アッズワースの戦士隊1
その時、アッズワースで最も大きな建築物であった政庁が崩れ落ちるのを、多くの者が目にした。
当然ディオは物見を走らせる。状態を確かめる為に出撃した五名の精鋭は、政庁のあった場所を見て愕然とした。
「何だこの穴は」
政庁は半分程が崩れ去り、其処には巨大な穴が開いていた。
人知を超越した現象だった。まさか歴史ある要塞政庁が大穴に飲み込まれるとは。
穴がどれ程深くまで続いているのか予想も着かない。しかもこれはただの穴ではない。
遥か下、暗雲が漂っている。その中では青い稲妻が迸り、何処からかおぞましい悲鳴が響く。風穴から響く風の音のような不気味な声が。
「信じられん……。この穴は何処へ通じているのだ」
「これもマトの仕業かよ。湧水の魔法戦士達はどうなった?」
相談し合う内に南側から戦士の一団が現れる。
灰色に染められた鎧。湧水だ。南門に張り付き霧の魔物に対処していた一団である。
湧水達は悲鳴を上げながら瓦礫にむしゃぶりついた。倒れた柱や石壁を撤去しようと躍起になっている。
「シャーロス様! シャーロス様!」
主君の名らしき物を叫びながら取り乱す彼らの様子に、事情を知らないアッズワースの戦士達も流石に同情した。
胡散臭い連中ではあるが忠誠心は本物らしい。
そしてその彼等を制止する声が響く。
「騒ぐな、生きておられる」
瓦礫の一つが持ち上がる。其処から埃を巻き上げつつ這いずり出てきたのは、レイヒノムの勇者シュラムだった。
「シュラム殿! シャーロス様は!」
シュラムはシャーロスを脇に抱えて瓦礫を退かす。
「レイヒノムの勇者か。俺達も彼等を手伝うぞ」
見れば地下牢に居たらしい湧水の戦士達も大半は生き残っているようで、直ぐに瓦礫を退かすために戦士達はその場に集った。
シャーロスは目を閉じたままシュラムに命じた。
「仮面を」
応えたのはシュラムの次に這い上がってきた湧水である。
「こちらに」
震える手で覗き穴のない仮面を着けるシャーロス。
手伝う為に近付いた戦士達はハッとした。何時の間にかシャーロスの美貌に視線を奪われていた。
馬鹿な、子供、それも男だぞ。
「まだ気にしておられるか」
「気にもしよう。私の目は人々を惑わす」
「妖精の女王にも困った物」
「……その話はよい。それよりも」
シャーロスは自らの足で立ち上がると瓦礫の上によじ登る。
アッズワース要塞に突如として出現した大穴を見下ろして、ぽつりと言った。
「地獄に繋がっている」
戦士達は唾を飲み込んだ。
「それは詰まり……どういう事でしょうか」
「矢張りマトが!」
シャーロスは小さく笑った。
「マトは滅んだ、ティタンが勝ったのだ。……かの悪神は相当に足掻いたようだな」
その意味をはっきりと理解するのに、全ての者はたっぷりと深呼吸する必要があった。
「勝った? マトを倒したのか!」
そして震えた。
「……そうだ、当たり前だ! ここはアッズワース、そして奴はティタンだぞ!」
血と泥と埃に塗れ、多聞に漏れず酷い有様のシュラムは、薄らと太陽の昇り始めた空を見上げる。
「大した男だ。……生きて戻れよ。また共に、武功を競わん」
――
同じ頃、南門の壁上の弓手達は何処までも続く草原を見て歓声を上げた。
彼らは肩を抱き合いながら勝利を確信した。
「霧が払われた! 夜が明けた! 太陽は昇る!」
「マト、ざまぁ見みやがれ! うおぉ!!」
アッズワースの南を包み込んでいた霧が綺麗に消え去ったのだ。それと同時に霧の中から湧き出る異形の怪物達も。
マトの影響力の消滅を誰もが感じる。東の山の稜線から顔を覗かせる太陽。薄らと明るくなり始めたアッズワース。
「俺達は勝つ!」
「そうとも、パシャス万歳! 我等の英雄ティタンと、多くの同胞に!」
「俺達は勝つ! 太陽は昇る!」
「あぁ、太陽は昇る!」
彼等は直ぐに隊の編成に取り掛かる。南方の霧が消え去った以上、ここに戦力を貼り付けておく意味は薄れた。
彼等は激戦の続くアッズワース北区に参戦しなければならない。
勝利を得る時が来た。
――
オーメルキンは破れる程に唇を噛み締め、同胞の太くて重い身体を担いでいた。
既に門が突破されてかなりの時間が経つ。三重の包囲と準備。ディオは様々な手を用いて敵に出血を強いたが、結局それすらも力任せに破られた。
