フィアナの決意と、ローワンの不可解な態度
真剣な面持ちで、何かを言おうとしている。
――これは初夜の雰囲気じゃない。
誰が見てもそう思うはずだ。それぐらい、異様な空気が漂っている。
外で雷雨の音が激しく鳴っているのが聞こえて、フィアナは不吉な予感を抱いた。
意を決したように顔をあげたローワンが言った言葉は
「フィアナ。俺が君を愛することはない」
目の前が真っ暗になった。
花束を抱えて、跪いてプロポーズまでしておいて――〝君を愛することはない〟ですって……?
何も言えずに黙りこんだフィアナの頭を、心配そうにローワンがそっと撫でた。
(愛さないなら、この優しさはなんなの……? 私は初恋を綺麗にとっておこうと思って、ずっとひた隠しにするつもりで、打ち明けずにいようと思っていたのに。なんてひどい人なの)
結婚式で泣いていた父の顔が、頭の中を過る。
このまま大人しく、はいわかりました、なんて言えるわけがない。
フィアナはぐっと拳を握り締めると、ローワンの濡れ羽色の瞳をじっと見つめた。
「私のことが嫌いになりましたか? 父のことが鬱陶しくなってきましたか? それで、当てつけのように、娘の私に冷酷な態度を取ってわかってもらおうと?」
「そうではない!」
ローワンが初めて大声をあげた。
びくりと肩を震わせて、ただじっと彼を見つめる。
「驚かせてすまない。だが、君の言ったことはすべて見当違いだ」
「……そうですか」
理由を話すつもりはないらしい。
納得はできないけれど、父のためにも、結婚式に参列して祝福を述べてくれた皆のためにも、この結婚が幸せに満ちたものであることを示さねばならない。
フィアナはそれ以上何も言わずに、ベッドに横たわった。
「今日は一応、初夜の日ですから、何もせずともここに居た方がよろしいかと思います。ベッドが広くて助かりました。私はこちらで寝ますね」
「ああ。わかった」
「では、おやすみなさい」
まだ何か言いたそうにしていたが、ローワンの言葉を聞く気分にはなれなくて、フィアナは早々に布団に潜り込む。遠くの方でもぞもぞと衣擦れの音がして、やがて静寂が訪れた。
(彼が私を愛さないならそれでいい。私が彼を愛するだけよ)
だまし討ちのようになってしまっているが、結果的には初恋の人を伴侶にできたのだ。彼がフィアナを好きじゃないなら、好きになってもらえば良いだけのこと。
(なんだか楽しくなってきたわ)
さっきまでの暗い感情はどこへやら。
フィアナは翌朝からどう動くのかを頭の中で組み立てながら、深い眠りについた。
そうして朝を迎えたフィアナは何から始めたかというと、ローワンの身の回りの世話である。
普通は執事の仕事なのだが、朝の支度から、服の選別。ローワンは戸惑いながらも、それは執事がやることだからと3日ほどでやめさせられてしまった。
それならば、と、恩賞として土地も与えられていたため、その管理をフィアナが担うことにした。
慣れ親しんだ自分の屋敷から出て、少しこじんまりとした子爵邸に身を移していたフィアナだったが、そこで出会った家令のエヴァンに協力してもらいながら、妻の務めを果たしていった。
彼はフィアナを愛さないと宣言した通り、顔を合わせる時間を極端に減らしてきた。
そんな中でも、好いてもらうためにいろいろなことを試してみた。
仕事の帰りを待ってお茶を出してみたり、彼の行動を先回りして支えてみたり、外国語で手こずっているローワンを、エヴァン経由で手助けしたり。
敢えてデコルテが大きく開いたドレスを着てローワンを誘惑してみたりもしたし、ソファでくつろぐローワンにしなだれかかったりもしてみた。(どれも避けられてしまったけれど)
何一つうまくいきやしない。
「有言実行の男ってことね」
悲しいを通り越して、なんだかつまらなくなってきた。
それでも、遅く帰ってくるのを待ってしまうくらいには、彼のことが好きなのだ。
そんなすれ違いの結婚生活を続けて、早いもので半年が経った。
「ローワン様からはもうお話を聞きましたか?」
王宮のガゼボで、紅茶の入ったティーカップをソーサーに戻しながらそう言ったのは、この国の第一王女であり、フィアナの従姉妹であるマリアだった。
