アッズワースの戦士隊5
我等血の繋がらぬ兄弟、生まれも育ちも違う家族。
多くは貧農の出。その日の食い扶持を稼ぐのが精一杯で学も無く、邪険にされて来た者達。
俺達には、これしかなかった。
『ティタン!』
『俺達のシェフ! 名誉ある男!』
青い影達は肩から不可視の盾にぶつかっていき、シンデュラの巨体を圧倒した。
「押せぇぇ!」
『Woo!!』
ティタンの号令に合わせ、影達は地を蹴る。
全身に血と汗と泥を滴らせ、その中心でティタンは吠え続けるのだ。
「押せぇぇ!!!」
『Woo!!』
シンデュラが身を捩ろうとする。古木の枝を振り上げようとする。
アバカーンはそれをさせない。シンデュラの腕を拘束する水の鎖に更なる祈りを込め、瓦礫の上から飛び降りる。
『離せ下郎! 死に損ないどもが俺に触れるな!』
「黙れシンデュラぁぁッ!」
アバカーンの激怒。食い縛った歯、口端から少なくない出血。
胃から血が競り上がってきている。彼女もまた、限界を超えて戦っている。
誰も彼もが命を捧げた。私だって此処で死んでやる。
アバカーンは怯まなかった。元より気性の激しい女だ。
名誉ある死は目前だった。
「ヴァァン・オォォーウル、……アッズワァァース!」
『Woo・Van!!』
「押せぇぇぇーッ!!」
『Rau・Lowon!!』
ヴァノーラン達は勢いに任せてシンデュラを押した。押して押して押しまくった。
崩れかけた廃墟を突き破り、通りを抜け、残火の燻る瓦礫を崩し
そして体勢を立て直したシンデュラとがっぷり組み合う。
シンデュラとヴァノーラン達は不可視の盾を挟んで睨み合った。
『力で、このシンデュラがッ!』
「かぁぁぁッ!」
『ティタン、貴様ぁぁッ!』
「うおぉ、吠えろ戦士!」
――Woo! Woo! Woo!
青き影が吼え猛る。周囲を取り囲む英霊達の熱気の中で、ティタンはぎしぎしと歯を食い縛り歪んだ笑みを浮かべる。
もう止められはしない!
シンデュラの背の向こう側、嘗てアッズワースの政庁が聳え立っていた場所がある。
今は大穴が開いている。マトの領域を破壊した時に生まれた、地獄への直通路だ。
ティタンはシンデュラを其処に突き落とすつもりだった。
滅べシンデュラ!
何処からか声が聞こえた。
「報復の時だ!」
「ボゥは契約を果たすだろう!」
現れたのはズタボロのディマとイブリオンだ。
武運があったかしぶとく生き延びていたらしい二人は、武器も盾も放り出してティタンの隣へと滑り込んでくる。
「作戦は!」
ディマが言う。
「押せ!」
「それだけか!」
「面白いわ!」
ディマとイブリオンがヴァノーランにならい不可視の盾を押し始める。
その背に寄り添うように姿を現す更なる青き影。イヴニングスター、彼の部下達。
「もう一度だけでよい、蘇れ宵の明星!」
「我等ドワーフの髭もな! うはは、うわははは!!」
良いぞ
今まで生きてきた中で、一二を争う最高の瞬間だ。
ティタンは疲れ果てた体に力を籠める。
――
その光景を見たオーメルキンは歯を食い縛っていた。
瓦礫と死体の山を抜けて駆け出そうとした時アーマンズが待ったを掛ける。
正直オーメルキンは彼は乱戦の最中に死んでしまった物と諦めていた。
再会を喜ぶよりも早くアーマンズが目を潰す血を拭いながら言った。
「メル、何処へ行く」
耳を疑った物だ。この期に及んで何処へ行くも何もない。
今正に、兄弟達が敵の首魁に止めを刺そうとしている。今行かなくていつ行くのだ。
「皆あそこにいる! ティタンも、ロールフも、ウィドもヘクセンも!!」
「……お前は行くな」
「あぁ?!」
今まで出した事も無いような声だった。オーメルキンの威圧をアーマンズは冷めた目で受け流した。
「お前は死を恐れてる。……責めてる訳じゃない。死にたい奴が死ねばいい。俺達は本気でそう思ってる」
「あたしはヴァン・オウル・アッズワース! あたし達は兄弟、共に生きて、共に死ぬ!」
「……今から、一つ打ち明ける」
何をだ?! 今じゃなきゃ行けないのか?!
