第3話:静寂なる終末(フリーズ・アウト)
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歴史という名の法廷において、真に恐るべき詐術とは、敵に偽の情報を信じ込ませることではない。敵が「信じたいと切望している幻想」を、そのまま目の前に差し出してやることだ。
宇宙暦七〇二年、冬。辺境セクターの虚空に浮かぶ【神罰の要塞】は、公称建造度九九パーセントに達していた。
外壁を覆うのは、いかなる超粒子砲の猛射にも耐えうる厚さ三百メートルの複合装甲板だ。だが、連邦軍の財政再建委員会から巻き上げた天文学的な予算の九割は、広域破壊主砲の開発ではなく、装甲の内側に緻密に構築された「人工大地」と、多段式軸流コンプレッサーによる「絶対的な循環閉鎖回路」へと注ぎ込まれていた。
「見事なものだね。外見は銀河を焼き尽くす悪魔の鉄槌、しかし中身は1気圧、酸素濃度21%に固定された安穏な寝室の集合体だ。人間は目に見える凶暴さにばかり気を取られて、その裏にある本質を見ようとしない」
マクシミリアン・オーギュスト・クリストフ・フォン・プフェッフェル・ウード・メッテルニヒは、制御室の最高級本革椅子に深く腰掛け、手元のアナログな時計に目をやった。
彼の背後では、連邦の汚職高官たちから「救うべき価値のあるまともな民間人」として極秘裏に選別され、要塞内に収容された数百万の退役兵、技術者、そして農民たちが、何も知らずに静かな眠りについていた。彼らは、自らが「兵器の歯車」ではなく、「新天地への乗客」であることにまだ気づいていない。
「ヴァルキリー閣下! レジスタンスの総旗艦『解放号』を先頭とする、全エネルギー反応を感知! 我が防衛線へ、文字通りの全軍特攻を仕掛けてきました!」
オペレーター型アンドロイドの無機質な音声が響く。同時に、モニターには連邦の主力艦隊が「国家の威信」と「自らの利権」を守るため、狂ったように迎撃陣形を敷く様子が映し出された。
光の洪水が宇宙を裂いた。
レジスタンスは正義という名の狂気に身を任せて艦を突撃させ、連邦軍は保身という名の強欲から火線を浴びせる。
美しく、あるいは救いようのない、人間たちの放課後の乱闘騒ぎだった。
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「……双方とも、実によく戦っているな」
マクシミリアンは冷徹な青い瞳で、光芒の中に消えていく両軍の戦艦を見つめた。
彼らは信じているのだ。この要塞を巡る戦いの勝者が、次の銀河の支配者(独裁者)になるのだと。己の流す血には、歴史的な価値があると。
「だが、残念ながら、私は君たちの主宰する泥仕合の観客になるつもりはないのだよ」
マクシミリアンは美しく整った指先を、メインコンソールの「起動」と書かれた赤いキーに乗せた。
読者や、戦場の英雄たちが期待したような、銀河を焦土にする主砲の発射シーケンスではない。この要塞を、既知の宇宙の計算式から完全に除外するための、超空間跳躍命令。
カチリ、と静かな音がした。
「さて、道化師たちの世界終末の日を始めるとしようか」
その瞬間、要塞の全方位スリットから、眩いばかりの、しかし熱を持たない純白の光が放射された。
それは破壊の光線ではなかった。連邦政府の全汚職データ、秘密口座の全履歴、長年にわたる横領の証拠、そしてレジスタンス幹部たちが裏で連邦と結んでいた内通の記録――この銀河を動かしていた「汚い真実」のすべてを網羅した高指向性情報バーストだった。そのデータは、戦闘中の両軍の全艦船、ひいては銀河連邦のすべての居住惑星の受信端末へと、強制的に叩き込まれた。
「な、なんだこれは……!? ヴァルキリー、貴様、何を放出した!?」
連邦軍の総司令官も、レジスタンスの猛将カシアンも、自艦のモニターに映し出された「己の醜悪な通信記録」を前にして、驚愕に目を見開いた。
正義も大義も、その一瞬でただの「喜劇の台本」へと成り下がった。
そして、彼らが光の塊である「要塞」へと視線を戻した時。
そこには、何もなかった。
天文学的な質量を誇ったはずの要塞は、光の粒子を残して、宇宙の未踏セクター――計算式すら存在しない未知の領域へと、完全に消失(亡命)していた。
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後に、歴史家はこの事件を『銀河最大の静止』と呼ぶことになる。
残された連邦軍とレジスタンスの前に横たわっていたのは、戦う理由(大義)を完璧に失い、資金源(裏金)を全てヴァルキリーに吸い尽くされた、空っぽの宇宙だけだった。彼らは互いに銃口を向け合ったまま、引き金を引く気力すら失い、ただ静かに困窮の闇へと沈んでいった。
国家という道具のために人間を犠牲にしてきた者たちへの、これ以上の冷徹な解決策はなかった。
――未知の星系の、陽だまりのような宇宙空間。
星々を航行する超巨大移民船の展望テラスで、マクシミリアンは衣服の埃を軽く払い、お気に入りの椅子に座った。
周囲には、大義という名の病から隔離された、穏やかな人々の営みの音が響いている。
彼は白磁のカップに、最後の一滴――琥珀色のブランデーを落とした。
立ち上る豊かな香りが、新天地の冷たい空気に溶けていく。
「……恒久平和など、人類の歴史にはなかった。だがね、彼らが戦うための舞台そのものを撤去してしまえば、結果としての静寂は訪れる」
彼は誰もいない虚空に向けて、静かにカップを掲げた。
「人類を救った、だと? 冗談を言わないでほしいな。私はただ、騒がしい連中を私のシステムから『削除』して、静かに紅茶を飲みたかっただけさ。……それがどうした、というんだ」
銀河は遠くフリーズし、彼の紅茶はいつまでも温かい。
戦闘女神と呼ばれた男の倦怠は、今、至上の安息の中で満たされていた。
(完)




