Woo Van
アッズワースが持ち堪えたのは神々とそれに近しい者達にとって予定調和だった。
しかしクラウグスに住まう大部分の人々にはそうではなかった。北の果てから南下する魔物の大勢力と、それに抗うには余りに脆弱なアッズワースの動員兵力。
女神は力だけでなく、その威光の確たる物を示した。彼女の加護とアッズワースの価値を知る戦士達の究極の犠牲によって、北の大地は守られた。
王都の軍将校、高級官僚達は驚愕した。彼等は今後、北の大地で予想される泥沼の戦いと、臣民の被害を覚悟して作戦を練っていたからである。
「神をも殺した」
「“此度の”ティタンは本物だったか」
何はともあれ、魔物達の首魁と庇護者が打ち倒され、北への進出が可能になるかも知れない。
数百年ぶりにアッズワース周辺の領地図が書き換わる可能性があるのだ。
この先十年、要塞の戦力とその重要性が高まり続ける事が決まった瞬間だった。
――
帰ろうかなぁと思う
火吹き酒を飲みながらイブリオンは吹雪を見詰めていた。アッズワースは兎に角寒い。
引き連れたペンドリトン戦士団も、僅か数名ばかりが生き残る程度の壊滅状態。
彼らはクラウグスの古よりの盟友として、友情を証明した。
普段気にした様子は無くとも、本当に困っているときにひょっこり現れて、手を貸すのが本物の友だと、少なくともイブリオンは思っている。
「短い間だったが……、どれ程離れていようと、お前の事を忘れはしない」
ティタンは酒杯を掲げた。
「ボゥのドワーフ、漸く血の責務を果たす気になったか」
悪態を吐くのはディマニード・ジュード・バシャー。普段呑まない火吹き酒にやられ掛けていた。
「お前らみたいな若造が居ると思うと、先々楽しみで仕方ないわい」
「言うほど若くない」
「吞み過ぎに気を付ける事だな」
「わはは、ドワーフをやっとると聞き慣れん言葉ばかりじゃ!」
ペンドリトン戦士団は吹雪を背に受けアッズワースを発った。
常に激戦区で盟友の尚前に立ち、盾を掲げ続けたドワーフ達との別れを、全ての者が惜しんだ。
後にクラウグスは彼等に報いた。当然の事だった。
――イブリオン・ドランケ・ボゥ
ペンドリトン戦士団首魁。ドワーフ大氏族ボゥの一族。直系に連なるが、その出自には多くの、そして大きな問題があり、彼はそれによって一族が被る混乱と被害を恐れ、戦士団首魁として放浪した。
ティタンが思う“完璧な戦士”の一例。ドワーフらしい背丈の小ささなど何の問題にもならない。城壁に足が生えて敵を追い掛け回しているような男だ。
肉体は堅固で筋肉と共にたっぷりと脂を蓄えた理想的な腹をしている。
主にメイスを用いたが、戦斧の扱いはアッズワースの凡その戦士を凌ぐ。
彼こそクラウグス人よりもクラウグスの重装歩兵と言う物を体現している。
武器の扱いに優れ、盾の扱いはそれを上回る。
“彼が大盾を構えたら、それは身を守っているのではない。お前を殺す手段を形にしているのだ。”
酒を愛している。同胞に看取られながら酒と共に死ぬと豪語しているが、結局戦場で死ぬだろうなと多くの者が予想している。
彼はドワーフ。クラウグスの同胞だ。
ただし風呂には入れとティタンは言った。山野を過酷に行軍する彼等は、寧ろ身綺麗にしているほうが稀だった。
――
「ソーズマン、こちらの羊皮紙と物資の数が合っていないようですが」
「あー……その、なんだ。見てきたのか?」
「この目で確認しました。ご説明頂けますか」
「困ったな……」
傭兵ギルドの接収は解除されていない。戦後の混乱を収める為にすべての組織と物資、情報は統一管理されている。
そのギルドホールでソーズマンは悠然と鑢を爪に這わせていた。食って掛かるのはテロンだ。
「んー、なんだな、なぁテロン」
「なんです?」
「事態は急を要していた。お上の承認を待っていられない事が多過ぎるんだ」
テロンは険しい目をしている。
「で、貴方はそれを順番抜かしで融通する代わりに今後どんな恩恵を受けるんです?」
「テーローン。……例えそうだったとして誰が不幸になるんだ? 両親を、連れ合いを失って飯の種も無い連中よりも優先すべき事があるのか?」
ソーズマン達“熾烈な牙”の一党は、今後アッズワースの一大勢力となる事が分かりきっていた。それこそ、アッズワースの正統な権威にとって目障りな程に。
ソーズマンはバランス感覚に優れた男だ。自分達が粛清されないように上手く立ち回るだろうが……。
「私も噛ませて頂きます」
「は?」
ソーズマンは思わず真顔で聞き返した。
「非常の事態に対応するには非常の手段が必要です」
「同感だが、意外だな」
「セリウ名代のご機嫌を取るのは私達二人掛かりの方がやり易いと考えていました」
「……ふぅん、俺と一緒にあの小娘の足でも舐めるか」
「首を撥ねられそうですがね」
テロンはアッズワースに踏みとどまったギルドの人間の中ではずば抜けたやり手だ。
