつも『神罰の要塞――戦乙女は銀河の焦土に咆哮するか――』をお読みいただき、ありがとうございます。
本編第3話において、『戦乙女』マクシミリアンが敢行した絶対的なフリーズ劇。それは銀河の歴史において、最も鮮やかで、最も冷徹な「戦場の撤去」でした。上層部の権力者どもは予算を失って凍りつき、レジスタンスの幹部どもは大義を奪われて沈黙しました。
ですが、その華々しい知略のドラマの裏側で、戦場に取り残された「末端の人間たち」はどうなったのでしょうか。
「戦略的な失敗を、戦術的な勝利で埋め合わせることはできない」
国家という巨大な怪物のために、あるいは正義という名の麻薬のために戦わされていた兵士たち。彼らは、戦う理由も、帰るべき場所も、明日支払われるはずの給与も同時に失いました。
この外伝『戦後処理』では、漂流する偵察艇の中で一本の酸素パイプを共有せねばならなくなった、連邦兵とゲリラ兵のサバイバルを描きます。
教科書的な道徳や、AIがお上品に語るような安っぽい共感はここにはありません。あるのは、国家という道具に使い捨てられた個人が、死の深淵で初めて見出す「剥き出しの自尊心」だけです。
外伝シリーズの締めくくりとして、最も泥臭く、最も人間味にあふれた絶望と諦観の記録を、どうぞお楽しみください。
――結局のところ、うまい紅茶を飲めるのは生きている間だけですからね。
#### 1
国家が戦争を始めるとき、動機は常に高潔な美辞麗句で飾られる。だが、国家が戦争を止めるときは、往々にして現場の末端兵士への通知すら忘れるものだ。
宇宙暦七〇二年、冬。未開セクターの虚無のただ中に、一隻の連邦軍大気圏外偵察艇が漂流していた。
推進機関は停止、通信回路は沈黙。数時間前までこの宙域を埋め尽くしていた連邦軍の主力艦隊も、レジスタンスの伏兵も、あの【神罰の要塞】が放った絶対不可侵の重力フリーズによって、文字通り「舞台そのもの」から凍結・排除されていた。
その狭いコックピットの床に、二人の男が背中合わせに座り込んでいた。
一人は、連邦軍の装甲歩兵、カール・ラインハルト伍長。
もう一人は、レジスタンス『自由銀河戦線』のゲリラ兵、ジョス・カンポス。
二人の間には、一挺のレーザー・ライフルが転がっていたが、それを拾い上げて引き金を引こうとする者は、もういなかった。
「……おい、連邦の」
ジョスが、血と硝煙に汚れた顔を歪め、乾ききった声で話しかけた。
「お前たちの本隊からの通信はまだか? 財政再建委員長とやらが、莫大な予算を投じてお前たちを救いに来る予定は?」
カールはヘルメットを脱ぎ捨て、ガラス細工めいた冷たい沈黙を破って鼻で笑った。
「それがどうした、というんだ。デルカセ男爵が前線の伍長一人の命に払う関心は、帳簿の端数にも満たないよ。通信が途絶えた時点で、おれたちは軍の資産リストから『償却済み』として削除されているさ」
二人が吸い込める残りの酸素は、偵察艇の予備タンクから伸びる、たった一本の柔軟性プラスチック製パイプに依存していた。
#### 2
「戦略的な失敗を、戦術的な勝利で埋め合わせることはできない」
カールは、かつて上官から聞かされた軍事格言を、呪文のように呟いた。
「おれたちの犯した最大の戦略的失敗は、国家という名の怪物のために、会ったこともない相手を殺そうとこの宙域へやってきたことだ。そして、お前たちの戦略的失敗は、正義という名の麻薬に脳を焼かれ、あの『戦乙女』マクシミリアンが仕掛けた完璧な数式の檻に喜んで飛び込んできたことさ」
「悪かったな、麻薬中毒者で」
ジョスは弱々しく笑い、カールから差し出された酸素パイプの吸い口を受け取った。肺いっぱいに冷たい気体を吸い込み、またカールへと送り返す。
「だがな、連邦の。おれたちの故郷を消しゴムのように消したお前たちの国を、おれは死んでも許せなかった。それが過ちを正当化するための化粧に過ぎないとしても、引き金を引く理由が必要だったんだ」
「その結果がこれだ」
カールはパイプを咥え、酸素を貪った。
「国庫は空になり、レジスタンスの理想は虚無に沈んだ。残されたのは、給与も支払われない連邦兵と、大義を失ったテロリストが、冷たい宇宙で一本のくだらない管を奪い合っている現実だけだ」
国家という道具が消滅した戦場で、二人が戦う理由は完全に消滅していた。彼らはもはや「連邦」でも「レジスタンス」でもない。ただ、生存という最も原初的な本能だけで繋がった、脆い「個人」に過ぎなかった。
#### 3
一時間が経過し、予備タンクの圧力計が、容赦なくゼロへと近づいていく。
どちらかが相手を殺し、酸素を独占すれば、生存時間は確実に倍に延びる。それは軍事的な能率から見れば、極めて合理的な「戦術的勝利」のはずだった。
だが、二人は床の上のライフルを見つめたまま、どちらも手を伸ばそうとはしなかった。
「……おい、ジョス」
カールが、薄れゆく意識の中で呟いた。
「なぜ、おれを殺さない」
「さあな。特定の才能に依存しすぎる組織は脆い、とお前たちの『戦乙女』は言ったらしいが……おれはただ、一人で死ぬのが退屈なだけさ。機械じゃあるまいし、最期くらいは不条理な人間に付き合いたい」
「ふん、贅沢な男だ」
カールは最後の酸素を吸い込み、それをジョスの口元へと押しやった。
彼らの命数が尽きようとするその瞬間、偵察艇の風防ガラスの向こうに、あの巨大な【神罰の要塞】の冷徹なシルエットが、星々の光を浴びて静かに浮かび上がっていた。
あの要塞は、彼らを救いもしないが、これ以上の流血も許さない。ただ絶対的な安息の檻として、銀河のすべてを黙殺し続けている。
「予の命数もそれまでだ、か……」
カールは、どこか諦観を伴う潔さで目を閉じた。
国家に裏切られ、宇宙の塵となる犬死に。しかし、その最期において、彼らは確かに国家の呪縛から解放され、自らの意志で「敵を裏切らない」という個人の尊厳を守り抜いたのだ。
二人の呼吸が完全に停止したとき、コックピットには、ただ冷めきった機械の微振動だけが、歴史の無言の証人として残り続けた。
(外伝『戦後処理』・完)