オーメルキンは自分の肩で血を吐き、失神したヴァノーランに声を掛ける。
「ウィド、ウィド、死ぬなよ。もう直ぐ味方の陣地に着く」
自分の三倍近くは体重があろうかと言う男を担いでいるのだ。オーメルキンの歩みは足の萎えた老人のように覚束ない。
周囲には敵味方の死体がまばらに散らばっている。要塞内では無秩序な乱戦が繰り返され、押したり押されたりしている。
人にも魔物にも妥協は無い。ただ、生存権を賭けて相手を根絶するしかなかった。
オーメルキンが歯を食い縛って同胞の身体を背負い直したその時、彼は言った。
「メル、もう良い」
「ウィド?」
意識が戻ったのか? オーメルキンのそれはぬか喜びだった。
同胞の身体はオーメルキンの肩から滑り落ち、雪でどろどろになった地面へ。
「ウィド、死んだのか。……本当に?」
口元に耳を寄せる。既に息は無い。
オーメルキンは歯をカチカチと鳴らしながら涙を堪えた。
「……わ、わ」
拳で胸を打ち、それを差し出す。
「我等、に……、お、お前達に……」
ヴァン・オウル・アッズワースは最早誰が生き残っているのかも分からない有様だ。皆乱戦の中に飛び込んでいった。
オーメルキンは決して泣き声を漏らさなかったが、内心悲嘆に暮れていた。
彼女の知る団の同胞達は真っ先に敵と戦い、名を残す事のみを考えていたからだ。
そういった者達が生き残れる戦いだとは思えない。
気付けば空が白み始めている。永遠に続くと錯覚するような地獄の夜が明けた。
夜を徹して戦い続けた。しかしアッズワースは敵の波に呑み込まれようとしている。
どこまで戦えば良い。オーメルキンは弦の切れた弓を放り出して、天を仰ぐ。
唐突に声が掛かる。
「オーメルキン」
オーメルキンの名を略さずに呼ぶ人間は余り多くない。
「ティタン」
ティタンはズタボロだったが、血や泥の類は洗い流されているように見えた。
鎧とマントは彼方此方に穴が空いている。予備の剣は一本として残っておらず、牡鹿の剣を握っているだけだ。緊急用のナイフすら無い。
その牡鹿の剣も鞘を失ったようで、納める場所が無い有様だ。
髪が水に濡れしっとりとしている。ティタンはヴァノーランの遺体の傍に跪く。
「オーメルキン、生き残っている者は?」
「分からない。ごめん」
「謝る必要は無い」
戦いの真只中だ。消息不明など珍しくも無い事だ。
「アーマンズは?」
「北門が突破された時、ディオ・セリウ様の隊と一緒にオーガに斬りかかって行った。そこから先は……」
「他の弓手もか。前衛に居た奴は?」
「……誰も。誰も、本当に、なんだかそれが……当たり前、みたいに……」
横隔膜の痙攣を、オーメルキンは必死に抑えた。
自分は成長したと思っていた。一年で冷たい表情が出来る様になった筈だった。
団の同胞が望みを叶える事を、喜べる女になったと。
「……団結式で言ったとおり、俺達は一年と保たなかった。だが……」
ティタンはヴァノーランの遺体に牡鹿の剣の腹を当てる。
次いで、その剣の腹を己の額に。
もう幾度目かも知れぬ祈りの言葉を唱える。
「同胞よ、安らぎたまえ。或いは己が望む物を掴みたまえ」
「何も残らない。誰も帰らない。……ゼタは?」
ティタンの答えは至極短かった。
「俺は義務を果たした」
オーメルキンは石壁に背中を預けてずるずるとへたり込んだ。
「誰があたし達の戦いを覚えていてくれるんだろう。
ロールフや、ゼタや、仲間達の事を。ねぇ、ティタン」
「不安なら味方の陣地に退け。生き残り、語り継げば良い」
「ティタンは?」
ティタンは祈りを終え、立ち上がった。
「シンデュラに一突き入れてやる。夜の神に、アッズワースと戦う事の、本当の恐ろしさを教えてやる」
オーメルキンは深紅の頭巾を握り締め、ティタンに続くように立ち上がる。
「皆死んだよ」
「あぁ」
「だからあたしも、此処に残る」
遠くで火の手が上がった。偶発的な火災にしては勢いが強い。
「付いて来い」
――
「クラウグス重装歩兵の形成する密集陣形は! 何人たりとも突破できない!」
ディオは民家の屋根に攀じ登りガラガラ声で檄を飛ばしていた。
要塞の主要通路に陣取り必死の抵抗を続けるアッズワースの戦士達。
突き出した盾が躍り掛かるワーウルフを食い止めるのも、もう何度目だろうか。
「司令官! 東の通りで御味方劣勢!」
「狼狽するな! フォーマンスは持ち応えるわ!」