ソーズマンとテロン。悪く無い組み合わせだ。万人にとって、とは言わないが。
「取引って訳だな、テロン」
「取引です、ソーズマン」
二人は固く握手した。正論だけでは物事が片付かない時代だった。
――“恐るべき”ソーズマン
熾烈な牙傭兵団首魁。会談を行った殆どの人物から「遣り辛い相手」と評され、その出自は謎に包まれている。
一応主神レイヒノムの信徒である(らしい)と言う事しか判明していない。
暴力も、悪辣な策謀も、必要な時に必要なだけ使う。しかし意外にもその基本姿勢は譲歩である。
敵は油断させておくに限る。ソーズマンはそう考えているのだ。
猜疑心が強く、また慎重である。とぼけた目付きの奥で常に人を値踏みしている。
この油断なく、抜け目ない怪物は、今後も成長を続けていくのだろう。アッズワースの吹雪の中で。
見た目と風評通り複雑な男。後ろ暗い事も多いようだが、実態を掴ませない。
熾烈な牙傭兵団事態は大きな悪事には加担しないが、裏でそういった犯罪組織と取引を交わしているのは間違いない。多くの護民官、或いは特殊部隊がソーズマンを探ったが、追い詰められなかった。
後にセリウ家ディオと中を深め、多くの取引を成立させる。
が、ディオはソーズマンが邪魔になったら、或いはそうでなくとも隙あらば絞首刑にしてやろうと考えていたし、ソーズマンもディオに対し二度ほど暗殺者を放った。
二人の関係は……まぁ、好敵手と言って良いだろう。
普段は部下を使う事に腐心し自ら剣を抜く事は無い。
しかし一度抜いたなら、どんな状況でも必ず敵を殺した。ソーズマンはその名の通り優れた剣士でもある。
――“恐るべき”テロン
ひ弱で多弁。下戸。潔癖症。性的不能者。傭兵や古式ゆかしい戦士に毛嫌いされる性質を叩き売りしているような男。
しかしアッズワース防衛戦を境に彼の評判は変わっていく。
ただのギルドの受付が、その勤勉さと時流から一大派閥の頭目となるなど誰が予想しただろうか?
最低限の仕事すら放りだして逃げたクソ野郎と、最後まで共に居ると誓ってくれた間抜け野郎。傭兵にとって仲良くしたい相手はどちらだ?
彼は遠方で暮らす家族にも仔細を伏せながら様々な事柄に手を伸ばした。
多くの軍将校、有力な傭兵、機敏な商人、更には裏社会の人間とまで誼を通じ大きな影響力を手にした。
目的は色々あった。物流の円滑。経済への貢献。何より、復興の邪魔になる“詐欺師ども”の排除。
これらはギルドの看板を背景に行われたが、その中でテロンがこれでもかと辣腕を振るっていたのを、多くの者が知っている。
上手くやった物だと人々は言うが、忘れてはいけない。
彼は善性の人間だと言う事だ。彼は寝る間を惜しんで人々の為に尽くした。
これ程の人物が子孫を残せないのはクラウグスにとって不運だ、彼の友人達はからかったが、
「惚れた女じゃないと勃たない」と彼は答えた。
後年。職工街にて催された宴の席にて暗殺される。
多くの者が復讐に名乗りを上げ、仇敵の首級はオーメルキンが挙げた。
同時に、アッズワースは混乱に見舞われた。
――
「この場所に霊殿を立てよう」
慰霊碑を照らす太陽を見遣り、にや、と笑って冗談をぶつミガル。誤算は、商人達が真に受けた事だ。
「寂しい場所だからいけないのさ。……なーんて、舐めた事は……」
「それは良きお考え」
「は?」
「いえいえ、事情は心得ておりますれば」
「そうですとも。何といっても……シャーロス様の肝煎りとの事」
アッズワースの霊地。ミガルは自らが半ばまで再建した三百年前の慰霊碑を前に困惑する。
いろいろと手を入れた霊地も戦いによって再び荒らされていた。これを立て直すには更に金と時間がかかる。
商人達は勝手に盛り上がっている。彼等は彼等でただの商人ではない。クアンティンによって手配された深い事情に通じる者達だ。
神君と蘇りし偉大な戦士に、重責を任された鍛冶師ミガル。彼女が死者の魂を祭る殿堂が必要だと言うのなら……骨は折れるが応えぬわけにはいかぬ。
「あ、ちょ」
「大まかな差配はお任せします。必要な人足をお申し付け下さい」
「ティタン様はミガル様にのみ慰霊碑に携わることを許されたとか。明確な仕切りが必要ですな」
「傘下の商会に名の知れた彫刻師がおります。宜しければお引き合わせしたいのですが……」
ミガルは脂汗を流した。ちょっとした軽口のつもりだったのに、こいつら本気にしやがった。
流石のミガルも建築まではやった事がない。
商人達はミガルとは意識が違う。霊殿の建築を、「やってやれぬ事はない。いくらでもかかってこい」と考えている。
こうなるとミガルも引っ込みがつかなかった。
『酔狂でやってる訳じゃない』
何より、意外と長い付き合いになったひねくれ者を驚かしてやりたい、と言う気持ちもある。
ミガルは暫く頬を痙攣させた後、腹を括った。えいくそ!