オーメルキンは焦りに身を焦がしながらもアーマンズに向き直った。
「お前は俺達に生きていて欲しいと、そう言ってくれた」
「だから?! それが悪い事だと?!」
「俺達は逆だった。もし可能ならば、お前を生き延びさせようと決めていた」
言葉を失った。怒りなのかも知れなかった。
「騙していた訳じゃない。ただ言わなかっただけだ。
誰が生き、誰が死ぬか、もし贅沢な選択肢が与えられた時、俺達はお前を選ぶと決めていた」
「まさか」
「ウィドは何も言わなかったろうな」
「ふ、ふざ……」
オーメルキンは今度こそ堪えられなくなってみっともなく泣き出した。
「ふざけんなよぉ……!」
自分は認められていなかったのか? 自分だけは、同胞ではなかった? 疑問と哀しみが腹の底で荒れ狂う。
だからウィドは自分を連れて下がる様に言った。自分は最後まで何も知らなかった!
「俺達は皆、お前に生きていて欲しかった。お前の馬鹿正直な瞳が、ただただ眩しかった」
「嫌だ! 聞きたくない! もう聞かない!」
「メル、死を恐れろ。お前は若い。……生き抜け、最後の瞬間まで」
言いたいだけ言ってアーマンズは踵を返した。シンデュラとの押し合いに加わるつもりなのは明らかだ。
オーメルキンは子供のように涙を拭う。
嫌で嫌で仕方がなかった。どうしても嫌だった。
死ぬのは怖い。死は皆連れて行ってしまった。ロールフも、仲間達も。
重ねて言う。死ぬのは怖い。だが、それで逃げられる段階はとっくの昔に過ぎた。
仲間達と火を囲み、アッズワースの戦士隊を結成したその瞬間に。
――
「待たせたな、シェフ」
「遅いぞアーマンズ!」
力と力のぶつかり合いはティタン達の圧倒的優勢だった。
要塞内の形勢は逆転しつつある。引き際を見誤った命知らずどもが、後から後からティタンの許に集結する。
「どうした、奥の手は無いのか?」
膝をがくがく震わせながらティタンが挑発して見せる。
シンデュラは歯を剥き出しにしてぶるぶると顎を振り乱し、遠吠えを上げた。
シンデュラの肉体が目に見えて膨張する。屈強な足回りが更に太さを増し、石畳を踏み砕く。
「ハハハ! あるじゃないか!」
肥大化し、力強さを増したシンデュラ。押し合う彼我の力が僅かに拮抗する。
「水よ奔れ! 水よ唸れ!」
巫女ファロの甲高い怒声。もう幾度目になるかも分からないが、水の鎖を引き千切られる度に巫女達はそれを編み直す。
シンデュラの両腕を縛り上げる水の鎖。パシャスはさぞや得意満面で居るだろう。
パシャスの水の権能が、シンデュラを釘付けにしているのだ。
「俺の娘が……味わった苦しみを……!」
ギラギラ目を光らせた男がティタン達に加わった。ケイロンだ。
こけた頬に新たに傷を増やし、血反吐を吐きながら、彼は現れた。
「思い知らせてやる……!」
「ケイロン、押せ!」
「アァァァ!!」
息を乱し汗を掻きながらも余裕ぶった態度を崩さない男が現れる。
ソーズマンは通路を封鎖して敵を分断して居た筈だ。どうやら余裕が出たらしい。
「こいつぁ良い! 大将首だ!」
「黄金も名声も思いのままだ、ソーズマン!」
「掛かれ野郎ども!」
アルコン・メンシス達は更にその数を減らしていた。
しかしいつも通り底抜けの笑みを浮かべている。アルコンズは正に今、後世に残す名声の為に滅ぼうとしていた。
「我等アルコン! 銀の牙!」
「食い破れ、名の如く!」
「アァァァーッハッハッハァァァー!!!」
――押せ、押せ、押せ
次から次へと現れる戦士達、英霊達。まだこれほど残っていたのかと思うほどに居る。
只管に、狂ったかのように、押せ、押せ、と。ただそれだけを叫びながらワーウルフの群れを叩き、シンデュラに殺到する。
「押せ、押すのだティタン」