「司令官、アルコン・メンシスが孤立しております! 西に援軍を送られたし!」
「死守命令を撤回する! 十人に一人殺されるようなら無理なく撤退させなさい!」
ディオは鎧やマントを重たく感じて、それらを脱ぎ捨てた。
ディオ・セリウは頭と口さえ冴え渡っていればそれで良いのだ。
敵を殺し、味方は死ぬ。追い詰められ、悲鳴を上げる戦線を、宥め賺し、時に尻を蹴り上げるようにして、どうにかこうにか保たせる。
アルコン・メンシスは即席の陣地にて孤軍奮闘し敵を引き付けている。しかしそれも限界だ。十中八九撤退するだろう。敵の圧力は増し、更に戦況は厳しくなる。
ディオは恐ろしい形相で唇を舐める。今この時こそ、ディオ・セリウの器量が試される瞬間だ。
「(私は、偉そうに踏ん反り返っているだけの女では無いわ)」
この戦いで多くの戦士がその価値を証明した。
名誉を掴み、後世に名を残す勇者が多く現れた。
彼等が
命を賭すに相応しい女だったと
私は、そう証明したい
名誉欲か、それとも意地か。或いは戦友達への当然の義務なのかも知れない。
「無駄死にでは無いわよ、誰も彼もね」
ディオ直属、ストランドホッグ兵団が屋根の上から敵を急襲し、多くの死傷者を出しながらも戦線を僅かに盛り返す。
雄叫びが聞こえる。身体は熱いままだ。伝令が飛び込んでくる。
「フォーマンス殿が敵を打ち崩されました!」
「当然よ! 後曲に人をやって再編の終わった隊を出撃させて!」
「ディオ様! 北西に火を放ったのはバシャー殿のようです! 一人炎の中に残ったと!」
「数名やって生還させなさい! 先に楽になろうだなんて許さないわ!」
「し、し、し、司令官!」
「今度は何?!」
足元も覚束ない様子で転がり込んできた伝令の様子に、ディオは目尻を吊り上げた。
「ティタン殿が帰還されました! 繰り返します、ティタン殿が帰還!
マトは討ち滅ぼされました! 霧は払われた!」
ディオは腹の其処から湧き出る高揚に呼吸すら止めた。矢張り、彼は生還したのだ。
年若い伝令は顔をくしゃくしゃにし、嗚咽交じりの声を張り上げる。
「皆、気勢を上げております! ”我等は勝つ。太陽は昇る”と!」
「良い言葉ね」
――Wooooooo Vaaaaaan!!
何処かで雄叫びが上がる。
戦い続け、疲れ果てた戦士達。
その瞳が再びギラつき始めた。
――
イブリオンは浅い眠りから目覚めた。周囲には敵味方の死体と血溜り。
拉げた鋼鉄の大盾を引き寄せて、イブリオンは欠伸をした。
「死んだと勘違いされたのか」
オーガに打ん殴られた記憶がある。不覚にもそれで気絶し、味方はイブリオンが戦死したと勘違いしたのだ。
まぁ仕方ない。自分だってそう考えるだろう。
「生きとる奴はおるか?」
軽く声を上げる。応える者は居ない。
イブリオンは寂しさを感じた。彼の率いたペンドリトン戦士団からも多くの死者が出ている。
当然、覚悟はしていた。しかし隣に横たわる部下の遺体を見て、感傷的になるなと言うのは無理だった。
自分は生き残ってしまった。更なる戦いと、名誉と、そして苦痛が待ち受ける。
「だが……戦士は力ある限り戦い続けねばならん」
誰の言葉だったかのぅ。イブリオンはこちらも拉げた兜を脱ぎ捨て、太陽の昇り始めた空を見上げた。
――Wooooooo Vaaaaaan!!
冷たい空気を引き裂いて雄叫びが迸った。聞き覚えのある声だった。
イブリオンは大きな溜息を一つ。
横たわる同胞の死体に祈りを捧げ、そして立ち上がる。
「ゆくか、同胞」
――
アーマンズは生き残っていた。何度も弓と剣を使い潰した。
失った指がジンジンと疼いた。彼の目の前で勇敢に死んでいった同胞が語り掛けてくる。
戦え、戦え、と。アーマンズは彼等の導きに従い、半ば正気を失ったような有様で弓を射る。
目は呆とし、口は半開きになり、しかし身体は的確に動いて敵を殺す。
何かに憑かれでもしたような姿だった。
「ヴァノーラン! 見事な腕前だ!」
戦線を共にした隊の指揮官がアーマンズを称えた。アーマンズはにこりともしない。
サジバルの谷に住まう者達は皆弓の名手だ。幾らか指を失ったとしても、それで技を失う事はない。
それは指の皮が裂け、両手が麻痺して感覚を失っていたとしても同じ事だった。
――Wooooooo Vaaaaaan!!