「……やってやろうじゃないか。死者達の為に、慰霊碑を!」
『慰霊碑を!』
彼らは忙しく動き出した。
――“英霊の鍛冶師”ミガル
鍛冶、彫刻、彫金、後々に建築、後ほんのちょっぴり服飾。なんでもこなした偉才。
大柄で褐色。祖先は蛮族の出と思われる。神業と後世に伝わる。
アッズワースの霊地を再建、保全し、多くの戦士から尊敬を受ける。
牡鹿の剣を失った戦士ティタンは、それ以後どのような戦いに赴く時も彼女の剣を頼みにした。剣は剣士の魂だと公言するティタンだから、ミガルはその強さの根幹を支える魂を鍛造する女だった。
霊地の守護者としての彼女と、優れた鍛冶師としての彼女。いつしかその二つが結びつき、彼女は「英霊達の武具を鍛える女」と噂されるようになる。
そのような事実は無いが……少なくともティタンは一言も文句を言わなかった。
ティタンの背中を張り飛ばしているのがよく目撃される。
クラウグス人どころか言語も怪しい蛮族達にすら畏敬されるようになった男に対し剛毅な物で、しかも公の場でも態度が変わらないのだから全く恐ろしい女だった。
――
ディオは唸った。
「アルコン・メンシスがまた諍いを起こしたそうね」
部下も唸った。
「は。ですが経緯を聞くに、彼等は挑発された側です」
「……責めづらいわ。というか、何故彼等は私の直臣のように振舞っているの?」
無邪気に魔物の群れに飛び込んで、名誉の詩を叫びながら死んでいくような連中だが、意外な程多くが生き残っていた。
果敢に攻めるその姿勢が寧ろ活路を拓いたのか。喜ばしいのは間違いないのだが、今や彼等はディオの金で飲み食いし、空いた宿舎で寝泊まりしている。
彼らが以前使っていた場所は戦いによって焼け落ちてしまったらしい。
「少し前、アルコンズに命令を下されました」
「えぇ、魔物を間引いてこいと」
戦いが終わっても警戒を解く訳には行かなかった。多くの戦士達を繰り出して、ディオは北を監視していた。
「『あれ程偉そうに命令するのだから、俺達の主になるつもりなんだろう』と」
ディオは右手で顔を覆いながら苦笑した。遠くから雄叫びが聞こえる。
「さぁ……戦え!」
『戦え!』
「祈れ!」
『祈れ!』
「称えろ!」
『称えろ!』
「我等は!」
『アルコン!』
「我等は!」
『アルコン!』
「我等は!!」
『アルコン・メンシスッ!!』
この極寒の地にありながら彼等は肩も腿も剥き出しにしている。
銀で装飾された手斧を掲げ、髪を振り乱して吼える。
敵の場所は知れていた。走って行って、襲い掛かって、後は走って戻って酒を呑む。
格好は寒々しかったが汗が引く間は無いだろう。
彼等は今幸せの絶頂にある。今や彼等の強さと戦いぶりを知らぬ者は無い。
祖先は異邦の侵略者で、それを由来とする戦士団。日を跨げば盗賊団に変わっていても可笑しくないと蔑まれてすら居た彼等。
今は誰もが彼等に憧れの目を向ける。彼等の詩は今後、長くアッズワースに残るのだ。
――“アルコン”・メンシス
彼等の祖先は勇猛だが愚かだと言われている。
かつてクラウグスは東海と北海から訪れる海賊達に悩まされていた。特に恐ろしき北海を乗り越えてきた者達は、最盛期にはクラウグスの北西を僅かに占領するまでに至り、アルコン・メンシスはその海賊達の末裔である。
神君クアンティンの親征によって滅ぼされた海賊達の生き残りは南方に落ち延び、クラウグス西部ダニカス方面にて次第にクラウグス人と同化していった。彼等の気性はクラウグスとも相性が良かったのだ。
しかし彼等は荒波を乗り越えてクラウグスを襲撃し、武威を轟かせた祖先達の事を忘れてはいない。
「銀の斧を知っているか? 我等の祖先はそれを用い、神話に残る大蛇アクベスの頭を……叩き割った!」
酒の席で彼らが歌わぬ事は無い。
因みにアルコンとはダニカスに生息する固有の魔物である。大きな顎、鋭い牙を持ち、一度敵に食らい付いたら殺すか殺されるかしない限り絶対に離さない。
足の構造上、前進するのは早いが後退出来ない作りになっている。
勇猛果敢で、引き下がる事を知らぬ。彼らがこの名を大袈裟に有難がるのは、寧ろ当然だった。
その由来、その気性から全ての者達と友好的では居られない。
後にアルコン・メンシスはディオ・ユージオ・セリウを担ぎ上げ、中央から訪れたいけ好かない騎士達に戦いを吹っ掛けようとするのだが……、まぁそれは、今は良いだろう。
――
「お前と、子供達の身を預かりたい」
恐ろしい形相で睨み付けてくる女にディマは言った。
戦死者の遺族である。慣れんな、とディマは思った。
イヴニングスターが全滅するなど想定していなかったが……元々アッズワースは人死にの多い要塞だ。ディマは故郷で兵を選出するとき、なるべく独身の者を選んだ。
その成果はあったが、完全である筈がなかった。
「子供達の将来はある程度約束できるだろう」
「貴方様にお仕えする兵として、ですか」
「従士として教育する。余程見込みが無ければ別だが、ゆくゆくは一廉の騎士にしたいと考えている」
この女はディマの腹心だった男の妻だ。まだ随分と若い。