シャーロスは瓦礫の上で彼等の突撃を見守りながら血が出る程に唇を噛み締めていた。
握り締められた両の手は真青になっている。
「このクアンティンが見届けようぞ、三百年前のように」
何度目になるか、瓦礫の山にシンデュラの巨体を叩き付け、それを突破した時
もう其処は地獄の淵。マトの開いた大穴の直ぐ傍だった。
それを見届けて、瓦礫に背を預けて座り込んだ勇者シュラムは笑う。
正真正銘最後の最後まで力を使い果たしたシュラムは失神する寸前だった。
「良いぞ、勝て、友よ」
それだけだ。ティタンは勝つ。シュラムには確信があった。
そして大勢の願いを受け止め、ティタンは全身に猛烈な汗を滴らせながらぽつりと言った。
「アメデュー。お前の願いを今こそ叶える」
どちらのアメデューかなど今更言うまでもない。
ティタンの直ぐ傍で彼女は応えた。
『あぁ、なんと嬉しい事でしょう。
――ティタン様が、私の名を呼んでくださった』
ふ、ティタンは小さく笑って、大きく息を吸い込む。
「ヴァァァン・オォォーウル……アッズワァァース!」
『Woooo Vaaan!!』
「押せぇぇぇッ!」
シンデュラの両足が、地から浮いた。
『く、おぉ』
様を見ろ、とティタンは思った。驚愕と恐れに染まる夜の神の貌。
自分が打ち倒されるなど、心の奥底では信じられなかったに違いない。
だが、これが真実だ。アッズワースはお前になど負けぬ。
シンデュラを突き落とすと同時に多くの戦士達は膝を突いた。無理もない。
『おぉ、おぉぉッ!!』
シンデュラは苦し紛れに穴の壁にヘベンの槍を突き立てそれに縋りつく。
穴の奥底では何者かが唸り声を上げている。シンデュラが落ちてくるのを今か今かと待ち構えている。
『我は夜の……我は……』
「冥界の神ウルルスンは喜んで門を開き、貴様を未来永劫地獄へと閉じ込めるだろう!」
這い上がろうとするシンデュラをダメ押しとばかりに拘束する水の鎖。
巫女達はティタンの傍らに立ち、これで最後とばかりに力を振り絞る。
『まだまだ……!』
「これはしぶとい!」
まだ粘るかよ。ティタンは満足げに笑った。
「這い上がられては困る。……ならば、今こそ俺は本物の伝説になる。
誰かの作り話じゃない。戦士の本懐だ」
ティタンは首だけで背後を振り返った。戦士達は唖然としている。
疲れ果てており、それ以上に自分達が成し遂げた事に実感が湧かないでいるようだ。
今正にシンデュラは地獄の底へと落ちようとしている。自分達は……勝ったのか?
『まだ……落ちぬぞぉ、ティタン……!』
シンデュラが膨張した足を穴の壁に掛ける。自らを縛る水の鎖を引き千切らんと身を捩る。
「アーマンズ」
ティタンの呼び掛けに応え、ヴァノーランの生き残りは拳を胸に打ち付けた。
「後の事を任せる。お前とオーメルキンで、ヴァン・オウル・アッズワースの真実を語り継げ」
「……アンタは?」
「この死に損ないに止めを刺してやる」
慌てたのはパシャスの巫女達だった。
「ティタン様?」
「何をなさるおつもりで」
ティタンは自らに残された最後の武器であるナイフを引き抜き
一片の迷いも見せず、穴の中へと飛び込んだ。
「あぁ!」
誰かの悲鳴が聞こえた。ティタンは構わなかった。
恐ろしい形相のシンデュラ、その見開かれた目へとナイフを突き立てる。黒い血が溢れ出す。
片目は既にアーマンズの矢によって潰れている。この上ティタンのナイフによって視界を奪われたシンデュラは絶叫した。
「くたばれ、シンデュラ」
『ティタン、おぉぉ! 呪われろ人間! 呪われろ人族の勇者!』
「馬鹿め! 襲撃者の異名に誇りあらば、その手で俺を縊り殺してみろ!」
『ティタン! ティタン! 例え地獄に落ちようと、貴様の勝ち誇った笑みだけは忘れん!
