或る国では
コツコツと何かを叩く音がする。
不規則な間隔で刻まれ続けるそれに初めに反応したのは、この部屋の主ではなかった。
「……おや」
今し方この部屋へと入ってきた彼は、それに気付くと一気に窓まで歩み寄って、それを入れるために窓を開け放った。
すると、それまでガラスを叩いていた青い鳥は部屋の中──目的者の元へと、一直線に飛び寄っていった。
囂しく鳴く代わりに、ぴょんぴょんと跳ねつつ彼の周りを遊回する。
──そうすること数分、全く反応を示してくれない青年を、青い鳥はじっと見つめ、微かに首を傾げた。
きづいてるー?とばかりにパタパタと資料の上に飛び乗り、下から彼を覗き見る。
それすらも視界に映していないように、黙々と書類を処理していく青年。
青い鳥はしばらくそれをじーっと凝視していたが、やがて書類の上で羽を伸ばし、軽く羽ばたいた。
「何か用か」
ようやく発された青年の声は地を這うように低く、青い鳥を睨み付ける瞳は凍てつくように冷たかった。
まともな人なら恐怖で竦み上がる視線だというのに、この鳥は怖がる素振りすら見せない。
それどころか、自分に視線を向けてもらえたことが嬉しいかのように、ゆらゆらと体を揺らしている。
人間よりも動物のほうが感情に鋭い。その理を堂々と破っている青い鳥に、青年は何とも言えぬ視線を向けた。
「……『言伝を』」
その言葉と同時に、青い鳥の輪郭がぼやける。
なんてことはない。この青い鳥は、その実、澄み渡った空色の魔法便であったというだけだ。
魔法便が使えるのは殆どが貴族で、魔術に長けているほど使役する魔法便の色は鮮やかになる。
手紙のように文字ではないから他者に盗み見される心配もないし、尚且つ、相手の手元に届くのが、手紙とは比べものにならないほど早い。
魔法便は生き物の形をとっているだけで、本当に生き物なわけではないから、寄り道をすることもないし休憩すらも不要だ。
だから、この世界では結構用いられている情報伝達媒介なのだ。
『──明日の午後三時に伺うよ。非公式な訪問だから、あまり大事にはしないでね? それと、エレナから君へ渡したい物があるようだから、エレナも一緒にそっちに行くって』
「……は?」
『まあもちろん、無理はさせられないんだけどさ──とにかく、そういうことで』
そうして、役目を終えた青い鳥…もとい、ルースラッド国王エルヴァの魔法便は、ふわりと掻き消えた。
作業の手を止めて呆然とそれを見ていたレオナールは、鳥の姿が消えると同時に我に返り、眉を顰めた。
「随分と一方的だな…」
この場には居ない相手に思わず舌打ちしたレオナールに、苦笑まじりの声が掛かる。
「どうせ暇なんでしょう? 何時もここに閉じこもってばかりいないで、偶には息抜きをなさったらいかがですか」
レオナールがそちらを一瞥すると、鳥が来てから今までの自分の行動を部屋の中で傍観していた青年が、壁に寄りかかっていた体を起こしたところだった。
「暇じゃない、まだする事がある。…ここにある書類の山が見えないか?」
「いや、元々その書類はあなたの分担じゃないですよね? 下の者をそんなに楽させないでください。甘やかしてもろくな事になりませんから」
「そんなつもりは毛頭ない。それに、お前らの諫言通りちゃんと睡眠をとっているだろうが」
「二日に二、三時間だけの浅い睡眠を、ちゃんとした睡眠といえると思いますか?」
「業務に支障はないんだから、別にいいだろう。体調不良も起こしてはいないんだ、とやかく言われる筋合いはない」
「限界な身体を、無理矢理薬で使えるようにしているだけでしょうに。…どうせ薬を服用するなら、睡眠薬の方がよほどため(・・)になると思いますが」
「……」
レオナールは無言で右手に持っていたペンを机の上に置き、背もたれに深く倒れ込んだ。
言い返してこないところを見ると、一応自覚はあるようだ。
「まあ…とにかく、明日のご予定は決まりましたね。拒否権もないようですし」
「あいつだけならまだしも、エリナが来るとなるとそうも言ってられないからな」
アーカイス国では、男性は女性に優しく接するのが普通だ。よほど親の教育が悪くない限りは、子供であってもその『常識』に乗っ取って行動する。
元は社交界での暗黙の了解だったものだが、それが何百年という長い月日を経て、民衆文化にまで浸透するようになったのだ。…今は民衆にも広まったとはいえ、本来は貴族の作法だったのだから、貴族──それも王族が率先してそれを破るわけにはいかないだろう。
もちろん、何事にも例外というものが存在する。よって、この国の者だからといって誰も彼もがそうするわけではないのだが。
もし皆がそうなのであれば、卑劣で痛ましい事件など起こるわけがないのだから。
──それはまぁ、さておき。
「明日の午後、三時か…」
それまた急だなと微苦笑を零したレオナールは、後ろの開け放たれた窓を振り返って、青い鳥の来た先を見つめたのだった。