聡明だと聞いている。彼女は言葉を選んだ。
「……夫のようにすると?」
皮肉と取れた。夫のように、貴方に命を捧げさせるのだろうと。
「俺や、お前や、お前の子等が生きているのは、奴が命を捧げたからだ」
「さすがは名誉あるバシャーが次男殿! 威厳あるお言葉で!」
声を荒げる女。言葉に悪意が籠っている。背後の兵士が怒鳴りつけようとするのをディマは止めた。
この兵士はアッズワース防衛戦に間に合わなかった者だ。この要塞でどのような戦いが行われたのか知らない。
ディマは多くの指揮官がそうしたように、部下に死を強要した。
「……三日後、迎えを寄越す」
女は俯いた。夫が死んでしまった今、子供達を養っていく手段は限られる。
「気に入らなければ剣を持ってこい。決闘は受ける。何にせよ子供達の面倒は見よう」
クラウグス人ならば、どんな生まれでも剣、斧、弓矢を扱えて当然だ。
武門バシャーに仕えた騎士の妻ならば猶の事。
「私を侮っていらっしゃる」
「舐めた口を利くな! 戦士で無い者がこのディマに敵うか!」
「この……!」
「出来れば生きて子等を守れ。以上だ。俺は帰る」
女は膝から崩れ落ちた。兵士が上等な毛皮の防寒着を羽織らせる。彼女の夫の遺品の一つだ。
踵を返したディマは少し歩き、壁の裏側に向かって声をかけた。
「出てこい下手糞!」
「うわっ!」
現れたのは深紅の布を被った少女。
オーメルキンは気まずそうに肩を竦める。
「おう泣き虫小娘、今日は一人か」
「一人、だけど……いや、ですけど……」
ディマはぶは、と笑った。
「特にさし許す、気軽に話せ。……お前の団の同胞達を思い出してみろ、俺に遜る奴がいたか?」
オーメルキンはうーんと唸って頭を押さえた。
「敬意があればそれでよい。公の場で無ければな」
ディマはヴァノーランを特別扱いしていた。
「ディマ……様」
「何か言いたい事があるのか?」
「悪ぶっちゃってさ」
「……俺の仕事だ」
まだ何か言いたげなオーメルキン。ディマは先を促す。
「あの人もその内気付く。ずぅっと離れ離れじゃないんだって」
「……何を知ったような事を言っている」
「あたし、見えるようになったんだよね」
「何がだ」
いや、うーん、とオーメルキンは唸る。
「まぁ、あの人綺麗だし、ひょっとしたら再婚とかってあるのかもだけど……」
「だから何を言っとるんだお前は」
「死者達は普段何も言ってはくれないけど、あたし達の事を守ってくれてるから」
ディマ様の背中にも見えるよ。あの人の背中にも。
「馬鹿め、そんな事分かっている」
ディマは切なげに笑ってオーメルキンの頭をガシガシと撫でた。犬にするような態度だった。
生意気にも俺を慰めるような事を言いやがって。
――“バシャーの虎”ディマニード
バシャー家には問題が山積している。ディマはそれを大いに憂えている。
二代前までバシャーは一点の曇りも無き名族だった。主家は辺境領を預かり日々外敵と戦い続け、時の王からも篤く用いられていた。
それが崩れたのは父の欲だ。父は蛮族と戦う為に際限なく軍備を増強し、その金の流れにまず土豪達が飛びつき、次いでバシャーの臣下達がそれに結託して、瞬く間に汚職、癒着が横行した。
父はそれらを抑えきれなかった。自分と同じで戦いにしか頭が回らない、所詮その程度の器量なのだった。
王家の信頼を失った。影響力は大きく薄れた。
経済的な混乱は各地に波及した。これによって大損害を出したセリウ家などはバシャーを敵視している。ディマも正直、ディオに負い目を感じている。
バシャー家は名声を新たにする必要があった。そして自分とイヴニングスターがそれを行う。
ディマは正に命を捨てる覚悟でアッズワースを訪れ、数年後には図らずしも悪神との戦いが起こり、目的は果たされた。神に導かれたかのような事の運びだった。
バシャー家イヴニングスターの武名は千年先まで残るだろう。
後は兄が家を立て直す。……自分は兄の邪魔にならないよう、適当な所で戦死しよう。
ディマは死に場所を探し始めた。
ディオ・セリウが何とも言えない表情でディマを川に突き落とすまでそれは続いた。極短い間だった。
が、バシャー家として考えるならやはりディマは早めに死んでおくべきだったのだろう。
後年ディマは更なる戦いと女神パシャスの加護によって名声を高めるが、分家を作るか作らないかの問題で王家に介入され、結果としてバシャー家は更に影響力を落とす事になる。
――
「変な噂を広めやがって」
どこの誰だか知らないが、アーマンズは憤っていた。
すっかりと寂しくなったヴァノーランの館の前は、今は人の群れでごった返している。
誰も彼も一目で分かる屈強な戦士だ。恐らくは諸地方で戦歴を積んだ高名な者達なのだろう。
そんな奴らが雁首揃えて「ヴァン・オウル・アッズワースに志願する」と来たもんだ。
何故かは知らないが妙な噂が広まっている。「ヴァノーランを再建する為に、ティタンが人を求めているらしい」
アーマンズはそんな事は聞いていない。たった三人になったヴァノーランの生き残りに、ティタンがそんな隠し事をするか?