どれ程の時が流れようと、必ずや貴様を降す! 必ずや貴様を……!!」
「黙れ! 死ね!」
ティタンはナイフを眼窩から引き抜いて、今度はシンデュラの首をズタズタに引き裂いた。
ヘベンの槍を握り締めていたシンデュラの手が離れる。
落ちる。シンデュラ諸共に、俺と俺の剣も。
さらばだ、同胞達。
落下が始まる。それが妙に遅い。時の流れが、油の流れのように。
「メル、止せ!!」
アーマンズの怒声にティタンは上を見上げた。
誰かが飛び込んできた。オーメルキンだった。
――
敵味方の死体を越えてディオが其処に辿り着いたとき、誰も一言も発しなかった。
生者も死者も只管に暗い穴の底を見詰めている。風鳴りと何かの呻き声が響く恐ろし気な穴を。
ワーウルフ達は総崩れになって逃げていった。ティタンがシンデュラを仕留めたのだろうと、ディオは確信していた。
「ティタンは?」
「……飛び込んでいった」
穴の淵に座り込んでいたディマが指で指し示す。
生きていたのね、とディオは意外に思った。この場に集う者達の気性を思えば、一人残らず討ち死にしていても可笑しくなかった。
『なぁに、どうと言う事はないぜお嬢さん』
口を挟んだのは一人の英霊だ。手槍を肩に掛け、何処か軽薄な物言いのその英霊は、肩を竦めながら続ける。
『あの若造にはまだ仕事が残っているんだそうだ』
言い終わるや否や、その英霊は穴へと身を投げた。ディオが止める間もなかった。
それに続くように全ての英霊達は穴に身を投じる。ディオの傍らに控えていたフォーマンスも、最後に一つ敬礼だけを残して。
「……そう」
燐光が瞬き、地獄へ通じる穴へと吸い込まれていく。
砂利を踏み締める音がして、何者かがディオの隣に立った。
フードを目深に被る人物。シャーロスだ。
「彼等は戻る」
「……信じます」
ディオは神秘的な光景に圧倒されながら小さな笑みを向けた。
「ありがとうフォーマンス、皆。……あの捻くれ者をお願い」
――
振動がゆっくりとティタンの意識を覚醒させた。
気を失っていたのか。ここは何処だ?
周囲には闇ばかりがある。身体の状態から察するに、自分は誰かに担がれているらしい。
担いでいるのはオーメルキン。背丈が足りないせいで半ばティタンを引き摺るような有様だ。
全身が酷く気怠かった。ティタンは目を閉じ、オーメルキンに問い掛けた。
「オーメルキン」
「……起きたの?」
「何故来た」
地獄の底へと通じる穴だ。飛び込めばどうなるかなど誰も知らなかったが、生きて戻れるとは普通思わない。
ティタンは別にそれでもよかった。掛かる一年、アッズワースに攻め寄せるあらゆる敵を跳ね返し、マト、シンデュラと言う古より名を轟かす悪神を立て続けに打ち破った。
伝説を残した。歴史に名を刻んだ。最後まで戦い抜いた俺を、英霊達はきっと名誉ある同胞として迎え入れてくれる。
ティタンはいつ死んでも良かった。
「答えろ、オーメルキン」
だがこいつは違う。ヴァノーランでありながら唯一死を恐れた女。
死ぬべき者が死ねばいい。こいつは生きるべきだと、隊内での意見は纏まっていた。それでも結局は本人の実力と武運に依る。
誰も逃げる事など出来はしないのだから。
「ティタンを、連れ帰る。絶対に」
「その為に飛び込んできたのか。まず間違いなく死ぬぞ」
「そうかも知れない。今だって何処にいるのか分からない。何処に行けば良いのかも」
オーメルキンの声は震えていた。
「死ぬのが恐ろしいんじゃなかったのか」
唸り声。
「皆居なくなる。死は誰も彼も連れて行ってしまう。いつの間にかあたしは」
鼻水をずるずる言わせながらオーメルキンは喚いた。
しかし足を止める事はない。自分の倍以上は体重がある筈のティタンを、それでもどうにかこうにか支えながら、何処かも分からない帰り道を探している。