「お話?」
なんのことかしら? 心当たりがなくて、小さく首を傾げてみせた。
ここ最近、ローワンは騎士団長の仕事が忙しいからと、家にも帰ってこなくなってしまったところだ。
「今度、ジェームズお兄様の誕生祭をするでしょう? その警護をローワン様の部隊がなさるらしいんですの。でも、何か裏がありそうなんですわよね~……。誰も教えてくれないから、ローワン様から聞いてないかと思って」
「……いいえ、そのようなお話は、なにも。最近は会話もしておりませんから」
「あら。そうなの? まぁでも、政略結婚なんてそんなものよね」
「政略、結婚……」
「そうでしょ? 子爵位を得たとはいえ、ローワン様の出自が平民だから、軍部で発言権を得るためにはペンブルック公爵家の後ろ盾が必要だったんだって、ジェームズお兄様がおっしゃってましたわ。あの人も、ローワン様のことを気に入ってらっしゃるから。あなたもなかなか嫁に行かずで心配だから、って、お兄様が結婚を推薦したらしいのよ」
マリアの言葉に、笑みを返すだけで精一杯だった。
第一王子であるジェームズは、小さい時からフィアナにとっては頼りになるお兄ちゃん的な存在だった。
確かに、18歳になっても婚約者もいない従妹がいたら、世話を焼きたがるのが兄の性なのかもしれない。
「二人がうまくいってよかったって、お兄様喜んでらしたわよ」
「知らなかった。恋のキューピッドはジェームズ兄さまだったのね」
――そうか。最初からローワンにとっては、政略結婚だったのか。
つまるところ、恋だなんだと舞い上がっていたのは、自分だけだったのである。
(愛さないと宣言した理由がわかったわ)
それなら、好かれようと努力するだけ無駄ね。
だけど、離縁するのはローワンが可哀想だわ。
せっかくちゃんとした職業に就けて、良い地位にまでいっているのだから、それを取り上げるのは酷だろう。
もともとはフィアナだけが勘違いしていたことだったのだから。
胸の奥がじくじく痛んでしかたない。
(そういえば、幸せにしてと言ったときも、キスしてほしかったと言った時も、彼は何も答えてくれなかったな)
気付いてしまったからには、知らない振りをすることなんかできない。
せめてわからないように取り計らってくれたらよかったのに。でも、聞いてしまう前の時間に戻れないのだ。
(ローワンのためにも、諦めよう)
初恋に別れを告げる決意を固めた。
今度は、忘れる努力をしよう。
「……フィアナ? 大丈夫?」
「ええ。どうして?」
「急に顔色が悪くなった気がして」
「気のせいですわ。それよりも、マリア、あなた香料に詳しかったわよね?」
「そうね。ちょっとした事業も展開しておりますわよ」
「私と一緒に、仕事しない?」
***
恋心を忘れようと、マリアに協力してもらいながらではあるが、自分で事業を始めることにした。
夜も更けた頃、すべての仕事を終わらせて、フィアナは自室から書類の束を取り出した。
事業を展開するにあたってローワンの土地を使わせてもらうことになるために、家令でありローワンの代理でもあるエヴァンに助言を得ようと思って用意したものだった。
前々から相談はしていたのだが、やっと考えがまとまったので、時間を取ってもらったのだ。
はやる気持ちをおさえて、エヴァンの部屋の扉をノックする。
「お疲れ様です。事業計画書を持ってきました」
「お疲れ様です、お待ちしておりましたよ、フィアナさん」
扉の向こうから現れたのは、今年30歳になるというが全くそうは見えない、若くして落ち着きと色気を兼ね揃えたお兄さん――エヴァン・ギルバートだ。
非常に面倒見がよくて頼りがいがあり、人望の厚い人でもある。
そんな彼に手招きされて、部屋の中に一歩踏み入れた瞬間、フルーティーで華やかな香りが鼻腔をくすぐった。
「紅茶の良い香りがするわ」
「フィアナさん、ローズヒップティーがお好きでしたよね」
「ええ! 大好きです! 覚えててくれたんですか? わざわざありがとうございます」
テーブルにつくと、そこには紅茶ともうひとつ、フィアナの大好物であるフィナンシェも用意されていて、ぱあっと表情が明るくなったのが自分でもわかった。