アーマンズは窓から門を見遣り何度目かの溜息を吐いた。ちらつく雪の中を深紅の頭巾がひょこひょこしているのが見えた。
『アーマンズ!』
大声で呼び付けられる。アーマンズは窓を開ける。
「うるさいぞ、メル」
「彼等は?」
「入団希望者だそうだ」
「こんなに?」
オーメルキンが周囲を見渡すと、戦士達は丁寧に一礼した。
オーメルキンも随分と名が売れた。ティタンを担いで地獄の底から這い上がってきた女だ。とても侮れない。
「喪に服している最中だ。日を改めてくれと伝えたぞ」
「ティタンは?」
「供物を獲りに行った」
「あぁ……首か」
「お前の方は? 林檎はあったかのか?」
オーメルキンは口をもにゃもにゃさせた。
だろうな、とアーマンズ。アッズワースでは今、何もかもが不足している。
門前にたむろしていた一人、皺の深い戦士が口を挟む。
「……林檎ならある。少し萎びているが……」
「へぇ」
オーメルキンはその、壮年を越え掛かった戦士に向き直った。
「林檎に拘ってた同胞が居たんだ。別に好物って訳じゃ無かったんだけどさ。
彼に捧げる為に、良かったらそれを譲って欲しい」
「名誉ある死者か?」
「我が団随一の勇者、ロールフだ!」
彼はにっこり笑って腰に下げた革袋を開いた。
「ロールフ! ティタンと決闘した若者か! ……はっはっは、喜んでお譲りしよう」
結局、戦士達は去っていった。日を改めてまた来るそうだ。
オーメルキンとアーマンズは暖炉の火にあたりながら静かな時間を過ごす。
ティタンが供物を持ち帰るのを、待っていなければならなかった。
「……やっぱり嘘みたいだ。あたし達はついこの間まで、ここで干し肉の取り合いやってたんだぞ」
「耳をすますと奴等のがなり声が聞こえる気がするぜ」
「これからどうしようか?」
「さてね」
アーマンズもオーメルキンも、今は何も考えられなかった。
地に足がついていなかった。あれ程馬鹿げた…………極めて神話的な体験の後では無理もない。
このままで居るつもりは当然無い。だが感傷に浸る時間も欲しかった。
服喪は、自分達の心を納得させるための時間でもある。
「ヴァン・オウル・アッズワースは……一年にも満たない間だったが、確かに俺の宝だった」
「あたしにとっても」
「シェフにその気があるのかは知らないが、このまま終わりたくないな」
「あたしもそうだよ」
そこでまた沈黙。オーメルキンは暖炉の火を、アーマンズは指の欠けた己の手を見詰める。
「……何にせよ」
「うん」
「まだお前らと離れるつもりは無い」
「当然だ!」
二人は拳を打ち合わせた。
「同胞に!」
「忠誠を!」
――“最初の十七”アーマンズ
サジバルの谷出身。彼は極めて優れた斥候であり、極めて優れた弓手である。
サジバルの部族が弓に長けるのはクラウグス人なら誰でも知っている。アーマンズも例に漏れず幼い時から弓に親しみ、狩人として成長する。
彼が物心ついたとき既に父は死んでおり、美しい母は王都から派遣される徴税官に手籠めにされていた。
部族の年寄達は見て見ぬふりをした。アーマンズは部族の同胞も、クラウグスの役人も、そして自分の母すらも憎んだ。彼が故郷で尊敬できる物は大猪と相打ちになった父の逸話だけだった。
十六歳の時、彼は徴税官を暗殺し部族を出奔した。彼の手管は巧みで嫌疑を掛けられる事すら無かった。
薄汚い部族の老人ども、下劣なクラウグスの役人ども、勇気も何も持たずされるに任せた母。
どうしてこんな奴らに従っていなけりゃならない? 俺は誰にも負けない男になる。
その決意が、彼を錬磨した。
夜の神シンデュラの目を射抜いた男として不動の名声を得た後もヴァン・オウル・アッズワースで戦い続ける。
ヴァノーラン始まりの十七人の一人。彼は常に戦士団の中核であり、不可欠な男となっていく。
後にティタンと対立し団が割れる事態に陥ったが、数年で和解した。一時は決闘も辞さぬ程に深刻化し、解決の際には周囲が安堵の息で満ちた。
後に創作される歌劇等で何故か同性愛者扱いされる事が多い。相手は専ら団の同胞だったロールフで、それはヴァノーラン達を怒らせる要因の一つになっている。
同性愛が高尚とされた時代は既に過ぎていた。
――“最初の十七”オーメルキン
「にかわのような奴だ。……何故だか、離れがたくなる」
ヴァン・オウル・アッズワースの戦士にして夜明けの鶏団シェフ!
ディオ・セリウ従士見習いにしてイヴニングスター名誉雑用係!
“戦神に捧ぐ狩猟祭”優勝者にして慰霊碑清掃役筆頭!
“早撃ち”! “泣き虫”! “ヴァノーラン”! “英霊と語らう者”!
深紅の頭巾を揺らめかせるその女の名は!
その名は!
その名はオーメルキンッ!!