「仲間に置いて行かれる事の方が、もっとずうっと恐くなった。
だからあたしは残ったし、此処に来た。もう良いじゃないか。マトもシンデュラもクソッたれだ。奴らのせいでいっぱい死んだ。死に過ぎだ。もう沢山だよ。
……ウィドが、あたしの背中で死んだんだ。ティタンがどう思ってたって構わない。
あたしは今度こそ、同胞を連れ帰る……!」
くく、とティタンは笑った。涙と鼻水塗れのこの小娘が俺の生き死にを決めようというのか。
それがこいつの生き死になのか。好きに生き方を選べと言ったら、妙に生意気になりやがった。
「ふん、そうか、ふふふ」
「笑えよ。これで死んだって、あたしは後悔しない」
「相変わらず甘ったれた奴だ、はははは……!」
足に力が入らなかった。情けない有様だが、オーメルキンのやりたい様にさせた。
「死に過ぎか。…そうかもな」
深く、長い、闇の底を進んだ。互いの息遣い以外は何の音も聞こえなかった。
ここは本当に地獄なのだろうか。何も存在しない無音の世界が。
ただ只管の闇はマトの領域にも似ている。寒々しいばかりの世界だ。
少なくともティタンの想像とは違っていた。もっとおぞましい物で溢れていて、ウルルスン率いる英霊の軍団と地獄の底より溢れ出る悪鬼達が激しく争っているのだと思っていたが。
「太陽と、風と、雄叫びよ。あたしを導いて」
オーメルキンが何処の物とも知れない聖句を呟く。
いや、聖句などではないのかも知れない。
追い詰められたオーメルキンの心が発した、素直な気持ちなのだろう。
「誰でも良い、手を貸して。あたしの願いを叶えて。……仲間を助けたい」
真摯な願いへの応えは、当然のように用意されていた。
『聞き届けよう』
闇の中に光が差した。遠くに人型の光が立ち上がった。
『同胞よ、こちらへ』
青き影が並び立っている。道を示すように。
その向こう側には更に二体の英霊が。武器を掲げ、此処を進めと指し示している。
『名誉ある者達よ、共に戦えて光栄だった』
『生きているのなら足掻くのだな。戦士は力ある限り戦わねばならん』
英霊達は幼子を導くように未だ力を貸してくれていた。
オーメルキンは唖然としながら其処を進んだ。ティタンは笑っていた。
無数の英霊達が二人の為に道を作り出す。
『死に急ぐ事はない。どうせまた巡り合う』
『然様、戦いの果てに』
風の流れを感じる。光が強くなる。
冷たい感触がした。足元を唐突に水が流れた。
水を支配するのはパシャスだ。彼女の力が、英霊達と共にティタンとオーメルキンを帰路へと誘う。
『草原で、山岳で、荒野で』
『我等は待っている。お前が雄叫びを上げるのを』
そしてとうとう彼等が現れる。
『なんだその様は。ちょっと見ねぇ間に腑抜けちまったか?』
『おいシェフ、立てよ、ほら!』
オーメルキンが立ち止まった。涙と鼻水で彼女の顔はとっくの昔にぐしゃぐしゃだ。
ヴァン・オウル・アッズワース。ティタンは痛む体に鞭打って地面に足を着ける。いや、地面があるのかどうかも分からないのだが。
しかし全く力が入らないので、ティタンは膝から崩れ落ちた。英霊達はケラケラ笑った。
『ほらよ、シェフ』
手を差し出してきたのは間違いない。
ロールフだ。オーメルキンが歯をカチカチと鳴らす。
『このチビまた泣いてやがる』
「う、うるざい」
「ロールフ、お前達も大層な身分になったようだな」
彼の手を取りながらティタンは肩を竦めた。
勇敢な死者は英霊の座に上り、神々の軍団へと加わる。
彼等は正にそうなのだろう。
『各々好き勝手に、な。俺は戦神ラウと誓約を交わし、向こう二百年はラウの為に戦う。
今こうしてアンタの手伝いをしていられるのは……そうだな、手付金って感じだ。
パシャスに仕えたいとほざいた奴も居りゃ、レイヒノムが良いって駄々捏ねた奴も居るぜ』
手付金? 何とも俗っぽい言い方にティタンは思わず笑った。
