2011/04/01 結果論
振り払われた手は熱く。彼女の目のように腫れては居なかったが俺の心にはぽっかりと穴が開いてしまった。
『何を間違えたんだろう。』
ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝る君は俺に何を謝っているんだろう。謝るくらいなら、叩かないで欲しかった。此処に居てほしくなかった。助けなければよかった。せめて…俺にとって無害で居てほしかった。
某創作神話を称えるクリスマスキャロルの改編版はよくできていると思った。英語なので日本語へ訳す時その人の性格や語彙、センスが見えるのも良いが…人が想定外の状況や未知の事象に叩き落とされた時、どれほどに脆いのかよく知っている人が作ったのだろう。
蜂の巣をつついたようなとはこの事で、児童は泣き叫び、方々から天井に照明や瓦礫などの落下音が、幸い俺の元には降ってきていないが時間の問題だろう。
「おい、光輝椅子の下へ…」
俺が隣を見た時、そこにいるはずのあいつはいなかった。いや、それどころじゃない。
「光輝!よかった!此処にいるのね!」「母さん!」「恵!こっちへきなさい、シェルターまで逃げよう!」「待って!光輝も一緒に!」「校長!児童と保護者の誘導は…」「うるさい!新人が私に指図するんじゃない!黙ってかぎをあけろ!」「おかあさーん」「ママー」「ゆうたー!ゆうたー!」「うわぁ!あしが!足がぁ!」「高橋君が瓦礫の下敷きに!」「っく!落ち着いてください!皆さん!誘導灯に従って!避難してください!」「バカ!地震の時はその場で一旦待機だ!クッソ、動き始めちまった!」「先生、この揺れやばいですよ、我々の逃げましょう!」…
「お…」
俺を呼ぶ声は?俺の知り合いはどうして俺のことを心配してくれないんだ?
待て、そもそも俺の周りには今人が残っているのか?避難訓練なんてもんを死ぬほどやってきたってのに基本のきの字もないこの慌てっぷりはなんなんだ!?
しかし俺が考えている間にも事態は進行する。俺から、いや体育館から遠ざかる足音の群れ、こいつらこの暗闇の中あの緑色の僅かな光を頼りに逃げるようだが…瓦礫やなんやが降ってきてるんだぞ!?それに俺や…他にも少しは残ってる奴らが…
そこまで出てきて気がついた。ああ、俺は、俺は…
「友達だとか、そういうのじゃなかったのか…」
必死になって情報集めて、話聞いて、メモして、纏めて、整理して、それを使ってまた話を聞いて…俺がそうやって築き上げてきたと思ってた関係は、全部本物じゃなかったっていうのか?
「そんな…バカなことあるかよ…」
急に全ての音が遠くなる。とりあえず、死にたくはないから椅子へ隠れる。死にたくない、死にたくない、こんな今までやってきた事全否定されながら死んでたまるか、俺のためにやってきたことが全部ただの空回りだったなんて思いたくも無いし、そんなことに絶望して死んでたまるか、おちつけ、落ち着け、整理して…纏めろ。
そうだ。そういえばあいつら一回も俺のこと名前で呼ばなかった。全部苗字で呼び捨てなんてなかったし、情報以外の何かを求められたことはなかった。
「クッソ…クッソォ…」
そう考えると涙が出てきて、なんだか自分がひどく惨めになった。まるまって、跪いて、喧騒に紛れて嗚咽した。
馬鹿ばかバカ莫迦ばかばかり、おれも、あいつも、あいつらも、教師も、全部バカばっか、どいつもこいつも慌てて、気づいてまた慌てて、そもそも花の中学生始まってすぐコレかよ、もうこのままクソ雑魚インキャ生活始めちゃう?なに、なんなの?俺の価値って運動できるのと情報だけ?あいつらにとってはそうかもだが両親とか姉妹とか、たった1人親友と呼べるあいつとか、色んな奴に色んな良いとこあるって言われてんだぞ?そんな素敵な俺が、おれを?