多くの異名を以て多くの吟遊詩人に歌われるのがオーメルキンだ。
アッズワース防衛決戦から次第に頭角を現し、高名な戦士達が多く所属したヴァン・オウル・アッズワースの中、年端も行かぬ内から敬意を示され、また愛された女。
不思議な程顔が広く、その大半と友好関係にあった。利益を度外視する付き合いも多々あった。
成熟してからは対ティタン最終兵器として用いられ、彼が駄々を捏ね始めるとアーマンズの判断によって彼女が投入された。
元は浮浪児。盗みを生業とし、ティタンに見出される。三年の内にノースウォッチレンジャーズと互す程の斥候となり、五年経つ頃には弓の腕で以て戦神ラウに認められる。
ティタンの娘はティタン。彼女はパシャスの祝福を授けられ、時にはその神官戦士達を率いて魔物と戦う事もあった。
多く活躍し、その名誉を団に捧げる。名声とは裏腹に彼女の気性は人懐っこく、温和だった。
伝説を受け継いだ女。彼女は後に、竜狩りの旗の許に集う。それが喜ばしい事かどうかは別として。
交友関係の広さと逸話の多さがその信憑性を薄くした。歴史学者に「ティタンに仕えた複数の従者の功績が混ざってしまったのではないか?」と言われる事もある。
答えはパシャスに聞けば良い。彼女を目に入れても痛くない程に可愛がっていた女神がどう答えるか、見物である。
ティタンの娘と呼ばれる事もあるが、当然血縁関係は無い。
――
「あぁそうだ忘れてた!」
「ん?」
オーメルキンは萎びた林檎を掲げた。
アーマンズは苦笑する。
「ロールフに!」
「林檎を!」
二人はもう一度拳を打ち合わせる。
――“最初の十七”ロールフ
生きていれば歴史に名を残したかも知れん。ティタンは彼を語る時、いつも残念そうだった。
王都ヴァンフェンの生まれ。父は優れた剣士。母は豪商の娘。
苛烈な性格。命知らずの向こう見ず。真偽の程はともかく、生涯ただの一度も怖気づかなかったと語られる。
悪神マトの呪いを受けたが、その邪悪な力に命を奪われる前にティタンとの決闘によって果てた。
その死に様はヴァン・オウル・アッズワースの消滅まで語り継がれ、その精神性の規範となった。
――戦士は、戦って死ね。
俯いた顔と、しかし天を睨むように高い視線。戦士ロールフは大抵そのように描かれる。
ロールフのように生きて、そして死ねば、死後の名誉は約束される。
多くの戦士達が心の底からそう信じ、戦いに身を投じた。
死後、戦神ラウに仕える。
海を隔てた彼方の大陸に於いて、ラウが仕掛けた大侵略戦争の記録。
その随所に、英霊ロールフの名が散見されると言う。
――
北門に馬で駆け込んできたのはケイロン・フェイオー。
こけた頬を血で濡らし、鋭い視線を周囲に巡らせる。
待ち受けていたかのようにディオが現れた。ケイロンは直ぐに下馬する。
「ケイロン殿、どうなっているの?」
「指揮官、北に動きがあった!」
北の監視塔は既にアッズワースの戦力として復帰していた。
決戦後、ノースウォッチレンジャーズは他の戦隊と同様に激しく消耗していたが、彼等は優先的にパシャスの癒しを与えられ、監視塔を奪還したのだ。それが必要とされていた。
マト、シンデュラを立て続けに打ち破り、魔物達の動きは急激に沈静化したが、ディオはそれでも警戒を厳にした。
今このような時の為に。
「監視塔は守り切れる?」
「問題ない!」
「では、敵が南下しようとしているのね?」
「問題ない!」
「……? では、どのような状況なの? 魔物達が南下もせず集結していると言う事かしら?」
「いや、その問題もない!」
じゃぁ何だよ。
ディオは珍しく自分を困惑させるケイロンに首を傾げる。
そもそもケイロンは自らの質問に“否”ではなく“問題ない”と答えた。
つまり、監視塔は危険に晒されていて敵が南下しようとしておりしかも既に終結状態にあるが、問題ないと言う事か? 何故?
「その、ティタンが、現れた。何故かは……知らないが」
ケイロンはこけた頬に付いた血を拭いながら言った。
そもそも彼は監視塔に居なかった。手隙の者で可能な限りの周辺警戒を行っている所に異変があり、ティタンが現れ、他に手段が無かったため仕方なく指揮官自らアッズワースに戻ったのだった。
――“レンジャー”ケイロン
フェイオー男爵家当主。一代で爵位と騎士位を与えられたすば抜けた人物。
勤勉で見識深い。その上試せる内容ならば実践にて確かめようとする気性で、識者のみならず現場の人間からも慕われた。
ノースウォッチレンジャーズ指揮官。“影に潜む者”“這いずる者達の長”。
音も無く敵を誘惑し、気配無く立ち去る。彼等は人狼の鼻すら誤魔化し、鷹の目からすら逃げ果せる。
レンジャーズは長くクラウグス最高の斥候であり続けたが、暫くはアッズワースの監視塔にとどまり、魔物達を相手に戦う内にその名声も忘れ去られてしまった。
だが彼らがどんな存在なのか、今全ての人々が思い出した。指揮官ケイロンの名の下に。
どんな怪物も彼等を捉えられず、一度狙いを定めたならば地の果てまでも追い詰めて首級を奪う。
敵陣深く潜り込んで正確な情報を持ち帰り、闇の中で闇の眷属達をも上回る。
彼等はレンジャーズ。俊敏で狡猾。緻密にして大胆。
クラウグスが世界に誇る最高の部隊。
が、ケイロンがレンジャーズの指揮官に抜擢された経緯は、実は左遷に近い。
しかしその事をケイロンが嘆いた事は無い。彼は自らに与えられた任務の重要性をよく理解していたからだ。
それに、一代で身を立てるには限界があるとも感じていた。
名誉、栄達。望み過ぎれば身の破滅を招く。ケイロンは自分の野心の限界を把握していた。
アッズワース防衛戦で娘の一人を失い、以後暫くは消沈していた。
しかし彼はよく理解してもいた。「人など容易く死ぬものだ」
彼は今も死んだ娘を弔いながら北の監視塔に居る。彼が居る限り、魔物に先手を打たれる事は無い。
――
ディオはケイロンの言葉を受けて、笑えば良いのか困れば良いのか迷った。
「本当に全く、あの男は」
心配の色は欠片も無い。魔物達が動いて、其処にティタンが現れたというならば、一々言及することも無い。
ティタンは敵を皆殺しにするだろう。ゴブリンだとか、オーガだとか、ワーウルフだとかは、最早大差ない。
「わくわくさせてくれるわね」
ディオは右手を掲げた。既に準備を終えて待機していた兵達が忽ち隊伍を組む。
「進発! 北へ!」
『Woo!!』