『いずれアンタもこちら側に来る。だがそれは今じゃない』
「……そうか」
『あぁ、そうさ』
それだけ言うとロールフは踵を返した。他のヴァノーランもそれに倣い、ティタンを此処まで導いた英霊達のように武器を掲げる。
「じ、じってるぞ……、お前ら、あだしに言うこど、あ、あるだろ!」
『ケッ』
『文句は死んでから聞いてやらぁ』
オーメルキンは泣きっ放しだ。
「ロールフ! 許ざないぞ!」
『ハッハッハ! 言ってろ!』
「ロールフ! ……ほんどは、ロールフが死ぬなんで、嫌だっだ……」
『馬鹿が、と言ってやる』
にやにやと笑う雰囲気が伝わってくる。ロールフはオーメルキンとは対照的に毛ほども別れを惜しんではいない。
あぁ、そうか。いつかまた会うんだな、と理解した時、オーメルキンの悲しみは潮が引くように消えていった。
『さぁ、女神パシャスのお迎えだ』
その言葉と共に、足元を流れるパシャスの水が急激に量を増す。
――
地獄に通じる穴をパシャスの水が満たす。黒々とした其処が急激に清められていく。
ティタン達は水流にされるがままだ。水の中を引っ張り上げられていく。
太陽の光を感じる。水から這い上がった時、二人を迎えたのは悠然と微笑むパシャスだった。
『お帰り、我が子ら』
ふわりと宙に浮かぶパシャスと、その周囲に跪く信徒。そして全ての戦士達。
「俺達は……生きているんだな」
『そうとも』
「シンデュラは?」
『地獄の炎の中では奴の肉体も粉々に打ち砕かれよう。そうなればウルルスンが奴に後れを取る事はない』
「……ふん。……分からん物だ、生き残ってしまうとは」
誰よりも激しく戦ったつもりだったのに、ティタンは生き残った。
パシャスの加護や英霊達の助けは確かにあったが。
『我はどちらでも良かった。生きていても、死んでいても、お前の魂は私の物。お前は我が勇者。
……しかし生き延びたならば、今暫しその肉の体に力を蓄え、新たな功績を打ち立てるが良い。
更に力を増したお前が、我が軍団を率いるその瞬間が、楽しみでならぬ』
ティタンはそれは大きな溜息を吐いた。
今はパシャスに付き合うよりも余韻に浸りたい。必死の戦いを生き延びた後の奇妙な気怠さと、声も無い満足感に。
「パシャス、今ならアンタの手の甲に口付けても構わない気分だ」
『ほぅ?』
「少し、静かにしていてくれるのならば、だが」
クスクスと余裕たっぷりにパシャスは笑う。ティタンはよろめきながらも数歩踏み出し、跪く戦士達の前に立つ。
皆、半死半生と言った有様だ。しかし不思議と傷口からの出血は止まっているように見える。
パシャスが彼等を癒したのだろう。ティタンの胸にも安堵が広がる。
安堵とは……妙な心地だ。オーメルキンの泣き言に感化されでもしたか。
ティタンは誤魔化すように皮肉気な笑みを浮かべた。
「死に損なったな、同胞」
がば、と目の前にいたディオが立ち上がって、大きく拳を上げた。
ティタンはそれに応えて拳を突き出す。打ち合わされる拳と拳。
「疲れたか。もう立てないのか? それで満足だと?」
は、とこれ見よがしに鼻で笑うディマ。その横ではケイロンが黙して語らず、目を閉じている。
イブリオンは髭を扱きながら面白そうな顔をしていて、アルコンズはやっぱり目をキラキラさせている。
アーマンズはオーメルキンの頭をぐちゃぐちゃに掻き回した挙句拳骨を落として悲鳴を上げさせていた。
辟易とした風情のソーズマンが見えた。久し振りの大立ち回りに疲れ果てたらしい。
「立て! 英霊は俺達を見ている!」
全ての者達は拳を地面に叩き付けて立ち上がった。
血と泥に塗れた傷だらけの彼等の、なんと頼もしい事だろう。
死線を潜り抜けた彼等は放心状態で、目付きも胡乱だ。疲れ果てている。
だがティタンは笑った。
「俺達は証明した! 何者であろうとアッズワースを越えられぬ!