「っく…おぉぁ…」
また少し涙が出る。今が暗くてよかった。
支離滅裂だが、今の俺はそんだけショックを受けていた。でも少しづつ自分が俯瞰できるようになってきた。とりあえず後で情報ノートは焼こう。あれはもう要らないし、あいつらに関わらない、何をされようがなんとかしてやる。とりあえず今は…
「生きる。生きて…家族に会う!」
それだけで良い、複雑になるな。単純に、単純にいこう。
どれくらい蹲っていただろうか、揺れが収まる前に人の気配はほとんど無くなり大きな音、叫びや、泣き声と言ったモノも遠ざかっていくばかり、気になるのはそういう音が聞こえてくると言う事そのものだが…俺にとってはどうでもいい、兎に角俺は生き残らないといけないのだ。
俺に関わって来ない限りどうだっていい、俺にとって有益か無益か…いや、害があるか無いかだけが問題だ。
そう思うと心は自然と落ち着いて、少しだけ寒気がした。
光が差し込んできた。周囲を見回す。周囲には壁掛けの大時計や割れたガラス、椅子、照明、天井の瓦礫なんかが転がっている。その他にはビデオカメラやなんかの保護者の私物や靴が入った鞄くらいだ。
「…」
妙な光だ。蹲っていた時間は性格に数えたりできていないが、それでも夕焼けなんて気が早すぎる。突然真っ暗になったのもそうだが一体何が…
「っ…!」
あかりが一番差し込んでくる窓側、そちらに目を向けて、そこで俺は目を見開き、慌てて口を塞いだ。
小学生、低学年くらいに見える。まるまった背中はひどく猫背だがそれ以上に歪み、盛り上がった筋肉もまた不自然に右側によっていた。
『ひとではない』直感だが、しかし、確信がある。なにせ夕焼けに染まっている筈なのにその肌はひどく青ざめて…いや、寧ろ緑色のように見えた。
『ゴブリン』
そんなファンタジーな言葉が浮かぶ。
まるでゲームみたいだとはしゃぐ気持ちと、一体どうなっているんだという困惑、そして何よりも、コレも当てずっぽうに過ぎないが…『アレは俺にとって有害だ』という予感があった。
そしてそこで俺は自分の失態に気がつく。見つめすぎだ。生き物と言うのは意外と視線に敏感だ。女子や動物は特にそうだが…アレもまた、こちらをジッと見つめ、そして…わらった。
「ッヒ…!?」
しかしながらその目はすぐに違う方へ向けられた。塞いだ口から漏れた音じゃ無い、もっと甲高く。そして、もっと『弱い』。
俺とゴブリンの視線の先には女性生徒用の制服を着込んだ人影が、俺と同じように椅子の下からこちらを見ていた。
そして、俺の決意は試された。
「きゃああああああ!」
「グググゲゲゲ!!」
椅子を退けて走り出す女子、それを嬉しげな声をあげ追いかけるモンスター、そして立ち上がり握りしめたガラス片を見つめる俺。
何をするべきか、生き残るためにどうするべきか、シンプルで、困難な選択を、俺は突きつけられていた。
徐々に距離が詰まる。女子は俺に視線を送ることもない、ゴブリンも俺を見ることは無い、しかし俺はその様子を眺めていた。
彼女の襟首に緑色の手が届き、彼女の首が締まり急なそれに対応できず口から空気の抜けるどこか間抜けな声が体育館に響く。
…もう一度だけ、一度きりだ。
コレでダメなら諦めよう。
俺は、きっと、今も迷っただろう。
やる事はシンプルで、結果は簡単だ。
駆け出して、突き刺して、急所と考えられるあらゆる点を突き続ける。
「グッ…グググッ……」
弱々しい、命乞いするかのような鳴き声、それに構わず脳天にガラスを突き刺すとソレは全くもって簡単に肉塊と化した。
血に濡れた手と、生き物を殺すと言う経験からくる罪悪感と、何より目の前の少女から向けられる恐怖と怯えに満ちた目、その日から、その瞬間から俺は『人を信じることを捨てた』そして『無関心』という、恐ろしい武器を手にしたのだった。