――“闘将”ディオ
セリウ家名代としてアッズワースに赴任する。性格はやや苛烈で情け深くありながら、一方で計算高く冷酷であったと言う。
混迷期のアッズワースで戦士達によって信奉された“窮地の指揮官”。
混乱に強く、追い込まれるほど深く微笑んだ。危機的状況こそ彼女が能力を発揮するに相応しかったのだろう。
また、唯一ティタンを心服させたともいわれるが、これはパシャスの信徒達の機嫌を損ねる記録であり、公に語られる事は少ない。
生まれはクラウグス南部アガドフ。誕生の際にはユージオ大聖堂にてレイヒノムの祝福を受け、それをミドルネームとした。因みに、ユージオをミドルネームとする者は少なくない。
(ユージオ大聖堂は“神君”クアンティンが祝福を受けた場所であり、それにあやかってクラウグスの貴族達の半数ほどがユージを大聖堂で祝福を受ける。またクアンティン自身もミドルネームの一部にユージオを含む)
幼い頃から破天荒……才覚を見せたとされ、盗賊や魔物の討伐に付き従った。
兄がおり、こちらも領地経営に過不足無い能力を示す。そのためディオは継承権争いを起こさぬ為に、より武断の方に傾いた。
好きな人物は祖父。好きな話は昔話。頑迷な古き戦士の魂を受け継いだ、一風変わった女だった。
後にアッズワースの大部分の支持を受け、半独立状態になる。これはディオの望んだ物ではなかったが、その後も結果的に影響力を強めた(強めざるを得なかった)ディオはクラウグス王国と激しい戦いを繰り広げ、最終的にはアッズワース辺境公として封じられる事になる。
恐ろしい事にこの時彼女はまだ三十五歳で、その程度の若造を打ち倒せる指揮官が、クラウグスには存在していなかった。また、彼女の率いたアッズワースの戦士達は強過ぎた。
ディオは常勝将軍として歴史に名を刻む。
評価は一定しない。ただ、野心家なのは間違いないと言うのが一般的な見方だ。
相応の悪評が残りそうな物だが、彼女はティタンと非常に親密だった。その繋がりかパシャス教に属する者達も彼女に協力を惜しまず、彼女は概ね問題なく北の大地を統治し、強力に発展させ……
そしてその死後、子に権力を継承させる事も無くクラウグスに返還する。
ディオの伝説は完成した。
――
雄叫びを上げていた。吹雪を跳ね返すように熱い。
視界を覆う雪が敵味方問わず吹き付ける。オーガの張り出した胸筋に剣を突き込み、ティタンは吠えた。
「WoooooAhaaaaaaaa!!」
肺を潰されて尚身を捩るオーガ。ティタンは肩から体当たりしてオーガを仰け反らせ、今度は剣を逆手に持ち替える。
狙いは眼窩。今度こそ生かしてはおかない。
鋭い切先が岩のような皮膚と頭蓋を砕いて脳を破壊する。オーガは膝から崩れ落ち、ティタンは血飛沫を浴びながら吹雪の向こう側に怒鳴りつける!
「どうした! 怖気づいたのか?!」
新手が飛び掛かる。生臭い息を吐きながら、そのオーガはティタンを抱き締めた。
人を超越した膂力で抵抗させぬまま首を食い千切ろうと言うのか。
ティタンは力を込めて身を捩り、唯一自由な頭を振ってオーガに叩き付けた。
渾身の頭突きがオーガの鼻を潰す。それでは飽き足らず、大地を強く踏んで腰を落とした。
剣を構える。右の掌で柄を順手に握り、左の掌で塚尻を包み込む。異形の握り込み。
太腿が伸びて、ティタンが大地から解き放たれる。一直線に伸びる突きがオーガの喉首を貫いた。
力を失った巨体を蹴り倒し、ティタンは血の滴る剣を掲げる。
「勇ある物は俺に挑め! 貴様らの首を落とし、英霊達に捧げよう!」
『WooAaa!!』
周囲で盾を構える戦士達が呼応するように吠えた。
少しばかり離れたところでオーガの死体から手斧を引き抜きながら、レイヒノムの勇者シュラムがそれを見ていた。
何とはなしに北へ向かうティタンに同道したら、案の定戦いを始めてしまったのだ。
予想通りと言えば予想通りだった。シュラムはレイヒノムの聖印を揺らしながら笑った。
「全く、困った男だ」
――“レイヒノムの勇者”シュラム
偉大なる主神に雷の力を与えられた戦士。
彼の持つ能力は一個の戦士として見るには強力過ぎた。黄金の輝きの前には、鍛え上げられた屈強な軍団がその意味を成さないのだ。
信託を受けて東奔西走を続ける男はクラウグスに対し実に忠実である。
当然、彼を称える言葉は枚挙に暇が無い。しかし彼はそれらに対し、喜びを示す事は少なかった。
アバヌークの血族に連なる者である。アバヌークとはクラウグスで知らぬ者の無い、“竜狩りケルライン”の一族だ。(とは言ってもケルラインは三男であり、また子も残さなかったが)
彼がその事を誇る事は無い。だがしかし、それでも彼はティタンに対し言い知れぬ親近感を覚えていた。
三百年前の、時代遅れの骨董品に対して、彼は同族意識を抱いていたのである。
飢え、渇き、語らぬ者達。シュラムは一種の先祖返りだった。
後年、クラウグスとバリアラの間で戦争が起こった際、その影で蠢動する勢力と戦い、行方不明になる。
だがレイヒノムは大の人間贔屓の、大陸贔屓の、クラウグス贔屓だ。
シュラムの魂が何処へ行ったかなど憂う必要は無かった。
――
シャーロス様は良かったのだろうかとシュラムは手斧を一振りさせながら思う。
シャーロスはアッズワース防衛戦の後、ティタンと僅かに語らって即座に南へと発った。本当は話したい事が幾つもあったに違いない。
『語らえば、連れて行きとうなる故』
シャーロスは仮面の下で苦笑していた。シュラムはそう言う物かな、と目を閉じた。
――“仮面の”シャーロス改め、“神君”クアンティン
神によって仕組まれた男だ。レイヒノムを良く思わない存在程、彼を泥人形と呼んで侮蔑する。
クラウグスを襲うであろう難事に対抗するためレイヒノムが作り出した男。彼は神々の望む通りに黒竜を撃退し、国を富ませ、クラウグスに黄金の時代を齎した。
彼の尽力によってクラウグスは発展している。黒竜に国土を焼かれ、多くの文化を消滅させられ、人口を半減させられて尚も、クラウグスは立ち上がった。それどころかその勢いは留まる所を知らない。
その発展の陰で彼がどのような手段を用いているか、余りに多過ぎて語りつくせない。
一応一つだけ言っておく。彼は増大したクラウグスの人口以上に、他国人を殺していた。幾つもの手段を以て。
だがそれがクラウグスの王としての責務なら誰が咎められると言うのか?