俺達は敵を叩き! 叩き! 叩いて潰す! 挑み掛かる醜い化け物どもを殺し、奴らに相応しい場所へと送り返す!」
握り拳を作ってそれを胸に叩き付ける。何度もだ。
「次も、その次も! 時が流れ、俺達が一人残らず死んだ後でも!
次の者達が敵を殺すだろう! 次の子らが! アッズワースを守り続ける!」
騎士達がぼろぼろになった盾を掲げた。血と泥で汚れた歪なそれらが陽光で鈍く光る。
「そしてその子らは俺やお前達の事を語り継いでいく!
戦いに終わりはない! 未来永劫続く鋼の掟こそがクラウグス!」
ディマを筆頭に戦士達は獲物を掲げた。それは折れた剣だったり、拉げたメイスだったり、元が何だったのか分からなくなるまで破壊されている物もある。
「ならば俺達は今正に――永遠の伝説となった!」
戦士達は雄叫びを上げた。隣の同胞と激しく抱擁し合い咽び泣く者もいる。
アバカーンが顔をくしゃくしゃにして号泣していて、他の巫女達がそれに釣られそうになっている。
ディマは蒼天を見上げていた。いつも恐ろし気な半月の釣り目が、嫌に優しい。
「ティタン」
「指揮官、生き残ったな」
「私には責任があるわ」
ディオ女神パシャスに会釈しながらも構わずティタンに向き直った。
常ならば有り得ない態度である。感覚が麻痺していた。
「我々は勝った。でも次の戦いに思いを馳せるより、今は祈りたい」
「……あぁ、我等に、お前達に」
「戦友達に」
パシャスは腕組みしながらにやにやとディオを見ている。
『お前の活躍は知っている。惜しい物だ。レイヒノムの信徒で無くばすぐさま我が聖域に招くのだが』
「女神パシャス、祈りを捧げます。供物を捧げます。セリウ家は決して女神への尊敬を忘れる事は無いでしょう」
『当然だ、ディオ。お前の名は覚えておこう』
パシャスは宙で蠱惑的な四肢を揺らめかせる。身を捩って水の満ちた穴に向き直ると、手を翳した。
パシャスが身に纏うアリバスの朱衣が伸び、水の中からヘベンの槍と古木の枝を引き摺り上げた。
『略奪は勝者の権利! ヘベンの槍と魔樹の枝は、我の物としよう!
ティタン、我が勇者! お前の背にこそ勝利がある!お前の膝の裏にこそ武功がある!
丁度良い、宣言しておこう! アッズワースを守護するはパシャス! 北を鎮定し、魔を払うはパシャス!
そして我が勇者ティタンこそ、北の大地のみでない! このクラウグスで最も偉大な戦士だ!』
パシャスは不可思議な力で槍と枝を浮遊させた。腕を一振りすると天高く飛び上がり、要塞中へ声を届かせる。
雲もないのに雨が降る。パシャスの水の権能が、慈雨となってアッズワース要塞に満ちた。
『お前達に与えよう! お前達を癒し、孤独を慰め、明日の陽光へと導こう!
何故ならここはアッズワース! 何故なら我はパシャス!
お前達を愛しているから! ハハハッ!』
戦士達は雨を浴びながらパシャスに祈りの言葉を捧げた。
今ばかりは、ティタンも皮肉を言わなかった。