雄叫びが聞こえた。いや、雄叫びなら何処からでも聞こえている。
誰も彼もが絶叫していた。泣き喚くように。
しかしその中にあってもハッキリと聞こえた咆哮。
唐突にアーマンズは膝を突く。
「……シェフ……」
疲れを忘れたかのように戦っていたアーマンズは糸が切れたようにくず折れた。
限界を超えて戦い続けた。アーマンズはそれが出来る男で、しかし限界を知らぬ者の終わりは突然に訪れる。
「どうした、ヴァノーラン! 手傷を負っていたのか?!」
一人の兵士がアーマンズに肩を貸して後方へと下がらせようとする。
アーマンズはギラギラと輝く目で彼を睨みつけ、それを振り払った。
「…………うぅぅぅぅ……!!!」
シェフ、死んだぞ
皆が、アンタの言っていた通りに
俺達持たざる者達が、唯一持ち得る命を賭して
そうして、最後に死んで行ったぞ
「うおぉぉぉぉ! あぁぁぁぁッ!」
アーマンズ吼えた。ティタンの帰還だ。間違いない。俺には分かる。
そしてそれが堪らなく嬉しかった。何故か勝利を確信した。
「ヴァァァン・オォォーウル! アッズワァァァァースッ!!」
いつの間にか奥歯が一本折れていた。戦いの中、歯を食い縛る内に折れてしまっていたらしい。
アーマンズはそれを吐き出して、叫び続ける。
俺達こそアッズワースの戦士隊。
血の繋がらぬ兄弟。生まれも育ちも違う家族。
名を残せ、栄光を掴め。まだ何も終わっていない。
アーマンズは不思議な直感に従い、戦列を離れて走り出した。火の手の上がる方向だった。
――
ディマは炎の中で哄笑を上げていた。煙が天へと昇っていく。
炎と黒煙に巻かれて逃げ惑う魔物達。
一匹の狼の首を蹴り折って、ディマは更に笑った。
様を見ろ、魔物ども。シンデュラの下僕め。
貴様等など、焼き尽くされて灰になれ。
炎の外側から兵達がディマを呼んでいた。ディマはそれに言葉一つ返さない。
兵達を下がらせ、計画的に用意された油に火を放ったのはディマ自身だった。
この火刑によって無数の敵を焼き殺した。ディマは概ね満足して、瓦礫の中に座り込む。
「良く戦った。我ながら会心である」
多くの敵を殺した。殺して殺して殺してやった。幾らか溜飲も下がった。
「ディマニード殿! どちらですか! ディマニード殿ッ!」
誰かがディマを探していたが、やっぱりディマは応えなかった。
ここいらで終わりにしたかった。自分は限界まで義務を果たしたと、ディマは思っていた。
イヴニングスターの名声は千年先まで残る。バシャーの武名、戦い振りは地の果てまでも轟き渡り、多くの敵を震え上がらせるだろう。
炎を見詰めれば部下達の顔が浮かび上がる。彼等が待っていてくれる。
「これで良いだろう……なぁ?」
誰に問い掛けたのか、ディマ自身にも分からない。
しかしそれに返答があり、しかもそれは否定だった。
「駄目だ」
炎の中を掻き分けて現れたのはティタンだった。ディマは目を丸くした。
「ティタン」
「行くぞ」
「何処にだ? 俺にはもう一兵も残っておらん」
「シンデュラと戦いたくないのか?」
ティタンは煤塗れの顔を拭い、肩を竦めて見せる。
ディマはごくりと唾を飲み込んだ。
「ここで死のうと思っていた」
「それも悪くない。炎の中に消えた偉大な男として、アンタは語り継がれるだろう。
だが多くの戦士達は、アンタの怒鳴り声が聞けないのは寂しいと考えている」
疲れていた。だが疲れた、なんて泣き言は、八つ裂きにされたって言える筈がない。
ティタンの目が鋭い。ディマは当然だと思った。
一つでも泣き言を口に出せば、多くの英霊を失望させる事になる。
ディマはバリバリと歯を食い縛る。
「もう一押し……してやる」
「さっさと立て。腰が抜けたか?」
「黙れ! シンデュラ如きの手勢、何の痛痒も感じんわ!」
ティタンは満足そうに笑い、手を差し出す。
ディマは乱暴にそれを握り、ふらつく足で立ち上がった。