父は武の人ハルカンドラ。母は妖精の女王キルビス。そして加護を授けるは主神レイヒノム。
不老の性質を受け継ぎ、三百年以上生きた今尚少年のような面立ち。
美貌であり、多くの人々を惑わした。キルビスの加護による魅了である。彼は仮面を着ける事を選んだ。
長い時を経て成熟した精神は時に偏執的。それ以前に彼は両性愛者でもある。
その生まれによってハルカンドラの妃を発狂に追い込み、その性癖によって実兄を死に追いやった。
彼は人々の見ていない所で常に俯き、唇を噛み締めながら生きていて、……そしていつしかそれにも慣れてしまった。
……だがこの北の大地で三百年前同じ時を生きた戦士と再会し、クアンティンは自らの胸中に不思議な変化を感じていた。
クアンティンは少しだけ視線を上げて生きるようになった。
――
ティタンは荒い息を吐いていた。どくどくと心臓と血の音がしていて、興奮に震える手を宥める。
『良いぞ、ティタン』
パシャスか。
『寝所に来ぬか?』
気が向かないな。
『娘らも、お前を待ち侘びている』
ティタンは苦笑する。よく懐いた犬のようにティタンの後ろを付いて回る巫女達が、今日はいない。
何せ準備もそこそこに要塞を出たのだから彼女達も追いつけなかったのだろう。
『いつまで戦う? どこまで戦う? ふふふ、ふふふふ』
分かり切った事をパシャスは口に出した。シンデュラを討ち滅ぼしたあの日からパシャスはティタンにべったりだった。
ティタンが自らの加護を受け入れた事が余程お気に召したのか。その事すら予定の内だったろうに。
「戦いは無限の存在だ。
敵を殺したとしてもその子らがおり、子らを殺したとしても次代を育む夫婦がおり、そしてそれを殺し尽くしたとしても新たな敵が現れるだろう。
生きている限り、戦いは続く。クラウグス人に限って言うならば、死後ですら」
『お前を慰めてやる、ティタン』
「今は、それも必要ない」
ティタンは周囲で膝を突く戦士達に怒鳴りつけた。
「まだ来るぞ! 隊列を整えろ!」
「てぃ、ティタン殿、何故わかる!」
「敵の息遣いを感じるからだ!」
頃合いを図っていたかのように吹雪の向こう側から遠吠えが響いた。
強い風と雪に真っ向から立ち向かうように、戦士達は立ち上がった。
――“戦士”ティタン
今更なんだかんだ語る必要があるか?
だがそれでも敢えて彼について言うなら、性格は苛烈。時に陰湿。一度嫌った相手は容易に受け容れず、執念深い。
そして外敵に対してそれを発揮し、勇猛かつ残酷である事を戦士の美徳だと本気で考えている。
当然だろう! 戦士とはそう言う物だ!
クラウグス西部ダニカス出身。奇しくも彼が鍛える娘オーメルキンと同じで、元は浮浪児。
幼少期のある時、ティタンは赤銅の牡鹿戦士団シェフ、“黄金の鬣”ロンブエルに決闘を申し込み、徹底的に叩きのめされたあと養子として迎えられる。ティタンの名もそこで与えられた。
後に騎士アメデュー・ウルと出会い牡鹿団を出奔、彼女に仕える。アッズワースに移った後もすぐさま頭角を現し、猛烈な攻勢の末に騎士アメデューと夫婦となる。
数年後、クラウグスに黒竜が現れ、アメデューは戦死。子はいないままだった。
ティタンは復讐のためケルラインの許へと馳せ参じた。
一撃必殺を信条とする。それが叶わぬ時も敵を逃がしたりはしない。
刺突こそ最も優れた戦技だと感じており、これによって無数の怪物と無数の勇者を討ち取った。誰も異論を差し挟めないクラウグス最強の男である。
気位の高い神々ですらティタンの剣を認め、その突きを恐れた。
逸話は多くあるが一々語っていられない。
ティタンは未だに戦い続けている。伝説は、更に新たな伝説を歴史に刻んでいる。
猛き風、深紅の太陽。
誰も彼もがそうなって、強き男の背を追うのだった。
何も変わりはしない。クラウグスは北へ進出したのかも知れないが、其処には敵がいて、戦士達がいる。
新たな戦いの訪れだ。