何度も足を運んでいるうちに、好物を把握されてしまったらしい。
――さすが、仕事ができる人は違う。
見習いたい部分だ。
「じゃあ、早速見せてもらいましょうか」
「はい」
手に持っていた書類を、エヴァンに手渡す。マリアと共同開発した香り付きの雑貨を売って、土地の維持費や収入源の足しにするための計画書だ。
それほど大きな利益にはならないかもしれないが、フィアナにとっても自立するための一歩と言える、大事な事業だった。
二人で真剣に話し合いを重ねる。顔を突き合わせてあーでもないこーでもないと意見を出し合いながら、計画を詰めていった。
書類に文字を書き記して、ふと顔をあげた先に、エヴァンの栗色の瞳があった。
反射で驚いた自分の顔が見えるぐらいの近さで、思わず無意識に息を止めた。
その瞬間、誰かの手がフィアナの背後から肩を掴んで引っ張った。ソファの背もたれに背中を打ち付ける形になって、喉の奥から呻き声が漏れる。
「何をやっている」
怒りに満ちた、低く太い声が頭上から聞こえてきて、フィアナの心臓がどきりと跳ねた。
――ローワンだ。
自分に言われているのかと顔をあげたが、ローワンの視線はまっすぐエヴァンの方を見ている。
「ローワン様、帰られたのですね。本日もお疲れ様でございます。報告書はローワン様の執務机の上に置きましたよ」
「それは知っている。俺が聞きたいのは、ふたりでこそこそと何をやっているんだということだ」
「フィアナさんが事業を始めるということで、家令という立場として、助言をさせていただいているところです」
「こんな夜更けにか」
「ええ、お互い仕事がございますから。手の空いた時間といえば、このぐらいになりますね」
「……フィアナ、こいつに何かされたか」
「いいえ、何も……逆に、よくしてもらってるのよ。私の好物を用意してくれたり、こうやって書類の確認をしてくれたりして……」
「好物?」
「フィアナさんはローズヒップティーとフィナンシェがお好きなんですよね」
「ええ、そうです! 私の好きな銘柄も把握してくださって――……きゃあ!?」
ローワンに肩と膝裏に腕を差し込まれて、一瞬で抱き上げられてしまった。
何が起きたかわからずに、ローワンとエヴァンの2人を交互に見る。
久しぶりに顔を見せたローワンは、うっすらと無精ひげを生やしていた。
(……顔がお疲れだわ……激務だったのね)
目の下にこさえたクマをそっとなぞる。
ぴくりと反応して片目を閉じたローワンが、フィアナの方に顔を向けた。
エヴァンを見る時とは違って、穏やかな目つきに変わっていて少し安心する。
「フィアナ。今日はもう夜も遅い。事業を展開するのは良いが、睡眠はきちんととらないと」
「あ、ええ、そうね。……ごめんなさい、エヴァン様。私ってば全く空気が読めなくて……エヴァン様もお疲れでしょうに」
「こいつには今謝らなくてもいい」
「ローワン、あなた何を言って――……」
「フィアナさん、いいんですよ。私とローワン様の付き合いは長いですから、お気になさらないでください」
「でも」
「事業の話は、また明日にでもできるじゃないですか。夜が駄目なら、昼間に時間を作りましょう。その方がフィアナさんも安心してお話ができますよね」
「そうですね、そうしましょう! あ、あの、その書類は預かっておいてくださいねー!」
喋っている途中なのに、ずんずんと扉の方に歩き始めてしまったローワンの肩越しに、なんとか声を掛ける。
エヴァンが妙に楽しそうにしていたのが少々気になるけれど……さて。なぜ自分はこの大男抱っこされているのだろうか。
なんだか機嫌が悪いし、何も喋ってくれない。
「……私が、エヴァン様と一緒にいたから怒ってるんですか?」
「……そういうわけじゃない」
ふてぶてしい態度だ。
大きな子供が、玩具を取られて拗ねているみたいに見える。
(これじゃまるで嫉妬だわ。そんなこと絶対にありえないのに)
彼は結婚したその日に、自分を愛さないと宣言して、その通りに生きてきた男なのだ。
政治的な理由で結婚を望み、それ以上もそれ以下も求めてこない。
そんな人だったはずなのに。




